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バタフライ効果と男の甲斐性

独自設定・解釈アリ。

微エロあり。


ラブコメなんて無かった。

 日露戦争が始まってすぐ、ヴェルナーは日本国債をシャハトの協力を得、ドイツ中の銀行という銀行を協力体制に持ち込み、発行した分の国債を全て買い込んだ。

 ヴェルナーは当初こそドレスナー銀行単独だろう、と予想していたが、いつのまにかシャハトが他の銀行を説き伏せていた、というまさかの事態に驚くばかりであった。


 日本政府が必要とした外貨はおよそ1億円――現代日本円換算でおよそ5000億円――であり、1億円分の国債が発行された。

 当初、列強諸国は誰もが日本の敗戦で終わる、と予想していた。

 しかし、そんな中で有名なヴェルナーがドレスナー銀行をはじめとしたドイツの様々な銀行と結託して、日本国債を全て買い込んだ。

 日本政府はまさか買い手が――それも皇帝同士が親戚関係にあるドイツで――つくとは思ってもおらず、嘘ではないか、と時の内閣総理大臣である桂は問いかける程だった。


 これに対してドイツ皇帝のヴィルヘルム2世は遺憾の意を表明したものの、ヴェルナーや銀行に対して何もペナルティを科さなかった。

 ヴィルヘルム2世にとって、ヴェルナーの名前は無論知っていた。

 彼は貴族らしい貴族であるヴェルナーを好ましく感じていた。

 無論、彼の先見の明によって帝国において人類史上初の飛行機が発明されたことも高く評価していた。


 ヴェルナーがそうしたのは日本という「元」祖国に対してのささやかなプレゼント――というわけではなかった。

 彼はシャハトを通じて日本政府に対し、満州北部――より具体的には黒竜江省一帯の土地――を対価に求めた。

 言うまでもなく、そこはロシア領であった。



 対する日本政府は戦う前から勝った後のことを考えるヴェルナーに対して眉を顰めつつも、黒竜江省に何かあるのではないか、と調査を命じたが、精々穀物がよくとれるという程度しか出てこなかった。

 日本政府は不思議に思いながらも、戦後に購入という形にしてもらいたい、とヴェルナーに回答した。


 

 ヴェルナーの策は簡単だった。

 彼はおよそ半世紀後に発見される大慶油田を今のうちに見つけてしまい、そこにアメリカ資本を呼び込む。

 そして、ドイツ・アメリカ・日本・イギリスの四国で満州の共同統治を行い、将来的に誕生するだろうソ連への抑えとする。

 無論、中国が赤化しないように十分な注意を払いつつ、日本の韓国併合を押しとどめる。

 むしろ、朝鮮半島も四国共同統治にしても良い、とヴェルナーは考えていた。


 そんなヴェルナーが出した将来への結論は極めて単純だった。


 アメリカだけは絶対確実に味方につける、そうすれば全世界と戦争しても勝てる――というもの。

 モンロー主義が蔓延り、旧大陸には関わりたくない、という世論のアメリカにおいて、関わりたいと思わせるには相応の餌が必要であった。


 要するにどちらもが勝者となるWin-Winの関係こそがアメリカを新大陸から引っ張りだしつつ、自国の世論も親米にもっていく唯一のやり方であった。


 

 さて、ヴェルナーは日露戦争の戦況を聞きつつ、1904年の3月にはRFR社において幾つかの部門を新設し、これまでのごちゃごちゃな体制を整理していた。

 それは総合科学研究部門、設計開発部門、製作部門であった。



 総合科学研究部門は名前の通り、自然科学・応用科学全般を扱う部門であり、新たな法則や物質の発見など実験室レベルでの研究から発見されたものをどう実用化するかを研究するのが主であった。

 設計開発部門はその名の通り、研究部門からあがってきた成果を生かし、飛行機や自動車の設計を行う部門だ。

 フォードやライト兄弟、ヤトーはここに属することになった。

 最後に製作部門。

 ここはその名の通り、設計図から実際に製品を作り出す部門であり、試作から量産までができる工場であり、人数的には最も多い部門であった。

 




