*22*兄とは……?
今まで主に三人称視点だったのですが、今回から基本的に一人称で表現したいと思っています。というのも、これからは登場人物の心情に重点を置きたいと思っているためです。
「……」
「……」
どのくらい、そうしていただろうか……。
リーリエとクリスティアンは、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
夕陽に染まっている彼らの影が、前方に長く伸びている。
そこには、さわさわと穏やかな風の音だけが、存在していた。
心に焼き付いて離れない、あの場面……。
お姉様を「お姫様」のように抱きかかえて行かれた、お兄様の姿……。
お兄様は、いつもわたくしを抱きしめて微笑んでくださいます。けれど、あんな優しそうなお顔、見たことありませんわ……。
胸が、ずきりと痛む。何か霞がかったもやのようなものが、ぐるぐると渦巻いている。
確かにお兄様とお姉様は、幼い頃は仲が宜しかったですわ。
けれど、ここ何年もそのようなお姿を見てはおりませんし、まして、お二人だけでいらっしゃる事は無かったはずです。
ふと思い当たるのは、10年前に半年の療養から復帰した、従姉と兄のどこか余所余所しい不自然な態度だった。
そもそも、あの頃からお兄様とお姉様は、以前のようなご関係ではなくなってしまったのだわ。そして、わたくしと共にいる時間が増えて……。
10年前、何があったのかしら。
それに、クリス様を睨まれていた時の、あのお顔……。
ゾクッ
再び身震いする。
そして、自身を両手で支える。
わたくしにとってお兄様は、優しくて頼りになって、微笑んでくれて、抱きしめて下さる。そんな存在ですのに……。あれでは、まるで……
「レオパルド王みたいだったね」
「え……?」
どきりとした。
自分の考えていたことを口に出してしまっていたのかと思った。
「先程のリオン殿の瞳さ」
「あ……え、ええ……」
クリスティアンも、同じ事を考えていたようだ。
彼は、いつの間にか、こちらを向いていた。
「ローザリカ、大丈夫かな……」
「ええ、そうですわね……」
二人の間には、何となしに微妙な空気が流れてしまう。
「そういえば、昨日もこんな風に二人で取り残されたんだったね」
「ええ、そうでしたわね」
そういえば、最近、お姉様の発作の頻度が多くなっているみたいだわ。お姉様大丈夫なのかしら。心配ですわ……。
四六時中一緒にいるわけではないが、リーリエとローザリカは共に行動することが多い。特に、庭園にはよく足を運んでいる。
「ローザリカって、どこか悪いのかい?」
クリスティアンは、心配そうな顔をして問い掛ける。
「あ……実は、わたくしもよく知らないのですわ。時々あのように発作を起こしてしまわれて、慌ててお部屋に戻られるのです。父たちも、教えてくれないのです……」
「教えてくれない? そうか……。大きな病でなければいいけど」
「ええ……」
それは、わたくしも気に掛かっていたことだわ。
今のところは発作の症状だけで済んではいるようですけれど、家族たちが皆口を閉ざしてしまうのですもの……。
「リーリエは知らなくていい」という病。それは、一体何なのかしら……。
「あの、クリス様。兄が、またご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
「ん……? ああ、さすがに僕も少し驚いたけどね、気にしてないさ」
彼は、笑いかけてくれたので安心した。
「そういえば、確か王位を継ぐ者は、リオン殿しかいないんだったね?」
「あ、ええ。そうですわ」
突然、意外な話を始めたクリスティアンへ不思議には思ったが、肯定の意を示す。
「そうか……。じゃあ、リオン殿は辛いだろうな……」
「え……?」
ツライ……?
何が、「辛い」というのでしょうか……。
お兄様は、いつもわたくしの傍にいて微笑んで下さいます。抱きしめてもらって、抱きしめ返したら、喜んで下さいますわ。
「あの、クリス様。辛いとは、どのような意味なのでしょうか?一昨日のように父から叱責されることはありますが、それが辛いという事なのでしょうか?」
「ん……? ああ、もちろん、それもあるんだけど……」
そう前置きをして、クリスティアンは続ける。
「僕の一番上の兄……父上の跡継ぎは、堅苦しくて妙に気を張っているような性格をしているんだ。なんとなく、リオン殿に似ているようなところがあってね」
堅苦しくて、気を張っている……。
堅苦しいと言われれば、確かにそうだとは思いますわ。けれど気を張っているというのは、どうなのかしら……。
わたくしにとってお兄様は、穏やかで頼もしい存在。わたくしをいつも温かく包み込んで下さる存在。
「気を張っている」というのは、なんだか似つかわしくないような気が致しますわ。
「ただ、兄上は、何かあったら僕や2番目の兄にいろいろ相談するんだ。僕たちも、兄上のために出来る事は協力してる。リオン殿には、そんな存在がいないようだからね」
「相談……協力……」
「その上、リオン殿は一人息子だろう? 皆の期待も大きいだろうしね。三男坊の僕には、想像できないくらいの重圧だと思うよ」
「あ……」
そんなこと、考えた事もございませんでしたわ……。
……いいえ、わたくしが、もっとよく考えていればわかった事ですわ。それに、今まで何度かそのような事もございましたし……。
確かに、お辛そうにしていらっしゃるお兄様を「助けたい」「励ましたい」と思ったことはございましたわ。そのような心遣いでしたら、いくらでもできますし……。
けれど、わたくしは実際に何かお兄様を助けた事がありましたでしょうか?
