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日本海軍の意地



「静かな夜だ」


 甲板見張員の1人が思わず、そう呟いた。

 空には満月があり、雲ひとつもない。

 

 レーダーが導入されたことで見張員が軽視されるかというと、全くそんなことはなかった。

 探知する手段は複数あったほうがいい、という真っ当な判断によるものであったが、その後に一つ、無茶な要求のようなものがくっついていた。


 レーダーに負けないよう、鍛えるように――


 そんな通達が出されていたが、いわゆる激励の類であり、実際にレーダーに負けるなというわけではなく、鍛錬を怠ってはいけない、という意味合いだ。

 見張員の間ではそれなら頭にレーダーでもくっつけるか、という冗談になった程度だ。



 日本海軍は欧州への艦隊派遣に際して、喧々諤々の大議論となった。

 全体的に高い練度ではあるものの、それでも各艦ごとにやはり差はあるもので、損耗が予想されることから比較的低い練度の艦を派遣すべしという意見と、日本が侮られないように最精鋭を送り込むべし、という意見に別れた。


 結果、日本が欧州に侮られないよう、最精鋭を送り込むべし、という意見が勝利したのだが、それは日本にとって良い結果となった。

 


 遣欧艦隊は第一艦隊と第二艦隊から戦隊ごとに抽出され、編成されている。

 すなわち――


「華の二水戦の通り名を欧州に広めるのにちょうどいい」


 戦艦部隊の護衛を務めるのが一水戦だが、二水戦の役割は敵艦隊に対する斬り込みだ。

 



 旗艦である鬼怒を先頭に8隻の駆逐艦が単縦陣でもって後方に付き従い、やや離れた位置に北上と大井が縦陣を組んで航行している。

 未だ敵艦隊は捉えられてはいない。

 しかし、ドイツ空軍の哨戒機から送られてきている報告によれば、そろそろ敵艦隊と接敵する筈であった。




 そのときだった。

 ある見張員の双眼鏡の視界、その水平線上に何かが見えた。

 

 夜の闇に紛れてはいるが、今宵は満月。

 その月明かりを頼りに目を凝らす。


「敵艦発見!」


 彼は叫んだ。


 同時にレーダーでもその艦は探知されており、ほとんど同時に鬼怒の艦橋に報告が響き渡った。




「よし、来たな」


 南雲忠一少将は待っていたとばかりにそう答えた。

 そして、彼は告げる。


「諸君、訓練通りにやるぞ」


 この日、この時の為に鍛えに鍛えた腕前だ。

 南雲のその言葉が実質的な戦闘開始の合図となった。


 艦長により合戦準備が下命され、鬼怒は瞬く間に戦闘態勢へと入る。

 同時に遣欧艦隊司令部及び僚艦に対して敵艦隊発見の報告を行う。


 訓練通り、流れるような動きに南雲は満足しつつも、気を引き締める。

 猛訓練を積んできたが、実戦では何が起きるか分からない。


「艦長、Z旗を掲げよ」


 南雲はこの海戦は、これからの日本が欧州において、ひいては世界において、どのように見られるか、その試金石となる戦い。

 ならばこそ、相応しいと判断しての指示だ。


 無論、艦長に異論があるはずもない。

 彼は大きく頷いて、指示する。


 夜間であるが、それでも掲げる意味はある。



 その間にも敵艦隊の陣容が次々と報告される。

 報告されていた通りの大艦隊、紛れもないフランス本国艦隊だ。


 敵艦隊もこちらをレーダーにて探知したことは想像に難くない。

 となればこそ、すぐさま砲撃が開始されるだろう。


「敵の駆逐艦がこちらへ向かってきます! 数、5!」


 報告に南雲はすぐさま告げる。


「砲撃で応戦しつつも、敵の戦艦を目指す。後のことは気にするな、最大戦速だ」


 南雲は出撃前に行われた遣欧艦隊司令部での作戦会議の際、二水戦の作戦目標について告げられている。

 二水戦の役目は敵戦艦の撃滅だ。

 

