*25*もう一つの薔薇
「ごちそうさまでした、大叔父様」
「ああ、喜んでもらえたようで良かったよ」
苺のタルト、とっても美味しかったですわ。やっぱりデザートは別腹ですわね。
「ふふっ」
「ん? どうしたんだ、リーリエ」
「あっ、いいえ、何でもございませんわ!」
さっと口元に手を当てた。
思わず声を漏らしてしまいましたわ。お兄様にこんな事恥ずかしくて言えませんもの!
それにしても……
ちらりと、兄と従姉を見る。
従姉は、クリスティアンと雑談中だった。
お兄様とお姉様、どうしたのでしょうか……。
そして再び思い出す、あの光景。
クリス様へ「触るな」と怒っていらした姿とは、別人のようです。お兄様が、お姉様をお連れしましたのに、こちらにいらした時は別々でしたし……。
何があったのでしょうか?
「ああ、そうだ。この地方で作っている絶品の葡萄酒があるんだ。クリスティアン殿とローザリカの婚約祝いも兼ねて出してやろう。あれを持ってきてくれ」
トマスからの指示に年若いメイドは、「かしこまりました」と一度奥へ下がって行く。
「お気遣いありがとうございます」
「ありがとうございます、大叔父様」
クリスティアンとローザリカは、笑顔で彼に礼を言った。
「城には無い葡萄酒だ。おそらく、ローザリカや殿下たちも呑んだ事は無いと思うんだが……」
それから、しばらくして戻ってきたメイドは、一本の葡萄酒を手にしていた。
「お待たせ致しました。お注ぎさせて頂きます」
「ああ、ありがとう」
彼女は、まずクリスティアンの目の前のグラスへ、それを注ぐ。コポコポコポ……と赤い液体が注がれ、ふわりと葡萄酒独特の香りが広がっていった。
その時だった――
「あ……」
「え……?」
左側から呟きが聞こえた。
「……ぃや……」
今度は、前の方から。
直後――――
「やめろーーーーっっ!!」
ガターーーン!! と、大きな音をさせ椅子をひっくり返し、リオンが絶叫した。
「いやああああああぁぁぁぁぁっっ!!」
「おねぇ、さま……?」
ローザリカは、髪を振り乱し頭を抱えながら、リオンのそれをかき消す程の悲鳴を上げていた。
「ロー、ザリ……カ……?」
クリスティアンとトマスは、呆然としている。葡萄酒を手にしているメイドは、あまりのことに震えてしまっていた。
「ローザリカ様っっ!!」
異変に気付いたミリアが、直ぐ様ローザリカへと走って近付いて来る。
「大丈夫ですか!?」
「やああぁぁぁ……はぁ……っ……っぐ、かはっ……げええぇぇぇぇ……っ、はぁ…はぁ…はぁ…」
ローザリカは椅子から転げ落ち、胃の中のモノを床へと吐き出してしまう。眉間に皺を寄せ、苦しそうにしていた。
ミリアが、彼女の背中を擦ってやる。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ………………」
やがてローザリカは、ミリアの腕の中で再び気を失ってしまった――
「………………」
その場にいる皆は、呆然として身動き一つとれないでいた。そこには、しん……という、ありもしない音が聞こえてしまいそうなほどの静寂が訪れた。
今のは……何だったの……?
ゾクッ
ぎゅっと、両手で自身の体を抑え込んだ。ドクドクと、心臓が嫌な音をたてている。
あんなお姉様、初めて見ましたわ……。
そして再び思い出す、兄の恐ろしい瞳。
お兄様もお姉様も、どうしてしまったの……?何があったの……? どうして、わたくしだけ知らないのですか……!?
かた……と、その静寂を破ったのはリオンだった。
お兄様……?
彼はふらりと歩き出し、ローザリカの傍に跪いた。ミリアがそれに気付き、僅かに手を緩める。
「殿下……」
「……」
そしてローザリカへと手を伸ばし、苦しそうな表情を浮かべ、そっと抱き寄せた。
……お兄様のあんな辛そうなお顔、初めて……。
「あっ、リオン様!?」
そのまま彼女を抱きかかえ、クライドの横を素通りし、この部屋を後にした――――
「どういう事なんだ!! ローザリカは大丈夫なのか!?」
クリスティアンは、バン!! と激しくテーブルに両手をつき、苛立ちながら誰ともなしに叫んだ。
「………………」
けれど、その問いに応えられる者はいない。
一体何が起こったの……?
