~あぁ新米女神さまの冒険みたいな~ 15
ぐぅ、というノドが絞まる声をあげてレナンシュは膝を落とした。ぜぃぜぃと喘ぐように口をあけた端から、嚥下しきれなかった唾液がこぼれる。
その隣で桜花が杖を落とした。震えるのは指。魔力が枯渇したのではなく、筋力がゼロになった結果。暴走する杖を抑えきれず、ついに手から離れてしまった。
だが。
ふたりの結果は目に見える。そこは砂漠ではなく、生命が謳歌する草原に成り果てていた。もちろん、仮初のもの。数日後には砂にうもれ枯れてしまう運命が待っている。
黒の砂漠は、その結界を揺るがした。
つまり、ここは彼の領域ではない。
「はぁッ!」
短い呼気と共に薫風真奈は剣を振るう。艶やかな黒く長い髪に紛れるように、白い閃光。精霊の剣、その刃は止まることなくブラックワームの表皮を切り裂いた。
「くらうネ!」
その反対側で天月玲奈のファインダガーも、びっしりと生えている指を切り裂く。
ふたりの行動は囮であり時間稼ぎだ。目くらましという目的もあった。それは一重に、周囲の緑化の間の時間を稼ぐこと。これにより植物の根がネットの役割を果たし、ブラックワームの潜行速度や動きを鈍らせた。初めに桜花だけで行ったのは、その効果が有効であったのかどうか、確信が得られなかったため。もしも緑化が行動阻害につながらないのであれば、別の作戦に移行する予定があった。
しかし、結果は見事に的中する。まるでお尻だけ抜けなくなってしまったマヌケな冒険者なごとく、ブラックワームはうねうねと体をよじっている。植物の根が邪魔をして、うまく体が抜けないのだ。
だが、器用に体をうねり徐々に抜けていく。その際に、ついでとばかりに真奈と玲奈を攻撃していく。具体的には体を折り曲げての踏みつぶしだ。
びたーん、と体を叩きつけるが、真奈はそれを避けた。今や足元は草原の上。砂で足を取られることなく、避けてみせる。
「とつげきぃ!」
と、空から声が聞こえた。真奈が見上げる先には白いドラゴンの姿。両足に人間がくっつき、背中には少女が乗っている。なんとも奇妙な姿で、ホワイトドラゴンの威厳もなにもない。それでも、ドラゴンはドラゴン。巨大なワームに恐れることなく空から強襲する。
「うわああああああ!?」
ちなみに恐れることのないのはリーンなので、足にしばられて自由のないメロディにとってはそりゃもう恐ろしい。なにせ体にびっしりと指が生えた巨大モンスターの壁に突撃するようなものだ。目じりの涙は果たして恐怖からか風の強さからか。
「んぎぃ!」
右手に構えた倭刀を両手で構え、ブラックワームのギリギリを横切っているリーンの刃となった。
「よし、リーン君。反転攻撃だ!」
「これぜったいボクが直接攻撃したほうが早いよね」
「サボる宣言したリーン君が悪い」
確かに! と、納得しかけたリーンだが、それを認めてしまうと今のマヌケな姿の意味を問う自分が生まれそうなので、考えないことにした。新世代のホワイトドラゴンはわりと融通の利く種族になるのかもしれない。
そんな人類の未来にすこしの光明がさしたかささなかったのか、それは定かではないが、反転したリーンは、再びブラックワームのそばを横切る。
「ほいっと」
足の踏ん張りがきかない空中でも、サクラは見事な剣さばきを見せて表皮を切り裂いた。ダメージはある。しかし、大きさが大きさなだけに致命傷には程遠い。
「チャンスですわ」
長期戦が予想される中、真奈がより深く剣をさしこむ。ブラックワームの意識は、空を飛ぶリーンに移行した。ヘイトが自分たちから移ったことにより、真奈は大胆に行動する。
ずぶり、と剣を突き、押し込む。目の前まで指が迫る中で手首を返した。
「あああああああっ!」
精霊の剣を上方へと斬り上げながら引き抜く。ずぶり、と繊維を切り裂くような感触と共に引き抜かれた。流血は無い。ただ、黒く不気味なものが消失した感がある。
