~名前があると強いんだって~ 13
強く踏み込まれた一歩と、弾かれるように舞いあがる砂。それらを全て置き去りにして、サクラはブレイク・マッシュへと飛び込む。
愚直なる直進。そこに拳ひとつだけ置いておけば自滅するかのような真っ直ぐのダッシュに対して、果たしてマッシュは両腕を身体の前でクロスさせた。
防御。
開始と同時にお互いのアイコンタクトは成立していた。
サクラは、真っ直ぐに行くからな、と。
マッシュは、受け止めるよ、と。
だからサクラは防御など考えずに真っ直ぐに走り、思い切り腕を引き絞り、踏み込んだ足元の砂を全て吹き飛ばして、凶悪なる一撃をブレイク・マッシュへと叩き込んだ。
その間、一呼吸もなし。
アっという間の出来事に、観衆の声は置き去りにされる。ついていけたのは、それこそリルナとクリアのみだった。
いや、目が良いといわれているリルナでさえもギリギリとらえられる速度。そんな神速の域に近いダッシュは、それこそマッシュと並ぶ速さ。そのダッシュ力に体重を乗せた全力全開の愚直なる右ストレートだが、彼の身体をすこし後退させた程度だった。
「――見せたで」
サクラはニヤリと口元を歪めた。
そこでようやく砂が落ちる。と、同時に今度はマッシュが動いた。表情は読めない。ましてや口がない。呼吸すら必要としない彼のタイミングは独特なもの。無反応からの行動に移す立ち上げは人類には無い動き。
しかし、サクラは素早く後ろ足を引き半身となる。
剛、と迫る拳を目の前で避け、人間でいうところの肘部分を下からたたき上げる。だが、ひるまない。キノコ類とは思えない硬さに、拳は跳ね上がらなかった。
「まさに剛健やな」
二撃目を大きく後退して避けると、ふぅ、と短い呼吸。左手を前に出し、右手を腰へ。独特の構えを再び見せた。
対してマッシュはゆっくりとサクラへ近づく。リルナとメロディより身長のあるサクラだが、それでもブレイク・マッシュとの差は大きい。およそ二倍ほどある大男が小さな少女と対峙する姿は、それこそ絶望的だ。
しかし、これは試合であり、勝負であり、エンターテイメント。それを理解しているからこそ、サクラは向かい合っている。
それはマッシュも理解していた。
だからこその盛り上がりを期待している。闘争という本来の楽しみに加えて、相手の考え、やり方、作戦、戦法、その他いろいろなことを見て触れて楽しむ。それが快活紳士の喜び。
きみはどんなものを見せてくれるんだい?
そんな思いを拳に乗せて、ブレイク・マッシュは拳を叩き落す。サクラの小さな体では、斜め下に攻撃を繰り出すしかない。
「ふっ」
それに合わせてサクラは前へと踏み込んだ。凶刃へと向かう勇気は称賛すべき行為だが、その活路はむしろ攻撃に近い。打ち下ろすマッシュの右手を前へと突き出した左手を添える。触れれば爆発する魔法に手を触れるかのような行為だが、その微妙なタッチがマッシュの拳の行く末を数ミリだけズラせる。
そこへ飛び込み、後ろへと回り込んだサクラは一撃を加える。だが、微動だにしないマッシュ。体重差はやはり歴然としたものだ。先ほどの超ダッシュからの一撃で体を動かせなかったことは重々承知。だから、ノーダメージでも驚きはない。
そこへ迫るマッシュの豪脚。まるで空気ごと薙ぎ払うかのような一撃に対して、サクラはすこし身を沈めた。後頭部を結っている髪が触れる程度の紙一重。その一撃を放つ筋肉質な脚をトンと叩き、サクラはマッシュの軸足に蹴りを入れた。
軽い一撃をいれ、素早く離れる。刹那に落とされる踵は、残念ながらサクラの気配のみを切り裂いた。
