~ドラゴン・リップクリーム~ 9
翌朝。
見張りを務めていたリルナはメロディとルルを起こし、朝仕度を始める。手早く朝食を食べれば、早速の探索となった。
メロディを先頭として、後ろにルルが続き、殿はリルナとなった。木の妖精はルルの頭の上に乗り、森を案内してくれる。
「そういえば妖精さんは名前は無いんですか~?」
「無いよ~。みんな木の妖精だもん」
中央のルルと木の妖精はそんな異文化交流をしているが、先頭を進むメロディは周囲を確認するリルナは真剣そのものだ。確実に蛮族がいることが分かった今、注意を怠っては死が待っている。
「盗賊の仲間が欲しいところじゃのぅ。サッチュは冒険者になる気は無いのか?」
「何考えてるのかサッパリ分かんないっ」
狸耳の彼女を思い出し、リルナはため息にも似た言葉を返した。同じ訓練学校に通っていた元パーティは、今では盗賊ギルドに所属している。
「むぅ。盗賊を志す者は変人が多いらしいからのぅ」
お姫様で剣士なのも相当な変人だけど、という言葉をリルナは飲み込んだ。
森の中を進むのは本当の獣道だった。人間はおろか蛮族すらも通っていないような道であり、小動物が通っただけのような僅かな草の切れ目があるだけ。歩くたびに草木が揺れてガサガサと音がなるのは、もう防ぎようがない。盗賊ならば、こんな場所でも音を立てることなく移動できるのだろうが、剣士と召喚士、そして学士見習いではそんな芸当は不可能だ。
リルナは視線を上にあげる。
もちろん、空は見えない。ただ、折り重なる木々の葉の隙間から光は差し込んでくる。ただ、それはほんのちょっとであり、今は太陽が出ていることしか分からない。夕方に近くなれば真っ暗になるのではないかと思われる明るさだ。
「夕方には戻らないと」
時間制限あり。
依頼には余裕があるが、探索には余裕が余り無いとも言えた。それでも焦ってしまうより、ゆっくりとじっくりと進んだほうがいい。
「すぅ……はぁ……」
落ち着くように、リルナは深呼吸をした。
少なくとも木の妖精がいる内は道に迷う心配は無いだろう。運が良かったのか、悪かったのか、そんな微妙なところを感じながらリルナは足を進める。
「ん?」
と、先頭を行くメロディは少しばかり疑問の声をあげた。
二番目に続くルルはメロディが足を止めたので、立ち止まる。周囲を確認していたリルナは前だけは注意をしていなかったので危うくルルの背中にぶつかりそうになった。
「どうしたのメロディ?」
「何か引っかかって……」
足元に何かあったのかメロディは少し屈む。気になったのかルルも中腰でメロディを覗き込んだ。
「なんだこのツ――うわぁ!?」
次の瞬間、メロディの足が上空へ引っ張られた。
「ふぎゃっ」
その際に覗き込んでいたルルの思い切り跳ね上げる。
「えぇ~!?」
上空にぶら下がるメロディとバッタリと倒れるルルにリルナは驚きの声をあげた。そして、どちらを助けたらとオロオロする。
「なになになに? ちょっとメロディどうしたのっ、浮いてる場合じゃないよ!」
「好きで浮いとらんぞ! なんじゃこれは?」
ひとまずリルナは涙目で倒れているルルを起こした。おでこが赤くなっているが、出血はしていない。痛い~、と涙目で訴えているので命に別状は無いだろう。
「だいじょぶルルちゃん?」
「あ~う~」
ひとまずルルを座らせておいてリルナはメロディを見上げた。
「あ、メロディ!」
「なんじゃ! なにがあった!」
「ぱんつ!」
「なにぃ!?」
メロディの足は上空を向いている。つまり、逆さまになっていた。当然スカートは重力に逆らわず隠すべきものは隠さないでヴァルキリー・メイルを隠していた。
メロディはひとまずスカートを押さえつける。
が、しかし――
「む……良く考えればこの場に殿方はおらぬではないか。命優先じゃな」
と、あっさりとスカートを放棄した。メロディ最後の牙城が丸見えとなる。
「お、男らしい……」
「いやそこは淑女らしいと褒めてくれんと妾も困る」
何者かの罠か、とメロディは自分の足を確認する。そこには何の変哲もないツタが絡まっていた。緑色で周囲の木に絡まっているツタと大差は無い。ツタは少し太い枝から伸びているらしく、メロディは腹筋の要領で体を起こす。
「む、ぐ、ぐぐぐ」
足に絡まるツタに手を伸ばすが、イヤなものが見えた。それはツタがゾワリと動く様。足に絡んでいる方ではなく、周囲の木々に絡まっている方だ。
まるで獲物を狙う動物のような動きでツタが木々を這い、枝を伝ってメロディへと絡みついた。足から太ももを伝い、ヴァルキリー・メイルの中へと侵入する。
「ひゃ、ちょ、わ、妾にはまだ早い、うひゃぅ」
「ちょ、だ、だいじょぶメロディ?」
「あう、ダメかも」
「え~っ!?」
幾本かのツタが絡まりメロディの自由を奪う。両足はおろか両手まで開いた状態に固定されてしまった。
「大人の階段がどうとか言ってたじゃないっ」
「はうぁ!? わ、妾には覚悟が足らぬかったというのか……」
所詮は10歳か、とメロディはガックリと肩を落とそうと思ったが、身動きが取れなかったので諦めた。
「痛くない?」
「うむ。締め付けはしないようじゃの。気持ちよくも無い」
気持ちよかったら大問題よ、というリルナの言葉をメロディは無視した。
「で、これは何なのじゃ?」
メロディが聞いたのはルルの額を気遣う木の妖精だった。
「そいつはエンターナグリドっていう植物モンスターだよ。でも安心して、攻撃はしてこないから」
そこで痛みから立ち直ったルルが森羅万象辞典を開く。
「えっと、エンターナグリド、レベル1のモンスター。森などに生息し、やってきた動物をツタで捕らえ身動きを封じる。あとは動物が死に腐り落ちるのを待つ。腐り養分となるのをひたすら待ち続ける稀有なモンスター、だって~」
リルナが辞典を覗き込むとウニョウニョと絡むツタが描かれていた。
「エロいモンスターだね」
「えっち~」
攻撃してこないモンスターにダメージを負わされる稀有な経験をしたルルは立ち上がると周囲の木々を観察した。そして、木の根に近いところにエンターナグリドの本体を見つける。
本体といってもちょっとした膨らみがある程度だ。モンスターというより、植物に限りなく近いのかもしれない。
「えいっ」
ルルは本体を蹴った。しかし、ツタに変化は無い。モンスターというだけあって、その程度の攻撃では倒せそうにない。
「えい、えい、えい、えい」
しかし、ルルは蹴り続ける。徐々に本体の表皮が傷つき、メロディに絡むツタが緩んできた。
「お?」
その後もルルが執拗に蹴り続けた結果、メロディの絡むツタの力が弱まり、最後には頭から落下した。
「みぎゃ」
と、変わった悲鳴をあげたメロディは頭にのぼった血が足に流れるのを感じながらロングソードを引き抜く。
「ルル、交代じゃ」
「うん」
素直に場所を譲ったルルと交代して、メロディは無慈悲にロングソードを振り下ろした。本体はすっぱりと切れ、途端にツタは周囲から落下する。
「乙女の恨みじゃ」
「ですね~」
そんな二人の後ろでリルナは大きくため息を吐いた。
「無事で良かったぁ~」
なんて、呟きつつ。
絶対にルルを怒らせないようにしよう、と誓うリルナだった。




