~ウンディーネの加護~ 9
ちゃぷんちゃぽん、と水音を鳴らしながら神殿へと続く一本道を歩いていく。充分は幅はあるが、その道から反れてしまっては水の中に落ちてしまうので、ちょっぴりお年寄りには厳しい歩道かもしれない。
「水の中にも建物があったのじゃな」
メロディは中腰で水の中を見る。その先には草木で覆われてしまったが、確実に石で作られた建物があった。彫刻が施された柱も見え、昔は水がもっと少なかったのかもしれない。
「大精霊も神様と一緒で、信仰によって力を得ると聞きます。昔より今のほうが信仰が厚い、ということかもしれませんね」
湖の上には葉っぱや少々の枯れ木などは見えるが、ほとんどゴミはない。どうやら相当に掃除が行き届いているらしく、遠くには船の姿も見えた。その上に乗っているのは白いローブを着た信者だろうか、掃除をしているのかもしれない。
「宙に浮いているみたいやなぁ」
そんな船を遠くからみると、水が透き通り過ぎて空を飛ぶ船にも見えた。透明度が高すぎるせいで、水中にも草花が育つことができるのかもしれない。
ぱしゃりぱしゃり、と歩いていくと歩道にローブを着た信者の方が立っていた。なにをしているのか、と疑問に思うが、それはすぐに解決する。
「募金箱……修繕や維持にご協力ください……なるほどのぅ」
「よろしくお願いします」
にこやかに頭を下げるお姉さんにメロディはガメル硬貨を放り込んだ。それに習ってリュートもお金を入れ、リルナも入れておいた。
「サクラは?」
「またあとでな」
ぜったい嘘だ、なんて思いながらリルナは唇を尖らせるが、お姉さんはくすくすと笑う。
「お気持ちですから。強制ではありませんので大丈夫ですよ」
「加護を受けに来たのに~」
ケチ~、とリルナとメロディが訴える中でサクラはひらひらと手を振った。その手の言葉は聞き飽きたのかもしれない。
そろそろ神殿に近づいてくると、人の多さが目立ってくる。歩道は終わり、広々とした広場になっていた。そこもやはり水に浸かってはいるが、少し高さがあり、石畳をわずかに濡らす程度になっている。
やはり精霊信仰の人が多いが、それと同じくらいには冒険者見習いの姿があった。それに加えて商人の姿もチラホラと見かける。人が集まるところには、自然と商売が成り立つのかもしれない。
思い出のためかスケッチを取る人や熱心に頭を下げて祈る人。はたまた美味しそうな焼きとうもろこしを売る人や、中間試験の半分を終えてホっと胸を撫で下ろす訓練学校の生徒などなど、多数の人を見ながら神殿へと足を踏み入れた。
全体的に真っ白な石で作られており、そこには多少のツタが絡まっている。幅広い階段を登り、大きな柱を越えると神殿の中になる。真っ直ぐに続く石畳の廊下の脇には水が絶えず流れ続けており、夏の今は良い涼みになっていた。屋根からもポタリポタリと雨のように雫が垂れていて、ぴちょんと身を涼ましてくれる。
壁は無く、外の湖とダイレクトに続いており、水の中に見える神殿と相まって神秘さが際立っていた。
「綺麗だねっ」
「うむ……なるほど、これが冒険者に憧れた者が最初に見る風景なのじゃな」
世界にはこんなにも美しい所がいっぱいあるよ、と冒険者の醍醐味を最初に味わえる場所が水の神殿なのかもしれない。水面に反射した太陽の光か、はたまたメロディ自身の瞳の煌きなのか、それは分からないが、お姫様は感動した表情で神殿の内外を楽しむ。
そのまま奥へと歩いていくとまた階段があり、そこを越えるとようやく壁のある部屋となった。そこには白ローブを着た人が数人いてなにか作業をしている。管理をしている人たちなのかもしれない。
「どうぞ、ウンディーネ様はこちらです」
会釈をすると、手が空いている人が案内してくれた。そこには大きな金属製の扉があり豪奢な装飾が施されている。ただし、それは開けっ放しにされており、もう彼女の姿は見えていた。
先に訪れていた人の挨拶と加護を待ってから、リルナたちはウンディーネの元まで駆け寄った。
「こんにちはっ、ウンディーネ!」
いつもは手のひらサイズで召喚される彼女だが、本来の姿は見上げるほどに大きい。ゆったりとたたずみ、慈愛の表情でもってリルナの挨拶に答えた。
