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ドイツ製高級ゴミ箱

独自設定・解釈あり。

 ヴェルナーはクララをものにしてすぐに実家へと帰り、自らの戦果を父に報告した。

 彼は息子の早い戦果を笑いながら称えた。

 ヴェルナーはわざわざクララがユダヤ系であることを父に伝えなかった。

 

 そして、ヴェルナーはすぐに適当な不動産屋を探し、ザクセン州はライプツィヒ近郊にある庭付きの邸宅を買い取り、その横にクララ専用の研究所を建てることにした。

 無論、クララが使い易いように、建築の際には彼女の意見を全面的に取り入れる。


 自分専用の研究所を持てる、というのは研究者からすればまさに最高のことであり、クララは大はしゃぎであった。

 彼女は研究所のことで頭が一杯となり、連日連夜、建築家達と議論を交わし、設計図を引くことになった。


 そんな彼女の姿に自分を騙す為にああいったことをしたんじゃないのだろうか、とヴェルナーは感じつつも、新たな女を手に入れる為にパリへ行こうとしたが、それは叶わなかった。


 ベルリンの参謀本部からシュリーフェンの後任として参謀総長となった小モルトケから直々の出頭命令が届いたからだ。

 軍内部での立場は士官候補生に過ぎないヴェルナーからすればこれはまずありえない事態であったが、従わないわけにはいかなかった。

 また、本来ならばモルトケは1906年からシュリーフェンの後任として参謀総長として着任するのだが、1年近く早まった結果となった。

 これはシュリーフェンが高齢の為、またヴェルナードクトリンや飛行機の登場などから時代が変化した為、後進に譲るべき、と判断した為であった。

 また同じように、シュリーフェンと同時にレヴィンスキー大将も退役していた。




 鉄道と馬車を乗り継ぎ、ヴェルナーが参謀本部へとやってきたときには既に3月中旬であった。

 そして、驚くべきことに彼を出迎えたのはヒンデンブルク中将だった。

 慌てて敬礼するヴェルナーにヒンデンブルクは笑って答礼しつつ、彼を参謀本部内へと招いた。



 ヒンデンブルクの案内でヴェルナーは戦々恐々としながら参謀本部内を進んでいた。

 どんなことが起きるのか、と彼が不安で一杯になる中、通されたのは会議室であった。

 

 そして、そこには参謀総長のモルトケをはじめとした陸軍の首脳部が集まっていた。

 予想外の展開にヴェルナーは頭が真っ白になりながらも、これまでの訓練で叩きこまれた通りに見事な敬礼を披露した。


 その様に笑う者や微笑ましく見守る者など様々であったが、参謀総長のモルトケが答礼し、ヴェルナーに席に座るよう指示した。

 彼に示された席は部屋の中央。

 モルトケ達はヴェルナーを取り囲むよう座っており、まるで企業の面接だな、と彼はどうでもいいことを頭に考えた。


 しかし、企業の面接の方がヴェルナーの現状より、よっぽど気楽であるだろうことは間違いない。



「さて、フォン・ルントシュテット候補生。君にとって喜ばしいニュースは2つある」


 モルトケが口火を切った。


「君は本日付けで少尉となり、参謀本部作戦課に勤務となる。無論、陸軍大学の参謀課程も同時に受講してもらう」


 ヴェルナーは目を何度か瞬かせ、モルトケの顔をまじまじと見つめた。

 このジジイ、俺に死ねって言ってるのか、と。


 インターンシップといえば一言だが、自分が発表したドクトリンがある以上、それの研究をすることになるだろうとヴェルナーには容易に予想がついた。

 そして、ここまでの待遇をしてくれる、ということは陸軍は自分のドクトリンに期待をしている、ということだと。


 ヴェルナーの心情をモルトケは気づかずに更に続けた。


「次に君の会社についてだが……これは君だけでなく、多くの会社に言えることだが、陸軍としては自動車に装甲をつけて大砲を積めば良いのではないか、という結論に達した。その車の試作をしてもらいたい。また、同時に飛行機に機関銃や爆弾を積み、敵陣上空から攻撃する必要性があるので、そちらも頼みたい」