「やああああああ!」
真奈が縦に攻めたのに対して玲奈は横だ。つまり、ファインダガーをさしこみ、ブラックワームの周囲を回る。輪切りにする勢いだが、残念ながら刃は短い。それでもかなりのダメージのようで、声なき悲鳴をあげるブラックワームは大きく体をよじった。
それが最後の引っかかりを越えたのか、ブラックワームが完全に地上に現れる。巨大な芋虫のようであり、徐々に細くなっていくのではなく、楕円形のようなずんぐりむっくりな形をしていた。
「うわ、キモっ!」
空から全体図を見たリルナは思わず顔をしかめる。全身に指が生えているのなら尚更だ。絶妙な気持ち触るさを発揮するブラックワームは、その体を伸ばす。伸び縮みで移動できるようで、更に怖気の走るモンスターだった。
「本当に魔神なんか?」
サクラの疑問。今まで目撃してきた魔神は、イビツながらもどこか人の形をしていた。今回も指が生えているものの、その大元はモンスターの姿。目撃例が多いわけではないが、それでも今までと違うものだ。
「あれは取り込まれたんだよ」
リーンがつぶやく。
「魔神が飲み込まれたんだ、サンドワームに。食べたつもりが食べられた。その結果が、あれだろうね。だいぶ放置されていたみたい。だから、自分の領域まで作り出した」
つまり、黒い砂漠は魔神の世界、とリーンは言う。
この世界の神様であるフランジェリアが侵入できなかった理由がそれだ。別の世界の物となってしまっては、ルールの適用外。小神である彼女が、この砂漠にしか降臨できないため、砂漠ではない場所に入れない。
もっとも、それが理解できたところで物事に変更はない。
「このまま総力戦だ!」
リルナの宣言にメロディが、おー、と答えた。しかし、その言葉は彼女に伝えたわけではない。フラフラとやってきたふたりの魔法使いへの言葉だった。
「フェレスト・バインド!」
「炎の大演舞!」
大地からツタ系植物が伸び、移動しようとするブラックワームの体を地面へと縫いつけた。びしゅり、と耐え切れなくなった皮膚が裂け、指が散る。その体を燃やしつくすように、炎のカーテンが舐めるように焼いていった。
神導桜花とレナンシュだ。
その回復力の速さは、神様の加護があるから。フランから供給された魔力を体力に回復にあて、駆けつけたふたりは、もう一度最大限の魔法で援護する。もっとも、その魔法での援護もそれで再び空っぽ。ふたりはまたペタンと草原に倒れた。
「ありがとう!」
リルナは叫び、遠く離れた地に描いた召喚陣を解除する。ばしゅん、と一瞬のうちにふたりの姿が消えた。
「おおおおおおおおお!」
「りゃあああああああ!」
しばられ動けなくなったワームに真奈と玲奈は攻撃を繰り返す。小さな体、小さな武器では効果がうすい。それでも攻撃を繰り返し、ダメージを蓄積させていく。
リーンもまた空を行き、しばられたブラックワームの上をスレスレで飛行していく。メロディとサクラは倭刀を下げて、縦に切り裂いていく。
「効いておる! いけるのじゃ!」
「リーン君、がんばって」
「ほいほい」
と、余裕のリーンだが、その表情がギョっとする。うにょん、と伸びたブラックワームの体が鎌首をあげたのだ。大きく開いた口がリーンごと丸呑みしようと、牙が開く。
「うぎゃああああああ!」
「止まるのじゃぁ!?」
「ストップや!」
搭乗者も攻撃どころではない。リーンは空中で停止すると、慌てて後方へと下がる。かちん、と牙が打ち鳴らされるが、なんとか全員で丸呑みが避けられた。
「死ぬかと思った……」
一番安全に戦っているポジションなので、多少の余裕があったのだが、リルナたちは冷や汗をぬぐう。
「いやほんと、あぶなかったね」
ケロッと言うホワイトドラゴンの死生観に疑問を持ちつつ、リルナは戦場を見下ろす。体を伸ばすことによる動きでブラックワームはツタの拘束を抜ける。そして、改めて周囲の状況を確認するべく、頭をキョロキョロと周囲に向けた。
