~エルフ王国と木の大精霊・ノルミリーム~ 5
十数日の航海を終え、特にこれといった事件もなくリルナたちの乗る船は無事にカーホイド島の限界口と言われる港『ミュルト』へ到着した。
「到着~。うわ~、なんだか地面がグラグラ揺れる……」
「陸酔いじゃのぅ……しばらく戦闘は無理じゃな」
船での生活がしばらく続いた為、リルナとメロディは揺れない大地に違和感を感じているようだ。対してサクラは平気のようで、年の功を見せ付けるように片足でぴょんぴょんと跳ねてみせた。
「冒険者として情けないなぁ、二人とも」
おひょひょ、と笑うサクラに召喚士とお姫様は拳を握り締めて追いかけ回す。もちろん追いつける訳がないのだが、それでも走っているうちに二人の陸酔いは治まったようだ。
「エルフの島って聞いてたけど……ホントに?」
改めてリルナはミュルトの港町の様子を見渡す。そこはヒューゴ国の港町とそう変わらない光景が広がっていた。確かにエルフらしい種族の人は見かけるのだが、それでもニンゲンやドワーフ、獣耳種から有翼種まで様々な種族の人たちが普通に見かけることが出来た。どちらかといえば、エルフの数は少ない。エルフの国だというのにその数が少ないので、リルナは疑問に思った訳だ。
「エルフは森に住んでいる種族やからな。港町に住んでる者は変わり者っちゅう話を聞いたことがあるで」
「そうなんだ……ふ~ん……ん?」
サクラの説明に納得してか、リルナは再び周囲を見渡す。港町らしく船がたくさんあるのだが、人々の往来も多い。特に海の男たちは忙しいらしく動き回っている。
そんな中で、リルナは一人の少年を見つけた。
麦わら帽子を目深にかぶった、何の変哲もない少年。エルフではないのだろうが、港町で生まれ育ったかのように、のんきに歩いている姿が目に止まった。
「どうしたのじゃ、リルナ? あの少年に惚れたか?」
「反対。あの少年が大嫌いだわ……」
メロディが覗き込むと、リルナの顔は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。ついでに怒りとこの世の理不尽さを呪う表情も混ぜておく。つまり、リルナは複雑だが怒りに偏った感情を浮かべていた。
「ど、どういう事じゃ。親の仇でも見つけたのか?」
「あれ、パペットマスターだわ……」
なんと、とメロディとサクラが驚く。
船の上で人形遣いを疑っていたリルナは、すっかりと魔力感知のスキルが向上したらしく、違和感を感じて視覚のチャンネルを変更した。すると、少年に巻きつく魔力の糸が見えたという訳だ。
「捕まえるんか?」
「どうせ人形よ。捕まえたって無駄だわ」
気に入られたリルナでさせ、その本体を未だに目撃したことがない。目撃情報を報告すれば多額の賞金がもらえるのだが……リルナ自身が標的にされていることを知られたくないので、最近は自粛していた。お金に余裕があるので、無くなった時の貯金だ、とリルナは考えている。
「誘われておるのかのぅ……それにしては関係ないようじゃが?」
「う~ん……本気で偶然かも?」
「みたいやなぁ」
リルナたちがガッツリと視線を送ってもパペマス少年は意に返さずに歩いていく。少なくとも視線を感じることは人形には無理なようだ。
「運命みたいで何かムカツクのよね」
リルナはぶつけようの無い怒りに燃えるが……そこで妙案を思いついたかのように手を打った。そして口をニヤリと歪ませる。
「メロディ、サクラ、ちょっと待ってて。絶対に着いてきちゃダメだからね」
「なんじゃ? 闇討ちでもするのか?」
「もっと恐ろしいことよ」
ふっふっふ、とリルナは笑ってパペットマスターを追いかけた。そんなリルナを見送って、メロディとサクラは顔を見合わせる。
「どうするのじゃ?」
「放っておいてもいいけど、あの娘は心配やからなぁ。こっそりと追いかけるか」
うむ、とメロディは頷き、二人はこっそりとリルナの後を追った。
そんな二人が付いてきていることも知らず、リルナは少年の後ろに立つと、遠慮なく襟首を掴む。普通ならば、驚く声と動きがあるはずだが……少年はそのまま動きを止めた。
「これはこれは。リルナさんではありませんか。まさか私を追いかけてカーホイドまで来てくださるとは……私、感動のあまり涙が溢れそうであります」
「嘘つきっ。流せるものなら流してみてよ」
もちろん人形には無理だろう。少年も肩をすくめた。
「それで、何の用でしょうか?」
「ちょっとこっち来て」
リルナはパペットマスターの襟首を持ったまま移動する。少年人形は逆らうこともなく、そのままズルズルと引きずられ、建物に挟まれた狭い路地へと移動した。地元の住民も滅多に使わない通路らしく、埃と汚れが溜まった場所であり、少女としてはあまり長居はしたくない場所だった。
「真昼間からの逢瀬ですね」
「おうせ?」
どうやらリルナは意味が分からなかったらしく、少年は何でもありません、と誤魔化した。もっとも、事情を知らない者から見ればそう見えたかもしれない。誰にも見られていないかとキョロキョロするリルナを目撃すれば、尚更だ。
