~冒険者の店『イフリートキッス』~ 6
「そろそろいいかしら」
ウンディーネが呟いた。
怒涛の如く洞窟に流れ込んでいた水流の勢いが少しだけ弱まった。どうやらこれ以上は水が入らないらしく、いっぱいいっぱいの状態。このまま続ければ、いずれ岩肌がポンと爆発してリルナ達も巻き込まれるかもしれない。
「リルナちゃん、そろそろ解除」
「は~いっ」
洞窟前に居た二人と大精霊は少しだけ離れる。そして、リルナが魔方陣を解放した瞬間、まるで川が決壊した様な勢いで水が噴出した。
「お~!」
「すご~い!」
という二人の声も水の流れる轟音で自分の耳にすら聞こえなかった。
水はそのまま放物線を描く様に山から流れている。幾匹かのゴブリン達も、その流れに逆らえず、地面へと放り出されていった。尤も、すでに窒息状態。地面に叩きつけられて、トドメといったところだろうか。
しばらく眺めていると水の勢いは止まって緩やかになり、やがては水浸しの洞窟だけが残った。岩山から下界を覗くと、色々と物が散乱している。あの中に、リルナの荷物もあるだろう。
「か、回収が大変ね……」
「襲われるよりマシですよ~」
ルルの言う事も尤もなので、リルナは苦笑しつつ空っぽになった洞窟を覗く。
「わたしは洞窟を見てくるから、ルルちゃんは降りてて。危なくなったらウンディーネが助けてくれると思うわ」
「は~い」
「ルルちゃん。この状態の私に戦闘能力はほとんどないから気をつけてね」
「えっ!?」
そんなルル達の会話を聞きながらリルナは洞窟へと侵入する。松明はもちろん、灯りは全て消えており真っ暗だ。
目が慣れるまでしばらく掛かったが、そのうちぼんやりと見えてくる。
そのまま警戒しながらリルナは進んでいった。色々と物が散乱しているかと思ったが、全て流されてしまったようだ。
洞窟の中は余り広くなく、別れ道はない。ただ、いくつか簡易の扉が拵えてあり、なかなかどうしてか、ゴブリンの生活水準も上がっている様だ。
「個室持ちとは生意気ね」
それも全て水に流れてしまったが。
「おっ」
部屋の隅に火打石が引っかかっているのを発見。それを手に入れると、固定されている松明に、試しに火花を散らしてみた。
「点いた」
かろうじて油が残っていたのだろう。ちりちりと弱々しい炎だが周囲をユラユラと照らした。
「一番奥の扉……」
炎が照らし出したのは、一番奥に備えられた木の扉。今も少しだけ水が流れ出しており、リルナは首を傾げた。
「あれ? 一番奥まで水が来てて、それが流れたら開いてるはずよ……ね……?」
もしかしたら内開きの扉だったのだろうか?
そんな疑問を抱きながらも、扉に近づいた瞬間――
勢いよく扉が開き、中から水が流れ出てきた。
「っ!?」
そして、そこには一匹のモンスターが立っており、今にも襲い掛からんと体勢を低くしている。
「ホブゴブリン!?」
ゴブリンの上位種族であり、ゴブリンよりも大きいモンスターだ。ただのゴブリンを子供とするなら、ホブゴブリンは大人といえるだろう。赤ではなく、灰色の肌をしており、少しばかり上等な鎧を着込んでいる。持っている武器はバトルアックスだろうか。松明のチロチロした灯りを不気味に反射していた。
「ぎゃぎゃぎゃっ!」
「や、やばいよね!?」
リルナは誰に言うでもなく、叫ぶ。もちろん、こんな所に助けがいる訳でもなく、ルルに声が届くはずもない。
自分よりも大きいモンスターに圧倒され、ジリジリと精神が磨り減っていく気がした。それが伝わったのだろうか、ホブゴブリンはニヤリと醜悪な口元を歪める。
「む。馬鹿にして。こ、これでも冒険者なんだからね!」
とはいっても、召喚士は後衛職であり、モンスターを目の前にして戦える様な能力はない。それでも、リルナは身体制御呪文『マキナ』を使用する。いつもはビシっと固まってしまうイメージだが、今回は緩やかに体が固定された。ただし、ペイントを使用する右手だけはガッチリと固定されている。
「×××!」
その動きを見て、ホブゴブリンが襲い掛かってくる。その手前で、リルナは円を描いた。基本となる魔方陣の一つ目の円。それからバトルアックスの切っ先を避け、左手で倭刀を構える。鞘から抜いている暇はなく、二つ目の円を描いた。
振り下ろされる戦斧。それをバックステップで避けた後、再び肉薄しながら左手の倭刀でもってゴブリンを付く。その一撃は防がれてしまったが、リルナは三つ目の円を描いた。
その様子を見て、ホブゴブリンは疑問を抱いた。目の前の人間の不可解な行動。空中に円を描いて、攻撃のそぶりを見せない。
その隙をみて、リルナは最大速度で身体を制御する。人間の限界以上に腕を動かし、魔方陣に文字を刻み込んでいく。
そして、一番内側に文字を記した。
神代文字で『龍』という意味の言葉。
「できた!」
素早く右手を魔方陣の中心にあて、光を放つ。文字が光を受け、輝き、そして発動した。
「召喚! ホワイトドラゴン!」
弾かれる様に魔方陣が輝き、そして光が収束する。
