*37*ローザリカのfear Ⅴ
それから、およそ一週間後、ミリアという専属の侍女がやって来た。
「こんにちは。ミリアと申します。これからローザリカ様のお世話をさせて頂きますね」
彼女は丁寧に挨拶してくれた。
でも、わたしは目を合わせる事が出来ないでいた。視線を合わせる事が恐かった……。
「ローザリカ、ちゃんと挨拶するんだ」
それを見たお父様は、きちんと彼女へ挨拶するよう促した。
けれど――
「いやあああぁぁ!!!」
またも、ぱしん!! とその手を払い除けてしまった。
またやってしまった……。
そんな後悔が押し寄せる。
「ローザリカ……」
お父様は諦めにも近いような声で、わたしの名を呟いた。
あの日から、わたしは「人」を拒絶するようになってしまった。
それは父だけでなく、母も例外ではなかった。
けれど母の方は、父のように衝動的に拒否してしまうというような事は無かった。
それは「母」という安心する存在であるからなのか、「同性同士」であるからなのか、それとも別な「要因」があったのか……。
自分自身の心でさえも、よく分からなくなってきてしまった。
それでも一つだけ分かっていた事がある。
いいえ……「見当を付ける」という言い様の方が、似つかわしいのかもしれない。
それは、お父様が、わたしたちを裏切っていたのかもしれないという事――――
――――それからミリアは、甲斐甲斐しくわたしの世話を焼いてくれた。
彼女は、料理の腕前も素晴らしかった。ローズティーも直ぐに自分好みの味を習得したし、トマトが好きなわたしのために度々絶品のカポナータを作ってくれる。
ミリアから放たれる、温かみのある優しい雰囲気によるものでもあったのかもしれない。わたしは、自分でも驚く程すんなりと彼女を受け入れていた。
それに彼女は状況判断にも優れていた。
わたしの事情を理解していて一人にさせてほしい時などは、それを直ぐに察してくれて部屋を後にする。「人」が苦手な私にとって、それはとても有り難い気遣いだった。
――「ローザリカ様。また殿下が、お外で離宮を眺めておられましたよ」
「え……?」
ある時、ミリアがそんな事を言い出した。彼女は、わたしが平らげた食器をカチャカチャと片付けている。
あの日から三ヶ月程度経過したこの頃には、すっかり背中の痛みも落ち着いていたため、私室の中央辺りにある丸テーブルで食事をしていた。
そこには、ガラス製の花瓶に一輪の花が挿さっている。それはピンク色の薔薇だった。深紅の薔薇が無残な事になってしまったため、ミリアに頼んで他の薔薇を生けてもらったのだ。
それに数日前は、わたしの誕生日だった。自分へのささやかなプレゼントでもあった。
「リオンが……? ”また”という事は、これまで何度かあったという事よね?」
いつものように食後のローズティーを味わいつつ、ミリアへと尋ねた。
彼女は一度手を休め、穏やかな表情をさせながらこちらへ向き直る。
「ええ、もう何度もお見掛けしておりますわ」
「リオン……」
わたしたちが、これ程長い間会わずにいたのは初めての事だった。
「仲が良かったから」という理由だけではない。いつも朝食と夕食を共にしていたのだ。嫌でも顔を合わせていた。けれど、わたしたちは、お互いを「嫌だ」などと思った事は一度としてない。
それに、わたしとリオンが傍にいる事に「理屈」なんていらなかった。
一緒にいる事が楽しかった、嬉しかった……。ただ、それだけだった……。
リオンは、お父様とエメリア様との関係について何か知っているのかしら……?
もしも二人の間に何らかの特別な関わりがあったのならば、伯父様もなにがしかの事情を知っていた可能性があるわ。
現に、お母様はあんなに取り乱してしまわれて。
でも……
わたしは、三ヶ月前までの彼の姿を眼裏に映した。
王太子とは言え、いくらなんでもリオンにそんな大人の事情を告げるかしら……?
