~にんげんになりたかったモノ~ 2
ふっかりと柔らかいベッドに身を包まれたリルナは、早朝という時間にも関わらず目を覚ました。まだ太陽がちょっぴり顔を出した程度。起きるには少しだけ早い。
そんな時間に目を覚ました理由は、やはり柔らかすぎるベッドにあった。見上げれば天井ではなく天蓋。天蓋には贅沢にもレースがあしらわれ、貴族主義もびっくりな豪奢なベッドだった。
そこに使われている布団も恐ろしく品質がよく、まるで底なし沼のようにリルナの体を受け止める。むしろ柔らかすぎていつもの硬いベッドが恋しくなるほどの品質だ。
シーツは真っ白に保たれており汚れの一点も見受けられない。まだ雪を見たことが無いリルナでさせ、雪原を思わせるほどに綺麗だった。
そんなベッドの持ち主であるお姫様、メロディはむにゃむにゃとまだ夢の中。彼女に少しばかり寝坊癖のある理由を納得してか、リルナはベッドの中で身を起こそうとして失敗した。
「ふかふか過ぎる……」
体の力が流れて上手く起き上がれなかった。
仕方なく体を横に向けてメロディを見る。
「たまには妾の部屋に泊まってみぬか?」
昨日、メロディに言われた言葉だった。いつもはリルナの部屋に泊まりにくるお姫様。タダで泊まっていることもあり、少しばかり気が引けたのか、実家に案内するぞ、ということだ。
「いやいやいやいやっ」
もちろん実家はお城。全力で否定したリルナだったが、結局は押し切られ、大きな大浴場で一緒にお風呂に入り、あれよあれよと言う間にベッドの中に入ってしまった。あまりに綺麗なベッドを汚すのは忍びないと下着のみで寝たのだが、起きた現在としてみれば全く意味の無い考えに自分でも不思議だった。
今も冒険者の宿で眠っているであろうサクラを思うと何だか申し訳ない気もするが、こんなところで暮らしてしまったら最後、永遠に居座り続けそうなパーティメンバーを思って、連れて来なくて良かったとも思う。
そんな複雑な考えをしながらベッドの中に埋もれていると、不意に部屋のドアが開いた。お姫様の部屋にノックもなしに入ってくるなんて、と半ばギョっとしながら視線をやると、リルナは更にギョッとする。
部屋の中へと入ってきたのは血まみれの人間だった。着ている服はズタボロを通り越してただの布に成り下がっている。布のスキマから見えるのは血だ。全身、あらゆるところから血を流していた。
頭もまた流血しており、髪の色は血で染まっている。もちろん、顔も真っ赤になっていてその表情は窺い知れなかった。
満身創痍。
それを通り越した、満身壮絶だ。
「な、ななな――」
リルナは言葉を失う。
今にも死にそうな人物がメロディの部屋に入ってきたのだ。すぐに思い至るのが盗賊や暗殺者。お姫様の命を狙う好からぬ輩が命からがら目的地に到着したかもしれない。
しかし、すぐに違うと分かった。
血まみれの人は、ヨロヨロでもなくフラフラすることもなく、しっかりとした足取りでこちらへ歩いてくる。まるで生まれたばっかりのリボングデッド。生きる屍ならぬ、死んでいる健康体のようだった。
近くまで歩いてきてようやく気づく。その人物が女性であることに。ボロボロの衣服からのぞく肌は、やっぱり血で濡れているけれど、女性特有の丸みを帯びた体であることが分かった。
更に気づいたこと。
「じょ、女王様!?」
その血まみれの人物は、サヤマ女王だった。リルナが驚きの声をあげるのは二つの意味がある。まず、女王ということ。普通に考えて領地のトップが血まみれになる事態が、すでにリルナの思い知る範囲を遥かに超えた出来事だと思わせた。
加えて、サヤマ・リッドルーン女王の実力だ。
彼女は元冒険者であり、レベルは90と言われている。人類がおいそれと辿り着けることはない境地に立った冒険者であり、神様まであと数十歩まで迫った人間だ。
そんな彼女が血まみれになる事態だ。