「ようこそ水の神殿へ。メロディちゃんとサクラさんは初めてですね」
「うむ、ようやく本物に会えたのじゃ!」
「道中に普通に話しとったから変な感じやけどな」
サクラの言葉にウンディーネは、そうですね、と苦笑する。
大精霊召喚は、召喚士の基本的な召喚獣である。すでに遺失魔法と変わらないのだが、その昔にたくさんいた召喚士は、最初に大精霊の神殿をまわり召喚獣を増やした。
本来の大きな姿のままでは召喚魔法としては扱いにくいために、大精霊側が工夫を施した、なんていう稀有な魔法でもある。呼び出される小さな姿でも基本的には力は制限されておらず、術者の要望に応える。その中でもウンディーネは水を司る精霊でもあり、旅には必需品でもある水なわけで、召喚士からの信頼も厚かった。彼女が優しいのは、召喚士のお陰かもしれないし、甘い物を欲しがったりするように、どこか人間くさいのも召喚士との生活が長かったからなのかもしれない。
「リュートさんも良く来て頂けました」
ウンディーネはリュートに挨拶する。それを受けて、リュートもにこやかに笑顔を返した。
「いえ、どうぞよろしくお願いします。ところで、やはり気づいたことはありませんか?」
道中でウンディーネに聞いていたのだが、リュートは改めて大精霊に聞いた。
「えぇ、今のところ問題ありませんね。物取りの類は起きておりません」
そうですか、とリュートは肩を落とす。彼の目的はパペットマスターを確保すること。リルナと縁があるということだが、もうこの場所から離れてしまったのかもしれない。
「それでは加護を与えましょう。メロディちゃん、サクラさん、リュートさん、こちらへ」
「僕もいいのかい?」
大陸出身の彼は、タイワにおける加護を受けていない。大精霊は各地に存在するので、大陸や彼の国における大精霊の加護を受けた可能性はあるが、ウンディーネは、もちろん、と彼をうながした。
「水の加護を。冒険者に安寧を」
ウンディーネは祈り、その巨大な手でメロディ、サクラと頭をちょんと撫でる。ほのかに青いオーラが彼女たちの体を包み込み、すぐに消える。
次にリュートの頭も撫でたのだが……ウンディーネはすこしだけ表情を曇らせた。
「どうしたの?」
思わずリルナが聞く。
「リュートさん、あなた少々血のにおいがしますね」
えっ、と驚いたのはリルナとメロディ。サクラは感じていたようなのか声をあげずに彼を見た。そして、彼自身も驚かずに苦笑するように頬をかいていた。
「すいません、大精霊さまの聖域に足を踏み入れられる身分ではないと思っていたのですが……あまりの美しさに我慢できませんでした」
「無駄な殺生はいけませんよ。といっても、あなたは冒険者。ルーキーばかりを見てきた私の鼻が、少々敏感になっているのかもしれませんね」
「いえ、こんな僕にも加護をくださるなんて、ありがとうございます」
リュートは丁寧に頭を下げると、困ったような笑顔で笑った。
「レベルが高いってことは……そうなっちゃうのか~」
リルナは自分の手を見る。
その小さな手は、少なくとも汚れている。動物を殺し、蛮族を殺し、モンスターを殺してきた。命の大切さ、を軽んじているわけではないが、それでも綺麗な手とは呼べない。すでに血で汚れているのだから。
それでも、ギュっと握り締める。無意味に人を殺しているわけではない。無駄に蛮族を狩ったわけでもない。無類の死をふりまいてはいない。
「……うん」
小さくうなづく。そして顔を上げればウンディーネが見ててくれた。優しい瞳で、大丈夫、と語ってくれる。
冒険者は野蛮だ。時に、同じ人間からも疎まれる存在ではある。
それでも人々のために必要だ。誰かが問題を解決しなければ、みんな豊かにはなれない。誰もが幸せになれる世の中ではないが、誰もが安心して生きていける程度には、世界は豊かなのだ。それを守っている一端が冒険者にはある。
その自覚を改めることができた。
それだけでも、水の神殿に来た価値はあったのかもしれない。
大怪我をしたあとで、身を引き締めるには丁度良かったのかもしれない。
そんなことを思ってリルナは笑顔を浮かべた――
「きゃああああああ!」
その瞬間に、神殿の中で悲鳴が響き渡るのだった。