 ヴェルナーの提出した論文に書かれていた戦車と近接航空支援機そのものであった。

 どうやらモルトケらはそれが有効な可能性がある、という結論に達して、物は試しとばかりに試作させるようだ。


 ああ、なるほど、とヴェルナーはこの会議の意図が読めた。

 要は自分のドクトリンを参謀本部の手柄にしたいから黙っていて欲しい、とそういうことであった。


 それが分かった途端にヴェルナーは気が楽になった。


「無論、他にも幾つか頼みたいことがあるが、それは後ほど、要望書を出すのでそれを見てもらいたい」


 ヴェルナーが頷くとモルトケは鷹揚に頷き、更に告げた。


「君はまだ長期休暇中だ。具体的なことは休暇明けに指示する。それまでは英気を養い給え」


 それが事実上の終了の合図だった。





 ヴェルナーはその後、真新しい軍服一式と分厚い要望書を渡された。

 彼はげんなりとした顔でどうせなら、と近くにある陸軍大学に顔を出していくことにした。

 

 馬車での移動は30分と掛からないものであったが、彼はその中で要望書をパラパラと読める範囲で流し読みした。


 それによれば戦車以外にも、既存の野砲を自動車に載せた自走砲もどきや対飛行機用らしい自走対空砲、あるいは牽引トラックや兵員輸送車、大容量貨物を輸送できるトラックやトレーラーなどと様々なものが載っていた。

 他にも航空機としては戦闘機、地上攻撃機、双発戦闘機、双発爆撃機、四発爆撃機など、とりあえず考えられるだけ載せてみました、とそういった感が拭えないものが多かった。


 陸軍の要求する性能はこの時代では到底実現できそうもないものが多かったが、中には野砲の車輪を全てゴムタイヤにしたい、とかロケット弾を使用した面制圧兵器などそういうものまであった。

 もっとも、要望書の最後の方に重大事項として5年後くらいを目処に正式に発注したいのでそれまでじっくりと技術的成熟に努めるように、と書かれていた。

 あくまでヴェルナーの会社は自動車・航空機専門であり、銃砲はラインメタルやクルップ、ベルグマンにワルサーなどの分野であるが、陸軍は暗に提携しろ、と言っているのかもしれなかった。


 ところで史実では第二次大戦に突入しても、ドイツ陸軍の野砲は全て鉄製か、木製の車輪であり、英米が採用していたゴムタイヤと比べて酷く機動力の無いものであった。

 また、同じくドイツの砲兵運用システムは英米のそれと比べて非常に旧態然としたシステムであり、自走化もほとんど進んでいなかった。

 もっと言ってしまえば、二次大戦時、もっとも機械化が進んでいるとされていたドイツ陸軍であったが、実際のところ、補給などには馬車を多く使用しており、そこまで進んでいるわけではなかった。

 また、歩兵師団の大半も名前の通りの歩兵であり、自動車化されたものは極一部であった。

 その反面、当時、世界で唯一完全機械化を成し遂げたのは言うまでもなく、アメリカであった。

 