 快速艦艇を取り逃したら、ノルマンディーに突入されてしまう可能性はある。

 だが、せっかくの二水戦、そして重雷装艦を戦艦に使わず、何に使う、と角田は作戦会議の席上で告げたのだ。

 角田に南雲は感謝していた。


 そのときだった。


「敵戦艦発砲!」

「衝撃に備えよ!」


 報告に艦長が反射的に叫び、数秒後に大きな水柱が鬼怒の前方に立ち上がり、やがて崩れていく。

 その水柱に真正面から突っ込むも、その速度を緩めることは決してない。

 

「敵も我々が脅威だと気づいたか」


 南雲は不敵な笑みを浮かべてみせる。

 その言葉の通りに、接近してきた敵の駆逐艦が次々と砲撃を開始し、行く手を阻もうとする。

 しかし、その程度は予想済みだ。


 多少の被弾は覚悟の上、肉を切らせて骨を断つ。

 それこそが水雷屋の意地だ。


「艦長、もしもの場合は……すまんな。付き合ってくれ」


 南雲の言葉に艦長や、聞いていた艦橋要員達もまた意味を察した。

 現在はレーダーと見張り、敵の発砲炎で敵艦隊を捉えているが、もしも鬼怒の損傷が甚大となったなら、探照灯でもって敵を照らし、囮になるつもりだ、と。

 


 誰だって死にたくはない。

 南雲とて、覚悟は決めたとはいえ、それは同じ。

 何よりも若い兵達も鬼怒には当然乗り組んでいる。

 彼らは海軍に必要な人材であるし、自分がこれまで育て上げた部下達だ。


 南雲は彼らのことを思い、艦長の返事を待つ。

 そして、艦長からの言葉は予想外のものだった。


「あいにくと、そうならないように司令の下で訓練を積んできました」


 南雲は思わず笑ってしまう。


「そうだった、ああそうだったな。失言だった、許してくれ」

「構いません」

 

 そのやり取りをしている最中にも、刻一刻と状況は推移する。

 敵戦艦の砲撃こそ、最初のものだけであったが、射程内に入ったのだろう。

 巡洋艦からと思しき砲撃が加わり始め、また徐々に鬼怒は無論、僚艦にも被弾が増え始めていた。


 だが、南雲は何も言わない。

 ただ、敵戦艦がいると思われる方向を睨みつけるだけだ。


 二水戦は鬼怒を先頭に、単縦陣で夜の海を最大戦速で疾駆する。





 




 あの連中は死ぬつもりか?

 

 

 この場にいる全てのフランス海軍の将兵は日本海軍の行動に対して、そのような思いを抱いた。


 駆逐艦5隻、そしてそこに巡洋艦を1隻加えた足止め部隊。

 数の上ではこちらが劣勢ではあるが、それでも足止めに徹するならば相当な時間を稼げる。

 とはいえ、それは敵艦隊が真っ当な行動をしてくれた場合だ。

 真っ当な行動とは、こちらの足止め部隊に対応するよう動くことであったが、日本側はそんなことはしなかった。


 単縦陣でもってまっすぐに、さながら剣を突き刺すかのように、離脱していく戦艦達へ向かっていく。

 フランス側の足止め部隊は後方から追いすがり、砲撃を見舞う。

 敵艦に対して命中しており、数隻の艦には火災が見られた。




 戦艦達は必死に速度を上げて、逃げようとするが、その速度差は圧倒的だ。

 戦艦を護衛する巡洋艦や駆逐艦達が急接近する敵艦隊に対し、次々と砲門を開く。


 敵艦隊からすれば後方から足止め部隊、前方からは本隊からの挟み撃ちを受けている形になる。

 

 普通なら逃げようと艦隊針路を変更する筈なのだが、そうはしなかった。

 そして、奇妙であったのはレーダーで捉えた、日本側の別働隊と思われる2隻の艦だ。


 距離を詰めてきてはいたのだが、無謀といえる敵水雷戦隊のような突撃をしてはいない。

 魚雷が怖かったが、ドイツ海軍であっても、長射程の魚雷は配備できていない。

 

