幕間劇 ~夏の星空の下で~
すっかりと日が暮れて、イフリート・キッスで呑む冒険者たちも帰り、静まり返った夜。どちらかといえば、もう夜明けのほうが近い時間に、リルナはお風呂に入っていた。炎の魔石を温める鉄製の箱にコロコロと入れて、しばらく待つ。すぐに、じんわりと熱くなってきたお湯を確認して、着ていた服を脱いだ。
「ぬるい……」
まだ早かったのか、はたまた魔石の数が少なかったのか、お風呂のお湯はまだまだぬるく、リルナはため息をつく。夏なので寒くはないし大丈夫か、と素直に肩までつかっておいた。
湯船の中で、リルナは膝をかかえる。三角座りした膝におでこを乗せて、お湯の中に顔をつけて、ぶくぶくと空気を吐き出した。
「……はぁ」
息を全部吐ききって、顔をあげた。
もちろん世界は変わらない。夜空の星は、数秒前となんら変わらない姿で輝いていた。
落ち込んでいたメロディの姿を思い出す。帰りはお互いに話も余りできず、リルナとメロディは落ち込んでいた。サヤマ城下街に帰り着いて、メロディはお城に戻った。
「母上に話してみる。きっと、助けてくれると思うのじゃ」
「わかった」
それっきり分かれて、リルナ一人で依頼の結果報告をした。報酬を受け取り、ちょっぴり豪華な夕食を食べたけれど、未だ彼女の心は晴れていない。
わけの分からないモヤモヤとした感覚が、ずっとリルナの心に渦巻いていた。それを吐き出すように、リルナはお湯に顔をつけてぶくぶくと空気を吐き出していく。
「おっ! いたいた、リルナっち!」
と、板で囲った目隠しのドアから少女がにぎやかに入ってきた。
「……スカイ先輩」
なにかと突っかかってくる先輩冒険者、パーティ『スカイスクレイパーズ』のリーダー、カリーナ・リーフスラッシュだった。
しかし、彼女はボロボロになっていた。つばの広い帽子は無く、金色の髪も泥でよごれくすんだ茶色に見える。すっぽりと彼女を覆っていたマントも背中あたりで破れていた。いつも装備していた革の胸当ては見当たらず、服は所々で破れていて、その体は傷だらけ。無邪気に笑っている顔にも、傷があった。
「見ろ、リルナっち! レベル8になったぞ」
ケラケラと笑いながらカリーナはオキュペイションカードを突きつける。星明かりに見えるその記述は、確かに彼女が魔法使いとして8レベルになったことを示していた。どうやら、相当な冒険を繰り広げてきたらしい。依頼なのかそれとも自主的な冒険かは分からないが。
「……おでめとうございます」
リルナは今回、依頼としてはお使いに行ってきただけ。一応、道中にあったことを全て報告したが、レベルアップの判断はされなかった。対してカリーナは大冒険の末にレベルアップが認められた、ということだろう。
先輩冒険者として、レベルをひとつ引き離したこともあってか、カリーナとしてはリルナが悔しがると思って来たのだが、反応がイマイチだったので小首を傾げる。
「元気ないな。何かあったのか?」
「色々とありました」
リルナがそう応えると、カリーナは少しだけ悩んでから服を脱ぎだした。どうやら一緒にお風呂に入るらしい。
「私も入っていい?」
「脱いでから聞かないでください……いいですよ。あ、でも泥は流してください」
カリーナの体にはいくつもの傷があり、端々は泥だらけだった。青痣もあって、女の子の身体としては、少し痛々しいものだった。そんな体で頭からお湯をかぶったものだから、痛みに悲鳴をあげるのも仕方がない。
「しみる~!」
ぎゃあぎゃぁと騒ぐ先輩をみて、リルナは少しだけ笑った。
「魔法使いなのに前衛なんてやるからですよ、先輩」
「仕方ないじゃない。私がみんなを守らないと誰が守るんだ」
「ロロエ先輩が騎士じゃないですか。守るのは騎士職の仕事ですよっ」
「ロロエはパフールを守るのが仕事だ。知ってるか? 神官ってめっちゃ狙われるんだぞ」