 陸軍大学に到着したヴェルナーは馬車の御者に運賃を支払い、目の前にそびえる正門を見上げた。

 立派な正門だが、暗澹たる気持ちになる。

 軍人は向いてないのかなー、とヴェルナーが思って突っ立っていると、唐突に声を掛けられた。


 振り返るとそこには見慣れぬ少年が立っていた。

 歳は10代前半程度で黒い髪をしており、その身なりはそこらの乞食よりはマシ程度のものであった。

 ただ、その顔は興奮しており、目は爛々と輝いている。


「……私に何か?」

「あなたはあのヴェルナー・フォン・ルントシュテットさんですか?」


 ヴェルナーの顔は新聞により、欧州内外に知れ渡っている。

 こうやって街中で声を掛けられたのは初めてだが、不思議ではなかった。

 新聞ではRFR社の若き出資者、陸軍大学在籍のエリート貴族という風に書かれており、あることないことがほどほどに脚色されていた。


「如何にも。あなたは?」

「自分はヒトラー、アドルフ・ヒトラーと申します」


 ヴェルナーはそのまま無言で自分の頬を引っ張った。

 そして、夢ではないことを確認しつつ、問いかけた。


「君は……どこから来たんだ?」


 ヴェルナーの奇怪な行動を不思議とも思わず、ヒトラーは興奮した様子で捲し立てた。

 彼は学校を中退して画家を目指す為にウィーンに移り住むことになったが、一度でいいからドイツの首都を見ておきたい、ということで遥々故郷からやってきたとのこと。


 ヒトラーは自分の事情を話すとさらに捲し立てた。

 彼は若いながら生粋の大ドイツ主義者であるらしく、ドイツはオーストリアを含めるべきである、とそういう主張をした。


 ヒトラーは父親への反抗から大ドイツ主義となった――父アロイスはハプスブルク帝国支持者であった――のだが、父親が亡くなった後もそれは健在であった。


 また、彼がベルリンへ来た理由も分からなくはなかった。

 ベルリンには多くの歴史的建造物や美術館、劇場があり、ヒトラーはそういったものを見に来たのだろう、と。


「あー、それでつまり、私に何と関係が?」


 ヒトラーの演説を聞き終えたヴェルナーは単刀直入に問いかけた。

 彼の演説は威勢は良いのだが、夢物語に過ぎた。


「私もドイツの為に何かお手伝いさせていただきたく!」

「ウィーンはいいのかね?」

「心はドイツです!」


 ヒトラーの言葉にヴェルナーはどうしたものか、とほとほとに困った。

 こういった熱狂的な手合いは一度信じ込んだら非常に頑固になるのだ。


 とはいえ、利用しない手はない。

 ヒトラーを自分の味方に引き込んでしまえば、彼は非常に楽になる。

 第三帝国が成立するにせよ、しないにせよ、彼の政治家としての才能はわりかし頼りになるかもしれない。

 具体的に言えば初対面の人間に好印象を持たせるらしい、人を惹きつける才能だ。



「もし、君が本当にドイツの為にやりたい、というのならば私が資金を工面するので、学校に行かないか?」


 ヒトラーは途端に嫌そうな顔となった。

 しかし、ヴェルナーはすぐに続けた。


「私は君が将来、大ドイツ帝国を代表する政治家になって欲しい、と思っている。無論、君は画家になりたいだろうから、画家兼政治家ということにしてもらおう」


 ただし、とヴェルナーは告げた。


「その為の道は茨だ。だが、乗り越えれば必ず成果が返ってくる。学校が嫌ならば家庭教師でも良い」

「……本当にいいのですか? 自分にそこまでして……」


 ヒトラーは今度は弱気になった。

 彼にはこのように言われるとできる自信が無かった。


「構わんよ。将来への投資はやってしかるべきことだ。何よりも、何かをしたい、と思うが、何らかの理由でそれができない者を手助けするのが貴族の、高貴なる者の義務というものだ」


 そう言い、ヴェルナーはヒトラーの両肩をしっかりと握り、彼の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「ドイツの未来は君のこのちっぽけな肩にも少し掛かっている。君はやればできる男だと短い会話から確信した。私は君に、君の熱意に賭けたのだ。健康を損なわない程度に頑張り給え」