 その2隻はフランス側本隊との距離は20km程度であり、何かができるとは思えなかった。

 それを証明するかのように、すぐに反転して離脱していった。


 よく分からない行動をした2隻をフランス艦隊が無視したのは当然ともいえるだろう。 

 フランス側は本隊の離脱を優先し、変針などすることはなく、真っ直ぐに進んだ。





 突如として、暗闇の海上に眩い閃光が巻き起こった。

 

 突撃していた日本海軍の駆逐艦が1隻、大爆発を起こしたのだ。

 おそらくは装填されていた魚雷に砲弾が当たったのだろう。

 目に見える戦果を挙げたことに、フランス艦隊の将兵は誰もが喜ぶ。


 

 フランス海軍を舐めるな――



 たかが水雷戦隊1つで戦艦を主力とする艦隊に襲いかかってくるなど、正気の沙汰ではなかった。








 南雲は艦橋で仁王立ちしていた。

 鬼怒も被弾は多く、火災が起きては消し止められ、また被弾による火災が起きるという繰り返しだ。

 こちらも敵艦に対して撃てるものは全て撃っているが、最大戦速で突っ走っていることもあり、有効な命中弾は確認されていない。

 敵の方が数的にも優位で、しかも挟み撃ちされている状況なので、こっちの方が被弾が多い。


 このままでは敵の護衛部隊に辿り着くか、その前に全滅する。

 だが、南雲はそろそろ千載一遇の好機が訪れると確信していた。


 北上と大井からは10分程前に発射完了、反転離脱する、という連絡が南雲へと届いていた。


 ストップウォッチを持った士官を南雲は見る。

 士官はただひたすら、ストップウォッチを見続けている。


 そして、運命の時は訪れた。


「時間です!」


 士官が叫んだ。

 数秒程遅れて、敵の本隊――すなわち、二水戦の前方から――太陽でも現れたのかと思う程の眩い光。

 先程僚艦が轟沈したときと同じか、それよりも眩いものだった。


 閃光から遅れ、爆発による轟音が響き渡る。


「前方の敵艦隊との距離は!?」

「距離15000!」


 遠い――


 南雲は逡巡するが、今ならば敵艦隊は混乱している筈だと確信した。

 彼は決断を下した。





 一方、フランス側は大混乱に陥っていた。

 何が起こったのか、理解が追いつかなかった。 

 

 離脱していた本隊、そのうち巡洋艦と駆逐艦がそれぞれ1隻ずつ轟沈し、戦艦8隻のうち2隻が被害を受けた。


 幸いにもその2隻は沈みこそしなかったが、みるみるうちに速力が衰えていく。

 轟沈した艦はともかくとして、攻撃を受けた2隻の戦艦は艦上構造物に被害はないことが即座に分かった。


 

 戦艦による大口径主砲弾によるものではないとすると、魚雷によるものだが、奇妙な動きを見せていた2隻の艦がいたものの、20kmもの距離があった。


 そんな長距離から届く魚雷など、彼らは知らなかった。


 そこへ足止めを行っていた艦から緊急連絡が入る。



 敵水雷戦隊、魚雷発射――


 彼我の距離はおよそ15000m、普通なら届く距離ではない。

 だが、フランス側は先の攻撃を長距離雷撃によるものと仮定し、手隙きの乗員はただちに海面を見張るよう命令が下った。

 

 しかし、見つからない。

 夜とはいえ、魚雷の航跡は見える。

 ましてや、大勢の乗員が見張っているのならば見つけられない筈がない。



「いくら何でも当たる筈がない。さっきのは潜水艦がやったんじゃないか?」


 ある兵士がそう口にした。


 海上での戦闘中では、敵の潜水艦を探知するということは非常に困難になる。

 敵は水雷戦隊だけと思わせておいて、実は潜水艦が潜む海域に誘導されたのではないか――20kmの彼方からやってくる魚雷の存在を信じるよりも、よほどに納得できる理由だ。


