~ドラゴン・リップクリーム~ 10
エンターナグリドを倒し、更に森の奥深くに進むと花の冠を頭につけた少女に出会った。ばったりと出会ったものだから先頭を行くメロディは目をパチクリと瞬かせる。花冠の少女もまた目を瞬かせた。
綺麗な花冠に緑の髪。身に着けているものは葉っぱで作られた水着みたいな服で、細い体は露出が激しく、男性が放ってはおけないチラリズムを醸し出していた。尤も、年齢はメロディと同じくらいであり、守備範囲の広い者ではないと魅力に気づけないだろう。
「アルルーナと呼ばれるモンスターです」
ルルの頭の上で木の妖精が紹介する。身構えるメロディだったが、アルルーナは両手をこちらへと見せて、フルフルと顔を横にふった。
ルルが森羅万象辞典を開く。
「アルルーナ、レベル0。森に住む大人しいモンスターで襲ってこない。ただし、その悲鳴は屈強な戦士をも気絶させる力がある。だそうです~」
ルルの説明にリルナとメロディは警戒を解き、ふぅと息を零した。
「人間を襲わないんだったら、人間と暮らせばいいのに」
ぽつり、とリルナが呟くとアルルーナは首を横に振った。
「え? 言葉わかるの」
うんうん、と頷くアルルーナ。
「ニンゲンの住んでるトコ、森じゃナイ」
なるほど、と三人は納得した。森に住んでいるモンスターなのだから、森じゃないと生きられないのかもしれない。加えて大人になっても子供と同じくらいであれば、人間社会では生きてはいけない。経済に加われないのであれば、社会に組み込まれるのは難しいだろう。また、不当な扱いを受けるかもしれない。見た目が可愛らしい少女なだけに。
「そっか。ごめんね」
バイバイとリルナが手を振るとアルルーナも手を振った。
花冠の少女と別れ、再び森の奥へと歩き出す。しばらくは同じような風景が続きドンドンと森が深くなっていったのだが、少しばかり斜面となる。それを上りきると、地面に生えていた鬱蒼とした雑草は少なくなり地面が見えてきた。
逆に道が分かりづらくなった、とも言える。木々の根が地面からはみ出ていて、それらを跨ぎながら奥へと進んでいった。
ふと何かが聞こえたような気がしたメロディが立ち止まる。リルナも同じく聞こえたらしく、ルルの前へと移動した。
「どっち?」
「分からぬ。じゃが、風の音ではない」
メロディはロングソードを引き抜いた。鞘が鳴るその音に合わせて、再び聞こえてくる。
「呪文じゃ!」
メロディが警戒の声をあげると同時に前方より光が見えた。その光は不思議なことに放物線を描くと三人の足元に炸裂し、煙をあげる。
「なになになにっ?」
リルナはルルと一緒に後方へと下がる。攻撃魔法ではない。何かしらの補助的な効果を示す魔法だ。
メロディは下がらずに長剣を構えて前方を見据える。しかし、それ以上の攻撃は続かなかった。変わりに別の方角から音が聞こえる。
ギチギチ、と何かを擦り合わせたような音。加えてバチンという何かを挟むかのような音。
左前から聞こえたその音にリルナは視線をおくる。見えたのは、黒い昆虫。いわゆるクワガタクムシだ。
なんだ昆虫か、と視線を前に戻すがすぐにクワガタムシに視線を戻した。
おかしい。
あんなに離れているのに、どうしてクワガタムシと分かったのか。あんなに離れているのに、どうして動く音が聞こえるのか。あんなに離れているのに、どうしてまだ近づいてくるのか。
「って、おっきぃ!」
リルナの声が引き金となり巨大昆虫が速度をあげる。バチンやらガチンやらとなる顎を開け閉めしながらメロディへと迫った。
高さはちょうどメロディの頭ぐらいだろうか。普通のクワガタムシと違って、足の関節を90度に曲げている為、立っているという印象がある。全長は2メートルほどであり、普段は小さくて見えない部分がはっきりと見えた。関節やら顎やら口やらと、およそ少女の望んでいない造詣に、リルナは悲鳴をあげかける。
「スタッガービートルです」
「えっとええ~っと、スタッガービートル、レベル2。巨大なクワガタムシのモンスター」
「……それだけ?」
「それだけです~」
森羅万象辞典のシンプルさにびっくりしつつ、リルナは召喚の為に魔法を起動させた。
「うりゃ!」