「っふぅっ」
短い呼気に疲労の痕跡がある。それでもサクラは集中力を増し、ブレイク・マッシュと向き合った。
そんなサクラに対して、パンパンとマッシュは両の拳を打ち鳴らす。ぐるん、と腕を回すそのジェスチャーは回転率を上げるという意味だ。
「イケるで。いつでも来ぃや」
サクラは前に出した左手を挑発するようにクイクイと揺らす。と、同時に両者が動いた。
両者がぶつかったのはふたりの中央ライン。恐ろしく突出した体勢のマッシュに対して、更に低くサクラがもぐりこむ。
「うるぁ!」
気合いと共に振り上げる拳だが、マッシュはそれを受け止め反撃に転じる。迫る剛腕をサクラは両腕で叩き落し、目の前に下がってきたキノコ面を蹴り上げた。しかし、それを地面に伏せる形でマッシュは避ける。
「ふん!」
蹴りが外れたことにより体の流れは無い。むしろ織り込み済みだったサクラは、そのまま彼の頭を踏み潰す勢いで足を落とした。
マッシュは地面を叩き、体を跳ね上げさせる。ついでに足を伸ばし、サクラの体を蹴り飛ばした。
初のクリーンヒットながら、無理な体勢からの一撃であるためにサクラにもダメージはない。ただし、その一撃で距離を離される。ずざざ、と砂の上でブレーキをかけ顔をあげた瞬間には、すでにマッシュが迫っていた。
「くわっ」
という奇妙な声と共に剛腕をくぐり、腹に一撃を繰り出す。まるで金属の板を叩いた感触に思わず苦笑しそうになるが、そのまま連打した。
マッシュからしてみればサクラの腕は細い。そんな腕をつかみ、そのまま投げ飛ばそうとするが、サクラは自分で自分の手を引いて拘束を解く。人間の構造をしている以上、どんなに握力が強かろうが、指から腕はすり抜ける。
お互いに弾かれたように上半身が反った状態。そこから先に動いたのはサクラのほうだった。マッシュとの身長差をいかし、そのまま懐へと飛び込む。
「あああぁ!」
声を出すことによるリミッター解除。踏み出す一歩と共にマッシュの腹に手を添えた。押される形となり、それを我慢しようとするマッシュは前のめりになる。『く』の字になった体に、サクラは渾身の理力を込めて、マッシュの腹に添えている肘をもう一方の手でたたき上げる。ずだん、という砂を踏み鳴らす音と共に、ブレイク・マッシュの体が宙へと吹き飛んだ。
「すごいっ!」
「なんじゃ、あのワザは!?」
観客と共にワっと声をあげるリルナとメロディ。
「二段攻撃ですわね。一撃目で体を折り、本番の二撃目をこれ以上ないほどに活かす。素晴らしい攻撃ですわ」
クリアは日傘を肩と首ではさみながら、ぱちぱちぱち、と拍手を送った。
「連撃とは違うのかのぅ?」
「違いますわ、メロディちゃん。連撃とは、こう」
クリアはメロディのお腹にポンと触れたあとに頬を人差し指でぷにっと突いた。
「先ほどサクラちゃんがした二段攻撃は、こうですわ」
クリアは再びメロディのお腹に手を添える。そのまま腕を曲げ、九十度の角度になった時に、肘をポンと叩いた。
「うぐっ……なるほど。ちょっと痛いのぅ」
貫くような衝撃を感じて、メロディはお腹をなでなで。そんなお姫様の姿を見て、クリアはむふふふふ、と不気味な笑みを浮かべる。
「あぁ、お腹をさする少女。さながら、殿方の子種を受け入れたかのような背徳さがたまりませんわぁ」
「……お主はちとマニアックすぎんか」
「うん。ちょっとキモチワルイです、クリアちゃん」
「おっと。それは失礼しました」
と、謝りつつもクリアはまだニヤニヤしている。そんな不気味マッパーはさておき、とサクラへと向き直った。