「それで、こんな人気の無いところでどんな御用ですか、お嬢さん」
「あんたを召喚士クズレとして、話をするわ。一応は関係ある話だと思うの」
「ほう、どういうことです?」
興味があったのか、少年は顔をあげる。目深にかぶった麦わら帽子の下は、不気味なほどに無個性な顔があった。瞳は鈍く光がない。口は真一文字に引かれたように感情を表していなかった。人形らしいといえば人形らしいのだが、あまりにも人形っぽ過ぎる顔は路地裏で見ると不気味にうつった。
リルナは少しばかり引き気味になるが、それでもと下がりそうになった足を押しとどめた。
「召喚士が世界から忘れられているのは知っているでしょ?」
「えぇ、お陰で仕事がやりやすい」
知っている人は知っているが、知らない人はトコトンまで知らない。だからこそ、パペットマスターの他人を操る術は未知となり、誰にも理解されない犯罪行為になっていた。
「その犯人が分かったわ」
「ほう」
パペットマスターの声は、初めて興味を示したようだった。一枚仮面を外した、感情というものに触れた気がして、リルナは頷く。引っかかった、と。
ただし、餌は釣り人に牙を剥く。世界最強レベルの餌は、喰い付くパペットマスターごと釣り人を殺すつもりだ。
リルナは息を飲む。恐怖で震えそうになる体を無理矢理おさえつけて、平静を装う。小さいバレないように深呼吸をして、笑みを浮かべてみせた。どこから見ているかは分からないが、パペットマスターに優位を取っている、とブラフをしかけるために。
本当はどこにも優位なんてない。
今から行うのは、ちょっとした自殺未遂だ。
それでも、とリルナは言葉を放つ。目の前の犯罪者を、愉快犯をこらしめるために。
「召喚士を世界から消したのは……ヴァンパイア・ロード、ソフィア――」
そこまで言った瞬間に、目の前の人形から殺意がふくれあがった。目の前の少女を抹殺せんと人形は動こうとするが、それは敵わない。
人形遣いは振り返る。リルナも、視線を人形からその奥へと向けた。
「見られた……どうしてくれるのですか、リルナさん。あなた、いえ私もです。文字通り、目を付けられましたよ、アレに!」
「ふ、ふふ、ふへへへ。ど、どうだ、ざ、ざまぁみろ」
ガクガクと震えながらリルナは悪態をついてみせる。もちろん空元気だ。二度目のソフィアからの視線だからといって慣れる訳ではなかった。むしろ正反対であり、二度目だからこそ真にその意味を理解した。
目の前のパペットマスターの殺意など、比べ物にならないほどの視線だ。そこに込められた意味など、人間種の理解を超えている。だからこその恐怖。恐ろしいまでの視線を受けて、リルナの全身は震え、今にも尻餅をつきそうになるほどに力を奪っていった。
「こうなってしまってはこの場に居るのも危険です。リルナさんも移動するのをオススメしますよ。まったく、可愛らしいお嬢さんと思っていたら、とんでもない事をしでかしてくれましたね」
少年はそう悪態をつくと、クタリと体を弛緩させた。まるで崩れ落ちる人形のように……という言葉がそっくりそのまま当てはまるように倒れる。どうやら魔力の糸を断ち、少年人形を見捨てたようだ。
ソフィアに直接見られた人形だ。そのまま使用するのは危ないとパペットマスターが判断したのだろう。
「は、はぁ……やった、やってやったぞ……」
リルナはその場で座り込む。ようやく体が熱を持ったのか、路地裏のヒヤリとした空気が少し心地よかった。そんなリルナの耳に、またカラカラと何かが転がる音が聞こえる。恐らくパペットマスターの本体に関係する音なのだろうが、今は追いかける気力なんて沸いてこなかった。
「こ、これでわたしから視線が反れたらいいんだけど」
ヴァンパイア・ロードがどういう性格をしているのかサッパリと分からないが、ドラゴン種とリルナ、どちらが相手しやすいかと言われれば、考えるまでもなく人間のほうだ。だから、リルナは犠牲者を増やすことにした。
ここからは運に頼るしかないのだが、人間の中でもリルナとパペットマスターがソフィアに関係しようとしている、と。そう思わせておけば意識が分散するかもしれない。
「まぁ、二度も名前を呼んじゃったわたしのほうが注目度は上だろうけど……」
ぐったりとしながらリルナは呟く。
「メインディッシュを後に取って置くタイプだと信じてっ」
よろしくお願いします、ソフィアさん。いや、ソフィアさま!
と、心の中で祈るリルナだった。
「ふむ、どうやらとんでもない事に巻き込まれているようじゃのぅ」
「隠す意味が分かったわ。ええか、お姫さん。知らんフリをしとくんやで。今すぐ動けばウチらは死ぬ。いや、ウチは容赦なく逃げるからな。せやから我慢するんや。ええな?」
「分かっておる。妾とて冒険者じゃ。死ぬときは母上の前ではなく、リルナの傍じゃよ。仲間を見捨てるのは最高の恥じゃ」
よう言うた、とサクラはメロディの頭をくしゃくしゃと撫でる。
そして二人はこっそりと路地裏から離れ、元の位置まで戻ると何食わぬ顔をしてリルナが戻ってくるのを待つのだった。