 ヒトラーは感激に身を震わせた。

 ここまで言ってくれる人物に、そして実際に行動する人物に彼は出会ったことがなかった。

 彼はまだ15歳、若い故にその言葉を素直に受け入れ、同時に貴族というものに対して尊敬を抱くことになった。


「さて、早速行こう。時は金なり、だ。とりあえず私の家に」

「……え?」


 まさかの事態にヒトラーは目を丸くした。


「私の知り合いが教員学校の出身でな。彼女はユダヤ系であるが、そういった先入観を抜きにして君は事実をありのままに受け入れるがいい」







 そして、ヴェルナーとヒトラーはライプツィヒ郊外にあるヴェルナーの屋敷にやってきた。

 クララの研究所はヴェルナーがベルリンへ立つ前日に完成したばかりであり、その大きさは屋敷よりも大きいのではないか、と見る者に思わせた。


 ヒトラーは初めて間近でみる貴族の邸宅にポカンとしたが、ヴェルナーが横で笑っているのを見て羞恥から顔を真っ赤にした。

 

「君の家庭教師はあの研究所の主だ」

「女性で研究所を?」


 ヒトラーは思わず問いかけた。

 その問いにヴェルナーは頷き、言葉を紡ぐ。


「彼女にも君と同じように投資をしているのだ。父からは100万マルクの大博打と言われたがね」

「100万マルク……」


 目も眩むような大金にヒトラーは貴族の凄さを感じた。


「私は君にもそれくらいの投資を考えている。金をドブに捨てていると言われないよう、頑張って欲しい」


 ヒトラーはこの言葉からヴェルナーの切実な思いを感じ取った。

 彼は進歩的であるが故に、周りから、父親から認められないのだ、とヒトラーは思った。


 そして、その父親との関係はヒトラーに通じるものがあった。

 彼はヴェルナーに親近感を抱きつつ、口を開く。


「その方はどこにいるのでしょうか?」

「研究所にいるが、あそこは魔窟だと思うから屋敷で待とう」


 魔窟と言われ、内部はどんなことになっているんだ、とヒトラーは思ったが、気にしないことにした。




 屋敷に通されたヒトラーは内装の意外な質素さに驚きつつ、メイドの数が異常に多いこと、そしてメイドの年齢が自分と同じくらいから20代前半くらいであることに気がついた。

