~パペットマスター~ 8
違和感。
それを感じたのは、もう真夜中になってからだった。
まどろみの中、いつもなら夢の住人であるはずの時間帯で、リルナはそれを感じた。
違和感。
何かおかしい。
何かがおかしい。
どこか変だ。
何か変だ。
なにが?
「からだが――」
夢の中での自問自答。
それに応えるように、答えるようにしてリルナは目覚めた。
体を撫でていく風が意識を覚醒させていく。それと共にさっきまで見ていた夢の内容が急速に遠のいていった。
いったいどんな夢だったのか。
そんな夢の残滓を捕まえようとしたところで気付く。
「あれ?」
視線が高かった。見えるはずの天井が、今は上をむかないと見ることが出来ない。つまり、リルナはベッドの上に立っていた。
「え?」
見下ろすと、布団は跳ね除けられている。と、共になだらかな自分の胸が見えた。裸でベッドに潜り込んだから当たり前だ。
「わ、わ、わ」
慌てて体を隠そうとするが、そこで改めて違和感に気付く。
そう。
「か、体が動かない」
ベッドの上に全裸で直立不動。
そんな奇妙な状態が、違和感の正体だった。
「なにこれ……!」
必至に力を込めるか、自分の体がビクともしない。どんなに足や手を動かそうとしても、小指一本として動かなかった。
自由に動くのは首から上だけ。
首が動く範囲で周囲を見る。気付いたのは、窓が開いていること。
体を撫でていく風は、窓から吹き込んでいた。
「どうして窓が?」
開いていた窓。シャワーをあびて出てきた時に、確かに閉めたはずの窓が開いていた。しかも鍵までかけたはずだった。
だが、窓は開いている。
そして、気付く。
「うさぎのぬいぐるみが無い」
窓際に置いていたはずのうさぎのぬいぐるみが無くなっていた。床に落ちているかと思いきや、そこにも無い。
「いったい何が――うぇっ!?」
状況を把握しようとしたが、その前にリルナの驚く声が部屋に響く。
「な、なに歩いてんの!?」
自分の足が勝手に歩き始めた。ベッドの上をゆっくりと一歩、踏み出す。それだけで体がぐらぐらと揺れたが、不思議と倒れず、直立不動に戻った。そして、また一歩とゆっくりと踏み出した。
「なにこれ!?」
リルナが驚きの声をあげている間にも、体は動き、床に着地した。ひんやりと感じる床の温度。体は動かないが、感覚はあるらしい。
「ひぃ、待って待って! わたし今、裸なのよ!」
リルナは自分の体に抗議の声をあげる。足が目指しているのは窓だからだ。現在地から窓から見える風景は真夜中そのもの。すでにダサンの街の住民は夢の中だろうが、誰が起きているか分かったものじゃない。
多少慣れてきたのだろうか、足の動きがスムーズになってきた。それと共に、腕も勝手に動き始めた。
窓に手をあて、足をかける。
もう色々と丸見えになったところで、リルナは声なき悲鳴をあげた。
(ひぃぃぃぃぃ! 見えてる! ぜったいに見えてる! 外から丸見え! お願い、誰も気付かないで! って、なんで体が動かないの! こんなピッチリカッチリ動いてマキナの呪文じゃあるまいし!)
そう胸中で叫びながら気付く。
「あ、そっか!」
リルナは焦る気持ちを抑えて、集中する。そして、身体制御呪文『マキナ』を発動させた。
その瞬間、体の周囲に紫色の光が疾る。
「なっ!?」
バチリ、という弾くような音。それと共に、リルナの体が解放される感覚が分かった。
「これって――」
自分の体に何が起こっていたのか、理解しかける。
しかし、その手前で彼女の耳に声が届いた。
「ほう」
と、何か面白いものでも見つけたかのような男の声。年齢はさほど高くない、むしろ青年に近いような声質。
それが窓の上部から聞こえてきた。
「誰っ!?」
と声をあげた瞬間、リルナのマキナと共に弾かれるように魔法が解除された。リルナはそのまま室内に飛び降りると、素早く起き上がり上着とスカートだけを着る。
慌てて、窓から外を覗くが……誰の姿もない。
「どこだっ」
窓から身を乗り出し、上部を窺う。微かながら屋根の上を行く、コトコトという音を聞き、リルナは再びマキナを発動させた。
彼女の身体能力は高くない。運動能力は悪くないが、それは若さだけのもの。年齢的に見れば普通の街娘となんら変わりはない。
そんなリルナが窓枠に指をひっかけ、逆上がりの要領で天井へと登った。身体制御呪文マキナの応用である。マキナを使用することによって体は理想通りに動かすことが出来た。ただし、能力以上の行為を行うと、翌日には酷い筋肉痛に襲われてしまうので、要注意。
風でめくりあがりそうになるスカートを抑えながら、リルナは周囲を見渡す。
「いた!」
リルナのいる宿から二軒ほど先の屋根を走る一人の男。星明かりの下に黒い服とマントがひるがえって見えた。
「まて!」
マキナを発動させつつリルナは男の後を追った。その際、スカートがめくれあがるが、もう気にしている場合ではない。
「乙女をはずかしめといて、逃げれると思ってるのっ!」
「はっはっは! 失礼! 狙いやすいお嬢さんだったもので!」
風に流れてくる声。
それに対して暴言混じりの言葉を返しながらリルナは追っていく。
屋根から屋根へ。男はまるで体重を感じさせないような動きで移動していく。リルナもまた、少しばかりスカートを気にしながら飛び跳ねていく。
やがて家の密集が終わり、マントの男は地面へと着地した。まるで高さをものともしないように走り去っていく。
「あ、まてっ!」
リルナも屋根から飛び降りる。ジーンと痺れるような痛みに歯を食い縛って耐えると、マント男を追いかけた。
やがて外壁までたどり着いたマント男は、そこで走るのをやめ、立ち止まった。
「はぁはぁ、どうやら、あきらめた、ようね……ぜぇぜぇ」
息も絶え絶えなリルナだったが、マント男は息切れすらしていない。
「いやいや、お嬢さん。そんな格好で走り回ると、私以上に危ない輩に襲われそうでね。この辺りで決着を、と思いまして」
そう言って、男は振り返る。
その顔には真っ白な仮面が、まるで張り付いているように覆っていた。ただただ目の箇所だけが穴が空いており、瞳だけがギョロリと虚空を見ている。その仮面は不気味な程に白かった。
「う……不気味なやつ。っていうか、ヘンタイ?」
「変態ではございませんよ。これでも正装じゃないですか」
マント男改め、仮面男はバサリとマントを広げる。彼が着ていたのは正装である礼服だった。ただし、ネクタイではなく棒タイだった。その胸にはキラリとメダルのようなものが星明かりを反射している。
「余計にヘンタイ度が増したわ」
「それは酷い御言葉。スカートの下に何も身につけず屋根を跳びまわるようなお嬢さんに言われたくないですねぇ」
「しっかり見てるじゃないの、ヘンタイっ!」
リルナは思わずスカートを両手でギュっと抑える。
「このままでは名前があらぬ方向へ言ってしまいそうですので、名乗っておきましょう」
ヘンタイマント仮面男は、そう言うと慇懃に礼をした。
「初めまして、召喚士のお嬢さん。私の名はパペットマスター。以後、お見知りおきを」
「パペットマスター……?」
「えぇ」
真っ白な仮面の下で、男は笑ったような、そんな気配を……リルナは感じるのだった。




