エピローグ
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独仏戦争あるいは欧州戦争とも呼ばれる1930年5月に勃発した戦争は、良くも悪くも世界を変えた。
参戦国の著しい技術的・科学的発展は戦後、世界へと波及し、それらを基にして各国は軍備を整えた。
だが、各国は自国の優位を信じて戦争を行おうという気は全くなかった。
それでも国家同士の利害対立から、小競り合いは起こったが、どうにか外交交渉によって解決された。
国際連合の実現により、調整の場が用意されたことも一因であるかもしれない。
そして、何よりも各国には戦争が起こればドイツとフランスのような総力戦に発展するという予想があった。
フランスの場合はドイツやその同盟国の温情的ともいえる条件で講和を成し得たが、そううまくいくものではない。
戦争を始めてしまえば国家の全てを戦争遂行に費やし、負けた側は天文学的な賠償や領土の喪失が待っている。
たとえどれだけ被害を受けようとも、国力の全てを出し尽くし、相手国が降伏するまで戦うしかなくなってしまう。
列強諸国は先の戦争に参加した国も多かった為、それをよく理解していた。
よほどに理不尽極まりない要求でも突きつければ話は別であったが、そんなことをする国家はどこにもなかった。
1945年8月15日――
ヴェルナーは数日前から日本に滞在していた。
仕事であったが、旅行も兼ねている。
今年で60歳となった彼は日本陸海軍の将官との交流ということで、日本側から招待を受けて訪日していた。
今日は予定がない日であり、あらかじめ決めていた広島を訪問していた。
実のところ、ヴェルナーは日本へ来ることが初めてというわけではない。
戦争終結後、ちょくちょくとやってきては各地を回っている。
極東における同盟国を視察するという理由で。
日本の夏は気温と湿度により暑いが、ヴェルナーからすれば懐かしく感じられた。
「歴史は変わったな」
ヴェルナーは歩きながら小さく呟いた。
彼の半径10m以内に護衛はいない。
逆に言えば10mから先は日独両方の護衛ばっかりだ。
幸いにも独り言を呟く程度なら10m程離れていれば聞こえないし、聞こえたとしても聞こえなかった振りをしてくれる。
勿論、狙撃対策にあちこちの建物にも護衛が配置されている。
鬱陶しいといえば鬱陶しいが、こればかりは仕方がない。
ヴェルナーの言った通り、歴史は変わった。
15年前の戦争から今まで小競り合いはあったが、戦争は起きていない。
前世では終戦の日となった今日も、今世ではただの旧盆の一日だ。
これまでヴェルナーが見たところ、日本は欧米の様々な影響を受けて変わりつつあった。
国の法律や制度、組織などは勿論、国民1人1人の意識までも。
近年では外国人観光客も多く、特に欧州やアメリカから来る者が多い。
彼らから受ける影響もあるのだろう。
もしかしたら、2000年代になれば彼の知る前世の日本人と意識的に似ているかもしれない。
それを見ることができないのは非常に残念だが、仕方ない。
「退役後は回顧録でも書くか……」
あの戦争に関してヴェルナーは終戦後、早い時期に数冊の本を出している。
時間が経てば記憶が曖昧になる為だ。
それらを読み返すときがあるが、あのときはあんなことがあったのか、と書いた本人が驚くという始末だ。
やがてヴェルナーは目的地に到着する。
目の前には広島県産業奨励館があった。
今日は何かしらのイベントが行われているようには見えず、静かなものだ。
原爆ドームという呼称と姿を知る者はこの世界ではヴェルナー以外に存在しない。
そもそも原爆というものが表に出ていない。
世界の多くの人々は聞いたこともないだろう。
「不思議な気分だが、悪くないな」
産業奨励館を眺めながら、そう呟く。
そして、回顧録のタイトルはどうしようかと彼は思いながら、何となく空を見上げる。
雲一つない青空がどこまでも広がっていた。