*13*彼女たちの疑念Ⅰ
「え……?」
リーリエ、リオン、ローザリカは目を丸くして、暫くぽかんと呆気にとられてしまう。「ものすごーく」などという形容詞まで付いてしまったものだから、尚更だ。
だが、この城の中でも舞踏会や晩餐会などで女性に会う機会はあるが、アレクシスが女性と浮き名を流したという話は、これまで聞いた事もなかったし、誑しであるという様子も見受けられなかった。
「誑し、ですか……。直ぐ上の兄も女性は大好きですし、いいんじゃないでしょうか?」
「ははっ」と、クリスティアンは無邪気に笑みを浮かべた。
しかし、彼にとっては今日初めて会った義父でしかないが、リーリエにとっては生まれてから共にいる叔父であり、大切な家族でもある。そうすんなりとは受け入れ難い。
一夫一妻制のアルダンで正妃以外に側室を持つとするならば、それは”愛人”という立場になる。
――「女誑し」って女性が大好きな方という意味ですわよね。まさか、叔父様に限って、別に女性がいらっしゃるとは思えませんけれど……。
リオンとローザリカも彼女と同じ疑念を持ったようで、呆然とした顔をしている。特に、娘であるローザリカは自分の知らない父の顔を知ってしまい、その衝撃は大きいようだ。
「え……と、女誑しって女性が大好きという事ですわよね?」
ローザリカが、リーリエと同じ疑問を口にした。
「ええ、そういうことよ。ねえ、あなた?」
「ぐっ……」
ミゼリカが、微笑みながらアレクシスへと話を振る。
けれど、アレクシスは娘からの視線が痛いようで、右手で顔を覆ったまま口ごもってしまった。
「まあ昔の話だ。今は大丈夫だろう。私が知っている限りではな」
レオパルドは、「ははっ」と冗談めいて笑った。
「あ、当たり前です! 何もないですよ!! ……まぁ、昔はいろいろ羽目を外して兄上に助けて頂きましたが……」
アレクシスの声は、後にいくほど徐々に小さくなり、最後の方は皆にほとんど聞こえなくなってしまった。
「とっ、とにかく、今は潔白ということだ!!」
アレクシスは娘や甥、姪に誤解を与えないように言い放ったが、彼らからの疑いの眼差しに耐え切れず目をそらす。
「うっ……」
「大丈夫よ、ローザリカ。殿下とリーリエも。わたしと結婚してからは別に女性がいたことはないわ」
夫の窮地にさすがに哀れになったのか、ミゼリカが助け舟を出した。
「ああ。なにせ、アレクシスとミゼリカは出会った時に結婚を決めたのだからな。しかも、私とエメリアが結婚して間もなくの事だったから、しばらくは国中がその話題で持ちきりだったな」
「ふふ、そうでしたわね。懐かしいです。未だに夜会などでも彼の元恋人と会う事もあるのよ。ただ、今は彼女たちも相応の方々と結婚していらっしゃるけれどね」
「え、そうなのですか!? 出会った時に結婚を決めるだなんてなんだか浪漫的なお話ですね! ローザリカは知ってたの?」
クリスティアンが、興奮したようにローザリカへ尋ねた。
「ええ、多少はね」
ローザリカは、彼へ微笑みながら答えた。
リーリエはミゼリカの話を聞き、一先ずは叔父が潔白だという事でホッとしていた。
けれど――――
「お父様、本当に大丈夫なのですね?」
ローザリカの碧い瞳は、アレクシスへと冷たい色を放っていた。いつもの彼女の優しい雰囲気ではなく刺々しささえ感じるものだった。
――お姉様?