 そして、1904年10月1日、RFR社は流線形を多用した今までにない洗練された自動車、フォードA型を発表し、即日販売を開始した。

 また同日、RFR-01Aという単葉固定脚の飛行機を発表し、即日販売を開始した。

 

 フォードA型は値段は3780マルク(=900ドル)という、他の自動車が最安でも4200マルク(=1000ドル)以上であることから破格の安さであった。

 また、そのカラーリングも幾つか選べるという充実っぷりだ。

 

 上流階級には勿論、中流階級にも手が届くお手頃な値段であることから問い合わせが殺到した。

 また、01A型飛行機もドイツ陸海軍をはじめ、各国軍や上流階級から問い合わせが殺到した。

 01A型飛行機は性能的には非常に平凡だ。

 単座であり、30馬力程度の水冷4気筒エンジンを積み、最大で時速40km程だ。

 航続時間は20分程で最大上昇限度は10m程度。

 見た目としては史実にあるフォッカーE1戦闘機に似ているが、如何せん機体材料やらエンジンの馬力やら機体形状やら構成する全てが未熟であった。 



 しかし、ライトフライヤーからすれば恐ろしく洗練された見た目であり、それだけで各国に与えた影響は計り知れなかった。

 ともあれ、自動車も飛行機もどちらも注文が殺到し、ヴェルナーは銀行から追加融資を受けるや否や、ただちにドイツ各地に数エーカーから数十エーカーの敷地を持つ大規模な工場の建設に踏み切ると同時にフォードやライト兄弟、ヤトーらに対して飛行機も自動車も同じ部品はどちらでも使えるように指示した。

 部品の規格化及び互換性の確保であり、指示を受けたフォードらは少しでも生産効率を上げるべく、試行錯誤を繰り返すことになった。

 

 


 ヴェルナーは販売実績が右肩上がりで増えていることにほくそ笑みつつ、11月、新たな計画を始動させた。

 それは科学技術振興基金というものの立ち上げであった。

 一番良いのは会社に囲ってしまうことだが、そういうのを嫌う研究者も中にはいる。

 ヴェルナーはそんな研究者の為に資金を貸し出すことにしたのだ。

 その基金は国籍は問わないが、年間5万マルクまで、毎年研究成果を報告すること、5年間進捗なしの場合は給付打ち切り、特に功績のある者に対しては特別給付として30万マルクとそういった条件であった。

 

 ヴェルナーは特許申請の一件以来、多くの国内外の新聞記者達と触れ合い、彼らと親しくなっていた為に、すぐにこの基金のことも世界中へと広まっていった。

 そして、やはりというか世界中から申し込みが殺到した。

 そんな申し込み者の中にはフリッツ・ハーバーやカール・ボッシュ、そしてアルバート・アインシュタインなどの大物の名前もあった。

 ヴェルナーはすぐにそういった大物達に対して手紙を書き、特に親交を深めることにした。

 特にアインシュタインは現在、スイス特許庁の3級技術専門員として働いていることが申込書から判明し、ヴェルナーは先述したハーバーらと共に是非ともウチの会社に来て欲しい、とラブコールを送ることになった。

 そのような中で唯一、女性で申し込みをしてきた者がいた。


 彼女の名前はクララ・イマーヴァールであり、今年で34歳となる未婚の女性であった。

 彼女は申込書と共にヴェルナー宛に手紙を送ってきており、それには自分は科学者としてより高みに立ちたいが為にフリッツ・ハーバーという者との結婚を断った、と書いてあった。


 ヴェルナーは科学者のハーバーとは同姓同名の人物だろう、と思いつつも、彼女への支援を約束した。

 

 

