*12*父の意外な顔
――――リーリエは目まぐるしい一日を思い出していた。
――なんだか疲れましたけれど、お姉様の旦那様が悪い人では無さそうで良かったですわ。
リーリエは、ローザリカの夫が彼女を大事にしてくれそうな人で安心していた。これが、もし粗暴で性悪な男であったなら、彼女をオチェアーノへは行かせたくなどなかったからだ。
リーリエ一人が嫌だと言ったところで、その事実が覆る事は無いだろうが、”反対”の意志くらいは伝えようと思っていた。
ただ、リーリエにはそれとは別に、一つ気掛かりな事があった。
それは、この食事に着いてからの兄の様子だった。正確に言えば、謁見の間でクライドと共に去って行った時からであろう。
リーリエがいくらリオンに話しかけても、「ああ……」とか「そうだな……」だとか生返事が返ってくるだけで、あとは黙々と目の前の食事を機械的に食しているだけだった。
――お兄様、なんだかお元気がなさそうですわ。やっぱりお姉様がいなくなってしまったら寂しいですものね。わたくしも、クライドのようにお兄様を元気付けられたらいいのに……。
リーリエは、兄を元気付ける事の出来ない自分に歯がゆさを感じていた。
けれど目の前の食卓では、まるでリーリエとリオンだけが切り離されているかのように、クリスティアンを中心とした談笑に花が咲いている。それは、オチェアーノの兄妹たちの話であったり、父である皇帝の話であったり……。
当然ではあるが、”本当の意味”でローザリカがオチェアーノの第三皇子妃になるのだという現実を突き付けるのには、十分すぎる事実なのだった。
「クリスティアン殿。改めて娘をよろしく頼みます」
アレクシスとミゼリカが、一段落した話題の後でクリスティアンへと頭を下げた。彼らは、紺色の正装と紫色のドレスという出で立ちでいる。
二人は娘を他国に送り出すという寂しさと心配はあるが、結婚相手が少なくとも娘を乱暴に扱う人物では無さそうで安堵していた。
「ええ、こちらこそよろしくお願いします。僕の妻のお義父上とお義母上がとても優しそうな方で良かったです。それにお義父上は渋くて格好いいし、お義母上はローザリカに似て美人だし。お若い頃はさぞかし異性から人気がおありだったのでしょう?」
「え?」
「え?」
アレクシスとミゼリカは目を丸くする。初対面の婿から投げ掛けられた、あまりに突拍子もない質問にたじろいだ。
子供たちも驚いてしまった。娘であるローザリカでさえ、そのような話は聞いた事が無かったからだ。
「あ、いや……そんなことはないさ。なあ、ミゼリカ?」
「そうだったかしら? ふふっ」
アレクシスはお茶を濁すような微妙な反応をしたが、対するミゼリカは口元に手を添えて含み笑いをしている。
「あ、あのお母様……? どうかされましたか?」
ローザリカは、対照的な父と母の反応を見て困惑気味に問うた。
リーリエとリオンも、訳が分からず戸惑う。
――叔父様どうなさったのかしら……?
「あれ? 僕の見当違いだったかな? さぞかし浮き名を流されたのだろうと思ったのですが……。それに、お義父上など国王の弟君でいらっしゃる上に、このように綺麗なお義母上を娶られていらっしゃるのですから」
「くくっ……」
「え?」
皆の視線が、彼へと集中する。
「くっ……くくっ……あーーはっはっはっ!!」
「お、お父様……?」
「ち、父上?」
「陛下……?」
リーリエやリオン、ローザリカは、目を丸くしながら三者三様の反応をしたが、皆考えている事は同じだった。
――叔父様や叔母様だけでなく、お父様まで。一体、どうしてしまったの?
けれど、アレクシスとミゼリカは何かを察している雰囲気でいた。
レオパルドは、彼らや家臣たちとわりあいと気さくに振る舞う性質だが、大声を張り上げて笑うような事はリーリエでさえほとんど見た記憶は無い。
「くくっ、いや悪い。つい昔のことを思い出してしまってな。クリスティアン殿、貴殿はなかなか人を見る目が鋭いようだ」
「お誉めに預かり光栄です」
クリスティアンは、右手を胸に添えて微笑んだ。
「アレクシスは立場上、あまりそのような事を周囲の者から言われる事がないからな。貴殿のおかげでいろいろ思い出したぞ。なあ、アレクシス?」
「えっ……!? いや、まあ、そうですね……」
突然話を振られたアレクシスは、ばつの悪そうな顔をして歯切れの悪い返事をした。
「あの、どういうことなのですか? 陛下」
ローザリカは、父の不審な様子を訝しがる。
「ん? ああ、ミゼリカ。お前たちの娘へ話してやれ」
レオパルドはミゼリカへと視線を向けた。
「ふふっ、そうですわね。別段話してはいけないという訳ではございませんし。実は……」
「おい! ミゼリカやめないか!!」
アレクシスは妻の話を慌ただしく制した。その態度だけでなく表情を見ても、彼が非常に焦っているという事がわかる。緩やかにウェーブの掛かっている髪は、余計に乱れてしまった。
「アレクシス、これは国王命令だ。少し大人しくしていろ」
レオパルドは口元に笑みを湛えながら、アレクシスに命じた。
「なっ……! 兄上! このような時ばかり狡いですよっ!!」
「国王命令だ」
「くっ……」
彼は、よほど話される事が嫌なようで必死な抵抗を試みてはいるが、国王命令という名の強制下命に観念したように屈服した。
リーリエたちは理解不能な状態だったが、アレクシスにとって不都合な事なのだということは何となく理解していた。
「あの……僕もしかして余計なお話をしてしまいましたか?」
クリスティアンの一言で始まってしまったこの奇異な遣り取りに、彼も多少なりとも責任を感じる。
「いや、偶には昔を思い出してみるのもいいだろうしな。それに、貴殿も義父がどのような人物なのか知りたくはないか?」
「はい。もちろんです」
「そうだろう? ただ、娘であるローザリカにとっては少しばかり衝撃かもしれないがな」
「え……?」
ローザリカは、思わずレオパルドへとバッと顔を向ける。
彼女も、そこまで言われてしまうと流石に物怖じする。父について知りたい気もするが、知りたくない気もしてしまう。
――どういうことなのかしら。
事の成り行きを見守っていたリーリエも不安になる。聞きたいという好奇心はあるが、「娘であるローザリカにとっては衝撃」という言葉が引っ掛かった。
――娘であるお姉様に知られたくないようなことなのかしら……。
「あの、お父様? わたしも気になりますし、教えて頂けないかしら?」
ローザリカは、間もなく父とも別れてしまうという事もあり、意を決して彼に尋ねた。
「あ、いや……」
しかし、アレクシスは娘と目を合わさず、右手を口元に添えて無言になってしまった。
「ふふ。わたしが代わりに話してあげるわ。いいでしょ、あなた?」
「……。仕方ない。こうなってしまっては、話さない以上終わらないだろうからな……」
ミゼリカの申し出に対し、彼は「はぁ……」とため息をつき渋々応じた。最後の抵抗なのか「ああ、でも……」などとぶつぶつと呟いているが、皆は、既にミゼリカへと関心を向けていた。
「ふふっ。そういうことよ。ローザリカ、実はね……」
四人の視線が彼女へと集中する。
「実は、彼は……」
「ものすごーく女誑しだったのよ」