 ヒトラーはヴェルナーの人間としてダメな部分を発見し、貴族も人間なんだ、と感じた。


 そして、それは合っていた。

 ヴェルナーはまだ手は出していないが、後々に出すつもりでメイドをあちこちからかき集めていたのだ。

 彼の将来的な幸せ計画ではこの欧州系のメイドに加え、後にアメリカやロシア、果てはタイやインドシナ、台湾、日本、中国とワールドワイドに揃えるつもりであった。


 一般に男が金と権力を得ると3つのもののどれか、もしくは全てに手を出す。

 その3つとは酒、薬、女のどれかだった。


 そして、それらのうち、女に溺れる――すなわち、どれだけの女を自分の下で囲っているかはこの時代の男にとってステータスであった。


 もっとも、メイドが多ければ多い程に1人当たりの家事仕事が楽になるだろう、というワークシェアリング的な考えもヴェルナーにはあった。


 通されて30分程、ヴェルナーはヒトラーとこれからのドイツの行く末について、そしてドイツを巡る外交情勢などについて歓談した。

 ヒトラーは思っている程に危険な周辺国家に驚愕しながらも、彼は彼なりの意見を述べるなど、中々に盛り上がった。


 やがて、1人の女性が応接間へと入ってきた。

 彼女はそのままさり気なくヴェルナーの傍に立った。


「紹介しよう。私の100万マルクの投資先の、クララ・イマーヴァールだ」


 その言葉にお互いに会釈するヒトラーとクララ。


「で、ヒトラー君。彼女はユダヤ系だ」


 ユダヤ系と言われても、彼はピンとこなかった。

 そういえば母親の主治医がそうだったなぁ、という程度だ。


 その様子にいったいヒトラーは何がどうしてあそこまで過激になったんだろう、とヴェルナーは思った。


「クララ、彼に基礎的な教養を教えなさい。その分の手間賃は支払おう」

「恐れながらヴェルナー様。いったい彼はどこの誰ですか?」


 クララのもっともな問い。

 彼女だけでなく、壁際に控えている数人のメイド達も興味津々の様子。


「彼は将来、ドイツの大物政治家兼画家になる予定の者だ」


 クララは首を傾げたが、スポンサーの機嫌を損ねても困るので頷いた。

 彼女は手篭めにされたあの時の好意を錯覚したまま、今に至っていたが、幾分冷静さも取り戻していた。

 すなわち、どれだけ彼の機嫌を損ねずに自分の研究資金を提供させるか、そういうことであった。


「さて、ヒトラー君。私は思うに、ここで基礎的な教養を学びつつ、ウィーンへは試験の時に赴けば良いと思う」

「はぁ……」


 ヒトラーは生返事を返した。

 彼はどう答えていいか、皆目検討がつかなかったが、とりあえず自分に不利になることはないだろう、と考えていた。


「君は芸術家も目指さねばならない。故に、週末はベルリンやウィーンでのオペラ観賞の為の特等席を用意しよう」


 ヴェルナーの言葉にヒトラーは目を爛々と輝かせた。

 そのわかり易すぎる様子にヴェルナーは思わず笑ってしまう。


 どうやらヒトラーというのは自分の好きなことに対しては徹底的に執着するタイプであるようだった。


「さて、君の部屋を用意させよう。それと私はしばらくの間、屋敷をあけるのでな」


 自分がいない間にヒトラーがメイドやクララに手を出す可能性はない、と断定していた。

 なぜならば、彼はそういったことに対して奥手なようにヴェルナーには思えたからだった。


「というわけでヒトラー君。勉学に励み、週末のオペラ目指して頑張り給え」

「はい! お願いします!」


 ヒトラーは元気良く頭を下げた。


 



 ヒトラーはその夜、故郷の母親へ手紙を書いた。

 彼は自分の現在の状況から始まり、ヴェルナーと貴族の賛美へとそれは続いた。


 史実において、実権を握ったヒトラーはユンカーと対立することになるのだが、この世界ではそれは回避されたのだった。







 ヴェルナーは残り僅かな長期休暇に、急げや急げとフランスはパリへとやってきた。

 パリの街並みはベルリンとは違った優雅さがあった。

 そんな街並みにヴェルナーは大して興味が無かった。

 どうせ10年以内にドイツのものとなるのだから、と彼は考えていた。


 それよりも女であった。

 10年後にドイツのものになるにせよ、そのとき自分は30歳のいい年したおっさんである。

 そんなおっさんが女の子をかき集めるのは色々とヴェルナーの価値観的にアウトであった。

 早い話、20代のうちに女に手を出しまくれ、とそういうことだった。




 そんなわけで彼は敢えてもらったばかりの軍服と少尉の階級章をつけて、パリの街へ繰り出していた。

 ドイツ人なヴェルナーであるが、軍の士官学校・陸軍大学で英語・フランス語・ロシア語の勉強は必須であった。

 それらの言葉が必要な理由は地図を見れば事足りる。

 イギリス・フランス・ロシアはいずれも仮想敵国であった。


 ドイツ人ということから嫌悪の視線で見られるが、それも慣れたもの。

 それよりも彼の階級章がモノを言った。


 少尉という将校としては最下級であっても、将校は将校。

 彼に声を掛ける女性――娼婦達は多く、ヴェルナーは声を掛けてきた娼婦達を片っ端からホテルへ連れ込んで美味しく頂いていた。

 そして、情事の後に自分の名前を明かしつつ、さり気なく財布の中身を見せれば彼女達は誰もが目を輝かせて――その意味は好意などではなく勿論お金目当て――ヴェルナーの屋敷へ行くことを快諾した。

 勿論、ヴェルナーに貢がせようという気満々だった。


 しかし、彼は一筋縄ではいかなかった。

 

