幕間劇 ~へべれけリルナ、帰ってくる~
リルナがリーンと共に空へと旅立った翌朝。
本日も晴天らしく、朝から気温が上がり始め、空はすっかりと青に染まった頃。雲に紛れて下降してくる影がひとつ。
それを眺めていたのは、朝の支度を終えたサヤマ女王だった。城の窓から偶然かはたまた必然かのように覗いていた先に、ホワイトドラゴンが空から降りてくるのを見つけた。
「祭りというのは一日だけか」
ともすれば人類よりも上位種と考えられる龍たちの宴だ。サヤマ女王が想像するに、それは神聖なものであって一週間ほど続くのかと思われたが……意外や意外に短いのだな、と苦笑する。
「所詮、人間の浅知恵か」
いちいちメイド長に報告するのも面倒だな、とサヤマ女王は窓から飛び降りる。まるで段差を飛び越えただけのような身軽さで彼女は裏庭へと着地した。
サヤマ女王の養子であるメローディアが、冒険者になるための訓練として長く使用していた裏庭だが、今ではすっかりと草が生い茂ってしまっていた。夏、という生命活動が活発となる季節なだけに、成長も早い。
さて我が子の成長は、草木に勝るのか? などと思いながら、サヤマ女王はホワイトドラゴンとその背中に乗った少女を出迎えた。
「おかえり。速かったじゃないか、リーン殿」
「ただいま……って、ボクはここに住んでないよ」
「どうせなら住んでみないか? ホワイトドラゴンの住む街、となれば観光客は押し寄せるし、蛮族どもは決して街を襲わない。一挙両得、というやつだ」
「ボクにメリットがひとつも無いよ」
「欲しいものなら、なんでも手に入れるぞ」
サヤマ女王のなんでもない、それこそ冗談みたいな言葉だったが……リーンはその口を思わず開く。鋭く尖った牙を見せたまま逡巡し……ダメだダメだ、とばかりに口を閉じた。もっとも、龍種は口を閉じたままでも発声できるので、ポーズみたいなものだった。
「本当に欲しいものでもあるのかい?」
「きっと、女王様でも手に入らないよ……」
少し嘆息の混じったリーンの声に、サヤマ女王はその整った右眉を上げた。何かあるのだろうが、人間である自分に解決はできないだろう、と彼女は脳内で結論付ける。そもそも、ホワイトドラゴンの相談に乗る、というのがおかしい話だ。逆なら数多の英雄譚が上げられるのだが。
「厳密には、私は領主だ。サヤマ領を収める王ではなく、ただの貴族だ。土地と城を与え、女王と呼称されることによって、私をここに縫い止めるという……え~っとアレだアレ」
「政略?」
「そう、それ」
「ふ~ん。かわいそうに」
まったくだ、とサヤマ女王は肩をすくめた。リーンも同じようなポーズを取ってみせる。冒険者として最期を迎えることが出来なかった者の成れの果て。貴族というのは、その領地に住む者から税を納めてもらい、生きていく者だ。その何も成さない職業というものは、サヤマ女王にとっては敗北であり、苦痛を残したままの人生なんだろう。
時折訪れる彼女の戦闘が何よりの証明だった。
ともすれば、戦闘で死のうとする。貴族ではなく冒険者として死のうとしている姿は、リーンから見て、哀れみを誘うものではある。助けるつもりはサラサラないが。
「それで、その背中の荷物はなんだ?」
サヤマ女王はリーンの背中に目をやる。もちろん、そこには荷物なんか無く、でろんと溶けそうなくらいにご機嫌な召喚士、リルナ・ファーレンスが乗っているのだが。
その体には器用に植物のツタが巻きつけられており、その先端は空に向かっていた。ロープ代わりのツタが巻きついている先は青いクリスタル。太陽の光を浴びて、その青い煌きを反射させていた。
「パパに呑まされちゃって」
「ほう、龍の酒か。私も呑みたいものだな」
と、そんな声が聞こえたのか、リルナはむっくりと体を起こす。
「う~ぇ~い、女王さまぁ。のみた~きゃー、のんでくらはーい」
相当な酩酊状態なのだろう、リルナは呂律のまわらない舌で言うと、リーンの背中から降りる。もちろん、地面なんか無視した降り方だから、べっちゃりと潰れるかと思いきや、彼女の背中からツタで繋がっている青クリスタルがリルナを支えた。
「リーン、あれは何だ?」
「ん? あぁ、浮島を浮かせている石だよ。落ちると危ないから結んできた」
「くれ」
「いいよ」
許可が出た、ということでサヤマ女王は手を伸ばして青クリスタルを掴むと、ツタを引きちぎる。リルナを支えるほど上部なツタだったのだが、レベル90の化け物の前では糸と変わらないようだ。
「とう!」
で、女王は飛んだ。屋根の上まで跳んだ。そして、ゲラゲラと笑いながらフワリと降りてきた。人類初、重力に囚われない落下の仕方、と実行した瞬間だった。
「いやぁ、凄いなこれ。しばらく遊べそうだ」
「お土産はそれでいいの? お酒あるよ?」
「あるのか! もらうもらう。いやぁ、龍の作った酒も呑めるし玩具も手に入るなんて、あっはっはっはっは! こりゃしばらく退屈せずに済みそうだ」
ゲラゲラと笑う女王の隣で、リルナは召喚術を起動させる。酔っ払っていても、マキナによって体が強制操作される様は見ていて奇妙なものだ。それこそ、本物の操り人形を彷彿とさせる雰囲気だった。
無機物召喚で場所を移動させるように現れた巨大な樽。中にはたっぷりと果実酒がつまっており、女王陛下はバンザイをする。エールが苦手なリルナがここまで酔っ払えたのは、甘くて美味しい果実酒のせいだった。
「それじゃ、ボクは帰るよ」
「気が向いたら住んでみてよ、白龍殿」
サヤマ女王の言葉に、リーンは肩をすくめるポーズを取るだけだった。期待はしないでね、という意味にとった女王は苦笑する。
ふわり、と翼が軽く空気を打ち、リーンは空へと舞い上がる。ばったりと倒れたリルナは、倒れたまま彼に大きく手を振った。
「さて、召喚士殿。宿で寝るか、城で寝るか、どうする?」
「う~ん……ここで寝る~」
「それもまた冒険者らしいな」
ケラケラと笑ったサヤマ女王は、裏庭で寝息を立て始める少女を放っておいて、青クリスタルを持って自室へと移動した。
この後、メイド長に見つかったリルナは不法侵入として冒険者の宿まで送り届けられる事となる。お酒はしばらく控えようと思ったリルナなのだった。
後日談として。
青いクリスタルは『飛行石』と名づけられる事になる。それはアカデミーでの研究となり、数日で飽きたサヤマ女王が売りつけた結果だ。しかし、それによって人類は空へと歩を進める。飛空邸を開発し、『紅魔艦』や『聖輦船』といった巨大な船を造り上げるのだが……それは次時代の話。
人類が空で遊ぶには、まだまだ早いのだった。