「あれ、どっかに目があるんか」
サクラの疑問に、メロディもうなづいた。大きな口ばっかりで目がどこにあるのかサッパリと分からない。しかし、ブラックワームが目標にしたのは空を飛ぶリーンではなく、地上で自分の体を切りつける小さな存在だった。
「あ、やばいですわ」
嫌な予感をおぼえ真奈が距離と取ろうとバックステップ。玲奈も同じく距離を取った。
しかし――ごろん、とその巨体が横に回転する。
「ひ、ぎゃあああああああ!」
「そんな攻撃あったのかネええええええ!」
ふたりは全力で駆け出す。その後ろを巨体がごろんごろんと回転しながら追って来た。
「いやああああ! しぬうううう!」
真奈の絶叫。お嬢様らしからぬ悲鳴を残したが、その姿が消失する。玲奈も同時にその姿を消した。次の瞬間にはふたりの居た場所を巨体が通過していった。リルナの送喚がギリギリ間に合ったのだった。
「いやぁ、見事に予想通りになったな」
結果、残ってしまったのはリルナたちだけ。サクラの立てた作戦を概ね実行したことになる。遠距離支援も受けられない状態で、あとはリーン次第となった。
「もう一度召喚はできんのかのぅ」
「できるけど……誰よぶ?」
召喚したところで先ほどの行為を繰り返すだけ。魔法使いである桜花とレナンシュは、しばらく休憩が必要だろう。
「ハーベルクはどうや? 餌として十分な囮になるで」
サクラが悪い顔をして笑うので、メロディは肩をすくめた。イフリート・キッスの料理長に、この巨大芋虫をなんとかできるとは思えない。
と、ここで大精霊たちがふよふよと飛んできて合流してきた。
「おつかれさま。大丈夫だった?」
「大丈夫です。まだまだ補助いけますよ」
ウンディーネにありがとう、と答えてひとまずサクラとメロディに水の加護を与えてもらう。刀身が薄く青色に輝き、水属性が付与された。砂漠のモンスターには効果があるのかどうか、ちょっとばかり自信はない。
「どうする? カチカチなってるけど」
リーンが下界を見下ろしながら言う。その下では、ブラックワームが空に顔をあげて牙を打ち鳴らしていた。もう逃げるつもりはないらしい。
「リルナ、神官魔法はどうや?」
「あ、なるほど!」
現状、リルナはフランジェリア神の神官となっている。魔力運用ができるのならば、ある程度の神官魔法が使えるはずだ。
「え~っと、確か……アップ・パワード!」
神官魔法は陽の魔力を使う。陰と陽を繰り返す体内の魔力を整流し、神の誓いでもって魔法を起動させた。
それは攻撃力をアップさせる魔法。青白く輝いていたサクラとメロディの刀身に、白い輝きがプラスされる。加えて、リルナは次の魔法を起動させた。
「ダウン・アーマード!」
それはブラックワームに向けられた魔法。魔法の効果は防御力ダウンであり、ブラックワームの抵抗力を突破し、効果が発動した。
レベル3までの神官魔法が使えたのが驚きだが、魔力の消費は激しい。そう何度も使えないと宣言したところで、リーンが動き出した。
「あとはボクの出番だね」
やる気があるのかないのか、大口をあける芋虫をかすめるように飛び、その表皮をメロディが切り裂く。更に上昇しつつサクラが刃を突き立てた。
もうそれは繰り返すしかない。上昇と下降、さらには旋回を駆使して攻撃を加えていく。逃げるのは上空だ。なにせ絶対に届かない距離。
「リーン君、ブレスのひとつでも撃ってよ!」
「ここまできたら、逆に撃ちたくない気分」
「なんでよっ!」
と、上空でケンカする人間の少女とホワイトドラゴンの子ども。
「ほれほれ、ケンカしとらんでまだまだ行くで」
「そうじゃそうじゃ。召喚術士殿は、そこで見てるだけじゃしのぅ」
「もう、メロディまで――え?」
絶対安全地帯。
そう思っていたのだが、巨体がリーンのそばを飛び上がっていく。
「「「「は?」」」」
三人と一匹の声が重なった。
