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勝ち組だと思ったら未来的負け組

「……ああ、人生勝ち組だと思ったのになぁ」


 彼はベッドに寝転びながらぼんやりと天井を見つめた。

 窓からは月光が差し込み、室内を幻想的なものとさせているが、彼にはそれよりもこれからのことが重要であった。


 この世に生を受けて……より正確には二度目の生を受けて早16年。

 彼が生まれたのは12世紀より続く名門の軍人家庭であり、いわゆるユンカーであった。

 彼の兄、カールは昨年プロイセン陸軍大学に入学すると共に、とある少佐の娘と結婚し、順調に軍人としての、それもエリートの道を歩んでいる。

 その弟である彼、ヴェルナーも兄の後を追うように、というか父や兄の勧めでリヒターフェルデにある名門プロイセン王国高級幼年士官学校に昨年入学していた。


 さすがに二度目の生ともなれば純粋に子供として振る舞うことなどできず、ヴェルナーは気味悪がられないように注意しつつ、成績優秀・品行方正の優秀生徒として教師や教官らの覚えは非常に良かった。

 学期が終わり長期休暇の現在、彼はザクセン州の実家に堂々と成績表を持ち、帰ってきた。

 

 そんな彼を暗澹たる気持ちにさせているのは――それも生まれて意識を持ってから何百回と――彼の生まれた国にあった。


 その国の名はドイツ帝国。

 1901年現在、ヴィルヘルム2世の親政により、絶賛破滅へ向かって行進中であった。


 別にヴェルナーとしては帝国主義政策がダメだ、と未来人的価値観でもって批判することはできない。

 そういうことをせねば生き残れない時代であり、また資源や市場の面から見ても、確保しなければ経済を支えきれなくなってしまう。

 また21世紀でも結局はやっていることはこの時代と変わらないことを彼は知っていた。

 自国の利益の為にアフリカやら中東やらで経済的植民地とすべく大国が動くのは事実であった。


 

 そんなにイヤならばさっさと亡命でもすればいいのだが、父母や兄はテコでもドイツから動かないだろうし、1人で逃げれば絶対に後悔する、とヴェルナーは確信していたが故に、そうする予定はなかった。



「必然的に、ドイツを勝たせていくしか方法は無いんだよなぁ……」


 第一次世界大戦を引き分け、できれば勝利させ、第二次世界大戦を起こさない。


 そうすることができれば少なくともドイツがどうにかなることはない。

 しかし、ヴェルナーは歴史を知るが故に、それが非常に難しいことを知っていた。

 特に予定通りならばあと13年程で勃発する第一次世界大戦。


 イギリスは世界帝国として君臨しており、その超大国と争うなど無謀の極み。

 確かに工業力などの個々には勝る部分があるが、総合的に見ると――特にイギリスの外交は神憑り的なレベルにあり、到底敵うものではない。


 どうにかしなくてはならないが、どうにもならないのがヴェルナーの現状であった。

 彼は所詮は幼年士官学校の生徒であり、父親に関しても少将であり、皇帝などに直訴できる程の大きな力を持っているというわけではなかったからだ。

 また、現在絶賛進行中の艦隊法による大艦隊建造であるが、これはプロイセン蔵相ミーケル発案の結集政策によるものであり、農業関税を引き上げユンカーを擁護し、その収入を艦隊建設に充てることでユンカーと重工業界を結びつけ、さらにそれに付随する様々な保守的大衆層を支配者層に引き寄せる狙いもあった。

 ユンカー、すなわちヴェルナーの家、ルントシュテット家もその恩恵を存分に受けており、艦隊法成立以前よりも金銭的な面でかなり余裕ができていた。

 これを機に、と父のゲルトは所有する農園の抜本的な改革に取り組んでおり、機械化や合理化を推し進めていた。



「……いっそのこと、起業するかなぁ。それで人を集めて技術開発して特許を取ってウハウハ」


 別に軍人が社長をやってはならない、という法律はない。

 ただ、二足のわらじを履くのは難しいとヴェルナーはすぐに思った。

 今はまだ余裕があるが、このまま軍人の道を進むことは確定している。

 そうなってしまえば到底会社経営などできるものではなかった。


「いい人材を見つけて、株主という形でやった方がいいか」

 

