~ドラゴン・リップクリーム~ 13
振り下ろされる巨体の腕。
メロディはそれを後ろに一歩だけ下がり避けた。目の前に巨大な柱が振ってきたような錯覚に陥るが、瞬時に剣を振る。
奇妙な感触。確実にダメージを与える一撃なのだが、ロングソードの切れ味はあまり良くない。彼女の持つ武器はあくまで凡庸な既製品だ。メロディに合わせてカスタマイズされている訳でもない。
トロルの腕は皮膚が厚いわけではなかった。それでも、長剣では骨を絶つことも出来ずダメージは少ない。
しかし、それだけではない。お姫様の頭に上には、火の大精霊であるサラディーナがいた。火属性を付与された剣は赤の軌跡を残す。斬られたトロルの腕は、まるで魔法の炎を受けたように瞬時に燃え上がった。
「×××!」
悲鳴のような言葉。傷口を燃やされれば、どんなに屈強な男でも悲鳴はあげてしまうだろう。自分の傷口を確認するトロルは、憤怒の表情を浮かべた。
「その程度で怒り心頭とは、お主の将来は明るくないぞ。といっても、通じぬか」
かかか、とメロディは笑い剣をまっすぐにトロルへと向ける。それを払うかのようにトロルは腕を薙ぐが、メロディはヒョイと剣を引っ込めた。
「煽るねぇ、お姫様」
「うむ。妾には挑発スキルの才能があるようじゃ」
トロルの注意を引き付け続けないと、リルナたちが2対1の状況となる。その場合、メロディは背中から攻撃できるのだが、その状況はリルナへの負担が大きい。前衛がメロディ一人という現状では、メロディに注意を引き付ける必要があった。
「さっさと倒して、リルナの援護にまわるべきじゃな」
怒りで地団駄を踏むトロルに、メロディは笑い声をあげる。しかし、その背中には冷たい汗が流れた。
自分の3倍は大きい相手が目の前で暴れているのだ。たとえ自分が伝説級の防具を装備しており、自動的に魔法の防御魔法が発動するからといって、相手を簡単に倒せるとは思えなかった。
あくまで武器はロングソードであり、攻撃力は低い。先の一撃で、もうすこし深く斬ることが出来れば、炎効果も更にダメージが通ったはずだ。
「まぁ、無い物ねだりは仕方がないの」
「お姫様なのに?」
「妾はあくまで冒険者じゃ」
一足飛びのダッシュ。トロルの懐に潜り込んだメロディはトロルの太ももに向かって長剣を振り下ろした。赤の軌跡が燃え上がり炎が散る。
振り下ろされる腕。それをバックステップで避け、追撃に移るが――
「うわっ」
トロルは振り下ろした腕をそのまま斜め上へと薙ぎ払ってきた。揺らめく空気が風になりメロディの髪を強制的になびかせた。
まるで戦乙女そのものなのだが、残念ながら蛮族とは美的感覚が違う。トロルはお姫様に見惚れることなく、ドスドスと近づく。
「ひゃ」
ちょっとした悲鳴。それもそのはず、トロルの次の攻撃は自慢の腕力ではなく、自慢の体だった。ぬらりとした緑色の皮膚をした巨体が迫ってくる状況は、経験不足な乙女にはちょっとだけ厳しい光景だ。
自分を押し倒すかのようなトロルの攻撃は、体当たりだった。メロディが小さいだけにボディプレスにも近いその攻撃を、横っ飛びでなんとか避ける。
「んぎ」
顔からべっちゃりと落ちたお姫様だが、慌てて身を起こす。そこに見えたのは、掌だった。トロルは起きることなく、追撃で掌をメロディに向かって叩き落した。
「なん……!?」
慌てて左腕のバックラーを構える。その小盾に掌が当たる前にオートガードが発動した。青白い魔法の壁がトロルの攻撃を防ぐ。
「……死亡回数1じゃな」
「あれくらいで死なないでしょ?」
サラディーナがノンキに答えるが、メロディは首を横に振った。
「心が折れたと思う。これでも箱入り娘でな、母上に軟弱な修行しかさせてもらっておらん」
「あぁ~、過保護ってやつね。大変ね~、お姫様も」
リルナが聞いたら盛大に否定されそうな会話だが、残念ながら彼女も戦闘中。ツッコミや訂正は不在のまま、メロディはロングソードを構えなおした。
「日々これ修行なり。ほれ、お主もさっさと立ち上がらんか」
ヴァルキリー装備のオートガードに驚くトロルは自分の掌を確かめながら立ち上がった。その間にメロディはカンカンと胸を叩く。鎧が手甲と合わさり甲高い音が響く。自分を落ち着かせるためのちょっとした行動だった。
「×××××」
トロルも何かしら言葉を発し、メロディへと向き直る。すでに怒りは収まり、相手へと向き直ったかのようだ。ただ、トロルの眼中から後ろの状況は抜けてしまっている。そういう意味では、知能の低さは仇となっているようだ。
「では行くぞ、蛮族!」
「ぎゃぎゃぎゃ!」
メロディの言葉に応えるようにトロルが笑う。そのままトロルは両の腕でお姫様へと殴りかかった。右、左と連続攻撃にメロディは後ろへと下がる。
「やっ」
迫る腕に剣を合わせる。弾かれるように長剣と腕が空へと上がるが、トロルの腕も火が散る。肩関節が外れそうになる痛みに歯をくいしばり、メロディは剣を構えた。そこへ再び腕がスタンプのように振り下ろされる。
「っ!」
今度は内側へ、自分の小ささを利用して、本当の意味での懐へと潜り込んだ。
「っりゃあぁぁぁぁ!」
気合一閃。
緑色のでっぷりとした腹を裂くようにロングソードを振り上げ、下ろした。皮膚を切り裂く感触と共に間近で炎が炸裂する熱さ。
ズルリと長剣が腹から抜ける勢いで、メロディはそのままトロルの横へと抜ける。勢いあまって転んでしまうが、すぐに起き上がって反転した。
「ぷはぁ……トドメじゃ」
ズシンと倒れるトロル。腹を裂かれ、燃やされては膝が折れるのも無理はない。仰向けに倒れた巨体の首へ、メロディは剣を当てる。
「妾の勝ちじゃ」
そのまま剣を振り上げると、トロルの首へと振り下ろした。蛮族の巨大な頭は切断こそされなかったものの、致命的な一撃を受けて、ビクリと体を震わせる。トドメとばかりにその首には火が溢れ、すぐさま消えた。
「おめでとう、お姫様。やるじゃないか」
「サラディーナのお陰じゃよ」
振るった長剣の軌跡は赤くなる。火属性が付与されていたからこその決着だったかもしれない。
「さて、リルナはどうなったかの?」
メロディは休憩することなく、前衛を任せた召喚士と魔女の援護に向かうべく、視線をあげた。