 だが、そのときだった。

 

 駆逐艦と巡洋艦がまた1隻ずつ、時間差で大爆発を起こし、海上から姿を消した。

 それにより混乱がピークに達したとき、ある駆逐艦の見張員が発見する。


 海面近くを進む魚雷。

 だが、その魚雷には、あるものがなかった。


「敵の魚雷を発見! 奴らの魚雷は雷跡がない! 電池魚雷だ!」


 ドイツ海軍が積極的に開発を推し進めているという電池魚雷。

 日本海軍に供与されていると考えれば、不思議ではない。 


 敵の水雷戦隊による被害は2隻だけだった。

 凌ぎ切った、とフランス側が判断したとき、奇妙な2隻が再度、艦隊の前方に現れた。

 ちょうど艦隊の針路を斜めに横切る形となるが、タネが割れてしまえばどうということはない。


 今度は無視することなどせず、無傷の戦艦達による主砲射撃が加えられ、また本隊は大きく変針する。


 すると、2隻は即座に反転し、離脱していった。

 敵の水雷戦隊も先の魚雷発射後は離脱しており、戻ってくる様子はない。



 たかが水雷戦隊1つと侮っていたが、フランス本国艦隊はその水雷戦隊1つに大きな損害を与えられた形となった。

 そして、離脱した水雷戦隊とまるで入れ替わるように、敵艦隊がやってきた。


「レーダー室より報告です。敵艦隊を発見。先程の艦隊とは別の艦隊の模様」


 その報告を聞き、フランス本国艦隊の司令官は来たるべきものが来た、と確信する。

 日本海軍の主力艦隊、そのお出ましだった。

 しかし、フランス側がマトモに戦う理由などない。


 彼らの目的は輸送船であり、敵艦隊は副目標に過ぎない。

 故に、逃げたいところだが、今の状況では逃げられそうもない。


 先程の魚雷攻撃により、陣形は乱れに乱れており、傷ついた戦艦2隻を放置していくこともできない。


 幸いにもまだ猶予はある。

 とにもかくにも、陣形を整えなければならなかった。

 











「いよいよ、我々の出番だ」


 角田はそう宣言した。

 長門、陸奥、金剛、比叡。

 4隻の戦艦でもって、フランス本国艦隊と雌雄を決する。


「こちらの被害も予想以上に甚大ですが……」


 参謀長である志摩の言葉に角田は渋い顔となる。

 喪失艦は1隻であったものの、二水戦の各艦は満身創痍で、早期の戦線復帰は到底無理だった。


 よくもまあ、沈まなかったものだ――


 戦闘海域から離脱し、被害に関する報告を受けた南雲はそう口にしていた。

 死傷者の数も多く、無謀な突撃という評価が適正であるかもしれなかったが、結果は出していた。


 戦艦2隻を中破、巡洋艦もしくは駆逐艦を2隻以上撃沈という報告が二水戦司令部からは出されている。

 水雷戦隊1つでこれだけの被害を敵に与えることができたならば、上々の戦果と言っても過言ではないだろう。

 何よりも遣欧艦隊の主力が到着するまで大きく時間を稼いでくれた。

  

 ただ、水雷戦隊の在り方は今後変わるかもしれない、と角田は思っていた。

 1回攻撃するだけで、ここまで人的被害を出し、下手をすれば艦もまた喪失するなど、あっという間に帝国海軍の人材も予算も底をついてしまう。


 そして、おそらくは戦艦もそうだ、と角田は何となく思う。


 艦隊決戦といえば聞こえはいいが、早い話が殴り合いだ。

 こっちが一方的に叩ける状況なら良いが、そんな都合の良いことなどまずない。

 

 ましてや戦艦が1隻でも沈めば、帝国海軍の懐事情では補充が非常に苦しいことになる。

 

 敢闘精神が足りないとでも言われそうだが、無い袖は振れない。


「彼らの務めは果たした。それは間違いない」


 角田の言葉に志摩は頷く。

 


