~シティアドベンチャー・王子様騒動譚~ 解決編2
人間って、あんな風に潰れちゃうんだ。
できるだけ現実から目を背けて、リルナは務めて無感動に状況を判断した。といっても、地下室で起こっていた出来事は、理解の範疇を超えている。
まずバケモノだ。
一応は人間の形をしていた。だが、そのバランスは著しく崩れている。言ってしまえば、『手のバケモノ』と表現するのが良いだろうか。人間から巨大な腕が生えて体を支えていた。その大きさは見上げるほど。二階ほどに相当する腕が二本、そこには有った。もちろん腕というからには、身体がある。しかし、それは人間よりも小さい。まるでゴブリンに無理矢理巨大な腕を取り付けたようなアンバランスさ。
「なんやあれは……」
ようやくつぶやいた声はサクラのもの。それを人間やモンスターとは判断できなかった。皮膚は黒く、艶もシワも何も無い。のっぺりとした筋肉質、という矛盾するような材質。そういう石で作られた彫刻作品であれば幾分はマシだったのだが、残念ながらその腕は生きていた。
片腕でどうやってバランスを取っているのか、サッパリと分からないが、大きく右腕を上げると、手をパーの形にする。そして、振り下ろされた。
ビターン! と、乾いた音と人間の潰れる音。なにか良く分からない塊になっていた人間だった物は、今度は平たくなってしまった。骨なんか関係なく、ぐちゅりと潰れて血塗れの薄い肉に成り果てた。もう、人間だった頃の面影は欠片も残っていない。人間らしい死に方から一番かけ離れた死体ができあがった。
「――」
その場の誰もが声を失っていた。グロテクスさを感じている暇はない。吐き気どころか、感想すら思い浮かばなかった。
そのまま『腕』は満足そうに死体を見ると、自分の足元……腕元にあったツボを持ち上げ、簡単に潰してしまった。
「つぼ?」
ようやく声を出せたリルナの言葉は、脳から直結した疑問だった。人間を潰したあとにツボを破壊した。そこになんの関係があったのか。そもそもあのツボはなんだったのか。分からないことだらけだ。
腕はツボを破壊して満足したのか見下ろしてくる。のっぺりとした体には、ちゃんと目があった。赤い目玉に黒い瞳。鼻は無い。口はあるのかもしれないが、閉じられているようで有無が分からない。
身の危険を感じる。リルナは本能で戦闘態勢を取った。がちゃり、と音がした。視界の端でメロディが剣を抜いたのが分かった。サクラは抜かずに柄に手をかけている。
このバケモノと戦うのか、と覚悟を決めた時――、果たして『腕』はリルナたちを無視するように後ろへと振り返った。相変わらず片腕でどうやってバランスを取っているのか分からないが、手を足のように使って振り向く。つまり、地下室の奥を見た。
ゆらりと揺れる炎の明かりに照らされたのは意識が無く、その場に寝かされていた人。数人の人間が眠っていることに、初めて気づいた。
「あ、王子様」
そこに件のエルフ王子が眠っているのが分かった。やはり誘拐犯はここの人間で間違いなさそうだ。だが、犯人らしき人物がいない。
「もしかして……」
潰された人間が、犯人?
なんて思ったとき、メイド長の声が響く。
「いけません!」
その声にリルナは疑問に満ちていた意識を現実に戻す。どうにも理解を超える光景を目にしたせいで脳みそが麻痺しているようだ。
腕は、またしても片腕を振り上げる。その向かう先には、眠っている人々。指を大きく開いて、今にも叩き落されそうだった。
「失礼、姫様!」
「へ?」
メイド長が謝ると同時にメロディの襟首をつかむ。そして、お姫様の許可なく人質たちへと向かってぶん投げられた。
「ぎゃああああああ……ぐえっ。な、なにをするんだメイドちょ、ちょおおおおおおお!?」
振り下ろされる真下に投げられたメロディ。逃げる暇なくその上に手のひらが叩き落された。しかし、彼女が装備しているヴァルキリー装備のオートガードが発動する。青い障壁が光となって腕の攻撃を防いだ。まるで金属を叩いたようなガギンという甲高い音が地下室に響き渡る。
「ひ、ひどい」
「適材適所です。いきますよ、サクラさん」
「あ、はい」
あのサクラですら引いている。利用できるモノはなんでも利用するのが生き延びる鉄則ではあるが、まさか領主の娘を容赦なく利用するメイドがいるとは想像もできなかった。そして、あのバケモノを素手で殴りつけている。
「うわ~、すごいです~」
「ルルちゃんは逃げて逃げてっ!」
学士見習いにできることはなにもない。ということもあってか、ルルは早々に階段まで引き返していった。
それを見届けてから、リルナは身体制御呪文マキナと描画魔法ペイントの二重起動を行う。ピリリ、と体は硬直し、空中に真円を描いた。手早く描かれた三重円に文字を刻んでいく。その間にもサクラとメイド長が攻撃をくり返し、メロディが超級戦闘を前に悲鳴をあげていた。
「召喚! リーン君!」
完成した召喚陣に向かって魔力のこもった拳を突き出す。光があふれ収束すると、ホワイトドラゴンが顕現した。
「ふわ~ぁ……呼んだ?」
