*16*惹きつけるものと成長するもの
前回の続きです。
「こちらですわ、クリス様」
リーリエたちは、東屋から更に奥へ進んだ方向へとやって来ていた。
そこは煉瓦造りの散歩道のようになっていて、両端には無数の薔薇が絡み合いながら向こうの方まで続いている。ピンクや白、黄色、橙色など、大小様々な薔薇たちが大輪の花を咲かせている。
いくつかのベンチが置かれ、夜会などで入城する貴族たちの憩いの場ともなっていた。
「さっきの場所も美しかったけれど、ここはそれ以上だ!!」
クリスティアンは、ぱぁっと顔を輝かせている。琥珀色の瞳は大きく見開かれ、辺りを興味深げにぐるりと眺め回した。
「ふふっ、ありがとうございます」
リーリエも、城の自慢の薔薇園を誉められて嬉しくなった。
「オチェアーノの城にも庭園はあるけれど、こんなに素晴らしい薔薇園は無いからね。帰国したら父上にお願いしてみようかな」
「ふふっ。是非そうしてみて下さいな」
リーリエは、口元に手を当てて微笑む。
オチェアーノの城がどのような場所にあり、どのような形をしているかなどは知らない。けれど、この薔薇園がそこに在れば、さぞかし美しいだろうと想像した。
「クリス様のお城は、帝都にあるのですよね? お兄様方と一緒に住んでいらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだよ。父上と母上、それに兄が2人に妹が2人と義姉上……。賑やかすぎて、うるさいくらいさ」
――賑やかすぎる……。
リーリエは、自分の家族たちの団欒を思い浮かべる。
賑やかと言えばもちろん賑やかなのだが、「うるさい」という表現は似つかわしくないような気がした。まず、国王である父が落ち着いた人物であるし、叔父や兄も父に倣うように騒々しい者たちでは無い。
リーリエは、どことなく彼らが羨ましくなった。
「どのような方たちなのかしら。いつか、お会いしてみたいですわね……」
そうぽつりと呟いた後、ハッと我にかえる。それは、自分でも無自覚なまま発せられた言葉だった。
「あっ!! だったらさ、リーリエもローザリカと一緒に来ればいいじゃないか! 帰りはオチェアーノの兵が責任を持ってアルダンまで送り届けるよ!」
「え……?」
クリスティアンは「良い事を考えた」という風に、満面の笑みを浮かべていた。
「えっと……」
リーリエは戸惑ってしまった。
ずっと城で育ってきたリーリエは、他の家族というものを知らない。「うるさい」という家族とはどういうものなのか、思い描く事しか出来ないのだ。
だから彼の家族たちを「知りたい」とは思ったが、もしオチェアーノまでの道のりを往復するならば、それ相応な日数が掛かってしまう。しかも、明日初めて子供たちだけでの外出許可が出たのだ。もしリーリエがそれを望んだとしても、父が認めないだろう。
「あの、とてもありがたいお申し出なのですけれど、父がお許しにならないと思いますの……」
リーリエは、自分の事を思って提案してくれたクリスティアンに対して申し訳ない気持ちになり、俯き加減に応えた。
「そっか、残念だな……。リーリエにも僕の家族を紹介したかったのに。まあ、確かにレオパルド王は、リーリエたちをとても大事にしているみたいだしね。それに、なんだか城の規模に対して兵士の数も多い気がするし」
彼らは、ここへ来るまでに何度か見回りの兵士たちとすれ違っていた。
「あ……」
――そういえば、昨日、お父様がクリス様にご迷惑をお掛けしてしまったのだわ。
レオパルドは、時々過剰ともいえる愛情を子供たちへと向ける事がある。それは、護衛騎士に関しても言える事だ。
護衛騎士たちは常に主たちに付き従っていて、彼らの傍を離れない。その上、主のすぐ隣の部屋を用意されていて、変事の際には直ぐに対応出来るようにされている。彼らが就寝中の間でさえ、張り番の兵士が5、6人はいるという徹底ぶりだ。
しかも、リーリエの護衛騎士は侍女まで務めている。彼女が生活する中でミリアが存在していれば、大抵のことが出来てしまうのだ。それは、「余計な者は近付くな」とでも言いたげな雰囲気ですらある。
「昨日は、父が驚かせてしまって申し訳ございませんでした」
「ん……? ああ、あれは僕が先に心得違いをしてしまったのがいけなかったんだ。リオン殿にも悪い事をしてしまったね」
