~冒険者の店『イフリートキッス』~ 2
露店商人のおじさんと食材屋のおばちゃんに聞き込む時間を含めて、しばしば。丁度、太陽が真上にくるお昼時にリルナは件の冒険者の店へとたどり着いた。
サー・サヤマ城下街は全て石畳であり、石とレンガで出来た建物ばかり。冒険者の店『イフリータキッス』も石壁で出来ているらしく、木材は入口に使われているのと窓枠程度だった。
「ここが冒険者の店……」
リルナは外観を観察する。
冒険者の店とは、いわゆる冒険者を取りまとめるギルドみたいなものである。荒れくれ者が多い冒険者を纏め上げ、依頼の仲介がメインの仕事だ。大抵の店はそれだけでなく、宿屋と酒場も兼任していることが多い。
イフリータキッスと看板が掲げられたこの店も、どうやら例外ではないらしく、昼間からというのに中はワイワイガヤガヤと人の声が溢れていた。
リルナはスンスンと鼻を鳴らす。その鼻腔をくすぐるのは、甘い香りのするハニーミルクではなく、子供にはちょっと厳しいエールに含まれるアルコールの匂い。
「昼間っからお酒?」
なんだかダメな大人の巣窟に飛び込む様な気がして、リルナの足が止まってしまう。だが、背中に背負われた空っぽのバックパックが、彼女の背中を押した。なにせ、このままでは宿代は愚かお昼ご飯を食べる事だって出来ないからだ。
「お腹が空いちゃう前に、なんとかしないとっ」
ちょっぴり気合を入れて、リルナは冒険者の店へと立ち向かった。目指すは木製の扉。バネ付きの蝶番を押し開けるようにして、リルナは店内へ入る。
途端に溢れる喧騒。ゲラゲラと聞こえてくるのはどいつもこいつも男ばかりだった。更には外よりも強烈なアルコール臭に眩暈を悩ませながらも、リルナは何とか逃げ出す足を抑える事が出来た。
「女専門じゃなかったの? なんで?」
まさかあの人の良さそうなお爺ちゃん兵士に騙されたのか? そう思って泣きそうになるが、あの好好爺が人を騙すとも思えない。
何が真実で何が嘘なのか、そんな考えがアルコールの匂いと混じってグルグルと頭の中を廻りはじめた所で、手近なテーブルに座っていた男がリルナに気付いた。
「おぅ、新しいウェイトレスさんかい? へっへっへ、こりゃまた可愛らしいじゃないか」
すこしばかり下心を含んだ視線で男はリルナを見る。
そんな視線を防ぐ様にして、リルナは唇を尖らせた。
「わ、わたしはウェイトレスじゃないわ。冒険者よ」
「ほほぅ。ってことは、ルーキーか。レベルは?」
「ぜ、ゼロ……」
「はっはっは! そいつはいい。カーラ姐さんはルーキーには優しいから、この店で腕を磨くのは良い経験になるぜ」
「カーラ姐さん?」
「ここイフリートキッスの店主さ。カーラ・スピンフィックスといやぁ名の知れた剣士だったが、怪我が原因で引退しちまった訳さ。いい女だったんで結婚して隠居生活かと思いきや、冒険者の店をはじめたって訳よ。しかも女専門のな。この店に登録できるのは女だけだ。良かったなぁ、ルーキー嬢ちゃん。ほらよ」
そう言って、男はリルナに串を一本を手渡す。ブロック状の牛肉が五本ほど刺さっていた。牛肉の香ばしい匂いがアルコール以上にリルナの鼻をくすぐる。
「ありがとう。ただの酔っ払いじゃないのね」
「おうよ。ここに居るにはみんな冒険者さ。悪いヤツは一人もいないぜ。なぁ、みんな!」
男が声をあげると、わぁっと男達が盛り上がり、あちこちで乾杯の音が聞こえる。男同士の気安い関係に(加えて昼間から酒びたりな冒険者達に)、ちょっぴりゲンナリしながらも、リルナは串焼きを食べた。
「あ、美味しい」
一先ず、男に感謝の言葉を述べてから盛り上がる男達の間をすり抜けて、ようやくとカウンター席に到達した。
「ぷはぁ。汗臭い方がよっぽどマシだわ」
