*35*ローザリカのfear Ⅲ
R15程ではございませんが、一部ショッキングなシーンがございます。
余程腹ぺこだったらしく、わたしは朝食をすっかり平らげて横になっていた。お母様が、カチャカチャと食器の後片付けをしてくれている。
未だ、背中はずきりと痛む。
打撲で済んだらしいのだが、一週間程度は「絶対安静」と言い渡された。ただ、母たちに付き添われていれば、離宮内ならば幾らか自由が利くとの事だった。
空腹が満たされ、またしても眠りに入ってしまおうか……という時だった――
――コンコン
不意にドアがノックされた。
目線をそちらの方に向けると、そこから顔を覗かせたのはお父様だった。
「ローザリカ、リオンが来てくれたぞ」
「あ……はい!」
来てくれて嬉しかった。プレゼントは用意できなかったけれど、一言だけでもお祝いの気持ちを伝えたかったから……。
「良かったわね、ローザリカ」
「はい」
お母様も、微笑みながら喜んでくれている。
母に支えられながら起き上がり、玄関へと向かった――
――背中を庇いながら、ゆっくりとした足取りで歩いて行く。二階の吹き抜けから、こちらを背にしてソファへと腰掛けているリオンが見えた。
母が付き添ってくれているとは言え、階段を下りるのは怪我を負った身には辛い。
「ふぅ……」
やっとの思いで階段を下りきり、一息ついた。
そして、彼へと声を掛ける。
「リオン」
すると彼は、直ぐにわたしの方を振り返った。
「あ、ローズ……」
リオンは、安心したように穏やかな表情を見せた。
わたしも、いつもと変わらぬ彼の姿を見てホッとした。そして、母に支えられながら、ゆっくりと彼へと近付いて行く。
すると、先にリオンの方から走り寄って来てくれた。
「体は大丈夫なのか?」
彼は、気遣わしそうにわたしの顔を覗き込む。
その時だった――
「……ぁ……」
「え……?」
リオンの手の中には、あの薔薇の絵柄が描かれた瓶があった。
「なぜ……? どうして……?」そんな事を考える余裕さえも無かった。
昨日、自分の身に降りかかった出来事を思い出し、只々恐怖におののいてしまった。
そして――
「……ぃや……いや……いやあぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
ドン!!!
がらん……と、瓶が転がった。
「え……? ロー、ズ……?」
気が付いた時には、わたしはリオンを両手で突き飛ばしていた。
わたしを見上げる彼の瞳は、信じられないモノでも見るような目をしている。それと同時に、ひどく傷付いた表情をしていた。
「……あっ……」
わたしは、とんでもない事をしてしまった。
リオンを傷付けてしまった……。
いつも、寂しそうにしているリオンの事を拒絶してしまった……。
その強い自責の念と共に、体中に恐怖が蔓延していく。わたしは混乱状態に陥ってしまった。
「うあああぁぁぁぁ!!!」
「ローザリカっっ!!」
自分自身がどうなっているのかさえも分からずに、ただ泣き叫ぶ事しか出来ない。そんな中でも、父や母が、わたしをなだめるように強く抱きかかえてくれているのだけは辛うじて理解出来ていた。
その時――
「……うっ……ぐっ、かはっ……げええぇぇぇ……っ……はぁ……はぁ……」
なぜだか急に吐き気が襲い、その場に嘔吐してしまった。
あまりの苦しさと不快感で、ぼろぼろと生理的な涙が溢れてくる。
お母様が背中を懸命に擦ってくれていた。
「……っ……ひっ、うわああああぁぁぁん!!!」
わたしは、ただリオンに「お誕生日おめでとう」って、あの薔薇を渡したかっただけなのに……。
なぜ、こんな事になってしまったの……?