お兄様は、何か知っていたようだったわ。それに、お姉様のあんな姿初めてよ……。
ゾクッ
自分でも何に対する恐れなのかわからないが、再び体中に震えが起こる。
「ど、どうしたんだい……ローザリカは……。とにかく医者を呼ぼう。直ぐに手配してくれ」
暫く放心状態であったトマスが、思い出したようにメイドへと声を掛けた。体を竦ませていたメイドも「あっ……はい!」と、その場に葡萄酒を置いて出口へと向かおうとする。
けれど――
「待って下さい!!」
「え……?」
ぴたりと、メイドが動きを止めた。それと同時に、皆その声の主に注目する。
「お医者様をお呼びする必要はございません」
「え……? 何を言っているの…………ミリア……?」
その声の主は、ミリアだった。
「な……何を言ってるんだ!? あんな状態で放っておくというのかっ!!」
「……」
怒りを露わにしたクリスティアンが、ミリアへと手向かった。
けれど、彼女は俯きながら無言でいる。その表情からは、心中をうかがい知ることは出来ない。
何故、ミリアがそんな事を言うの……?
ミリアも何か知っているというの?
わたくしが、知らないことを……?
あまりの混乱で頭が追い付いていかず、思わずガタン! と椅子を後ろへ引きずり立ち上がった。
「ミリアっ!! どういう事なのですか!? お医者様がいらないというのは、どういう意味なのです? あなたは何を知っているのですか!?」
「……」
両手をいっぱいに広げ、無我夢中でミリアへと問いただした。けれど、彼女は尚も無言を貫いている。
「答えてちょうだい、ミリア!!」
どうして家族であるわたくしが知らない事を、ミリアが知っているのですか……!?
心の中が虚しさでいっぱいだ。
わたくしは、兄と従姉にとって妹ではないのだろうか……。家族では、ないのだろうか……。
「お願い……答えて……っ……ふっ……」
ぽろりと、一粒の雫が流れ落ちた。そこから、堰を切ったように溢れ出すものが止まらなくなってしまう。
「……っ……ひっ、く……」
体を支えることができず、その場にぺたんと座り込んだ。両手で顔を覆って、なんとか必死に”自分”を保つ。
「リーリエ様」
「え……?」
その時、突然頭上から声が掛けられた。ふいと顔を上げる。
「クライド?」
そこに居たのは、クライドだった。
彼は、いつの間にか傍まで来ていたようで、目の前で屈んだ状態で、真剣な瞳をこちらへ向けている。
「大丈夫です。落ち着いて下さい」
そして、ニカッと笑った。
「ミリア……もういいんじゃないか?」
そう言って、顔だけミリアの方へ向き直る。
「……。ええ、そうね。陛下に口止めされているのですが……」
彼女は、諦めたように呟いた。
お父様に、口止めされている……?
どういうことなの?
それに、クライドも何か知っているというの……?
「どういうことなのです、クライド!? あなたも何か知っているのですか!?」
クライドを見ながら、縋るような瞳を向けて問うた。
「ええ。ですが、俺やミリアだけでなく、ダイン隊長やエルネストさん、ジョルジュさん……。護衛騎士は皆、承知している事です」
「え……?」
ミナ、ショウチシテイル……?
「では、わたくしだけ知らなかったという事なのですか……?」
「とにかく落ち着いて下さい、リーリエ様」
訳が、わからない……。
「なぜ、教えてくれないのです。どうして……」
「リーリエ様!」
また、涙が溢れてきてしまいそうになる。胸が苦しい。
「何故です!? どうしてっ!!」
「リーリエ様!!」
「あっ……」
クライドから、ぽんと両肩を叩かれ正気に戻った。
「大丈夫です。とにかく一度落ち着きましょう。それから、俺たちが知っている事をお話しします」
そう言って、クライドは再びニカッと笑った。
そのいつもと変わらない彼の笑顔で、安心できたのだと思う。多少、落ち着きを取り戻す事ができた。
「隣の応接間をお借りしても宜しいでしょうか? 公爵閣下」
「あ……ああ、構わないが、本当に医者を呼ばなくて大丈夫なのか?」
「ええ。ローザリカ様の病は、如何にしても治る事がないのです」
どういうことなの……?
治る事が……ない……?
「何なんだ、それは……。どんな病なんだ」
クリスティアンが、訝しそうに呟いた。これまでの事情を知らない彼にとっては、余計に理解できないだろう。
彼の問い掛けにクライドが続ける。
「ローザリカ様は、”心”の病なのです……」
テーブルの上には、一本の葡萄酒。
そこには、深紅の薔薇が描かれていた――――
ラストの部分の薔薇の葡萄酒なのですが、「フォアローゼズ」という実際にあるお酒をモデルにしてあります。こちらはワインではなく、バーボンなのですが、日本語に訳すと「薔薇のために」となります。ローザリカのイメージにぴったりな上、デザインもとても綺麗なんです。
キリンビールさんのURLを張っておきますので、よかったら覗いてみて下さい。作中の葡萄酒のイメージを掴んでいただけると思います。
http://www.kirin.co.jp/products/whisky_brandy/fourroses/
実際に私も呑んだことがありますが、本当に薔薇の香りがするんです。