その可能性は低いように思われた。
多分リオンは何も知らないはずだわ。
それに、リオンはリーリエをとても大切にしているもの。
まさか、完全に血の繋がった妹だと思っている少女の父親が、自分の父とは別人であるかもしれないなどと普通は意識に上る事すらないだろう。
わたしとリオン、リーリエは同じ碧い瞳を持っているわ。
そして、お父様と伯父様も……。
けど、リーリエは只一人ライトブラウンの髪を持っている。それはエメリアの子である何よりの証であるし、彼女たちは双子とも見紛う程に似通っているのだ。微かな記憶の中で、リーリエが産まれた時の周囲の大人たちの慌てた様子も覚えている。
その碧い瞳は伯父のものであるのか、それとも父のものであるのか……。
考えたくはないが、あの母の言葉を素直な意味で受け取ってしまえば嫌な想像しか沸いてこない。
それに、仮にそれが事実だったとして、こんな事が世に明るみにでもなれば、国の大醜聞に発展する事は想像するだに難くない。
――「え……?」
そこで、ふと頭の片隅から、ある「疑惑」が浮上してきた。
ドクンと、一度心臓が大きく跳ねる。
今まで、ずっとリーリエの事について考えていたから気にしていなかったけれど……。
一瞬にして、顔から血の気が引くような感覚に陥る。
わたしと……リオンは…………?
わたしたちは同じ碧い瞳だけでなく、そっくりな金の髪も持っている。今より幼い頃は、周囲の者たちからリーリエ以上に兄妹のようだと言われたものだった。
いいえ、そんなまさか……。
自分で至った疑惑だというのに、それを自ら否定させた。
否、そうでもしなければ、最も考えたくないある一つの「答」に行き当たってしまう。
――もしも、リオンの父親までもが”そう”であったなら……?
でも、リオンはどんどん伯父様に似てきているわ。
きっと伯父様の子であるはずよ……。
その考えを即座に打ち消した。そうでなければ、自分を保っていられなかった。
とは言っても、お父様と伯父様は兄弟だわ。
例え、直接血が繋がっていなかったとしても、リオンと伯父様が似寄るという事もあり得るのではないのかしら……。
さあっと、背筋が凍りつくような感覚に襲われる。
――「でも」「もしかしたら」―― そんな相反する言葉をこの三ヶ月間、幾度となく繰り返してきた。
わたしたち子供は、大人たちの言う事を信じるしか事実を知る術がない。
それが「真実」でなかったとしても……。
恐い……!!
再び、あの恐怖心が体中を侵していく。
もう、誰を信じればいいのかわからない。
何が「真実」であって、誰を頼りにすればいいのか……わからない…………!!
ガシャーンっ!!
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
「ローザリカ様っ!?」
そんな事を考えていたら、また発作を起こしてしまった。
無残にもティーカップが床に落下し、散り散りになってしまう。
「大丈夫ですか、ローザリカ様!? さぁ、寝所へ戻りましょう」
「はぁ……ええ、はぁ……はぁ……」
ミリアに支えられ、布団を掛けてもらう。
もう、何も考えたくない。
「現実」を知るのが怖い……。
そんな絶望にも近いような気持ちを抱えながら、瞳を閉じた――――
――――それから約三ヶ月後、わたしたちは半年ぶりに再会を果たした。
「お姉さま!!」
「リーリエ」
リーリエは満面の笑みを浮かべ、とても嬉しそうにわたしへと走り寄って来てくれた。
ただ、おそらく伯父様あたりから、「体調が万全でないのだから」とでも言われていたのだろう。
そのままの勢いで、抱きついて来るという事は無かった。
わたしは、ホッとしたと同時に寂しさも感じていた。
これまでであれば、わたしたちは何の気兼ねもなく、ぎゅっとお互いの体温を感じ合う事が出来たのだ。それは、リオンとて同様だった。
彼は、終始わたしと目を合わそうとはしなかった。
自分自身も彼を傷付けたという後悔や、わたしたち家族を取り巻く疎ましい恐怖……。
様々な感情が入り乱れて、リオンへと真っ直ぐに接する事が出来なかった。
「お兄さま?お姉さま……? どうかされたのですか?」
リーリエも、わたしたちの不自然な態度に訝しさを感じたようだった。
「いいや、何でもないさ」
「ええ、リーリエは気にしなくて大丈夫よ」
彼が、無理に笑顔を作っていた事には気付いていた。
あんなの本当のリオンの笑顔じゃない……。
そう思っていたのに、その時のわたしには何も出来なかった――――