 しかしながら、この頃、ヴェルナーは過剰労働気味であった。

 彼は兄のカールと同じように参謀課程へと進み、その傍らで会社の業務もこなしていたからだ。

 参謀課程は生半可なものではなく、半分以上が落第するというプロイセン陸軍大学での最難関コース。

 彼の1日の大半は授業と予習復習に費やされ、残った僅かな時間で睡眠を取り、休日もまた予習復習、そして会社業務という日々であった。


 日露戦争は大方の予想を裏切って史実通りに日本が優位に進めていた。

 ただ、歴史との重大な相違点として、マンシュタイン、グデーリアンら数十名の若手士官候補生達がマックス・ホフマン大尉率いる観戦武官団についていっていることだった。

 これは参謀本部から、ヴェルナードクトリンを使用するにはどうすればよいか検討してこい、という宿題が与えられた為であった。


 本来ならヴェルナーが行くのが筋であるが、シュリーフェンら参謀本部の上層部は若くして参謀課程に進みつつ、会社まで経営する超人的な働きをするヴェルナーを地球の裏側まで行かせる訳にはいかない、と判断した為であった。

 マンシュタインもそういった意味ではその出生が凄いのだが、あくまで今回はこれまでの実績を考えた形となった。





 そして1904年12月、ヴェルナーは遂に限界に達し、父のゲルトに手紙で相談した。

 精神的・体力的に限界が近い為、会社を誰かに任せたい、と。

 だが、その一方でこれからは造船業に手を出していきたい、とも。

 その相反する気持ちにゲルトは参謀課程の修了までは一時的に誰かに任せるという形にすれば良いのでは、と助言した。


 それを受け、ヴェルナーはフォードに一時的に任せるという旨の手紙を書いた。



 フォードは渋々ながらそれを引き受けることになった。

 また、その際、ヴェルナーは軍用航空機及び軍用自動車に対する指示として高性能であっても、生産性・整備性が最悪ならば決して量産しないよう命じた。

 もっとも、フォードはその辺は心得ており、彼は生産効率を上げることに躍起になっていた。

 来年の4月を目処に大規模な工場が幾つも稼働予定であり、それまでに現在の工場兼実験施設の片隅で日夜、試行錯誤していた。

 





 翌年の1月になるとヴェルナーは驚くほどに余裕ができていた。

 彼は休日にしっかりと休むことができ、頭も冴え渡り、気力・体力共に充実していた。

 これを機に、と彼はグライダーを使って飛行訓練を初めた。

 パイロットになればより多くの名声を手にできる、ドイツ空軍の創設者の1人として食い込もうと彼は考えたからだ。


 しかし、そんな最中に今度は父親からの手紙。


 それはそろそろ結婚相手を見つけろ、というものと初夜にリードできないと恥ずかしいからパリでも行って愛人作ってこいというものであった。


 パリはこの当時、快楽の都として栄えており、上流階級の紳士相手の高級娼婦達が大勢いた。

 彼女らはただの娼婦ではなく、その美貌と才知を持って紳士を篭絡し、膨大な金額を貢がせ、湯水のようにそれを消費する刹那的であり破滅的な存在だ。

 彼女達にとって、どれだけの男を破産させたかが自慢であった。

 そのような高級娼婦も、元を辿れば平民であった。


 平民の女が豊かになるには娼婦やメイドとして誰かに仕え、そこから妾や愛人となるしかなかったのだ。

 ヴェルナーは当然、そのことを知っていたが、何をどうしても将来的に女性の社会進出は確実となる。

 故に、彼は何もその動きを早める必要はない、として男としての欲望を優先させた。


 そして、そのように金のかかる女を侍らせることこそが、この時代の紳士達の自慢であり、また金のかかるかからないに関わらず、どれだけ愛人を囲っているかも自慢であった。

 要は男の甲斐性というものだった。


 ヴェルナーとて健全な――というよりか、21世紀日本人的な、変態的価値観を持った青年である。

 とはいえ、日本に対してそこまでの愛着をドイツ人となってから感じているとは言えなかった。


 前世と今世は全く違うもの、と彼は考えていた為だ。


 ともあれ、前世では女性経験もそれなりにあったが、今世ではまだない。

 ヴェルナーは父親のお墨付きをもらったので、早速2月後半から4月半ばまでの長期休暇の際にパリに行くことに決め、自分の預金残高を贔屓にしているドレスナー銀行のシャハトに確認してもらった。