珍しくサクラは汗をぬぐう。暑さのせいではなく、緊張感からだろうか。それでも、ブレイク・マッシュに一撃をいれ、尚且つ彼を地に倒せた功績は素晴らしいものがある。伊達や酔狂で旅人レベル91を与えられたわけではない。
サクラの実力は確かなもの。初めから冒険者をやっていれば、もしかしたら今頃は英雄になっていた可能性もあった。
しかし、サクラはそれを否定する。
英雄ではなく、死に場所を求めていただけ、と。
不死身でも不老不死でもなく、ただの停止という呪いを受けた結果。彼は、本来の自分としての死に場所を探していただけだった。
だからこそ、中途半端には死なない技術を手に入れたのかもしれない。旅の技術ではなく、戦闘技術として。
「まだ、来るか? そりゃそうやな。そうやないと、お前さんの負けになるもんな」
そうサクラがつぶやく先で、起き上がるキノコのモンスター。ゆっくりと起き上がる顔からは表情はうかがえない。つぶらな瞳も、その意思はうかがえない。
つまり、本気になった。感情を引っ込め、ただ戦闘に注力するモンスターらしい表情。それこそが、ブレイク・マッシュの本当の顔なのかもしれない。
「くっ」
躊躇なき加速で刹那に肉薄する。音すら置き去りにして、サクラへと迫る剛腕。それをかろうじて避けるが、バックステップで後ろへ下がるサクラへと追いつく巨体。
呼吸のヒマはない。
叩き落される腕をなんとか反らせて、その顔を殴る。
が、しかし――
「アカンか」
ブレもしない。顔が動きもしない。剛腕が砂地を叩き、オアシスに波紋が立つ。砂が舞い上がり、大穴があく。その底にひとりと一体。降り注ぐ砂雨の中、一撃一撃が即死級の攻撃がマッシュより繰り出される。
「ぐぅ!」
それらを両手を使い、いや、全身を使ってなんとか反らせて行く。防御はできない。まともに当たれば死にかねない攻撃を、なんとか力をそらせる。全力全開で、力を逃がす。
それらを繰り出す剛腕と豪脚は、荒っぽいわけではない。むしろ繊細で精確だ。だからこそサクラは力を逃がすことができた。上手く避けることができた。
怒りに我を失っているのではない。
ただ、ブレイク・マッシュは本気で相手をしているだけなのだ。
サクラはそれに全霊を持って応える。
しかし、それも限界が近づく。疲労は全身にたまり、体を制御する集中力は削られていく。剛腕を反らし、うなる回し蹴りを避けたところでぐらりと体が揺れた。
「くっ、もう――」
次の一撃は避けられない。
だから、一か八か。
サクラはブレイク・マッシュの懐に飛び込んだ。叩き落される拳が頬をかすめ、皮膚を切り裂く。そのまま、サクラはマッシュの胸に飛び込み……抱きついた。
「こ、降参や」
「――」
その行動に、一気に毒気を抜かれたのか、マッシュの攻撃は止まった。そこでようやく、砂が降り落ちる。そんな中で、マッシュはポンポンとサクラの背中を叩いた。
「ふぅ」
それを戦闘終了の合図と思い、サクラは一呼吸。しがみついていたマッシュから離れて、大きく息を吐いた。
が、しかし――
「え?」
そんなサクラに迫るブレイク・マッシュの旋風脚。しかも、リルナやメロディにした掬いあげるようなものではなく、本気の蹴りがサクラに炸裂する。
「ぴぎゃ!?」
あわれ、サクラはオアシスの水を切りながら跳ね、中心あたりでブクブクと沈んでいくのだった。
「な、なにが快活紳士や、あほぅ……ぶくぶくぶく」
後に残されたブレイク・マッシュ。
とても良い笑顔っぽい瞳をして、グっとガッツポーズを決めるのだった。