世界で唯一の回復魔法の使い手が神官だ。神様の奇跡であり、他の職業には無い特徴でもある。モンスターはさておき、相手が蛮族ともなれば回復魔法の使い手を先に狙うのは定石となっており、それを守るというのも定石だった。
「じゃぁクライア先輩は?」
「盗賊の仕事は素早さを活かすことだろ? ほらみろ、私が前衛を務めるしかない訳だ」
狂ってますね、とリルナ。
うるさいなぁ、とカリーナ。
カリーナは泥を洗い流したあと、湯船に入る。やっぱり傷にしみるのか、いたたたた、と言葉を漏らしながらも肩までつかった。
「あれ? どうして傷だらけなんですか先輩。パフール先輩の回復魔法がありますよね?」
「魔力切れ。フラフラになっちゃってな、なんとか生きて帰れた」
にっこりと笑うカリーナだが、裏を返せば死にかけたという話。ルーキーと呼ばれている今、無茶をして生き残っている冒険者は少ない。スカイスクレイパーズは、意図せず無茶なことに巻き込まれたのかもしれない。
「死なないでくださいよ」
「お前もな、リルナっち。背中の痣、どうしたんだ? 落ち込んでるのは、その痣が付いちゃったから?」
リルナの背中には、ドドールに振り回されメロディのオートガードのスキルで打ち付けた痕が残っていた。
「こっちのはメロディが落ち込んでます」
「どんな因果だ、それ。まぁいいや、じゃぁ落ち込んでる理由をお姉さんの話してみなよ。きっと私がアッという間に解決してやるよ」
「絶対無理ですよっ」
「いやいや、分かんないよ? ほら、私ってば天才だから」
そんな風におどけてみせる先輩にリルナは笑いながらも、ちょっとムカついたので青痣になっていた腕をつかんでやった。カリーナは悲鳴をあげなあがらも、仕返しとばかりにリルナの頭にチョップを叩き落す。しばらく二人は湯船の中で悶絶するのだった。
「ご、ごめんなさい先輩……」
「お、おう。いいから話したまえよ、後輩ちゃん」
夜空の下、星を見上げながらお風呂に入るリルナとカリーナ。名前も似てて、冒険者デビューも同じ頃。同じ冒険者の宿に所属して、少しだけ違う冒険を繰り広げてきた変わり者の二人。もしかしたら、同じパーティに成っていたかもしれない。そうしたら、こんな風に問題を話し合うこともなかったかもしれない。
そんなことを思いながら、リルナはカリーナに話した。
「……それは、怖いな。不気味という意味じゃなくって、こう、もしかしたら自分もそうなってしまうんじゃないか、みたいな怖さを感じる」
「……はい」
「いっそ、奥さんの死体が見つかるほうが楽だったかもしれないなぁ。いや、人形すら無かっただけでも良かったかもしれない。ともかく、私たちにできることは何も無いな。すまん」
「先輩が謝らなくてもいいですよ」
「ん~、リルナっちが悩む問題なんて、大したことないやって思ってたから。そっちにごめんなさい、と」
「酷い先輩ですよ、それ」
「はっはっは!」
カリーナは笑いながら湯船の中で立つ。ざばーっと彼女の体からお湯がしたたり、星の光を反射する。
「よし、リルナ。私が体を洗ってやる。そのかわり、お前も私の体を洗え」
「あらいっこですか?」
「そうそう。あ、背中じゃなくて前な」
「……なんで?」
「いや、同時に洗えるだろ? ほれほれ」
カリーナは湯船から出るとリルナの手を引っ張る。仕方なくリルナも外に出た。そして、二人して向き合って石鹸を泡立てていく。備え付けのタオルで、お互いの体を洗っていった。
「スカイ先輩、これ超はずかしいです」
「うん。やめとけば良かったな……」
「先輩~」
「はっはっは、ひゃん! そこはやらなくていいから!」
「ひゃっ!? ちょ、先輩やめて!」
キャッキャと先輩と後輩ははしゃぎながらお風呂を楽しむ。
夜空に輝く星しか見ていない、そんな夜。
悩みなんか吹き飛ばすように、魔法使いたちは笑うのだった。