 すると、本来ならば学生であるにも関わらず、数百万マルクが入っていることが判明し、毎月数十万マルクが収入として振り込まれていることも分かった。

 ヴェルナーは小躍りしつつ、長期休暇を迎えたのであった。 

 





 フランスに行くにあたり、ヴェルナーは一度実家へと戻った。

 彼の実家近くにはRFR社の社屋や各種実験施設があるのだが、設立当時とは比べものにならない程にそれらの施設は巨大化し、かつ広大化していた。

 2エーカーの土地一杯に建物が乱立しているその様は壮大であった。

 航空機や自動車の生産工場もあるが、それは実験施設群と比べたら非常に小規模であった。

 また、RFR社に対抗してベンツ社とダイムラー社が技術交流協定をはじめとした各種提携を結び、合併するのも時間の問題となっていた。

 RFR社の売上と反比例してベンツ社、ダイムラー社をはじめとした多くの自動車会社の売上は落ちる一方であった。

 史実通りならば20年以上先の、第一次世界大戦後の経済危機により合併するのだが、RFR社に対抗する為に恐ろしく早まった形となった。

 それは航空機という新分野もさることながら、自動車にあった。

 何よりも安く、それでいて流線形を多用した洗練されたデザインのこのフォードA型は販売開始以来、常に供給不足であり、転売業者まで現れる始末であった。

  開発者兼社長のフォードはその供給不足を解消すべく、4月に稼働するドイツ各地の工場を全て合わせて月産1000台を目標としており、生産ラインの確保が出来次第、より増産できるようしていく、と発表した。


 無論、ベンツ社もダイムラー社もこれまでの自動車エンジン製作経験を生かし、航空エンジンの開発に取り組み始めており、急速にその技術を伸ばしてくるだろうことはヴェルナーをはじめとしてRFR社の面々は承知していた。







 その一方でMAN社からはRFR社に対してディーゼルエンジンのライセンス生産や技術交流協定を持ちかけられた。

 MAN社の経営陣はダイムラー社やベンツ社と違い、より強大な敵としてRFR社を見ており、彼らは提携して技術交流を持った方が良い、と考えた。

 フォードはディーゼルエンジンが燃費に優れており、構造も簡単であることからすぐにその話に乗り、ただちにディーゼルエンジンのライセンスを獲得し、ついでにMAN社から各種ディーゼルエンジンを購入し、生産効率の試行錯誤をする息抜きとして弄り始めた。


 国家レベルでは皇帝ヴィルヘルム2世やドイツ帝国議会もこの動きを支持し、航空機・自動車・船舶が発展するように各種法律を制定し、多額の予算が投入されることになった。

 海軍を拡張したかったティルピッツはこの動きを不快に思ったものの、彼は船舶分野への補助をねじ込むことに成功した為にどうにか腹の虫を収めた。

 彼は日露戦争の結果を反映した艦艇を造ろうと前向きに考えることにしたのだ。


 この一連の法律の予算抽出の為に1900年成立の艦隊法は現在建造中の艦船の完成を待って破棄されることとなった。

 



 そのような中、RFR社の躍進に危機を覚えたのはドイツ国内企業だけではなかった。

 フランスではドイツに負けてなるものか、と国家レベルで自動車・航空機分野に対する法律が制定され、関連企業に多額の補助金が投入された。

 その一方で大学では関連する学部が多く設立され、将来の技術者育成の為にやはり多額の予算が投入された。

 また、イギリスにおいても自国の産業育成ということから、フランス程ではないが、法律が制定されて補助金が関連企業に投入されていた。

 もっとも、イギリスにとって喜ばしいこともあった。


 それはドイツでの艦隊法の破棄。

 イギリス政府内ではドイツが諦めた以上、こちらもこれ以上の建艦は財政的に問題がある、という意見が頻出し、イギリスもまたドイツと同じように現在建造中の艦船の完成を待って、全ての建造計画をキャンセルした。