見上げる空。
そこには落下してくる巨大な口。
「よ、よけてよけてよけてえええええ!」
呆気に取られていたホワイトドラゴンの体毛をむしり取る勢いでリルナは引っ張った。そのおかげか、はたまた本能か。リーンはギリギリと体を後方へと移動させる。目の前を落下していく巨大な黒い柱に、再び悲鳴があがった。
「なんで、どうして!?」
リルナが叫ぶ。
「なんでアレが跳ぶねん!」
見下ろすと、ブラックワームの体が伸縮する。そして、口がこちらを目掛けて開いた。伸縮する体は、筋力の塊だったのだろうか。ぎらりと太陽の光を反射した牙は、そのまま勢い良く空へと向かってくる。
「どど、どどど、ど、どうするんじゃあ!?」
「リルナ、防御アップの魔法!」
「ほへ?」
突然のリーンの指示にリルナがマヌケな声をあげる。それでも魔力制御して発動させた。
「アップ・アーマード!」
リーンたちの体を白い光が一瞬だけ覆う。その間もリーンはジャンプ攻撃を避けていく。
「重ねがけ!」
「わ、分かった。アップ・アーマード! アップ・アーマード! あっぶっ!?」
突然の動きに舌を噛みそうになるが、それでも限界まで防御アップの魔法を繰り返した。気絶しそうになるが、冷たい魔力が追加されていく。それは、神様の加護。無尽蔵に使えというお達しだ。
「行くよ、サクラ、メロディ。覚悟を決めて」
「ホワイトドラゴン様のお達しや。最初から覚悟は決まっとるで!」
「うむ。任せるぞ、リーン殿!」
その言葉に、リーンは笑った。背中に防御魔法をかけ続けるリルナ。両足で倭刀を構えるサクラとメロディ。小さな冒険者たちの勇気に、全知全能たるホワイトドラゴンは、久しぶりに退屈を忘れる。
「くわっ」
あくびにも似た声。でも、それは違う。ドラゴンが大口を開ける時。それは、ブレスの合図だ。
飛び上がったブラックワームは、落下してくる。その大口に向かって、リーンはホワイトブレスを放つ。ドン、という反動がリルナにも伝わってきた。
召喚士の予想では、それで軌道を反らせるのかと思った。だが、違う。ブラックワームはそのまま真っ直ぐに落ちてくる。牙が並ぶ巨大な円柱が空から迫ってきた。
「りりり、リーン君!?」
「あははは!」
笑いながら、リーンたちは大口に飛び込む。その最先端で、リーンはブレスの力を収縮していった。破壊していく体内組織。まるで別世界に飛び込んだかのような暗い中で、明るい光を放つホワイトブレス。
「おおおおおおおおおおお!」
「ああああああああああああっ!」
その内壁を、サクラとメロディが斬り裂いていく。見えない世界を、暗黒世界の壁を、斬り裂いていく。手がもげそうになる。指が離れそうになる。それでも懸命に、ワームの体内壁を斬っていった。
衝撃が襲う。
体がもみくちゃになる。失敗したのかと思った。ブラックワームの胃の中に飛び込み、地面に叩きつけられたのかと思った。
でも、違った。
それは、最大火力で放たれたホワイトドラゴンのブレスの衝撃。体がバラバラになりそうな衝撃がリルナの目をまわす。
それは一瞬だった。
どうなったのか、と思って見上げたら……
「空だ」
天に見えたのは空だった。
相変わらずホワイトドラゴンは空を飛んでいて、見渡す限り雲はなくて、ジリジリと身を焦がす太陽だけがギラギラと輝いていた。
「ま、魔神は?」
見下ろす。
そこには、まるで串刺しにされてから串を外されたような芋虫が横たわっていた。つまり、リーンは一本の槍となって、ブラックワームを貫いたのだった。
「あはは、あはははは、あははははははは!」
なにが楽しかったのか分からないが、リーンはケラケラと笑う。そんなリーンの背中と両足で、まともな神経をしている人間は、大きく息を吐いた。
「か、勝った」
「勝ったなぁ」
「勝ったのじゃな」
三人はバンザイをする元気もなく、大きな息と共に四肢をだら~んと投げ出すのだった。