「いえ。お気になさらないで下さいませ」
――あの時のお兄様は、とても憤っておりましたわ。なんだか、いつも冷静でいらっしゃるお兄様らしくなくて……。
「いや、明日僕から謝っておくよ。二日間は一緒にいる事になるんだからね」
「お気遣いを頂いて、ありがとうございます」
リーリエは、彼へと微笑んだ。
その時――――
「ローザリカ様っ!!」
「え?」
「え?」
リーリエとクリスティアンは、一斉に声のした方へと顔を向ける。
「はぁ……はぁ……」
すると、ローザリカが口元に手を当て、息苦しそうに喘いでいたのだ。ベンチへと手をついて、今にも倒れてしまいそうだった。
「お姉様!!」
「ローザリカ!!」
二人は同時に彼女の元へと向かう。
「お姉様! 大丈夫ですか!?」
リーリエは、ローザリカを支えようと手を差し出す。
けれど――――
「はぁ……ええ……はぁ……」
「でも、お姉様とてもお辛そうですわ」
「ええ、ごめんなさい……はぁ……今日は、もう休むわ……はぁ……」
彼女の顔色はひどく真っ青になっていて、いつも以上に辛そうに見えた。
「ローザリカ……。大丈夫……?」
クリスティアンは心配だったが、リーリエでさえ「大丈夫」と支えを辞された為に見ているしかなかった。
「ええ……平気よ……はぁ……ごめん、なさい……はぁ……」
「僕の事は気にしないで」
「私がお部屋までお連れ致します!」
「ええ。頼んだわ、ミリア」
常であれば、リーリエをミリアから離そうとしないローザリカが、今回は申し出をすんなりと受け入れた。それほど辛い状況という事なのだろう。
ミリアは、ローザリカに触れない程度に支える格好をとり、彼女の私室へと戻っていった――――
リーリエとクリスティアンは、暫し二人を見送る。
「大丈夫かな、ローザリカ。急にどうしたんだろう……」
「ええ……」
リーリエは自責の念でいっぱいだった。
従姉の夫である男性と話し込んでしまった上、彼女を放っておいてしまったのだ。
――叔父様にも「頼む」と言われましたのに……わたくしったら……。
「……」
「……」
クリスティアンも同じ事を考えているのだろう。
二人の間には、微妙な空気が流れてしまう。
「僕たちもそろそろ戻ろうか……」
「ええ、そうですわね……」
そして、踵を返し戻ろうとした時――
「あ!」
「え?」
突然クリスティアンが足を止めたため、リーリエもそれに倣う。
「あの、どうかされましたか?」
「これ」
彼は、ある一点の部分を指し示していた。
「え?」
ここからだと何かが動いているようには見えるが、薔薇の葉と同系色でよく分からない。
もう少し近づいて目を凝らしてみる。
「きゃあぁぁ!!」
「ははっ、そんなに驚かなくてたっていいじゃないか!」
そこにあった――否、“いた“のは一匹の青虫だった。
「わたくし虫は苦手なのですわ!!」
「えー、可愛いじゃないか」
「か、カワイイ……?」
――信じられませんわっ!!
「だってさ、今は確かにただの青虫だよ? けど、これが蛹になって、成長する準備が出来たら美しい蝶になるんだ。可愛いじゃないか」
「……」
確かにリーリエも蝶は好きだ。でも、青虫は受け入れられそうにない。うねうねと動く、あの風貌が嫌なのだ。卵として産まれてから蝶となるまで同じ生物だというのに、こんなにも印象が変わってしまうものなのだろうか。
そこで、ふと、ある疑問を抱く。
「けれど、どうしてこんな所にいたのでしょう? 薔薇の棘が痛くはないのかしら?」
「ああ、何故かな……。きっと、ここには何か、青虫を惹きつける魅力的なものがあったんじゃないかな?」
――魅力的なもの。
「ふふっ。そうかもしれませんわね」
「ほら、好きになってきただろう?」
「えっ!? えっと……」
リーリエは何と答えれば良いのか分からず、口籠ってしまう。
「あはは! そんなに困らないでよ! ただの冗談なんだから。リーリエって真面目なんだね」
「あ……。そうですわね。……ふふっ」
目の前で笑っている彼を見て、つられて笑ってしまう。
「では明日もあるし、そろそろ本当に戻ろうか」
「ええ。そう致しましょう」
――お姉様……大丈夫でしょうか……。
リーリエは、ただ従姉の無事を願った――――