確かに、「頑張ってくださいませ」「お疲れ様でございました」……そんな、励ましの言葉や労わりの気持ちを伝えたことはありました。
けれど、それだけなのだわ。
そんな一時のねぎらいの言葉は、「次期国王」であるお兄様にとっては、無意味なものでしかないのかもしれない……。
いいえ、寧ろそんな言葉が、お兄様を余計辛くさせてしまっていたのだとしたら……?
「なんだか、クリス様の方が、わたくしよりも兄をご理解しているような気が致しますわね……」
心にぽっかりと穴が開いたような感じがしますわ。
今までわたくしが見てきた「兄」とは、何だったのかしら……。
あの恐ろしい瞳をした「兄」は、わたくしがこれまで共に生きてきた「兄」なのでしょうか……。
わたくしは、お兄様の事をもっと知りたい。
「同じ”皇子同士”だから何となくわかるんだ。もし、僕がリオン殿の立場だったら絶対に辛いと思ったんだ」
「同じ立場……」
「それにさ、僕は理解することは出来たとしても、これからのリオン殿を助ける事は出来ないからね。リーリエは、リオン殿の妹として、何か協力出来る事はあるんじゃないかな?」
そう言って、クリスティアンは、こてんと首を傾けて笑いかけてくれた。
協力出来ること……
「はい、ありがとうございます。クリス様のおかげで、とても大切な事を気付かせて頂いたみたいです」
「どう致しまして。”協力”できたみたいで嬉しいよ」
そして、「ははっ」と笑った。
クリス様……。あんな事を言われましたのに、お姉様だけでなく、お兄様まで心配して頂けるなんて。政略結婚とはいいましても、いいご気分にはなりませんわよね……。
お兄様とお姉様には、一体何があったのでしょうか……。
わたくしが知らない、お二人の間にあるモノ。それをわたくしが知る事は、できるのでしょうか……?
ズキっ
なんだか、胸が痛い。
ぎゅっと強く胸を抑えた。
「どうかした? リーリエ」
「あ、いいえ。大丈夫です」
そして、無理やりに笑顔を作る。
「そういえば、オチェアーノには大きな海があるのでしたよね?」
「ああ、そうさ」
クリスティアンは、夕陽を見ながら答える。それに続くように後ろを振り返った。
目の前には、大きな夕焼け。眩しすぎて思わず目を細めてしまう。
そろそろ、夕陽も沈みかけてしまいそうだった。
「海……。どのような所なのでしょう……」
絵本で見たり、知識としては知ってはいますが、想像することしかできませんもの……。
「とにかくでっかいんだ! 澄んだ青空の下に広がる一面の碧!! 海の中には、たくさんの魚たちや人懐っこいイルカたち……。活気に満ち溢れた港町では、美味しい魚料理で溢れてるんだ! リーリエにも見せてあげたかったな!」
クリスティアンは、両手を広げ、身振り手振りを交えて「海」について力説してくれている。
「海」というものを、暫し想像してみる。
青空の下に広がる碧……
海の中の魚たちやイルカたち……
活気の溢れた港町……
美味しい魚料理……
「いつか、見てみたいですわね……。あっ……!!」
思わず口元に手を当てる。
何故だろうか?不意に、そんな想いに駆られてしまった。
「そうだろう? それに、ちょうどリーリエの瞳と同じ色をしてるんだ!」
「わたくしと同じ色……」
……わたくしは、本当は見てみたいと思っているのかもしれませんわね。
けれど、わたくしはアルダンの王女よ。きっと、お父様もお許しにはなりませんもの……。
「ああ。それに、ローザリカとリオン殿もね!」
「ふふっ、そうですわね。わたくしたち皆、海の色をしているのですわね」
兄と従姉と同じという事が嬉しくて、思わず笑ってしまった。
「ああ、そうさ。……さあ、僕たちもそろそろ戻ろうか。本格的に暗くなってきてしまいそうだ」
「ええ、そうですわね」
クリスティアンは、先に邸宅の方向へと歩き出したので、リーリエもその後ろを着いていく。
そして、2、3歩足を進めた後、ふと立ち止まった。
思い出すのは、従姉へと微笑んだ兄の姿。
お兄様……。
お兄様にとってわたくしとは、どんな存在なのでしょうか……。