リーリエは、彼女の只ならぬ雰囲気に訝しさを感じてしまう。
――やっぱり、ご自分のお父様が誑しなどと聞かされてしまったら嫌ですわよね……。
「なっ……本当に何もないんだ!! 信じてくれ、ローザリカ!!」
アレクシスは、両手を広げながら必死に弁解した。
「本当よ、ローザリカ。ごめんなさいね。もうすぐ輿入れするというのに、なんだか不愉快な話をしてしまったわね」
「だから嫌だったんだ……」
ミゼリカは、安易に夫の話を持ち出してしまった事を後悔した。対するアレクシスは、「はぁ……」と本日二度目のため息をつく。
「そうですか……。なら良いのです」
ローザリカは、それまで味わっていたローズティーを一度クイッと口に含み、この話題の終わりを知らせる。
クリスティアンとの初めての会食は、どことなく居心地の悪い空気となってしまった。
「悪かったな、ローザリカ。このようなめでたい席で主役のお前に嫌な思いをさせてしまった」
レオパルドも責任を感じる。
「いいえ、大丈夫ですわ。気にしておりません」
そう言ったローザリカの顔には、いつもの優しさと慈愛に満ちた微笑みをはり付けていた。
リーリエは、先程感じた違和感は思い過ごしだったのだろうと気にしない事にした。
「そうか……。ではクリスティアン殿、これから短い間になるが宜しく頼む。アルダンという国を存分に楽しんでほしい」
「はい、こちらこそ宜しくお願いします。僕もこちらへ来るのは初めてですし、とても楽しみにしておりました」
レオパルドは、話題を本日の主賓であるクリスティアンへと戻した。
「それでだ。明日は特に予定はないのだが、クリスティアン殿から何か要望はないか?」
レオパルドは、正面にいる彼へと真っ直ぐ顔を向け居直る。
「え、と……そうですね。この城に来た時に見た庭園がとても素晴らしかったので、是非そちらへ行ってみたいです」
「ああ、もちろんだ。貴殿の妻と共に存分に満喫してくれ。ローザリカも良いだろう?」
レオパルドは、ローザリカへと視線を向け尋ねた。
「あ……え、ええ。もちろん大丈夫ですわ」
ローザリカは一瞬の間を置いた後、ニコリと口角を上げた。
「それから、リーリエ」
「え……? は、はい!」
リーリエは唐突に父に名を呼ばれ、ドキリと心臓が跳ねた。クリスティアンとローザリカ夫婦が中心である席だったので、あまりにも油断していたのだ。
「リーリエも共に楽しんで来るがいい。ローザリカと共に過ごせる時間もあと僅かだからな」
「え……?」
――わたくしも共に……?
「あ、あの……わたくしはもちろん良いのですけれど、お姉様やクリスティアン様は、わたくしも共にいて宜しいのでしょうか?」
これから夫婦となる者たちだ。二人だけで親睦を深めたいであろうし、自分がいる事で邪魔になってしまうのではないかという懸念があった。
「リーリエ、わたしのことは気にしなくて良いのよ。アルダンにいられるのも残り僅かだもの。わたしもリーリエが共にいてくれたら嬉しいわ」
隣でローザリカがニコッと笑った。
「あ、はい……。クリスティアン様は宜しいでしょうか?」
視線だけ彼の方へずらす。
「ああ、もちろんさ。リーリエ……でいいんだよね? 僕のこともクリスでいいよ!」
彼は、屈託のない笑顔を見せて快諾した。
「ありがとうございます。えっと……ではクリス様。明日はわたくしも庭園をご案内させて頂きますわ」
「ああ、宜しく」
”クリス”で良いとは言われたが、従姉の夫であるし、しかも大国の皇子でもある為、”様”付で名を呼んだ。彼はリーリエの心中に気付いているのかいないのか、それに対して特に指摘は無かった。
「リーリエ、頼んだぞ」
「え? あっ、はい!」
今度は、急にアレクシスから声を掛けられた。
彼は娘からの疑いの眼差しから逃れられた事で、リーリエへ笑顔を見せられるほど落ち着きを取り戻していた。
――頼む?
リーリエは、アレクシスの言葉に、どこか引っ掛かるものを感じる。