 偉大なる大英帝国のインド統治を見習い、ヴェルナーは女同士で対立させ、一致団結しないようにさせた。

 すると女達はヴェルナーの歓心を得ようと我先にと彼に従順な態度を見せ、またその一方で誰かの悪口を彼に言った。


 しかし、ヴェルナーは日本人特有の日和見的な態度で曖昧に、それでいて自分の手元を離れない程度に好意を示しながら、新たな娼婦を次々と囲い込んでいった。


 だが、彼は満足しなかった。

 娼婦達は確かに顔も体型も良い者を選んだが、彼女らの半分以上は文盲であり、また教養のある者や何かしらの特技がある者はいなかった。

 いわゆる、高級娼婦がいなかったのだ。



 そのような中でヴェルナーはフランスの上流階級に属する連中から面白い渾名を頂いた。

 それは「ドイツ製高級ゴミ箱」というもの。

 傍目にはより好みせず、娼婦なら、というか女なら何でも構わずに自分のところへ囲い込んでいるように見えた。

 事実その通りなのであったが、ヴェルナーからすれば抱きもせずに食わず嫌いしている連中こそ滑稽に見えた。





 そんなヴェルナーであったが、帰国を4日後に控えたある日、パリの路地裏を、女を探して歩いていたときだった。


「ねぇ、あなたは軍人さん?」


 そうやって声を掛けてきた女がいた。

 彼女はヨーロッパでは珍しい東洋系の顔立ちであり、黒髪が艶かしかった。


「私が軍人に見えないなら、君の瞳はガラス玉のようだ。もっとも、例えその瞳がガラスであっても、君が美しいことに変わりはない」


 ヴェルナーが、これまでの女との戦いからそっちの意味でもレベルアップを果たしていることがよく分かる言葉だった。

 彼女はその言葉に気を良くしたのか、くすくすと笑う。


「ここら辺に良いゴミ箱があるって聞いたの」


 その言葉にヴェルナーも同じく笑って問いかけた。


「そのゴミ箱はドイツ製の高級なものかな?」

「ええ、そうよ」


 彼女はそう返すとヴェルナーに腕を絡ませてきた。


「私、離婚してジャワ島で覚えたダンスでもやろうかと思ってパリに来たの。でも、その良いゴミ箱があって、そのゴミ箱さんは博愛精神に満ちているらしいの」

「ゴミ箱だから選ばないさ」


 ヴェルナーは大勢囲っているということを暗に示しつつも、彼女の腰に手を回した。


「じゃあ、ゴミ箱の中で輝く宝石になってあげようかしら?」

「そうなる前に食べられてしまうよ、ゴミ箱に」


 彼女は妖艶な笑みを浮かべ、告げた。


「食べてくれないかしら? 可愛いゴミ箱さん」

「喜んで。ところで、食べられる君の名前は?」


 笑みを崩さず、彼女は告げた。


「マルガレータ、マルガレータ・ツェレよ。考えていた芸名はマタ・ハリ。好きに呼んで頂戴」


 ヴェルナーは思わぬ人物に内心驚きつつも、その気持ちの高ぶりを抑えたりはしなかった。







 ヴェルナーがフランスで得たものは色々な意味で大きかった。

 マルガレータをはじめとした娼婦数十人。

 幾ら何でも多すぎるような気がするが、毎日日替わりで、と考えればそうでもなかった。

 彼は列車を貸し切って、娼婦達と共にドイツへと帰国した。


 そして、大学が始まるぎりぎりまで彼は娼婦達やメイド達、そしてクララとベッドの上で戦う、とヒトラーが母への手紙で「私生活は淫蕩極まりない、駄目人間」と書く程であった。

 

 対するヒトラーも週末は寝る間も食べる間も惜しんで劇場をハシゴしている為に、ヴェルナーから密かに「芸術狂い」と渾名されているのでどっちもどっちだった。

 