 会話をしている間にも、艦隊はフランス艦隊に追いつこうと最大戦速を維持している。

 フランス艦隊とは速力的にそこまで大きな差はないが、現在、敵艦隊は陣形が乱れに乱れていたのをどうにか立て直し終えたところだ。

 傷ついた戦艦2隻はどうやら逃がすようで、数隻の駆逐艦とともに敵の本隊から離れつつある。


 既に敵艦隊の逃走を防ぐべく、水雷戦隊が突撃を開始している。

 二水戦の活躍を受け、彼ら一水戦の士気は非常に高い。


 フランス艦隊からも巡洋艦や駆逐艦が一水戦を迎え撃つべく、艦隊から離れて向かってきている。

 あくまで目標はノルマンディーの輸送船だと行動で示している。


 だが、日本側も逃がすわけにはいかない。


「一水戦の針路をこじ開ける。目標は有効射程距離内にある敵艦だ」


 角田の意図は明白だ。

 足の速い水雷戦隊を敵艦隊へと送り込み、こちらの戦艦が追いつくまでの時間稼ぎを行ってもらう。

 そのためには水雷戦隊の邪魔をする敵艦を追い払うか、撃沈する。

 

 幸いにも敵の巡洋艦や駆逐艦は自分から有効射程距離に飛び込んできてくれる。

 飛んで火に入る夏の虫だ。


 とはいえ、日本海軍にとっては日露戦争以来、久方ぶりの艦隊決戦であり、同時に実戦では初めてのレーダー照準による夜間主砲射撃であった。






 日本艦隊の4隻の戦艦による砲撃はフランス艦隊が分派した足止め部隊に衝撃を与えるには十分だった。

 敵戦艦からの砲撃を回避しつつ、敵水雷戦隊の針路を妨害するという状況はフランス側にとって、非常に困難を極めている。


 しかも、時間を掛ければ掛ける程に敵戦艦との距離が詰まり、射撃精度が向上する。

 足止めをする側にとってはまさに死地と言っても過言ではない。


 そのようなフランス側にとっての困難な状況は、突然に終わりを迎える。

 最悪の形で。





 足止めを行っていた敵巡洋艦、その艦体中央で閃光が煌めく。

 同時に大火災が巻き起こり、その艦を照らし出す。

 しかし、それも長くは続かない。

 被弾箇所から真っ二つに折れて、艦首と艦尾を天高く掲げながら、急速に沈んでいった。


 



「敵巡洋艦、轟沈! 轟沈です!」


 見張員からの興奮気味の報告に角田は獰猛な笑みを浮かべる。

 ようやく、捉えた。


 それにより、敵の足止め部隊の動きが乱れ、一水戦はその隙を突いて、次々に突破していく。

 彼らの後を追うように、長門ら主力部隊も足止め部隊に対する砲撃を続行しながら続く。


 そのときだった。


「敵艦隊、変針! こちらに向かってきます!」


 報告に角田は拳を握りしめる。

 ノルマンディーの輸送船を目標としていた敵艦隊が遂にこちらへと矛先を向けたのだ。


「敵の巡洋艦と駆逐艦が一部、分離! 離脱していきます!」

「敵もやるものだ」


 新しい報告に角田はそう言葉を漏らす。


 敵艦隊の意図は、戦艦6隻を餌に、最低限の護衛を残し、残る快速艦艇を逃がすことで、目標を達成させることだろうと予想できた。

 それが良い取引かどうかは分からないが、現状ではそれしかないだろうと角田は思う。


 時間を掛ければ掛ける程にイギリスやドイツをはじめとした各国海軍の主力艦隊とぶつかる可能性が高くなる。

 何よりも、夜が明ければドイツ空軍やイギリス空軍がやってくることも考えられるからだ。


 敵の戦艦はダンケルク級とプロヴァンス級。

 先に損傷から離脱した2隻がダンケルク級なら良いが、もしも2隻ともプロヴァンス級だった場合、最悪16インチ砲戦艦を4隻と15インチ砲戦艦を2隻、敵に回すことになる。