 このキャンセルされた建造計画の中にはフィッシャー提督が強烈に推していた、ドレッドノート級戦艦も含まれており、提督はこの戦艦だけでも作るべき、と強硬に主張したが、許可も予算も降りなかった。

 


 これにより加熱していた建艦競争は停止し、イギリス・ドイツの両財務大臣は双方胸を撫で下ろすことになった。

 



 一方でアメリカ、ロシアでは動きが非常に鈍かった。

 アメリカ国内では自動車といえばGMといえる程になっており、そのGMも民間需要を十分に補えるだけの生産力を持っていた為だ。

 ただ、購入層が限られていた為にGMは安価の大衆自動車の開発に注力することになった。

 また、飛行機においては軍や企業などが関心を持ち、RFR社から独自に購入して研究していたが、それでも国家レベルで、という程ではなかった。

 ロシアは元々道路なんぞあってないようなレベルであり、また気候が厳しく、沼沢地が多い為に自動車は次世代の輸送手段となりえず、飛行機についても軍や企業が独自に購入している程度だった。





 ヴェルナーがフォードをはじめとしたRFR社の主要な面々と会談し、その研究成果や販売成績を直に聞き、手紙の件を父に聞くことになったのは実家に戻ってから1週間後のことだった。




 そして、ヴェルナーとゲルトは書斎で対面した。



「父上、この手紙の通りに私はやりたいと思うのですが……子供ができた場合はどうしますか?」


 問いかけにゲルトは問題ない、と首を横に振る。


「お前が認知したければするがいいし、したくなければしなくてよい。お前の結婚相手は私が決めておくから安心しろ」


 鷹揚に頷くゲルトにヴェルナーはずい、と身を乗り出した。

 その妙な迫力にゲルトは若干引きながら、なんだ、と問いかける。

 

「父上……是非とも金髪で碧眼で色白の令嬢でお願いします!」

「あ、ああ……わかった」


 父の返事を聞くなり、ヴェルナーはプロイセン式の見事な敬礼を披露し、部屋から出ていった。

 後に残されたゲルトは目を瞬かせた後、呟いた。


「今年の5月に開かれるベルリン王宮でのパーティーに行けばちょうど良いだろう。それまでに根回しせねばな……」


 年に数回開かれる皇帝ヴィルヘルム2世主催の大規模なパーティーであり、ゲルトも将官ということで招待状をもらっていた。

 息子を参加させるのは何ら珍しいことではなく、またヴェルナーは実績も十分過ぎる程に出している為に誰も文句は言えないだろう、とゲルトは予想したのだった。





 ヴェルナーは書斎から出た後、自室へと戻りこれからのバラ色生活……否、性活に思いを馳せた。

 これまで彼の周りにいたのは男ばかり――士官学校も陸軍大学も寮暮らし――で、唯一の女っ気といえばよく手紙を出してくれるクララ・イマーヴァールであった。

 彼女は当時としては珍しい女科学者というだけあって、ヴェルナーの好奇心を非常にくすぐった。

 今年で20歳のヴェルナーからすれば14歳も年上のクララは話しやすい異性であった。

 

