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*21*切なさの色

 リーリエやローザリカ、クリスティアンは、邸宅の裏手側にいた。


 目の前には広大な草原が広がっていて、橙色と黒がつくる、郷愁を誘う対比(コントラスト)が遠くの方まで続いている。夕暮れの陽が点々としたわた雲へと注がれて、赤みがかった射光を(そら)と照らす。橙から金へと移ろう階調(グラデーション)が、まるで(そこ)から、天使が誕生するのではないのだろうかという幻想さえも抱かせた。

 

「とても、美しいですわね……」

「ええ、本当に……」


 夕焼けの陽が、彼女らを淡く照らしている。さわさわと穏やかな風が、木々や草花を優しく揺らしていた。

 リーリエとローザリカは、眼前に広がる大景色(パノラマ)に心を揺さぶられる。少しでも気を許してしまえば涙が零れてしまいそうな感動が、胸を溢れ返させた。


「ほんとに綺麗だ……。国の兄妹たちにも見せてあげたいな」


 クリスティアンも、穏やかな琥珀色の瞳をそこに向けていた。彼の紅色の外套は、いつもより柔らかい輝き(オーラ)を放っている。


「わたくしたちの城からは、こんなに素晴らしい景色見えませんものね」

「ええ」


 リーリエは、左隣に立つ従姉へと微笑んだ。

 彼女も微笑み返してくれる。


 ――こんなの初めてですわ……。ずっと、見ていたいです。


 クライドやミリア、近衛兵たちは、「こんな時くらい離れていてくれ」というリオンたっての希望で、表側の方で張り番をしている。レオパルドがいないため、彼らもリオンに従った。

 

 リーリエは、ちらりと斜め後方を覗う。そこには、こちら側を背にしている兄の姿があった。

 彼は少し離れた所、邸宅のちょうど角になっている辺りのテラス席で、コーヒーを飲みながら優雅に読書に耽っていた。


 ――お兄様にも、見てもらいたいです。


 トマスと玄関で別れた後、リーリエたちは庭園の花々を楽しもうという事になった。けれど、リオンは「適当に時間を潰すさ」と言って、城から持ってきていたらしい書物を手にテラスへと向かってしまった。

 自分の(いえ)以外の庭園に訪れる事などほとんど(かな)わないので、大好きな兄と歩きたかったのだが、その願いは果たせずじまいとなってしまった。

 それから一通り庭園を回った後、この美しい場所を見つけたのだ。

 ただ……



 ――また、気になることがあったのですわ……。






――――リオンがテラスへと向かおうとした為、リーリエたちは玄関前で別れた。

 兄と離れるのは名残惜しかったが邪魔をしたくは無かったので、ローザリカとクリスティアンと共に行動する事にしたのだ。


「ではお兄様、またご夕食の時にお会いしましょう」


 ――本当は、一緒にいたかったのですけれど……。


「ああ。また後でな」


 そう言って、不意にリオンは微笑みかけてくれたのだ。その上、頭をさらりと一度撫でてくれた。


 ――あっ……!


 どきりと心臓が跳ねる。

 思い掛けない幸せに、顔が熱くなって俯いてしまった。

 触れてくれたところが温かくて、只それだけで喜びを感じてしまう。


 ――先程までお姉様がいなくなってしまう事がとても寂しいと感じておりましたのに、わたくしったら何て調子が良いのでしょうか……。


 リーリエは、少し自己嫌悪に陥る。

 でも自分の気持ちに嘘は付けないし、抑える事もできない。


 ――本当は抱きしめて欲しいですけれど、今はクリス様もいらっしゃいますし……。


 クリスティアンが来てからは、一度も抱きしめてもらってはいなかった。

 ちらりとクリスティアンの方を覗う。彼は、ローザリカと楽しそうに話していた。


 ――今は我慢致します。だから……


 リーリエは、一つの期待(のぞみ)を胸に秘めていた。そして、兄の顔をもう一度見たくて顔を上げる。

 けれど――



 ――え?



「お兄、様……?」


 兄は、既にこちらを向いていなかった。

 その視線の先には――



「ローザリカ……おまえ……」

「……」


 リオンは、ローザリカを見て呟いた。

 ところが、彼女はリオンから視線を外して俯き加減でいる。


「大丈夫よ。気にしないでちょうだい……」

「……。そうか……」


 そう言い残し、彼はふいと体の向きを変え、テラスへと向かってしまった。




――「リオン殿、どうしたんだろう?」

「……」


 クリスティアンも、不思議そうに彼の背を見送る。

 けれども、ローザリカは彼の問いに答える事はなかった――

 



「……」

 

 リーリエは、ずっと兄の背を見ていた。

 穏やかな風が、彼女のさらさらな髪を揺らす。

 


 ――何かが変わって行く――



 そんな、胸騒ぎのような予感を抱きながら……――――


 





――――「……リエ? ……リーリエ?」


 リーリエはハッとする。しばらく、ぼんやりとしてしまっていたようだ。


「あ……ごめんなさい、お姉様。とても夕焼けが綺麗なので、少しぼうっとしてしまいましたわ」

「ふふっ、リーリエったら。でも、その気持ち良くわかるわ。ずっと目に焼き付けておきたいような夕焼けだものね……」

 