メロディは突進してくるスタッガービートルの頭へロングソードを思い切り振り下ろした。しかし、微妙な手応え。鉄を叩いた訳ではなく、しかし、それでいて非常に硬い。分厚い木材を叩いたかのような感触だった。
「あら?」
奇妙な感触に驚いていると、スタッガーの顎に付いている開閉する鋸がロングソードを挟む。そのままメロディもろとの空中へ放り投げられた。
「みぎゃ。っく、いたた……どうしてこうオートガードが発動しない攻撃ばかりなのじゃ」
ツタもそうだったが、ヴァルキリー装備の特殊効果であるオートガードは、『攻撃』にしか反応しない。ロングソードを捕まれ、空中に投げられるという行為は攻撃と見なされなかった。製作者の意図なのだろうが、見方からも触れられなくなるという自体を防ぐための手段なのだろう。
メロディが吹っ飛ばされたのを見てリルナは慌てて召喚陣を起動させる。拳に魔法の光を宿し中心を殴りつけた。陣が光り、文字が世界へと記述される。
「召喚、サラディーナ!」
「はいよ!」
光が収束し、召喚されたのは火の大精霊サラディーナだった。戦闘中だとすぐに判断したサラディーナは指先に炎を浮かべる。小さな赤い火がチロチロと燃えた。
その炎を見て、スタッガービートルは顎を打ち鳴らした。威嚇行為だろうか、それとも恐れているのか、判断はつかない。
しかし、ギチギチと足の関節を鳴らしながら反転する。狙いは起き上がったばかりのメロディだ。
「うわっとっと」
ガチンと閉まる顎鋸を屈んで避けたメロディは屈みながら長剣を振る。しかし、体制がおぼつかない上に硬い殻で覆われた足にダメージは通っている様子はない。
ふと目に映った巨大昆虫の腹部分の気持ち悪さに眩暈を覚えつつ、隙間のある腹の下へと飛び込み這うようにしてリルナの前まで戻ってきた。
「だいじょぶっ?」
「母上が見たら爆笑しそうじゃ」
土で汚れた鎧は気にせず、ロングソードを構える。
「サラディーナ、お願い」
「任せといて」
リルナの命により火の大精霊はメロディのロングソードに火属性を付与した。刀身が仄かに赤く輝き、マジックアイテム化する。
「補助魔法もびっくりじゃな」
安価なロングソードもマジックアイテムともなれば話は別。伝説級には追いつかないまでも遺跡から発掘される神話時代の最下級品には匹敵するかもしれない。値段にして一桁増える程度だ。
赤の軌跡を残しながらメロディは長剣を振るう。また顎鋸が動く。
「二度とはくらわんよ」
顎鋸が閉じる直前、メロディはロングソードをピタリと止めた。フェイントだ。ガチンと音がなったそこへ再び長剣を振り下ろす。
「やぁ!」
気合を込めて振り下ろした一撃は顎鋸を破壊するまでには至らない。しかし、付与された火属性が発動し、火花のような炎が散る。
その炎を見て明らかに怯えるスタッガー。それを逃しはしないとばかりにメロディは硬い殻に連撃を加える。
「むぅ、硬いのぅ。サラディーナ、頼めるか」
「おねがいねっ!」
召喚主とお姫様に頼まれ、サラディーナは笑って答えた。メロディの頭に乗るとそのまま戦闘の隙を伺う。
ガチガチと開閉する顎鋸の片側を斬り上げ、爆ぜた火の粉に混じりサラディーナはスタッガービートルの目前に躍り出た。
瞬時に溢れ出た炎は巨大昆虫の口より侵入し、硬い殻の中を焼き尽くす。節々が赤く見えたと思ったら、まるで崩れるようにスタッガーはその場に横になって倒れた。さっきまで動いていたのが嘘のように、全身が固定されてしまっている。
「うわぁ……死に方まで虫っぽい」
と、リルナが感想を漏らしているが、メロディはまだ警戒を解いていなかった。最初に魔法を打ってきた存在がまだいるからだ。
また仄かに聞こえる音のような声に、リルナは周囲を確認する。ルルはリルナの後ろに入りながら大事そうに森羅万象辞典を抱えた。
何かが右側で光った。
「右!」
リルナの声に反応するようにメロディが体制を右側に向ける。と、同時に緑の光がリルナの足元に着弾する。また先ほどと同じ魔法か、と思われたが違った。着弾した地面は緑に光り、その中から光の鎖が顕現する。
「なっ」
リルナの判断より一瞬早く延びた鎖は飛び退るリルナの手足を拘束し、地面に縫いつけた。
「リルナ!」
