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*31*リーリエのunconscious of sin

リーリエ視点です。

――――「これが、俺たちの知っている事です」


 クライドが、リーリエとクリスティアンを交互に見ながら、そう言った。

 彼らが腰掛けている白く気品のあるソファは、邸宅の優美な内装と相まって、その場の雰囲気に大いに馴染んでいた。


「……」

「……」


 けれど、その二人共が、その後の言葉が見つからず、応接間は重苦しい静寂に包まれている。



 お姉様が……襲われていた……?



ゾクッ



 今日何度目かもわからない震えが、この身を襲う。

 思わず、両手で体を抱き込んだ。


 あの、大切な家族たちが住まう城で……?

 それに、城の兵士がわたくしたちを襲うだなんて……。そんなの、嘘よ……。

 

「ねえ、ミリア? そんなお話、冗談なのでしょう? わたくしたちを城の兵士が襲うだなんて……」


 冗談であってほしい。

 そんな希望を胸に、目の前のミリアへと問い掛ける。


「いいえ、全て事実でございます。城の中には兵士たちだけでなく、料理人(シェフ)や庭師、医師(ドクター)など、数えきれないほどの男たちがいるのです。(おんな)もまた然りでございます」

「……あ……」


 そんな事、当たり前すぎて考えた事ございませんでしたもの……。


「で、ですけれど……お姉様を襲った兵士は処刑されたのでしょう? なぜ、わたくしがまた襲われる事になるのです? 兵士たちを増やしたのであれば、そのような事態を防げたのではないのかしら……?」


 記憶を辿れば、そんな出来事があったような気もする。

 けれど、まさか自分が狙われていて、それをクライドが助けてくれていたなんて……。


ミリアは、「ええ、そうですね……」と悔しさを滲ませた表情をさせながら、こちらを見て続ける。


「私たち兵士が、まずそのような事態が起こる前に防ぐべきでした。ですが、あの城にはおよそ三千もの兵士がおります。その一人一人が何を考えているかなど、把握する事は不可能なのです。それに、そのような無法者を断罪したとしても、この世の中にいくらでも生まれ出てしまうものなのです」

「そんな……」


 怖い……。



ゾクッ

 


 自分にとって大切な者たちのいる(我が家)が、急に恐ろしい物のように感じる。


 怖い……怖い……! 怖い……!!

 お姉様は、こんな恐怖の中で今まで生きてこられたというのですか……?


「あっ……!」


 そこで、ふと気付く。


「あの、ミリア? もしかして、今日の馬車の中で、わたくしの隣にお姉様が座っていらっしゃったのは……」

「ええ。殿下は、ローザリカ様のご体調を気遣っていらっしゃったのでしょう」


 ミリアは、穏やかに微笑んでいた。


 ……あ……


「そういう事でしたのね」

「なるほどね。ようやく合点がいったよ」


 それまで、彼らの会話をじっと聞いていたクリス様が話へ加わる。


 二日前にやって来たクリス様よりは、これまでずっと共にいらっしゃったお兄様の方が、お姉様のお体に掛かる負担は少なくなるわ。

 それに、「リーリエは知らなくていい事だ」とおっしゃっていたのは、こういう事でしたのね。

 もしかしたら、クリス様に「触るな」とおっしゃっていたのも、そういう事なのかしら……?