 少し硬い笑顔になってしまったかもしれないが、従姉には気にされずに済んだようだ。

 彼女は、両手を胸に添えて夕焼けを眺めている。口元は微笑んでいるが、碧い瞳はどこか揺れているような気がした。

 それに、この美しい夕焼け(いろ)のせいだろうか。何となく、()いを感じさせる面差(おもざ)しをしていた。

 

 ――なぜかしら……。お姉様には、この気持ちを知られたくないのです。


「オチェアーノの碧い海に沈む夕陽は特に綺麗なんだ! 婚儀が済んだら、一緒に見に行こう」


 クリスティアンは、にこりとローザリカへと笑い掛けた。


「ええ、そうね……」


 けれど彼女は夕陽を眺めたまま、そう一言だけ呟いた。


「……」


 それからリーリエたちは、アルダン(ここ)から見える夕陽を暫し眺めていた。この美しい景色から離れる事が、名残惜しかったのかもしれない。


アルダン(ここ)からオチェアーノには、ずっと同じ空が続いていて、同じ陽が昇って沈んで……。なのに、どうしてかしらね。全く別もののように感じてしまう気がする。そんな予感がするのよ……」


 耳を澄まさなければ聞こえないほど微かな声で、従姉はぽつりと囁いた――――





「お姉様、クリス様。そろそろ中へ入りましょうか?」

「ああ、そうだね」


 リーリエからの問い掛けにクリスティアンが答える。

 邸宅の方から良い匂いがしてきたのだ。おそらく、そろそろ夕食の準備が終わる頃だろう。

 ところが、ローザリカからの反応が無い。


「……? あの、お姉様どうかされたのですか?」

「あっ……ええ、ごめんなさい。わたしも夕陽に見惚れてしまっていたみたい……」

「ふふ。わかりますわ。……あら?」


 リーリエは彼女の答えに納得をしかけたのだが、何かがおかしいと感じた。


「!! お姉様っ、もしかして……!?」


 彼女からは「はぁ……はぁ……」と微かにだが、あの荒々しい息遣いが聞こえたのだ。


 ――また、わたくし気付かなかったのだわ!!


「ローザリカ!?」


 クリスティアンもローザリカの異変に気付く。

 けれど――


「大丈夫、なのよ……はぁ……戻り、ましょ……はぁ……」

「でもっ!」


 リーリエはローザリカを支えようとしたが、彼女はそのまま踵を返して歩いて行ってしまう。

 しかし、数回歩みを進めた後――


 ローザリカは、ふらり……と足元から崩れ落ちていく。

 そして、ばたり……と倒れ込んだ。

 


「お姉様!!」

「ローザリカ!!」


 

 クリスティアンは、直ぐさま彼女の傍へと駆け寄り(ひざまず)く。


「大丈夫!? ローザリカ!!」


 彼女は、仰向けのまま意識を失ってしまっていた。

 リーリエは、あまりの衝撃でガタガタと足が竦んでしまう。

 

「とにかく中へ運ぼう!」 

「あ……はい!」 


 クリスティアンはローザリカを抱えようとした。

 その時――



「触るな!!」



「え……?」


 

 リーリエとクリスティアンは、突然の大きな声に動きを止める。それには、”怒り”という負の感情(おもい)が込められている気がする。

 そして、二人同時に声がした方を見上げた。



「お、にい……さま……?」 

 

 

 そこに居たのはリオンだった。

 彼は碧く冷たい氷のような瞳で、クリスティアンを睨み付けていた。

 

「触るな……」 

 

 クリスティアンは一瞬訳が分からず動きを静止させていたが、直ぐにハッと現状を理解する。

 

「なっ……何を言ってるんだ!! そんな事言ってる場合じゃないだろう!?」 

「……」 


 だが、彼はそれには応えず、こちらの方までゆっくりと歩み寄って来る。

 そして――


 

「ローズ……」



 ローザリカの傍に寄り添い、そう一言呟いた。

 それから、顔にかかった髪をそっと払い除け、彼女の頭の下に右手を差し込む。左手は膝裏に添えて、ゆっくりと大切そうに立ち上がり、ぎゅっと強く抱きかかえた。

 

「大丈夫だ……」 

 

 そう言って、リオンのすぐ傍にあるローザリカの白い顔へと優しい瞳を向けて微笑んだ。

 そして、さらりと彼女の長い金の髪を揺らせ、こちらに背を向けて去っていく。



「なっ……リオン殿!?」 

 

 クリスティアンは、それまでの成り行きを呆然と見ていたが、急に思い出したように声を上げた。

 けれど、リオンは一度も振り向く事なく歩いて行く。

 真っ白な外套に夕陽が当たって、淡い橙色へと染まっていた。



 やがて、彼の姿は邸宅の影へと消えていった――――

 



 

 リーリエは、目の前で起こっていた事実を理解出来ないでいた――否、理解したくなかった。

 

 ――お兄様のあんなに怖い顔、見た事ありませんわ……。


 先程の兄の冷たい瞳を思い出し、思わずぞくりと身を震わせる。

 それは、父の「王の()」を彷彿とさせた。

 

 ――それに、わたくし……

 

 従姉へと微笑んだ、兄の顔を心に映す。

 そして、ぎゅっと両手で自身の体を抱き込んだ。そうしなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 

 

――――それは、幼い頃みた物語

 



「お兄様のあんな顔……知らない…………」  

 


 

 あの「王子様」と「お姫様」そのものでした――――

 

 






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