 ヴェルナーは早速、クララ宛に近いうちにパリへ骨休みに行く、などとつらつらと近況を書き綴り、その日のうちに速達で手紙を出した。






 ヴェルナーはそれから実家でグライダーで訓練し、ライト兄弟に飛行機の操縦を教わり過ごしつつ、クララからの返事を受け取った。

 それは一度、自分のところへ会いに来て欲しい、というものだった。


 彼女は現在、ドレスデンにいるとのことでヴェルナーはその日のうちに早速ドレスデンへと向かった。






 クララの住居兼研究所はドレスデン郊外にある小さな家であった。

 庭付きの住宅であったが、見た目からはかなりオンボロであり、ドアを蹴り破れば家ごと壊れるのではないか、とヴェルナーは思ってしまう。

 せっかく、女性と会うということで士官候補生として専用の制服を着こみ、革手袋までしてきたのだが、これでは台無しであった。


 ともあれ、クララを呼び出さないことには始まらず、ヴェルナーは玄関先に吊るされた錆だらけのベルを鳴らす。

 するとしばらくして、ドアが開いた。

 ヴェルナーは目を数度、瞬かせた。


 そこにいたのは金髪を三つ編み団子にし、簡素な黒いドレスを纏った女性であった。

 何故、彼が驚いたか、それは彼が予想していたよりも顔が良かったからであった。


 対するクララも同じく目を瞬かせた。

 彼女は新聞で何度もヴェルナーの写真を見たことがあるが、実物は新聞よりもより良かった。


「フォン・ルントシュテット様ですか?」


 クララの問いにヴェルナーは首を頷き、告げた。


「私がヴェルナー・フォン・ルントシュテットです。あなたはクララ・イマーヴァールさんでよろしいですね?」

「はい……汚らしいところですが、どうぞ中へ」


 


 クララの案内で家の中へ入ったヴェルナーは異臭に顔をしかめることになった。

 様々な薬品の匂いが部屋中に充満しており、至るところに置かれたテーブルにはフラスコやらビーカーやら様々なものが置かれていた。

 これでも片付けたらしく、木製の床には箒で履いた痕跡やモップで拭いた痕跡があった。


 ヴェルナーはそれらを横目に見つつ、クララに座るよう指示されたので適当なソファに座った。

 彼女もまたその対面に椅子を持ってきて座った。


「……で、イマーヴァールさん? 私に何の御用でしょうか?」


 その問いかけにクララはびくっと体を震わせた。

 まるで悪いことをした子供が叱られるかのような態度だ。


「実は……研究が全く捗らなくて……」


 それで、と伏し目がちになるクララに対してヴェルナーはやれやれ、と溜息を吐きたくなった。

 つまるところ資金の融通もしくは研究成果発表の猶予であった。

 しかし、ヴェルナーは彼の知る史実ではクララ・イマーヴァールという科学者が何か大きな功績を残したというものはなかった。


 改めて、ヴェルナーはクララという女性を観察してみる。

 よく見れば彼女は若干その頬が痩せこけており、また化粧で隠してはいるものの、僅かに目の下にクマがあった。

 そして極めつけはその瞳だ。

 徹夜が続いているのか、充血しており、またその目は追いつめられたものであった。


 そこでヴェルナーはピンと閃いた。

 彼は男としての欲望を優先させることにしたのだ。

 何しろ、この時代はそういうことが公然として行われており、借金の為に身売りというのもよくあることなのだ。


「研究成果が何も出ないのであれば、たとえその進みが小さな一歩であったとしても発表できるものが無いのならば支援は打ち切るしかない」


 ヴェルナーの言葉にクララは悲観的な表情となった。

 その表情を見た彼は身を乗り出し、クララの頬を優しく撫でる。


「しかし、私個人の愛人となれば話は別だ。そうすれば資金も個人的に融通できるし、研究スペースが欲しいのならば必要な分だけ提供しよう」


 クララはヴェルナーの言葉を何度も脳で反芻した。

 彼女は今年で34歳であり、未婚。

 これまで男性と交際したこと何年も前のハーバーを除けばほとんどなく、研究一筋であった。


 彼女は改めてヴェルナーを見てみた。

 金髪を短く刈り上げ、顔は十分整っているが、何よりもクララが気になったのは彼の碧眼であった。

 まるで獣が獲物を狙うかのようなものであり、彼女は脳裏に「金髪の野獣」という単語が浮かんだ。


「……私は何をすればいいのですか?」

「私が望んだときにベッドの上にいてくれれば。それ以外は何をしていても構わないし、こちらから干渉しない」


 クララは沈黙した。

 破格の待遇だ、と彼女の研究者としての部分はそうささやいた。

 今までの生活にちょっとだけプラスアルファがついてくる程度のものだ。


 対して、彼女の女としての部分は見ず知らずの男性に体を許していいのか、と告げた。

 しかし、その女としての思いは研究者としてのクララにあっさりと打ち砕かれることになった。


 こんなみすぼらしい女に、男が振り向くとでも?

