~エルフ王国と木の大精霊・ノルミリーム~ 13
太陽は真上を通り過ぎ、午後の気だるい時間。優雅なる時を過ごす貴族は午後のティータイムに勤しみ、勤勉なる一般市民たちは、今日も今日とて仕事に従事するそんな時間。
夏だというのに雪の上に片膝を付き、リルナとサクラは息を殺していた。自然と呼吸をする息は白く濁る。隠密には向いていない状況に、リルナは髪を結っていたリボンを解き、マスクの代わりにした。サクラの呼吸はどういう訳かゼロに等しい。まるで普段と変わらないながらも、白く濁らせることなく、寒い中で身を潜めていた。
「その年で立派なものねぇ。呪われてるだけに苦労したの?」
リルナの肩には、てのひらサイズになってしまったノルミリームが乗っていた。もちろん、彼女の本体ではなく、召喚された姿である。神殿からおいそれと動く訳にはいかず、ましてや人間よりも遥かに大きい巨体では目立ちすぎる。隠密動作には向いておらず、先に契約を交わし召喚獣として同行することになった。
しかし、三頭身のミニチュアサイズになったにも関わらず見事なボディラインは健在であり、出てるところはトコトンまで出ており、引っ込むところは慎ましく控えめ。すぐにでも街一番の踊り子としてデビューできそうな姿だった。
「大精霊殿に隠しても意味ないしな。一応、説明しとくわ」
ふぅ、とサクラはため息を吐くが、それも白くは成らなかった。リルナは不思議に思いながらも、身を潜めて周囲を伺い続ける。サクラが魔女関連の身の生い立ちをノルミリームに説明している間に、リルナは大精霊から言い渡されたクエストを思い出した。
「森に、不穏な存在がいます。実際に見てはいないので、それ以上のことは分かりません。ですが、とても良く無い物、いえ……良く無いことを企んでいる者が居ます。その者を排除して欲しいのです」
「排除……というのは、」
リルナの言葉が詰まる。
ようするに、それは殺人の依頼か、と思った。冒険者は、何でも屋である。依頼されれば、それこそ荷物運びから猫の捜索までもこなすし、護衛やモンスターの討伐もする。
しかし、一つだけ引き受けないものがある。
それが殺人依頼だ。
人殺しは、請け負わない。依頼として、受けてはいけない。それはルールなど何も無かった冒険者という概念が始まってから言われ続けていることだ。
殺人依頼は、報復の連鎖が始まる。そして、やがては冒険者の宿が巻き込まれ、いずれ単位が街となり、そして国同士にまで発展する可能性がある。
それはもう戦争だ。
現状、四十七の国が群島列島タイワには存在しており、戦争の火種はゼロだ。どの王も野心が無く、また関係性も良好であり、無駄な争いなど一つも無い。今のところ相手の国に攻め込むメリットがまるで無い状態ではある。
しかし、それは危ういバランスの上にあるだけだ。すこしでも指で突っつけば、たちまち天秤は傾いてしまう。中身が零れれば、もう平行には戻らない。
そんな切欠を作ってしまう可能性は、冒険者として末端であるリルナでさえも、守らなくてはならない。
「ウチらには人殺しは無理や。相手が蛮族であれば可能やけど、相手が人間種なんやったら、殺すのは無理やで」
サクラがノルミリームに告げる。
それは冒険者としての言葉でもあるし、リルナの気持ちを代弁してものでもあった。たった十二歳の少女に、殺人は重すぎる。もちろん、年齢は関係なく二百歳の爺にとっても重さは変わらない。背負えるか、背負えないのかは別として。
「そこまでする必要はない……とは、言い切れないわねぇ」
ノルミリームは頬に手を当て、困ったわねぇ、というポーズを取る。先ほどまでの真面目な空気は途端に霧散し、穏やかなものになった。
リルナは思わず息を零してしまうが、落ち着いた自分の胸を確認し、提案を述べた。