「お兄様……」


 自分の知らない兄の顔を知って、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになった。


「けど、なぜ突然ローザリカは、あのように取り乱してしまったんだい?とても普通ではなかった。リーリエも、あのように取り乱すローザリカは初めて見るのだろう?」

「ええ」

「……それは、あの葡萄酒(ワイン)に原因があるのです」


 クライドが答えた。


「葡萄酒……?」


 そういえば、メイドがクリス様へと葡萄酒を注いでいる時にお姉様に異変が起きたのだわ。


「迂闊でした。もっと早く気付いていれば……」

「ああ、そうだな」


 ミリアとクライドは眉間に皺を寄せ、悔しそうな表情をしている。


「あの葡萄酒がどうかしたのかい?」


 クリス様も同じ疑問を持ったようで、訝しそうに問うた。


「ええ。実は、あの葡萄酒は、ローザリカ様を襲った男が同じ物を持っていたのです。ですから、ローザリカ様はあのように豹変してしまわれて……」


 お姉様を襲った男が、同じ物を。


「……そうでしたのね」

「なるほどね。それで、あんなに……」


 多少は、胸の中のモヤモヤとしたものが晴れた気がした。


「ですから現在は、絶対に城へと持ち込まれる事の無いように万全の注意を払っているのです」


 だからお兄様も、あのように突然大声を出されて……。


「お兄様は、それに気付かれたのですわね」

「ええ。俺も全て知っているわけではないですが、リオン様はいつもローザリカ様の事を気に掛けていましたよ」

「……そうだったのですね。わたくしったら、本当に何も知らなかったのですわね」

「そんな風にリーリエ様が気落ちする必要はないんですよ。皆、リーリエ様に知られぬようにしていたのですから、仕方のない事です」


 ニッとクライドが笑いながら、そう言ってくれた。

 けど、しゅんと自己嫌悪のような気分になって俯いてしまう。


「でも、なぜ皆わたくしに教えてくれなかったのでしょう? わたくしもお姉様の事情を知っていれば、もっとお体の事を気に掛けることが出来たと思うのですけれど」

「……わかりませんか?」

「え……?」


 意外な事を言われ顔を上げると、真剣なクライドの瞳とぶつかる。


「わかりませんか?」


 もう一度、同じ事を言われる。


「あの、えっと……」


 そのあまりにも真剣な彼の瞳に、思わず視線を外してしまう。 



「……リーリエの事が”大切”、だからじゃないかな?」



「え……?」


 突然、左側からぽつりと声が聞こえた。


「クリス様……?」


 クリス様は口元に手を当て、思案するような格好をとっていた。

 大方の事情をたった今知ったばかりの彼からそんな事を言われ、戸惑ってしまう。

 けど――


「さすがクリスティアン様ですね。オチェアーノの第三皇子の名は、伊達ではないという事ですね」


 クライドが再びニッと笑って、そう言った。


「いや、そんな大そうなものではないさ。次の皇帝も一番上の兄が担う事になるのだし、僕なんて気楽なものだよ」

「いいえ。その優れた洞察力は、称賛に値するものだと思いますよ」

「そうかな? まぁ、とにかくありがとう」


 クリス様は、口元に笑みを浮かべながら礼を伝える。


「いえ。恐れ多いお言葉です」



 ……どういう事なのかしら?


 話題の張本人である自分抜きで進められていく会話に、戸惑いと同時に、少々気後れしてしまっている。



「リーリエ様」

「え……?」


 そんな時、突然ミリアから声を掛けられた。

 彼女は、温和な表情を浮かべながら続ける。


「陛下たちは、あの城が、リーリエ様にとって温かい場所でいてほしかったのです。そのような恐ろしいモノが存在するのだという事を知られたくなかったのです」

「え……? あっ……」


 温かい場所……。


 わたくしは、そんな事さえも気付かなかったのですわね……。クリス様でさえも、気付かれたというのに。

 つい先ほど、わたくしは「(我が家)」の真実を知って「怖い」と感じましたわ。

 お父様たち皆、わたくしが怖いと思わないようにずっと気遣ってくれていたのですわね。


 家族たちの心の温かさに触れて、胸が熱くなってくる。


 なのに、わたくしったら、そんな事にも考えが及ばなかったのね……。


「あら……?」


 そこで、ある違和感に気付く。


「あの、ミリア? あなたのお話ですと、お姉様は人に接するとストレスを感じてしまわれるのですわよね? それに、人に触れると病状が悪化してしまわれると」

「ええ、そうです」


 だとすれば、おかしい。辻褄が合わなくなってしまう。


「どうして……?」


 わたくしは、今まで……


「何度も、お姉様に抱きしめてもらっていましたわ」


 ミリアは、「ふふっ、ええ……」と穏やかな笑顔を浮かべ続けた。



「ローザリカ様にとって、それだけリーリエ様が大切な”妹”であるという事なのでしょう」



 ……あ……



 そんな……お姉様は、今まで自分のお体に負担を掛けてまで、わたくしを抱きしめてくれていたというの……?

 あの温かい腕で、包み込んでくれていたという事なの……?


「どうして、お姉様……」


 自分自身が、情けなくなってしまう。


「だって、わたくし……」


 お兄様が、お姉様よりわたくしの傍にいてくれることを喜んでいたくらいですのよ……!!


 目頭が熱くなる。


「……あの、クライド? お兄様とお姉様は、10年前の騒ぎによって共にいる事が出来なくなってしまった、ということなのですわね?」

「ええ、そういう事です」


 お兄様が、「男」だから……。

 それに、まさかその後、ミリアがお姉様の侍女をしていらしたなんて全く気が付きませんでしたわ。


「だったらなぜ、ローザリカは僕との婚姻を決めたんだ? ローザリカは、自分で決めた事だと言っていたけれど」

「……それは、俺やミリアにもわかりません。ローザリカ様はこれまでも、三度婚約者候補とお会いしています。そのいずれも、拒否したり嫌がっていたりという事は無かったように記憶しております」

「ええ、わたくしもそう思いますわ」


 お姉様は、どちらかと言えば、前向きに動いていらっしゃったような気が致しますわ。

 けれど、そのどれもが破談となってしまわれて……。


 お姉様の事も、もっと知りたい……。



「それにリーリエ様……あなたの事も、リオン様はずっと守ろうとしていたのですよ」

「え……?」


 クライドの優しい瞳とぶつかる。


「リオン様は、自分からそんな事を言う人ではありませんからね。でも、俺は気付いていました。執務室からリーリエ様やローザリカ様の事をずっと見守っていた事を」

「お兄様が……?」


 そんなの、わたくし知らないわ……。

 わたくしは、本当に……


「……っ……ふっ……」


 我慢のきかなくなった涙腺が、瞬く間に(まなじり)を濡らしていく。


 わたくしは、お兄様やお姉様にとって、自分が妹ではないのだろうかという不信感まで抱きましたわ。

 なのに、こんなにもわたくしのことを心配して、見守ってくれて……。

 それに、お父様たち皆にも甘えて頼って守られて……。

 お兄様が抱きしめてくれないからと、勝手に拗ねて悲しんで……。


「……っ、わあああぁぁっっ!!」


 それは、感情のままに瞳から溢れ出した。



 お兄様は、わたくしの操り人形ではございませんのよ……!!



「リーリエ様……」


 ミリアの気遣わしそうな声が聞こえた。

 けれど、顔を上げることが出来ない。


「リーリエ……」


 すると、クリス様がぽんぽんと頭を二回優しく撫でてくれた。



 抱きしめて欲しければ、抱きしめて欲しいと言えば良かったのだ……自分から。

 一緒にいたければ、一緒にいたいと言えば良かったのだ……自分から。



 

 その日わたくしは、「知らない」という事は、時に罪になるのだという事を知りました――――



 

 




 

unconscious of sin=罪に気が付かない

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