 大金持ちで、社会的地位もしっかりとしている上流階級の男が、他にこういう待遇をしてくれるの?

 

 そのような思いにかられながら、クララが告げたのは事実上の承諾であった。


「私は……一度も性交渉をしたことがありません。それでも、良いのでしょうか?」


 ヴェルナーは口元に笑みを浮かべた。

 その笑みを見たとき、クララは自分が獣の牙に捕らわれたことを悟った。


「構わない。全て任せてもらえれば、な……」


 そう言い、彼はクララの唇に自分の唇を重ね合わせた。

 ほのかに香る彼女の体臭がヴェルナーをより興奮させる。


「ベッドに行こうか?」


 問いにクララはただ頷くしかなかった。






 その後、クララはヴェルナーに全てを委ねた。

 まるで恋人同士であるかのように、ヴェルナーは優しくクララに接し、それは彼女にとって初めてのことであり、非常に新鮮であった。

 ヴェルナーは情事に恐怖を持たせないよう、努めて冷静に、それでいて自身の快楽よりも彼女の快楽を優先した。

 



 果たして、彼の意図した通りになった。




 情事の後、クララは自分の出自についてぽつぽつと語った。

 そこでヴェルナーはクララがユダヤ系ドイツ人であったことを初めて知ったが、特に驚きはなかった。

 彼は宇宙人だろうが何だろうが女の子であるならば問題ない、というような思考回路を持っていたからだ。

 地球を飛び出して宇宙人もOKとかいう、そういう意味では非常に広い守備範囲を持つヴェルナーにとって、今更ユダヤ人だろうが黒人だろうが何だろうが問題とはならなかった。


 ヨーロッパでは歴史的・宗教的経緯から、ユダヤ人は白い目でみられ、また陰では迫害されてきた。

 ユダヤ人にとって、ユダヤであることは誇りであると同時に周囲への負い目でもあったのだ。


 他にも、34歳で未婚というのは当時の結婚年齢からみて嫁ぎ遅れの範囲。

 クララは前述した通りにユダヤ系ということ、研究が捗らなくて追いつめられ、おまけに男性とそういった交際をしたのは何年も前に1人だけで、それも深い関係ではなかった。


 そのような状況下ではまともに思考も働かず、また経験から判断することもできず、雰囲気に流されてもおかしくなく、それを一時的に好意と錯覚してしまう……そういう状況であった。



 しかし、彼はクララに釘をさしておくことも忘れなかった。

 自分に、ドイツに敵対するようなことがあれば許さない、と。


 クララからすればヴェルナーの言葉はどんな人種であろうが、当然のものであり、驚くに値しなかった。

 逆にユダヤ系である自分を受け入れてくれたことがただ嬉しかった。


 そのような中でヴェルナーはクララに告げた。


「私は近いうちに屋敷を買うだろう。クララ、お前はそこへ行く支度をしておきなさい」

「はい、ヴェルナー様」


 ヴェルナーは彼女をその胸に抱き、優しくその頭を撫でた。

 その心地良さにクララはそっと目を閉じ、この時間が永遠に続けば良いのに、と感じた。


「私は屋敷を買った後、パリへ行くだろう」


 その言葉にクララは目を開け、彼の顔を見、そして声を上げそうになった。

 ヴェルナーの目は再び獣のような獲物を狙う目付きであった。

 しかし、クララにとってそれは怖くも何ともなく、むしろ恍惚とした気分にさせた。


「お前には私しかいない。だから、旅行している間、他の男と寝るなよ?」


 冗談交じりでヴェルナーは言ったが、クララはすぐに告げた。


「そんな、そんなことしません! 私が体を許すのは後にも先にもあなただけです!」


 クララの言葉にヴェルナーは口づけでもって答え、そのままベッドへ押し倒したのだった。




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― 新着の感想 ―
2エーカーって、僅か8000平米ですから、町工場ならともかく、まともな工場一つも建ちませんよ。
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