メロディの声に言葉を発しようとするが、口の中に入った土が邪魔をする。むぅむぅ、と唸ることで無事を知らせ、魔法を発動させた。
身体制御呪文マキナ。強制的に体を制御して体を起こす。少しだけできた隙間で、ようやく口の中の土をぺっぺと吐き出した。
「ルルちゃん、だいじょぶ?」
「う、うん。リルナちゃんは?」
「土の味を研究するにはもってこいの魔法だわ」
そんなリルナの言葉にメロディは大丈夫だと判断したのだろう、光が発せられた元へとダッシュする。途中、二度ほど同じ魔法が飛んできたが、鎖に捕まる前に避けた。目標物を見失った鎖は周囲の木に巻きつき、前衛芸術となる。
「見えたぞ!」
メロディが走りこむ先に一人の少年が見えた。ただし、人間ではなくどちらかというと妖精に近い印象だ。耳は少し尖っており、履いている靴も異様に長い。茶色の服を着て、まるで魔女みたいな大きな帽子をかぶっている。手には木で出来た杖を持っており、その先端が魔法を発する色を浮かべていた。
「覚悟するのじゃ!」
と、メロディがロングソードを振り上げた瞬間、少年は両手をあげた。何か別の魔法を繰り出すのかと思ったが、違う。杖は地面に落とされていた。
「こ、降参します!」
「降参じゃと?」
「は、はいはいはいはい、降参です、ごめんなさい」
細い目をした少年は両手をあげたまま後ずさる。
「逃げるな。逃げることは許さぬ。殺しはしないから、こっちに来い」
「は、はい」
メロディの言葉に従うように、少年はおっかなびっくりと近づいてきた。本当に攻撃に意思は無いらしく、少しばかり涙目になっていた。
「ふ~む、何者じゃ?」
「妖精でブラウニーっていうんですけど……」
「おぬしも妖精か。どうして妾たちを襲った」
「人間がいたからイタズラのつもりで……近くにスタッガービートルもいたから、襲わせてやれって思った……」
最初に飛んできた魔法はモンスターを操る魔法か何かだったらしい。
何か納得できないものを感じながらも、メロディはブラウニーの襟首を持ち、そのままズルズルと引きずっていった。
リルナたちの元へと戻ったとき、どうやら魔法は解除されていたらしく、土まみれになった服をはたいていた。
「あ、おかえり。それは?」
「犯人じゃ。妖精のブラウニーと言うらしいが、本当か?」
ルルの頭に乗った木の妖精が、うんうん、と頷いた。
「えっと、ブラウニー。レベル1で、森に住むイタズラ好きの妖精。神官魔法の使い手だって」
森羅万象辞典の情報に、リルナは、へぇ~、と言葉を漏らす。
「どの神様を信仰してるの?」
「ストゥルファ・ダンゲール様です……」
その神様の名前を聞いたとき、三人の顔が曇った。ストゥルファ・ダンゲールは蛮族の神様であり、闘争と虐殺を司る人間にとってはとんでもない神様だ。
「こ、殺さないで」
「殺しはせぬ、と伝えたはずじゃ。じゃが、どうする?」
「ん~、とりあえず謝って」
リルナの言葉に、ブラウニーは素直に謝った。
「ご、ごめんなさい」
「うん、許す。でも次に会う人間は許してくれないかもしれないから、気をつけてね」
「はいぃ」
もういいぞ、というメロディの言葉にブラウニーはスタスタと逃げていった。
「リルナちゃん、召喚獣にしなくて良かったの?」
ルルの質問にリルナは渋い顔を浮かべた。
「さすがにストゥルファ・ダンゲール神の信者はね」
リルナ自身がその魔法を使う訳ではないが、冒険者をやっていく以上、信用問題も関わってくる。妙な噂が流れる心配があるので、彼を使うには少々どころかかなり面倒だった。
「妾には大精霊がいたら充分じゃ。こうなっては他の大精霊にも是非とも契約してほしいの」
うりゃ、と振るロングソードの赤い軌跡を見ながらメロディは言う。
「キキン島の大精霊って誰だっけ?」
「ここには大精霊さまはいないですよ~。もしかしたら月か太陽の大精霊さまがいらっしゃるかもしれませんが」
月の大精霊と太陽の大精霊は存在するとされているが神殿もなく祀られてもいない。ルルが、もしかしたら、とは言ったが出会える可能性は非常に少ない。希望的観測と呼ばれるものだった。
「そっか~。じゃぁ、また遠征したときだね」
神殿巡りの旅もいいのぅ、とメロディが瞳を輝かせたところで、再び森の奥へと出発するのだった。