 とはいえ覚悟の上だ。


「敵戦艦を撃滅する。我々の力を見せるぞ」




 先に砲撃を開始したのはフランス側であった。

 日本側が足止め部隊に対して戦艦による砲撃を加えた為、その分、砲撃開始が遅れた形となっている。

 とはいえ、先手を取ったからと言ってもそう易々と当たるものではない。

 日本側はT字となることを防ぐべく舵を切るが、フランス艦隊は早く決着をつける為か、同航戦を日本艦隊に対し挑む。

 

 しかし、互いに中々命中弾は出ないまま、距離は縮まっていく。

 そして戦闘開始から20分が経過したとき、遂にフランス艦隊の旗艦であるダンケルクが放った16インチ砲弾が長門へと命中する。



 巨大地震に襲われたかと思うほどの揺れ、しかし、長門の装甲を貫くには至らなかった。

 お返しとばかりに放たれた陸奥の主砲弾が敵の2番艦へと命中し、火災を発生させる。

 それと同時に敵の3番艦、4番艦から放たれた主砲弾が金剛に命中するも、金剛から戦闘続行可能である旨の通信が入る。

 金剛へのお返しとして、比叡が敵5番艦に直撃弾を与えるも、目立った被害を与えることはできなかった。

 

 撃ち合う中で、更に距離が縮まるが、日本側もフランス側も距離を開けるという選択肢はなかった。

 




「ここまでは牽制で、ここからが本番だ」


 角田は夜戦艦橋に仁王立ちしていた。

 ここからはいよいよ、ノーガードの殴り合い。

 1発でも当てれば確実に戦闘力を奪えるだろうが、それは敵にも同じことが言える。


 長門の主砲が咆哮し、フランス艦隊の旗艦へと砲弾を撃ち放つ。


「敵1番艦に命中弾!」


 よし、と角田は短く告げる。

 

「敵1番艦、2番艦発砲!」


 報告から僅かな間をおいて、長門の近辺に敵弾が着弾し、大きな水柱を立てる。

 敵の命中精度も上がっており、次は当てられるだろう。


「次弾発射後、取舵一杯」


 角田の指示後、十数秒して長門が主砲を発射する。

 発射してすぐ指示通りに取舵を行う。

 

 徐々に長門が左へと回頭していく。


 その間にも敵の砲弾が降り注ぐが、あらぬところへと着弾する。

 長門に続く形で後続の陸奥、金剛、比叡もまた取舵を行い、左へと回頭する。


 対するフランス艦隊は日本艦隊の後を追うように面舵を行い、右へと回頭する。

 再度、射撃諸元の算定がやり直され、その間、日仏の両艦隊共に主砲が沈黙する。


 この間、両軍の巡洋艦と駆逐艦は主力艦同士の殴り合いから少し離れた海域で、戦闘が勃発していた。

 数を減らされているとはいえ、それでもまだ日本側よりも数が多いフランス艦隊が優位に立っていた。

 だが、フランス側は魚雷を警戒し、砲戦主体とならざるを得ない。

 一方の日本側は数的劣勢を魚雷でもって覆そうと何度か発射したものの、高速で動き回る敵艦に命中することは叶わなかった。



 決定打となったのは主力艦同士の主砲射撃が再度開始されて、15分ほどの時間が経過したときのことだ。

 長門の主砲弾が3発、敵の1番艦――ダンケルクに命中。

 そのうち1発は機関にまで届き、がくんと速力を落とし、落伍していく。


 すかさずに長門は2番艦へと攻撃目標を変更するが、敵2番艦より放たれた2発が命中。

 被弾箇所から火災が発生し、同時にレーダーに不具合が生じてしまう。


 レーダーが使用不能となった長門だったが、すぐにそれは対処された。

 長門が探照灯を照射したのだ。


 照らされる敵2番艦。

 しかし、それは長門が敵に対して自らの位置をさらけ出したという意味でもあった。

 