そこに現れたのは、小さなドラゴンだった。まだ鱗ではなく産毛があり、神々しいというより可愛らしいという言葉がピッタリな印象。しかし、背中の翼は大きく、広げればホブゴブリンよりも大きいだろう。
そんな真っ白なドラゴンキッドは辺りをキョロキョロと見回し、背中側にいる召喚士をジロリと睨みつけた。
「もう、お昼寝の途中なんだけど?」
「あんた寝てばっかじゃないっ。ちょっと助けてよ」
「え~。なんでさ?」
「わたしがピンチだからっ!」
見て見て、とリルナはホブゴブリンを指差した。
「なんだホブゴブリンじゃない。低級蛮族だし、一人で余裕でしょ」
「無理だから無理だから! わたしが召喚士って知ってるよね? 助けてよ!」
「もう……しょうがないな~」
はてさて、二人の会話をホブゴブリンは理解できただろうか。例え共通言語を理解できていたとしても、目の前にドラゴンが現れては会話に耳を傾けている暇はないかもしれない。
例えキッドと付く、まだまだ子供のドラゴンであってもその能力は恐ろしく強い。
ドラゴンに出会った者が取る行動は二つ。
果敢に戦いを挑むか、慌てて逃げ出すか。
ホブゴブリンが選んだのは前者だった。
「ぎゃぎゃぎゃ!」
そう叫びながらバトルアックスを振り下ろす。
しかし、それ以上に早く、ホワイトドラゴンは口を開いた。もちろん、警告を発する為でも欠伸でもない。
白い炎を吐く為だ。
赤い炎よりも高温な白い炎。どんな物をも任意に燃やし尽くすホワイトドラゴンの炎だ。
この世の物とは思えない不可解な炎にホブゴブリンはあっという間に全身を焼かれる。
水の後に炎。
ホブゴブリンにとっては散々だっただろうが、それもすぐに終わった。
「ぎぎゃぎぎぎぎぎ」
ホブゴブリンの手から戦斧が零れ落ちる。
そして膝から崩れ落ち、倒れた。
どうやら絶命した様だ。ホブゴブリン程度では、ドラゴンの炎を御する力など持っていない。自然の摂理の様な結果だった。
「はぁ~、良かった~。ありがとう、シロちゃん」
「シロちゃんじゃないって。リーン・シーロイド・スカイワーカー」
「そんな長い名前覚えられないって――」
あはは、と苦笑した瞬間、リルナはがっくりと倒れた。
「わ、どうしたの?」
「ごめん、ほっとしたら力抜けちゃった……動けない」
「なんだぁ、びっくりさせないでよ」
「シロちゃん、部屋の奥に連れてって~」
「はいはい」
リーンはリルナのマントを掴むと、ひょいと自分の背中に乗せる。そのままノシノシと扉の奥に入った。
「あ、箱があるよ? あける?」
「うんうん」
リーンが箱を開けると、そこには幾つかの袋があった。そのうちの一つにリルナの財布である袋も発見する。
「あった。よかった~、ちゃんとオキュペイションカードも入ってる」
財布=一番安全と思っていたリルナは職業カードも財布に入れていたらしく、無事に回収する事が出来た。
他の袋もリーンが物色するが、銅貨が入っている程度で珍しい物は無かった。とりあえずの目的は達成したので、リーンと共にリルナは洞窟を脱出。
「下にルルちゃんがいるから、降りて~」
「もう、ワガママだな~」
なんだかんだ言いつつ、リルナの言う事は聞いてくれるらしい。リーンは翼を広げ、フワリと跳び上がるとゆっくりとゴブリン達が散乱している場所まで降りてきた。
「ど、ドラゴンだぁ~!」
ルルの反応はそれだけで、逃げも隠れもしなかった。
意外と肝が座っているらしい。
「リルナ。この娘、ちょっとおかしい」
リーンはちょっと呆れていた。ドラゴン族の威厳とかそんなのがちょっと揺らいだのかもしれない。
「えっと、私が召喚できるもう一人……一匹? のシロちゃん」
「だから僕の名前はリーン・シーロイド・スカイワーカーだって」
「わかりました~、シロちゃんですね」
どうやらルルの頭の中でリーンの名前はシロちゃんとインプットされてしまったようだ。訂正しようと思うリーンだったが、ルルの瞳がキラキラと光っているのを見て、やめてしまった。
「リルナさん、どこでシロちゃんに出会ったの?」
「卒業試験の時、わたしの目的である洞窟の前でシロちゃんが寝てたのよ。そこで三日三晩の大バトル。最後は和解して、シロちゃんと契約したの。凄いでしょ」
「凄いのはボクだよね。リルナは呼び出すだけだし」
シロちゃんはそう言うと、口を大きく開けて欠伸をした。本当に眠いらしい。
「それじゃシロちゃん、またね~」
「ばいばい~」
「あんまり召喚しないでよね」
そう言いながらリーンは二人に手を振る。リルナが召喚術を解除すると、光が分散する様にしてリーンの姿が消えた。
「ウンディーネも帰る?」
「は~い、そろそろ戻ります」
同じくウンディーネにも手を振って、召喚術を解除した。
「初めての冒険、大成功ね」
「はい~。お金も儲かりましたよ~」
ゴブリン達から回収したお金は合計して20ギルにもなった。10ギルづつに分配して、ちょっとしたホクホク気分。
少しばかり草原で休憩してから、二人はサヤマ城下街に戻るのだった。