神様にケンカを売ったかのような凄惨な有様に、リルナは口を開けて、そして閉めることしか出来なかった。もうすぐこの世界は滅びる、と言われてもおかしくない状況だったからだ。
「すまんな、リルナ。今月のお友達料はまだ払ってなかったよな」
「い、いりませんよぅ……」
サヤマ女王は冗談を言いながらベッドの横にある椅子にどっかりと座る。さすがに辛かったのか、大きく息を吐いた。
そして、ベッドで寝返りをうつ義理の娘の頭をなでる。
「いやぁ久しぶりに死ぬかと思った」
「な、な、ななな、なにがあったんですか?」
ようやく。
やっとの思いで、リルナは質問した。女王はリルナの質問に苦笑する。汚れきった女王の手はメロディの額を血と泥で汚してしまうが、気にした様子もなく真っ白なシーツで拭った。
「んお?」
「お、起きたか」
「ん~……どうしたのじゃ、母上。あなたらしくもない」
目を覚ましたメロディは目元をこすりながら、義理の母を見る。その姿に驚いた様子もなく、淡々と語った。
「私としたことが油断した。現役を退いたとは言え、そこそこできると思ったんだがなぁ……もう諦めろと、神様が言っているのかもしれない」
尤も、本当に言いやがったらブン殴ってやる、と女王は笑った。メロディも笑う。リルナは笑えなかった。加えて、なんだこの親子、と驚愕した。
「何があったのじゃ、母上?」
「ちょっと王様から依頼がきてさ。サヤマ領周辺へ全冒険者への依頼だ。クリスタルゴーレムを倒せ、っていう単純な依頼だよ」
「「ク、クリスタルゴーレム!?」」
リルナとメロディは一緒に声をあげる。
クリスタルゴーレム。
旧神代に創られたゴーレムであり、その体は伝説級の金属『ヒヒイロカネ』であるともっぱらの噂だ。実質、文献や歴史書に登場するゴーレムであり、吟遊詩人の語る英雄譚にも度々登場する宝の守り主だ。
そんなクリスタルゴーレムをレベルであらわすならば、95となる。まさに神様に匹敵するほどの存在だ。
「く、く、くりすたるごーれむが、現れたのですか?」
「うむ。ちょっと戦ってきたけどボッコボコにされた」
道理で、とメロディ。
ひぃ、とリルナ。
「いやぁ、準備は必要だと改めて思った。王様から手紙が来た瞬間、舞い上がっちゃったってさ。着の身着のままで行ってから気づいたんだよ。あ、武器が無いって」
「え?」
「は?」
「剣を持っていくのを忘れちゃったんだ。はっはっは、冒険者失格だよなまったく」
女王は血まみれの手でメロディの背中をバシバシと叩いた。
「とりあえず、その辺に落ちてた棒で戦ったんだけど、傷ひとつ付けられないでやんの。弱いよな、ひのきのぼう」
「リルナ。妾は今日ほど、この母上の娘であることを恥じたことは無い」
「うん。この人、アホだ」
子供たちの正直な意見に、女王は不満の声を漏らす。
「だって戦いたかったんだも~ん。クリスタルゴーレムよ? 神話に出てくるアレよアレ。女の子だったら、一度は戦ってみたいじゃん」
「何が、みたいじゃん、じゃ母上! その様子では防具も付けておらんかったのでは?」
「あぁ、うんうん。布の服とひのきのぼう。いや、さすがに無理だったね」
駆け出しの魔法使い以下の装備で伝説のゴーレムと戦う。
改めて、女王の恐ろしさを感じたリルナは、もうなんだか嫌になって枕の中に顔をうずめた。その後も聞こえてくる親子の言い合いを聞いていると、メイド長の怒鳴り声。
「やめろ、娘とその友人の前で恥をかかせるな、メイド長!」
「うるさい! 今すぐ殺すぞ女王!」
「なんだとー!?」
メイド長に連れられ、サヤマ女王は部屋から出て行った。
「まったく。母上のお茶目にも困ったものじゃ」
「あれをお茶目と言ってのけるメロディの感性にも困るよ、わたし」
「え?」
「……え?」
ともかくとして、この事件はすぐに城下街に知れ渡る。
そして、全ての冒険者の宿に女王からの命令が下った。
『全冒険者、全ての力をもってクリスタルゴーレムを打倒せよ』
その短い檄文にサヤマ城下街、そしてダサンの街が動くこととなった。