 たちまちのうちに長門に敵弾が集中し、数発が命中するも、反撃に長門もまた主砲を放つ。

 長門の主砲弾は命中しなかった。

 だが、陸奥以下3隻の各艦から放たれた砲弾はそれぞれが目標とした敵艦に命中した。

 敵3番艦に陸奥の主砲弾が2発、5番艦には金剛の主砲弾が1発、6番艦には比叡の主砲弾が2発命中し、敵艦の戦闘力を着実に奪う。


 無論、フランス艦隊もやられっぱなしではなかった。

 元々、投射弾量ではフランス側が上であり、どちらが優位であるかは言うまでもない。

 陸奥、金剛、比叡もまた軽い損害では済まないが、ここにきて防御力の差が響いた。


 ダンケルク級とその廉価版であるプロヴァンス級は速度を重視した為に、列強戦艦の中では比較的防御が弱かったのだ。

 敵3番艦が遂に屈し、その主砲が完全に沈黙する。

 敵5番艦は大火災を生じ、夜の海を赤々と照らし出す。

 ここで敵艦隊は攻撃を断念したのか、反転し、逃走に移った。

 敵の戦艦3隻が次々に回頭し、針路をフランスへと取った。

 ノルマンディー方面ではなく、最寄りの港へと逃げ込もうという算段だろう。


 だが、日本側に追撃の余力は全くなかった。

 長門、陸奥ともに大損害が生じており、マトモに主砲を放つことすら難しい状況となっていた。

 金剛、比叡は長門と陸奥程に甚大な損害ではなかったが、ほぼ無傷に等しい戦艦3隻を相手にするには荷が重すぎた。

 

 逃走に移った敵艦への追撃はせず、角田は漂流者の救助と艦の応急処置を命じた。

 












「よくやったと弟子を褒めるべきか、それとも我々の仇討ちの機会を無くしてくれたことを怒るべきか、悩ましいところだ」


 イギリス本国艦隊の司令官は溜息混じりにそう告げた。

 明け方になり、イギリス艦隊は日仏艦隊の殴り合い現場にようやく到着したのだが、そこにあったのは満身創痍の長門と陸奥であり、2隻よりはマシな状態にある金剛と比叡、そして護衛の水雷戦隊の姿だった。

 日本艦隊は10ノット程度の鈍足で、ゆっくりと北上している。


 日本の遣欧艦隊司令部からの報告によると、戦艦3隻を撃沈、残る3隻には逃げられたとのこと。

 対する日本側は長門と陸奥が大破、金剛と比叡もまた中破しているが、フランス側の方が被害が大きいだろう。


 詳しい戦闘推移は分からないが、ダンケルク級とその廉価版であるプロヴァンス級は列強戦艦の中でも速度を重視した為に防御が弱いという評価があった。



 空にはドイツ空軍やドイツ海軍の航空機や飛行艇が水上機が空を飛び回っているのが見える。

 ドイツ側の説明によると、これは海戦前から計画されていたもので、どこの海軍とフランス艦隊がぶつかることになったとしても、戦闘後は全力で救助を行うとのことだ。


「我々も救助活動をしよう。戦闘は終わった」


 ノルマンディーを目指したフランス艦隊のその後についても、報告が入っていたので、フランス海軍の作戦は完全に頓挫したと言っても過言ではなかった。





 分離し、ノルマンディーを目指したフランス海軍の巡洋艦と駆逐艦の群れは残念ながら、突入を果たすことはできなかった。

 彼らはブレストの沖合を通過し、英仏海峡へと入ったところで夜が明け、ドイツ空軍の哨戒機に捕捉された。

 