悔しさと恐怖の入り混じった複雑な感情が、わたしの中でひしめき合っている。
「ローザリカ!!」
「とにかく、一度部屋へ戻ろう!」
お父様は、わたしを抱きかかえた。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
再び、昨日のような息苦しさが襲う。
もう、こんな思いするのは嫌よ……。
わたしは非情な現実から目を背けた。
私室へ戻り寝所へと横になったわたしは、そのまま意識を失うように眠りに入った――――
――――それからわたしは、あの「薔薇」を目にすると、その時の恐怖や嫌悪感を思い出してしまい嘔吐する癖が付いてしまった。だから、それ以後わたしは「あの場所」へは行っていない。
ただ、リオンの事は、ずっと気掛かりだった。
「リオン……」
きっと、とても傷ついてる……。
とても寂しがっているわ……。
もう一度会って謝りたかった。
なのに――
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
私の発作は、治まるどころか悪化しているような気さえしていた。
「ローザリカっ!! 大丈夫……?」
お母様が、わたしを心配そうに覗き込む。それも既に日課となりつつあった。
「はい……大丈夫、です……」
苦しかったけど、これ以上母に負担を掛けたくなかったので、いくらか無理をして笑顔を作った。
そんな事が数日続いたある日、わたしは気付いたのだ。
「人」を恐れているのだという事に……。
わたしの部屋には父や母以外にも、身の回りの世話をする侍女たちが次から次へと出入りしている。彼女たちの数が増えれば増えるほど、わたしの発作の回数も増していった。
特に汗で濡れた体を拭いてもらったり、寝間着へと着替える時など、彼女たちが傍にいる時それが顕著に表れた。
その上、自分では何とか隠していたのだが、あの兵士に体を触れられてから人と触れ合う事に恐れを抱いてしまっていた。侍女たちの手がわたしに触れる度、そこがぞくりと総毛立ってしまうのだ。
そして、またしても発作を起こすという悪循環に見舞われた。
けどお父様とお母様に触れられたとしても、不快感を抱くどころか安らぎさえも感じていた。だから、父や母が傍にいてくれることが嬉しかった。
とは言え、現状は快方へ向かう訳ではない。
わたしは思い切って、自分の感じている「恐怖」を父と母へ話す事にした。発作の頻度も増して来たため、いい加減に我慢がきかなくなってきた為でもあった。
すると――
「どうしてもっと早く言わなかったの!?」
お母様からは怒りを湛えた瞳を向けられ、ひどく叱られてしまった。
けれど母とは対照的に――
「よく我慢した。偉かったな」
お父様は口元に笑みを浮かべながら、頭から頬に掛けて、そっと優しい手付きで撫でてくれた。
きっと怒られると思っていたため緊張の糸が切れたわたしは、ぽろりと一粒の雫を零した。そこから、堰を切ったようにそれが溢れ出てきてしまう。
「……うっ……ふっ、うわああぁぁぁ!!」
お父様は、わたしの手を握ってくれて……。お母様は、わたしの体をぎゅっと抱きしめてくれて……。
それだけで、わたしの心は満たされた。
だから、また気になってしまうのよ……。
リオン……あなたの心は誰が満たしてくれているの……?
――――その後、わたし専属の侍女を付けるために伯父様は国中に通達を出した。
その間お父様たちは、高名と謳われる医師を呼び寄せたり、良く効くと評判の薬を試したりと、わたしの治療にあらゆる手を尽くしてくれた。
けれど有効な治療法も見つからず、相変わらず発作も続いている。
そんな中、わたしたち家族には、ある変化が生じ始めていた。
お母様は、何もできない自分に苛立っていたのかもしれない。あるいは、わたしの看護に疲れていたのかもしれない。
お父様に対し、だんだんと感情的になっていったのだ。
「どうして、いつまで経ってもローザリカの治療法が見つからないの!? 早く何とかしてちょうだい!!」
母は目尻に涙を浮かべ、頭を抱えながら必死に父へと訴えている。
わたしは、それを寝所の中で聞いていた。思わず耳を塞ぎたくなってしまう。
「わかっている!! 私も死に物狂いで考えているさ。だから、もう少しだけ待ってくれ!」
父も、わたしのために懸命に動いてくれている。
父の気持ちも、母の気持ちも痛いほどわかってしまう。
だから余計に辛い。
わたしが、あんな所に行かなければ良かったのよ。
そうすれば、今まで通りお父様もお母様も仲睦まじい夫婦でいて……
リーリエや伯父様とも笑い合っていて……
リオンとも、ずっと手を繋いでいて……
「……っ……」
出来る事ならば、あの日に戻りたい……。
でも、いくら後悔しようとも、この国の王女であろうとも、その願いを叶えてくれる者などいないのだ。




