~ドラゴン・リップクリーム~ 7
翌朝、見張りを終えたメロディは一息ついてリルナとルルを起こす。リルナとしてはまだまだ寝たり無いのか、少しばかり不満な声を漏らしながらもテントからズルズルと出てきた。
夜中のモンスターから襲撃されるようなことはなく、平穏そのもの。少しばかり弱くなった焚き火に燃料である枝を投下しつつ、朝の支度となる。
太陽は顔を出したばかりで、空はまだまだ青になりきれない紫色。
まだ星がギリギリ見えるそんな朝だった。
近くに川が無いのでリルナはウンディーネを召喚した。朝早くの召喚にも応えてくれる水の大精霊に感謝しつつ、顔を洗い、目を覚ましす。
商人親子や吟遊詩人もウンディーネから水をもらい、身支度を整えた。
朝ごはんとしてスープとパンを食べ終わり、荷物をまとめる。太陽がすっかりと顔をみせた頃には、出発の準備は整っていた。
「それでは、良い旅を」
商人たちと別れて、再び歩き出す。
「予定では、今日の昼か夕方にはメジヒの森につくはず」
「ふむ。森に入る前にもう一泊かの?」
メロディの言葉にリルナは頷く。
「そうなんですかぁ?」
「夕方に森になんか入っちゃったら、真っ暗になるよルルちゃん」
「あ、そっか~」
森というのは基本的に薄暗い。太陽の光が覆い茂る木々の葉によって遮られるからだ。それは当たり前のことなのだが、実際に体験してみないと感覚が無いのかもしれない。
冒険者としては良く聞く話なので、リルナはもちろんメロディも知っていた。
「まだ行けるはもう危ない、っていうのは冒険者では有名な言葉だよっ」
「なるほど~」
欲を出してはいけない、という意味合いでも使われる言葉だった。まだ大丈夫と思ったその時が帰り時。欲を出してまだ大丈夫と奥に進んでからでは遅い訳だ。
今日も今日とて、そんな風に雑談しながら三人は歩いていく。岩場であった左手は次第に海が見えてきた。天気も良く潮の香りと海の雄大さを楽しみながら歩いていくと、次第に砂浜へと到着する。
お昼ごはんをその砂浜で終わらせ、もうしばらく歩いていくとまた切り立った崖になってきた。遠目で海は見えるものの、それもしばらく歩いていくと山になる。
その山を避けるように迂回すると、やがて大きな森が見えてきた。
「あれが、メジヒの森か」
ひとまず目標地が見えたことで、三人は大きく息を吐いた。お昼は過ぎているが、夕方にはまだ早い。そんな時間帯での到着なので、予定通りと言えた。
「今日はゆっくりとするかのぅ」
「そうだね」
森の入り口とも言える場所……少しばかり木々が開いた場所に、リルナとメロディは簡易テントを建てた。
相変わらずルルは足が痛そうだったので料理係に任命し、ウンディーネとサラディーナを召喚した。
「ウンディーネから水をもらってね。サラディーナもよろしく」
大精霊たちを料理番に任命するという、ちょっとした後ろめたさもあったが、意外と大精霊も乗り気なので胸を撫で下ろす。神殿に居るだけでは退屈らしい。召喚士という存在がリルナ一人となった今では、料理番すら娯楽の一つなのだろう。
料理を任せたリルナとメロディは少しばかり森に入って枯れた枝を採取する。いくら火の大精霊がいるといっても、燃やす物が無ければ火は持たない。
「うわぁ、結構深いね」
「うむ。やはり夕方には出ないと厳しいのぅ」
少し森に入っただけで、すでに暗いという印象を受けた。また遠くからは獣の鳴き声も聞こえる。思わず目を合わせる二人だが、モンスターでは無さそうだったので、ひとまず息を吐く。
足元は雑草のオンパレードで、ブーツが埋まってみえた。コケでも生えているのか、それなりにフカフカな踏み応えだった。
「あったあった」
そんな雑草の間に落ちている木の枝を拾っていると、ふと視界に動く物が見えた。慌てて顔をあげるが、何もいない。
「気のせい?」
それでも注意深く周囲を確認するが、何もいない。やっぱり気のせいだったか、と再び枝拾いを始める。
「メロディ、どう?」
「これぐらいで充分じゃろ~」
少し奥まで入っていたメロディは両腕にいっぱい枝を持っていた。といっても、十歳の少女が持てる量には物理的な限界がある。リルナと合わせたぐらいで一晩は持つだろう。
「また明日拾わないとね」
「固形燃料は勿体無いからのぅ」
と話したところで二人は振り向く。何か、確実な気配を感じた。
「なにっ、なんだった?」
「わからん。じゃが、何か……む」
近くの木から、小さな何かが顔を出した。大きさは人間の掌ぐらいだろうか。それは木と同じような、茶色の肌をした少女を模したような形をしていた。
「よ、妖精だ」
リルナは思わず呟く。
二人の前に、おっかなびっくりと顔を覗かせているのは木の妖精だった。妖精とは自然という存在に意思を与えたようなもので、本来はどこにだって存在する。空には空の妖精、川には川の妖精、森には森の妖精、といった具合に、ありとあらゆる自然には必ず妖精が存在する。
そんな妖精の力を最大限にまで高めたのが大精霊だ。自然要素である五行――つまり、火水木金土の五人の大精霊は神殿にて祀られている。
妖精とは大精霊とまでは行かないが、自然が具体化した姿である。人間の前に現れることは滅多になく、街中では絶対に会えない存在だった。
「どうしたの?」
リルナは声をかけてみる。敵意が無いことを示すように、自分の体を示す。枝をいっぱい持っているから、あなたを捕まえたり攻撃したり出来ませんよ、というニュアンスだ。
メロディの姿もそれと同じ。それを確認したのか、はたまた別の理由か、木の妖精は隠れていた姿を現した。
少女のような丸みを帯びた体は、もちろん裸である。茶色の肌に背中には透明な羽が生えており、空中に浮かんでいた。
おっかなびっくりと近づいてきた妖精は、リルナの前までやってきた。じ~っと視線を合わせると、大きく息を吐く。なにやら緊張していた様子だった。
「良かった」
呟く声は小さい。しかし、不思議なことに確実に耳に届いた。
「何かわたし達に用事?」
「大精霊様の力を感じたから来たの。でも人間がいたからどうしてだろうって。あたなから大精霊様の力を感じる」
「わたし?」
リルナの言葉に妖精は頷いた。
「わたしは召喚士のリルナっていうよ」
「召喚士?」
妖精でさえも、その名前を知らないらしい。がっくりと肩を落とすリルナだったが、冒険者である事と、召喚術を簡単に説明した。
「冒険者! 聞いたことがあるわ。何でも解決してくれるんでしょ!」
妖精の言葉にメロディが、なんでもは無理じゃ、と苦笑する。
それでも、木の妖精はリルナの顔へと近づいて言った。
「助けてください! 困ってるんです!」
その言葉に、リルナとメロディは顔を見合わせるのだった。