 戦艦の撃沈はマズイが、巡洋艦と駆逐艦なら問題ないという、どこぞのドイツ空軍の偉い人の事情で、ただちに攻撃隊が差し向けられた。

 勿論、イギリスにも手柄を立てさせる為にイギリス空軍及びイギリス海軍に連絡が行き、こちらもまた喜んで攻撃隊と動ける艦を差し向けた。


 またノルマンディー方面からはフランス艦隊との決戦に間に合わず、途中で諦めて引き返していたドイツ海軍やロシア海軍、イタリア海軍の艦隊も逃がさんとばかりに向かった。


 結果として、無事に生き残れた艦が少なく、大半は撃沈されるか、沈まずとも損傷し、近場であったことからフランスの港にどうにか逃げ込んだ。

 だが、逃げ込んだにしても、そこへ艦砲射撃や空襲が加えられ、港湾内に沈むか、座礁する形となり、その戦力を完全に喪失した。


 ここにフランス海軍による唯一の反撃は潰えた。

 それはフランス政府が決断を下す、重要なきっかけとなった。

 







 9月11日――

 ヴェルナーがその報告を聞いたのは空軍省の執務室だ。


 フランス軍との間で停戦協定が結ばれた、というのがミルヒが持ってきた報告だった。

 彼は喜びを隠せないといった顔であり、ヴェルナーは苦笑してしまう。


「歴史的な日だ。今日は全員、なるべく早く帰るように。定時前でも構わんよ。こういう日だ、家族や友人達と羽目を外すのがいい」


 ヴェルナーはそう指示すると、ミルヒを全職員に伝えますと元気良く答え、部屋から出ていった。

 やれやれ、とヴェルナーは溜息を吐く。


 どうにか年内に終わってくれた、という思いでいっぱいだ。

 色んな問題が出てくるだろうが、とにもかくにも戦争が終わったという安堵感があった。


 問題への対策は講じてあるが、実際に機能するかは分からない。

 既に空軍内部ではフランス軍の降伏を予期し、復員に関する具体的な計画が作成されている。

 空軍や海軍はまだ比較的人員が少ないが、陸軍は頭を悩ませる問題だろう。


「何なんだろうな、不思議な感覚だ」


 肩の荷が下りた、という経験はしたことがあるが、それとはまた違ったものだった。

 もはや遥か彼方の前世の記憶とやらでは日本は敗戦国であった。

 戦争に勝利した、という経験を前世の日本人であったときはしたことがない。


 ヴェルナーは執務室から出て、廊下の窓から外を見下ろしてみれば――そこはお祭り騒ぎだった。


 市民達が通りに溢れかえり、誰も彼もが喜び、抱き合っている。

 ビールやワインが振る舞われているのも見えた。


「自分も呑気に騒ぎたい」

 

 勝った勝ったとはしゃぎたいが、残念ながら、裏側を知っていると呑気に喜べない。


 ある意味、戦争よりも大変な仕事が待ち受けていることは確定している。

 この後、ドイツ経済が一気に冷え込む可能性すらあり、ヴェルナーとしては戦々恐々だ。


 とはいえ、とりあえず一区切りがついたのも確かであった。

 

「……帰るか」


 今日はのんびりして、明日からまた仕事をすればいいや、と彼は楽観的に考えた。

 帰ろうと執務室に戻り、荷物を整理していたヴェルナーの元に電話が入る。

 相手はヒトラーだった。


『ヴェルナー、ちょっとパリまで私と共に行って欲しい』

「降伏に関することか?」

『そうだ。降伏文書の調印式に出席して欲しい。ドイツ側の代表として』

「つまり、どういうことだ?」

『君のサインが欲しいということだ。降伏文書に。歴史的な役割だ。嬉しいだろう?』

「それは拒否できるのか?」

『できると思うか?』

「だろうな。分かった、分かったとも。誰からの指名だ?」

『皇帝陛下だ。陸軍のゼークト元帥、海軍のシェーア元帥も君を推している』


 ヴェルナーは肩を竦めた。

 とはいえ、名誉なことであるのは間違いない。


「調印式はいつになる? 今日はもう帰るからな」

『数日以内だ。今夜中には君の自宅へ連絡する』


 電話が切られた。

 ヴェルナーは受話器を軽く睨んだ後、とにもかくにも今日は帰ろうと決意した。




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