 

 そんなこんなでヴェルナーの長期休暇は終わり、彼はベルリンへと戻った。

 そして、彼はこの世の地獄に遭遇した。


 日中は陸軍大学にて授業が行われ、夕方からは参謀本部でさらに勤務。

 普通の大学なら色々と自由なのだが、軍の大学ともなれば規律が半端なかった。

 そして、その後もまた参謀本部で、陸軍大学よりももっと神経をすり減らすようなお仕事だ。

 さらに加えて、尉官として最低限の知識を身につけなくてはならず、その勉強もあった。

 それらの合間に食事と風呂と睡眠と大学の予習復習を済ませなくてはならない。



 幸か不幸か、ヴェルナードクトリンは既に参謀本部で粗方研究し尽くされていた。

 参謀本部といえば陸軍の最高レベルの頭脳が集まっていると言っても過言ではない。


 それに関しては喜ばしいことだったが、その過程で出た膨大な量の質問や解決すべき問題点。

 ヴェルナーの仕事はその対応策を考えることであった。

 自分が出した案なんだから、その対応策も自分で考えろ、という陸軍高官達からの有難くないお達しであった。


 彼は自分よりも数十歳も年上で、かつ、階級も雲の上の存在な佐官や将官達に対して数日おきにプレゼンテーションをせねばならなかった。


 前世で普通に過ごしてた方が絶対楽だ、とヴェルナーは己の境遇を憎みつつ、人員が欲しい、としばしば要請を出した。

 人員に関しては観戦武官として日本へ行っているマンシュタインとグデーリアンらをあてる、と上は回答したが、彼らが帰ってくるのは日露戦争が終わってからの話であった。


 ヴェルナーの苦行は彼の将来を約束したものでもあったが、大学の同級生達は口を揃えて彼のようにはなりたくない、と言った。

 誰だって、24時間のほとんどを仕事や勉強に追われたくはない。

 

 彼らは陸軍始まって以来の、候補生で少尉なヴェルナーを哀れんだのだった。

 そして、ヴェルナーは仕事の為に5月に行われた皇帝主催のパーティーに出席できず、彼は参謀本部の一室で金髪碧眼巨乳貴族令嬢と泣き叫びながら、軍集団レベルの補給体制について解決策を考えたのだった。

 この奇声を聞いた陸軍高官達はヴェルナーが狂ったと思い、軍医を派遣したが、派遣された軍医は診断して、呆れた顔で彼に栄養剤を手渡し、疲労以外何もなし、と報告するという珍事もあったりした。




 1905年の7月になると陸軍大学が長期休暇に入った。

 参謀本部に勤務前のヴェルナーは毎年この時期になると学友を誘って地中海にバカンスに出かけていたのだが、そんな暇はなかった。

 日露戦争は既に終結秒読みの段階となっており、もう大規模な戦闘は起きないだろう、ということで観戦武官であったマンシュタインやグデーリアンらの若手候補生達がドイツへと予定よりも早く戻ってきた。