 そう呟いたとき、そういえばT型フォードがそろそろ出るのかなぁ、安い車が欲しいなぁ……


 そういう思考が彼の脳裏をよぎった。

 瞬間、彼はがばっと起き上がった。


「フォードだ、フォード。ヘンリー・フォード。彼をドイツへ招待して出資すればいい」


 T型フォードは庶民にも買える車として広く普及する。

 車の普及は道路の整備へと繋がり、ドイツの自動車メーカー(ベンツ社やダイムラー社など)がフォードに対抗しようとしのぎを削る熾烈な開発競争や価格競争が行われる。


 何よりも、フォードは工業製品の大量生産方式の産みの親であった。


「まだ父上は起きている筈……」


 彼は思い立ったが吉日とばかりに自室を出、父であるゲルトの部屋へ走って向かった。






 ゲルトは愛息子の成績表を眺めて頬を緩めていた。

 普段は威厳たっぷりの厳つい顔も今ではすっかりと鳴りを潜めている。


「カールもヴェルナーも、将来は私を超えるだろう……」


 そう呟いたとき、扉が叩かれた。

 彼は慌てて成績表を執務机の引き出しに仕舞いこみ、咳払いを数度して顔を引き締める。

 夜の、しかも遅い時間。

 緊急時でなければゲルトはやってきた者を叱らねばならなかった。


「入れ」


 威厳たっぷりに告げるゲルトは入ってきた存在に目を丸くした。

 入ってきたのは他ならぬヴェルナーであったからだ。


「どうしたのだ、こんな遅い時間に」


 叱るよりもまず疑問であった。

 ヴェルナーは言いつけをよく守り、ほとんど破ることがなかったからだ。


「夜分遅くに訪ねたことは謝罪します。ですが、それを上回る用件があります」


 まっすぐに自分の目を見つめてくるヴェルナーにゲルトは顎に手を当てつつ、尋ねた。


「どのような用件だ?」

「はい、私に資金を貸して欲しいのです」

「……小遣いか?」


 ゲルトの問いかけにヴェルナーは首を横に振り、告げる。


「私は自動車会社を起こしたいと思っております」

「自動車会社?」


 怪訝な顔となるゲルトにヴェルナーは更に告げる。


「はい。勿論、私は出資するだけであり、実際の経営は別の者にやらせます」

「ふむ……で、単刀直入に幾ら欲しいのだ?」

「20万マルク程」


 出せない金額ではなかった。

 だが、失敗したときの損失を考えると即断もできない。


「そもそも誰から持ちかけられた話だ?」

「私が自分で考え抜き、これからの祖国を思ってのことです」


 ゲルトの問いにヴェルナーはそう答え、更に自動車がもたらす副次効果を説明していく。

 道路の整備に繋がり、軍隊の鉄道以外の輸送手段の確保に繋がる点や馬車に変わる軍隊の移動手段の確保などなど。


 下手にインフラとかモータリーゼーションとかそういう言葉で説明するよりも、そういった軍隊の有利不利で述べた方がゲルトには分かりやすいとヴェルナーは考えたが故のこと。



 ゲルトは黙ってヴェルナーの話を聞き終え、長い熟考の末に溜息を吐いた。


「ヴェルナー、お前の言うことは一理ある。迅速な機動ができるのは確かに有利だ。だが、自動車は金持ちの道楽だ。それでいて馬のように速度は出ない。道路の整備も確かに歩兵にとっては良いが、馬の足を痛めることに繋がるのではないか?」


 ゲルトは軽騎兵将校だ。

 そうであるが故の問い。

 しかし、ヴェルナーは怯まなかった。


「銃も大砲も普仏戦争の時と全く同じですか? 我々は30年前と同じ装備なのですか?」


 ゲルトはハッと気がついた。

 言うまでもなく、当時と比べ物にならない程に銃も大砲も進化している。

 自動車も当然、時間を経るごとに進化する――


 当然のことであるが、ゲルトは自動車というモノに興味も関心も無かったので致し方がない。


 ここが攻めどころ、と判断したヴェルナーはさらに畳み掛ける。


「自動車は将来的には極めて重大な軍事的兵器となるでしょう。幸いにも他の列強はまだその有効性に気がついておりません。今が、今こそが最初で最後の機会なのです」


 そう言い、ヴェルナーは思いっきり頭を下げた。

 ゲルトはそんな彼を見つつ、息子の成長を喜ばしく思った。


 今までのヴェルナーは確かに良い子ではあったが、自分からこうして意見を出すというのは無かった。


「……よかろう。30万マルクをお前に託す」


 要求よりも10万マルクも多い金額にヴェルナーは顔を上げ、ゲルトをまじまじと見つめた。

 そんな彼にゲルトは微かに笑みを浮かべつつ、更に言葉を続ける。


「お前が会社経営を任せる人物はどこの誰だ? もう決まっているのだろう?」

「あ、えーっと……アメリカにいまして、ヘンリー・フォードというもので……」

「……その様子だとまだ何にも決まっていないな?」

「はい……」


 しょんぼりと肩を落とすヴェルナーにゲルトはくつくつと笑う。


「構わんよ。どうせお前は今、休暇中だ。旅行がてらにアメリカに行ってこい。何ならカールのように嫁を見つけてきても構わんぞ。ともあれ、今度からはしっかりと計画を立てた上で切り出すように」


 ゲルトとしては家は長男であるカールが継ぐのでヴェルナーをそこまで縛る必要性を感じなかった。


「これからは計画を立ててからにします。嫁の件については……まぁ、検討しておきます」

「うむ。旅券の手配や小遣いは私がしておこう。信賞必罰の原則に従い、私は家長としてヴェルナーに褒美を与えねばならんのだ」


 腕を組んでうんうんと頷くゲルトにヴェルナーは何だか気恥ずかしくなった。


「と、ともあれ父上。近日中に旅立ちたいので……」

「ああ、早急に手配しておこう」


 ヴェルナーはそう言うとそそくさと部屋を出ていったのだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] フォードのドイツ進出を促す! これは面白い。
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