「おやおや、なんて事を言うんだい。そんな事になったら一日店を閉めて、バラの香水を振り撒かないといけないじゃないか」
リルナの独り言に応えたのは妖艶な女性だった。赤くウェーブがかった髪は長く、腰まではあるだろうか。無造作に伸ばされている様で、それでいて一本一本が計算された様に美しいウェーブを描いていた。
加えて、彼女の衣装だ。出すべき所はとことん出していく、というスタイルなのか、豊満な胸の谷間がこれでもかと押し出されており、思春期の少年ならば今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られてしまうだろう。
まるでただの布みたいなドレスの足元にはパックリとスリットが入っており、きわどい所まで惜しみない程に見せ付けていた。
ただ、そんなパーフェクトにまで官能的な彼女にも欠損があった。右手が肘より上で無くなっている。そこにあるべきモノがなく、ただ包帯が巻きつけられていた。
「あなたがカーラさん?」
「えぇ、そうよ。イフリータキッスの店主、カーラ・スピンフィックス。覚えておいて損はしない名前さ」
よろしく、とカーラは左手を差し出す。握手の基本は右手だが、彼女にはその右手はない。少し戸惑いながら、リルナは左手でカーラと握手を交わした。
「見かけない顔だね。あんたの名前は?」
「リルナ。リルナ・ファーレンス」
「そうかい。ここに来たって事は、あんた冒険者だね」
「うん」
頷くリルナの顔を見て、カーラはニヤリと笑った。
「しかもルーキーときたもんだ」
「う、うん。どうして分かるの?」
「なに、レベル0の冒険者っていうのは、みんなリルナちゃんみたいにキョトンとしているのさ。いや、キョトンとしているべきね。威風堂々としているヤツは、みんなすぐに死んじまう。おっかなびっくりと生きているヤツの方が、大抵は長生きするもんさ」
「そうなの?」
「嘘だけどね」
元冒険者のありがたい言葉、として真剣に聞いていたリルナはその場でカックンと肩を落とした。
「あははは! おもしろい娘だねぇ」
「誰でもこうなるわよ!」
「そう怒らないでよリルナちゃん。なぁに、種は簡単さ。冒険者の店に所属するとピンバッチが貰えてね。見える所に付けるきまりになっているの。リルナちゃんは冒険者なのに、それを付けてない。だからレベル0なのよ」
その言葉に、リルナは周囲の男共を観察する。確かに、皆ピンバッチを付けていた。十字架のマークやドクロ、文字であったり武器であったりと、色々な形をしており、それぞれ別の冒険者の店に所属している事を表しいた。
「ピンバッチは店の証明でもあるから、外で犯罪を起こすと店にも迷惑がかかる。所属している冒険者が悪事を働けば、その店の名声に傷が付くわ。品行方正たれ、正義の味方であれ、とは言わないけれど、迷惑はかけないでねっていう約束事みたいなものかしら」
「首輪みたいなもの?」
「そう捉えるか、ただのオシャレアイテムと捉えるかはリルナちゃん次第よ」
なるほど~、と話を聞きながら串焼きを全部食べつくした。残った串をカーラに差し出す。
「どうする? 他の店に行ってもいいし、私の店に所属してもいいわ。丁度部屋も開いてるしね。ただし、ちゃんと宿代は貰うわよ。一食付きで一日500ガメル払ってもらうけど」
「500ガメル!?」
ガメルとはお金の単位である。銅貨であり、1000ガメルで銀貨の1ギルとなる。それ以上の単位は存在せず、金貨か宝石にして持ち歩くのが一般的だ。
一泊一食付きで500ガメルはかなり安く、一般的な宿だと10ギルはするだろう。ルーキーに優しいというのは、こういう意味なのかもしれない。
しかし、
「あのぉ……実は……」
今のリルナは500ガメルすら持っていない。
おずおずと、空っぽのバックパックの理由をカーラに話すのだった。