~ドラゴン・リップクリーム~ 8
すっかりと日が落ちたメジヒの森は、暗いを通り越した闇となっていた。
入り口から数本の木は見えるが、その先にはもう何があるのか分からない。もちろん、木があり、雑草が生えているのは確実だ。しかし、それも見えなければ存在しないも同じ。
逆に言えば、すぐそばまでモンスターがにじり寄っても気づけない可能性が高い。特に森という条件では植物系のモンスターが多く生息する。彼らは動き回るのではなく、獲物がくるまでジッと我慢するタイプだ。うっかりと彼らのテリトリーに入ってしまうと、捕らえられ捕食されてしまう。じっくりと溶かされながら死んでいくのは、人間としてはワースト5に入るぐらいに嫌な死に方だ。
パチパチと火が付いた枝が音をあげる。オレンジ色の火は明かりにも成り、どこか落ち着く。テントの前で熾した焚き火の前に、人間と大精霊と木の妖精は、そんな焚き火の前で夕飯を終えたところだった。
「お腹いっぱい~」
少しばかり食べ過ぎたのか、リルナはお腹を両手でおさえる。ぽっこりと膨らんでいる訳ではないが、小さな体にしては食べたほうだろうか。
「動けなくなるほど食べるのはどうかと思うぞ」
お姫様たるメロディはリルナとは違って余裕そうだ。腹八分目ではないが、体を動かせる範囲で収めていた。
「でも美味しかったですよ~」
ルルもリルナと同じような格好で満足そうに笑顔を浮かべた。本日の夕飯は干し肉と簡易スープじゃがいも入り。干し肉は焚き火で少しだけ炙って香ばしさをアップさせたもの。じゃがいもは小さい物をザクザクと適当に切ってスープに入れただけ。あとは焚き火で焼いた、ほかほかのじゃがいもにバターを乗せて食べた。
特別なものではないが、ちょっとした冒険が初めてのルルには昨日も今日も新鮮なイベントなのだろう。星空を見上げてなにやら物思いに呟いている。
「も、もういっぱいです、食べられないです……うっぷ」
そんな人間三人とは違い、大精霊と妖精グループはまだまだ食事中だった。といっても、召喚されたウンディーネとサラディーナは食事は必要としない。元より大精霊は自然の存在である為、食事を必要としなかった。
では誰か?
答えは残された一人、木の妖精である。
小さなお椀にウンディーネ特製の水を浸し、まるで温泉に漬かるように木の妖精が和んでいた。新鮮な水を絶えず出し続けているのか、お椀からは贅沢に水があふれ続ける。加えて、その隣でサラディーナが煌々と炎の明かりを灯していた。
大精霊のお持て成し、特別光合成コースだった。植物が生きていくのに必要なのは光と水だ。もちろん、大地の栄養もいるのだが、大精霊ウンディーネの顕現させる水はそれ以上の贅沢だろう。
まるで貴族のフルコースの料理を味わったかのように満足そうな木の妖精。そのお腹はぽっこりと膨らんでいた。食べすぎだ。少女の体でお腹がぽっこり膨らんでいる姿は、なんとも非道徳的な光景でもあり、リルナはひとり妙なことを思いついて苦笑した。
「何を笑っておるのじゃ?」
「あ、いやいや、なんでもないよっ」
「むぅ?」
メロディはリルナと同じく木の妖精を見るが、笑える理由が見つからず頭を横に傾けた。あやうくムッツリの称号を授かりそうになったリルナは木の妖精に誤魔化すように話をする。
「それで木の妖精さん。何が困ってるんですか?」
「はっ!」
豪勢な接待を受けていた為、幸せが困りごとを上回ってしまったのか、すっかりと忘れていたらしい。大きくなったお腹をさすりながら木の妖精は言った。
「実は森の奥に蛮族が住み着いているのです。大精霊様を味方につけた人間だったら倒せるんじゃないかと思って」
「蛮族?」
うんうん、と木の妖精は頷いた。
「森の奥を荒らしまわってて、無意味に木を倒したりしてるんです! どうか助けてくれませんか?」
蛮族が暴れているのであれば、退治したほうが良い。蛮族は気性が荒く人間を喰う種族もいる。特に理由もない限り見逃す必要もなく、滅ぼすべき存在と言い切っている者もいた。獣の耳と尻尾を持った獣耳種や背中に翼を持つ有翼種は昨今、人間種族と認められた存在もいるので、一概には言い切れない部分もある。
「妾たちで勝てるかのぅ」
メロディは木の妖精に特徴をたずねた。蛮族と言えど、一番弱いコボルトから人間の英雄レベルまで様々だ。コボルトであっても修練や経験を積むと駆け出しの冒険者より強くなる例もあった。
それでも種族限界がある。例えばコボルトであればレベル3程度と言われている。人間であれば99であり、100になるときは神様の仲間入りだ。つまり、英雄はレベル99まで、あとは神となり世界を創る側にまわることになる。
「特徴ですか? えっとですね、二本足で歩いて、武器を持っていて、大きいです」
何の参考にもならなかった。メロディはルルを見るが、彼女も首を横に振る。その特徴だけでは当てはまる者が多すぎて除外者が少数なくらいだ。
下手をすれば蛮族の王となるような者がここで旗揚げの準備をしているのかもしれない。
「万に一つの可能性じゃがな」
「それはないでしょ」
リルナの言葉に、確かに、とメロディは苦笑する。こんなところで蛮族が国を主張しても、すぐに冒険者に討伐されるのは目に見えている。王となろうとする者がそんな愚かでは話にならない。
「実際に見て判断するしかないよね。妖精さん、もし私たちで何とかなるんだったら倒すよ。でも、無理だったら帰ってから依頼を出してみるね。えっと、報酬って何かある?」
冒険者に依頼するには、それなりの報酬が必要だ。ましてやリルナたちに敵わない相手となると、そこそこ高額になるかもしれない。
「……えへ」
木の妖精はにっこりと笑った。
「メロディ、どうやら私たちで倒すしかないみたいよ」
「そうじゃのぅ……そうだ、お主はドラゴン・リップクリームの生えておる場所を知っておるかの?」
「あ、うんうん、知ってるよ」
「よし、妾たちが蛮族を倒したあかつきには、ドラゴン・リップクリームの場所を教えて欲しい。あと幾つか採取するが構わんな」
大丈夫、と木の妖精は頷いた。
「じゃぁ決まりだね。いざとなったらリーン君を召喚して、それでもダメだったら一旦帰って、サクラを連れてこよう」
「うむ。まずは妾たちで偵察じゃの」
リルナとメロディ、そしてルルは夜空の星の下、がんばるぞーと手を上げたのだった。
 