「とりあえず、何が起こってるか。それを確認してもいいですか?」
そう。
ノルミリームの口ぶりでは、何かを行っている者は『人間種』であると言っているようなもの。だが、実際には確認していない。何が起こっているのかは、本当の意味では分かっていない状態なのだ。
だからこそ、現状を確認する、という話は悪くはないものだった。むしろ、正しい判断とも言える。
「……そうよね。何か分からない以上、何かを確認する必要は、あるわよねぇ」
今度は唇に人差し指を当て、ことさらセクシーさをアピールするようにノルミリームが言う。ここまで艶があると、信仰している男性エルフの目を疑ってしまいそうになるが、本来の彼女は先ほどの真面目なものなのだろう。
と、リルナは思うことにした。
「それじゃぁ、契約しましょ。召喚獣としてなら、リルナちゃんに付いていけるし。楽しみだわん、また冒険ができるなんて」
という訳で、ノルミリームの案内の元、森の中を移動したリルナたちだった。
木の神殿から歩くこと一時間ほどだろうか。森の深い位置であり、街や村から遠いせいか手付かずの自然が広がっていた。獣の足跡はあるものの、人間の物は無い。本当に自然そのものの深い森であり、雪が溶けずに残ったまま木々の隙間から零れる太陽の光をキラキラと反射していた。
ノルミリームが感知している不穏な者。その姿は未だに不明であり、場所もピンポイントで分かるものではないらしく、おおよその位置だけ。
「におい、みたいなものかしらぁ。何か、良く無いにおいがするのよ」
「臭い感じ?」
「ん~、そうじゃなくってぇ。別の世界のにおいって感じ」
別世界のにおい、と聞いてリルナはサクラの顔を見る。サクラは首を横に振った。二百年を世界で旅してきたサクラが知らないとあっては、リルナは諦めるしかない。
再び身を潜めながらジリジリと、不穏の正体を待った。ノルミリーム曰く、それは移動をしているらしい。リーンを召喚して上空から探そうとも思ったが、残念ながら森の木々は鬱蒼と茂っている。こちらは発見できないが、向こうから発見される恐れもあり、却下となった。
「はぁー」
少し冷たくなった手を、リルナは温める。革グローブの上からではほとんど無意味だが、口元を覆ったリボンの下に指を入れ、息を吹きかけてみた。
温まる為に、火の大精霊サラディーナを召喚しようか、と思った矢先――
「動かないで」
「っ――!?」
リルナの目の前にナイフの刃が現れ、ギラリと一瞬だけ彼女の表情を反射させると、その刃は瞬時に喉へと当てられた。
「なっ」
サクラも接近に気づかなかったようで、その手は倭刀の柄を握る。しかし、リルナに密着したその存在の視線を受けて、ゆっくりと柄から手を離した。
「賢明な判断ね。でも、女の子だとは思わなかったわ」
あわわ、とリルナは口を振るわせることしかできない。肩に乗っていたノルミリームも、目の前に刃が迫り、口を真一文字に結んでいた。
刃を喉から離し、リルナの首を絞めつつも彼女の体をひょいと抱き上げる。自分の前にまわされた筋骨隆々といった太い腕に目を白黒とさせながらも、リルナは首にちくりと痛みを感じた。
「そこまでよ、大人しくしてちょうだい。森の秩序を乱すなんて、野蛮以外のナニモノでもないわ」
リルナの足は完全に浮いてしまっており、彼女を抱きかかえる存在の大きさを優に示していた。それよりも、サクラは気になることがあるのか、何やら複雑な表情を浮かべている。そして、囚われているリルナ自身も違和感を感じていた。
ごっつい体をしている割に、その低く重低音な声での女性みたいな話し方。
何だかよく分からないけど、とにかくピンチ!
ナイフの刃に驚きながらもリルナは自分を羽交い絞めにしている者の正体が気になるのだった。




