幕間劇 ~吸血騎と人形のご主人様~
水の神殿を取り囲む森林。鬱蒼としげっているわけではなく、適度な感覚で生える木々は、ちょっとした芸術作品だ。太陽の光を反射して湖がキラキラと光り、その陽光を浴びた木々の葉たちが青々と煌いている。
そんな中で、吸血騎リュート・ル=ドラク・ブレイクルージュは老紳士の首に剣を突きつけた。あと少し、小指の爪程度を押し込めば、剣は首へと刺さり、重大な血管が傷ついてしまう。そうなっては老人の命は儚くも人生を終えることになるだろう。
「あなたがパペットマスターですね」
「えぇ、そうです」
しかし、老紳士……パペットマスターはにこやかに答えた。髪はすっかりと真っ白になってしまっているが、薄くなっているわけではない。綺麗に整えられた髪の上には真っ黒なシルクハット。それに合わせるタキシードも汚れることなく、シワひとつ無かった。
そんな老紳士は車輪が付いた椅子に座っており、降参だとばかりに両手を挙げた。
「さすがはヴァンパイア・ナイトですね。こうも簡単に捕まってしまうとは」
「いえ、あなたも大したものです。自分で言うのもなんですが、僕からここまで逃げるなんて、驚きですよ」
周囲には戦闘跡があった。それは激しいものではなく、静かな攻防だったのだろう。それでも、リュートはパペットマスターを褒め称えた。
「足が悪いながら、そんな戦闘方法を編み出すとは……つくづく召喚士という存在は怖い」
「召喚士崩れ、ですよ。私が召喚士を名乗っては、リルナちゃんに申し訳ない」
リュートは苦笑し、剣を収める。そんな様子に、おや? と老紳士は眉を器用に動かしてみせた。
「私を殺しに来たのでは? あなたのご主人様は、相当に自分の評価が気になるようですから。いつでも自分の噂話に耳をそばだててらっしゃる」
「我が主人は慎重なる御方。身の安全を第一に考えている、と仰ってください」
じゃないと斬りますよ、とリュートは殺気を向ける。パペットマスターはもう一度バンザイをすることで訂正の意志を表した。
「私はあなたを殺しに来たわけではありません。あなたに話を伺いに来たのです」
「ほう……何の話でしょうか」
「あなたは、我が主人、ソフィア・ル=ドラク・クリアルージュに敵対する気は一切として無いと誓えますか?」
老紳士は驚いたように瞳を見開いた。
「とんでもない。私はリルナちゃんに巻き込まれただけです。逃げるつもりはあっても、向かうつもりは決してございません。なにより私のこの体。不自由な足では、逃げるのに精一杯ですよ」
老紳士は少しだけズボンの裾を上げてみせる。そこには、木の枝にように痩せ細ってしまった足首が見えた。すでに機能していないのか、ピクリとも動かない。彼が座っている車輪付きの椅子は、足が不自由だからこその乗り物のようだ。
「よろしい。ですが、少しでも我が主人に敵対する素振りを見せたら、今度は剣を止めはしません。どうぞ、僕の手を汚させないようにしてください」
よろしくお願いします、とリュートは頭を下げる。
「……ヴァンパイア・ナイトさん。どうもあなたは、そう、少し人間臭い……ですな」
「あぁ、分かりますか? 僕は元人間でして……どうにも人間だったときのクセというか、感覚というか、そういうものが抜けないんですよね」
あはは、とリュートは苦笑しつつ後頭部をポリポリとかく。彼のクセなのかもしれない。そんな様子にパペットマスターは、にこやかに笑った。
「人間の私より、よっぽど人間らしい。うらやましい話ですな」
その言葉に、リュートは肩をすくめるしかない。
「あなたもリルナちゃんがお気に入りのようで。本当に彼女と縁があって驚きましたよ」
「私もですよ。どうして行く先々であのお嬢ちゃんと出会ってしまうのか。こう、私に孫がいたら、あんな感じなのかな、と気にかけているのは事実です。いやはや、可愛いですな」
パペットマスターはリルナの話になると瞳がキラキラと輝いた。どうやら相当に気に入っているらしいな、とリュートは苦笑する。なによりも縁が合う、という時点で、リルナとパペットマスターの間には『因縁』があるのだろう。
「そうだ、ひとつ頼みがあるのですが、いいでしょうか?」
「私にできることでしたら、なんでも。リルナちゃんのスカートでも剥ぎ取ってみせましょうか?」
「それは実に魅力的な案件ですが……僕が興味あるのはご主人様の身体だけです」
「それはそれで、どうなんでしょうか」
「あなたに言われたくないですね、人形のご主人様」
「はっはっは、言いますなぁ下僕野郎」
ふたりはハッハッハと笑いながら湖の近辺までやってきた。そこから大暴れすぐ水巨人の姿が見える。それと共に戦闘を行うリルナやメロディ、サクラが目視できた。
「ちょっとリルナちゃんを湖の中に引きずり込んでくれませんか?」
「……別にいいのですが、どんな目的で?」
「まぁ、いいから」
リュートに促され、パペットマスターは魔法を起動させる。自分の身体を操る魔法『マキナ』、それを発展させ独自に改良した『エクス・マキナ』を起動し、魔力糸をリルナへと伸ばした。湖の中を這わせ、気づかれないように接近すると、一気に彼女の腕に巻きつく。
「捕まえましたよ」
「そのまま引きずり込んで」
リュートの指示に従い、パペットマスターは糸を引く。油断していたリルナは抵抗できず、そのまま湖の中へと落ち、すぐに沈んでいった。
「リルナ!?」
それをすぐに追ったのはメロディだった。躊躇する間もなく、重い鎧を脱ぐことも考えずに水の中へと飛び込んだ。
「あぁ、そうか……なるほど。確かにご主人様が気に入るわけだ」
「あのお姫様ですか?」
「えぇ、そうです。我が主人、ソフィア様の最近のお気に入りです。どうしてそんなに気に入っているのだろうか、と疑問だったのですが……これで分かりました。自分の身を犠牲にしてでも、友人の命を守ろうとする。それも躊躇なく。彼女ならば、友人のためならば、リルナちゃんのためならば、その命を差し出すかもしれない。自ら、吸血鬼へと堕ちるかもしれない。そんな可能性と面白さと意外さと勇猛さと優良さを感じますね」
そう言っている間にも、湖からメロディとリルナが顔を出した。
「……それでは、私はそろそろ失礼します。あぁ、そうだ。そこの木偶人形を持っていってください。見逃していただくお礼です」
「あぁ、これはこれはありがとうございます。これで僕の面目も保てる」
メロディを観ながら、リュートは振り返りもせずに答えた。カラカラと車輪の金属部品をならしながらパペットマスターは去っていく。それを気にもせずに、リュートは見つめた。楽しそうに見つめた。
いつか、自分と同じ吸血騎となるかもしれない少女を。
その友人である世界で唯一の敵を。
召喚士を。
リルナ・ファーレンスとメローディア・サヤマの姿を見つめるのだった。