「呼んだ呼んだよっ! あれあれ、なんとかして!」
「ん? ……なにあれ」
うわぁ、とホワイトドラゴンの顔が歪む。あまり表情の変化が人間には分からないドラゴンの顔でも、はっきりと嫌悪感に溢れたのが分かった。
「偉大なるホワイトドラゴン様でも分からないんだ……」
龍種は人間に知恵を授ける、という伝説もあり、ホワイトドラゴンに至っては全知全能なんて言い伝えもある。
「帰るよ」
「はい、ごめんなさい! メロディを助けてあげてください、おねがいします!」
「君はまったく……」
召喚獣に舐められる、というのは召喚士にとって良くないのだが、いかんせん実力が違い過ぎるために起こってしまうことでもあった。
「がんばってっ!」
「ふぁ~い」
あくび混じりでホワイトドラゴンは飛んでいく。そのまま飛翔し、腕へと体当たりすると、メロディの前へと降り立った。
「た、助かったのじゃ。怖かったのじゃ~」
「お姫様は素直でいいよね」
なんてつぶやきながらも、リーンは苦笑する。
白龍が加わったことにより、腕への対応も楽になる。サクラ、もしくはメイド長が囮となって攻撃を避けている間に、もう片方の腕へと攻撃する。その連携を駆使していたのだが、その囮役をリーンが引き受けた。メロディは万が一にも人質が潰されないように、オートガード役として控えている。
余裕が出てきたこともあってか、腕は次第に弱っていった。しかし、大きさが巨大なために致命傷は与えられない。
「召喚、レナンシュ!」
リルナは魔女レナンシュを召喚する。
「うわ、なにあれ」
「あ、やっぱり魔女でも知らないんだ……」
ホワイトドラゴンと同じような表情をする魔女、というのもなんだか珍しいのだが、ノンキに会話している場合じゃない。
「レナちゃん、やっちゃって!」
「うん」
魔女の使う闇魔法。ほの暗く紫色の光を放ち、バケモノ腕の直下に発動する。森の魔女、レナンシュ・ファイ・ウッドフィールドの属性である木気に合わせて、緑色へと変化した。
「リビー・バインド」
ぽつり、とつぶやくレナンシュ。レベル1ながら確実なその魔法はツタへと変化し、腕を拘束した。
「がおー!」
その瞬間を狙って、リーンが動く。わざとらしい声はオマケなのかサービスなのか、肩口を狙って体当たりを慣行した。ぐらりと揺れる腕のバケモノの体。
「ほっ!」
その隙を狙ってサクラが跳躍する。その勢いで本体と腕の接合部である唯一の細い肩部分を倭刀で切断した。
「――――!」
ぱっくりと割れた顔部分の口。なにも見えない暗黒の空間から、音にならない悲鳴があがり右腕が切り離された。
「トドメですね」
バランスを失い倒れるバケモノ。その本体部分に駆け寄ると、メイド長は容赦なく顔部分に拳を叩き落した。悲鳴をあげる暇もなく、バケモノの顔はつぶれてなくなる。と、同時に切断された腕がじくじくと溶け出した。
「うわぁ、気持ちわるっ!」
思わずリルナが叫ぶが、その感想はレナンシュも同じだったようで、ふたりして地下室の階段まで逃げた。
「ひぃ」
メロディも逃げて、溶け出した体を観察するのはサクラとメイド長だけとなる。一応は体に触れないように、と避けていたのだが、それもすぐに終わった。まるで影になってしまうように、バケモノの体は全てが消え果ててしまったのだ。
「これは……証拠隠滅やな」
消えたあとには、何も残っていない。それは、ツボの欠片もそうであるし、薄く引き伸ばされた死体もそう。まるで何事も無かったかのように、呆気なく地下空間は静まり返ってしまった。
「モンスターでも蛮族でもない……ましてや神様でもなく、どこか別の世界の生き物みたいですね」
そう語るメイド長は肩をすくめた。街中に起こった事件としては凶悪な部類に入る。しかし、その証拠は何ひとつ残っておらず、犯人も死体も消えてしまった。人質が無事だから良かったものの、下手をすれば先ほどのバケモノが街を襲った可能性もある。
「不幸中の幸いやな」
サクラは倭刀の刃を確かめてから納刀した。妙な感触に刃が傷んでいないか、とも思われたが、傷ひとつ付いていない。それもまたおかしな話だった。
「モンスターでも神様でもない……か。あれが悪魔ではないとしたら、魔神だね」
「知っておられるのですか、ホワイトドラゴン様」
メイド長の質問に、リーンは首を横に振る。
「知らない。知らないからこそ、知っていると言えるかもしれない。魔神。別の世界の存在だ。召喚されて呼び出されるモノだよ」
「召喚……」
その言葉を聞き、サクラとメイド長は思わずリルナを見る。おっかなびっくりと地下室に戻ってきたリルナとルルは、メロディと合流して、人質の無事を確認している。全員が問題ないと分かると、無事に解決だ~、と三人の少女はバンザイしていた。
「ま、ノンキにお嬢ちゃんたちには関係ない話やな」
「そのようです」
大人が肩をすくめていると、リーンは召喚術を解除し元の場所へと帰っていった。ともかくとして、人質を発見し、無事は確認できた。あとは、証拠品なし、というこの現状をどうするのか。大人なふたりは考えを巡らせ、対処と対応を検討するのだった