 そして、そのままそっくりとヴェルナーの指揮下へと入った。

 彼らは士官学校時代に研究会で討論していたことから、こうした方がより捗るだろう、という参謀本部の考えであった。

 もっとも、さすがに尉官を乱発するわけにも行かないので、候補生のまま研修という形だ。 


 マンシュタインらを参謀本部前で出迎えたヴェルナーはまるで枯れ木のようだった。

 その変わり果てた彼の姿に驚愕したが、すぐに彼らはその原因である彼の仕事を知ることとなった。


 ヴェルナーは大勢の優秀なスタッフを迎えたことに心の底から喜びつつ、自身は2週間後から1ヶ月間休暇を取ると大体的に宣言した。

 1ヶ月前からモルトケに血文字で書いた休暇申請願いを渡すなど、直訴をしていたこともあり、モルトケはその鬼気迫る様に気圧されてほいほい了承してしまったのだ。


 ヴェルナーは疲労困憊であったこともあるが、幾つもの手紙が実家から来ていた。

 クララは勿論、マルガレータやその他の娼婦、そして手を出したメイド達からだ。

 彼女達は頻繁に手紙を送ってきていたが、最新のものでお腹が大きくなり始めたと書かれていた。


 ヴェルナーが手を出した相手は数十人にも上る。

 その全ての女性達から妊娠したという報告がほぼ同時期にやってきたのだ。


 認知するにせよ、しないにせよ、明確な意思を表明する必要が彼にはあった。





 そして、ヴェルナーは2週間後に自分の屋敷へと戻り、認知する代わりに子供は全て別の場所へ移す、とした。

 そのまま置いておいては母親達の闘争道具として利用されることが明白であったからだ。

 別の場所とは彼の実家であったので、父親が呆れた顔をしたが、ヴェルナーがたくさん孕ませることが男の仕事です、と清々しい言葉を述べ、父は溜息を吐きながら、渋々許可したのだった。





 そんなヴェルナーの個人事情とは別に、クルップやラインメタル、ベルグマン、ワルサー、マウザーなどの銃砲メーカーでは3月に出された要望書を元に幾つもの試作が行われていた。

 これらのメーカーではクルップやラインメタルが主に野砲などの火砲、ベルグマンやワルサー、マウザーでは小火器を中心としていた。

 軍からの要望書にあるように、彼らは5年を目処にして設計・開発を進めていた。


 これらのメーカーには要望書以外にもこれからの陸軍の要求する項目について書かれた書簡が送られている。

 その書簡によればとにかく火力を集中したいので弾を連続して撃てるように、また迅速な移動が可能であるように、何よりもまとまった数を短期間で大量に揃えられるように、とそういうことが書かれていた。


 この書簡を見たメーカーのボス達は近い将来に戦争が起こることを予感し、将来の大金の為に開発チームの大幅な人員増強と工場の拡張を行った。

 また旧来の生産体制の見直しを図り、月産1000台を目標に掲げているRFR社の工場見学やそのRFR社に負けるな、とばかりに4月から合併したダイムラー・ベンツ社の工場を見学し、その量産技術の習得に努めることとなった。

 作っているものは違うが、参考になる部分は多々あったのだ。

 例えば部品の互換性の確保やそれに伴う品質管理手法などなど様々であった。

 


 そんな活発な企業の動きにより、ドイツ国内は常に労働力不足となっていた。

 国内企業はRFR社を含め、どこもかしこもドイツ中の街や村に求人広告を張りまくっており、景観が悪くなる、という市民達の抗議活動により、張り紙を撤去する代わりに、国が大規模な職業紹介所を各地に作ることとなった。

 その労働条件もRFR社が高待遇を出せば他の会社も同じような待遇に引き上げるという、労働者にとっては最高の就職環境であった。


 しかし、それでも労働力は不足しており、職にあぶれた者達が近隣諸国から集まることとなった。

 ベルギー、オランダ、フランス、ロシア、オーストリア・ハンガリー、イタリア、スイス、イギリスなどなど。

 

 外国人労働者として色々と問題を起こしそうなものであったが歴史的な経緯により犬猿の仲というところはあるが、それでもイスラム教圏などのまるっきり文化や慣習が違うところからやってきた労働者を受け入れるよりは遥かに問題が少なかった。


 そういった労働者達に立ちはだかったのは言語の壁であったが、これも企業側が通訳を用意することで簡単に解決した。

 とにかく人手が欲しい企業としてはその程度の手間を惜しまなかった。


 そして、そのような労働者達はドイツ企業の高待遇っぷりに歓喜し、母国から家族を呼び寄せる者がほとんどだった。

 彼らはドイツに居着いて、次第にドイツ人化していくのは明白であった。



 欧州は平和であり、人々は繁栄を謳歌していたのだった。

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