003
多分――いや、多分なんて言わなくても、それは――とても空想的なことに違いない。幼い子供がどこかからの帰り道や、あるいは夜に一人で眠る前に、なんとなく頭に浮かべるような、稚拙で平和な空想だ。
僕はいわゆる天国――あるいは楽園――のようなところにいる。多分そこは雲の上なんだろう。心地良い柔らかな白い足元は、膨らみを帯びて真っ直ぐに遠くまで続いている。その上に汚れの少しも無い――不自然なほど無い――建物がいくつかある。古い童謡に出てくるような王宮や、真四角で透明に近い白さの家々が、間隔を広く持って穏やかな風に吹かれて建っている。柔らかな地面に身をうずめて僕は座っている。中国の服か病院の患者服か、その中間のような白い服(ここでは全てが白い)を着て、数人と話しをしている。間には白い大きな器に盛られた素晴らしい食事が並んでいる。よく熟れた色彩の豊かな様々なフルーツ、丸い形をした柔らかそうなパン、それから一体何で出来ているかわからない、やっぱり丸い形をした薄緑の食べ物(そしてそれはどんな食べ物よりも美味しい)が白く遠くまで広がる世界を小さく彩っている。その傍らには杯に注がれた酒がある。人を陽気にさせるほかに効果の無い、甘い、平和な酒だ。まるで――まさにそうなのだけど――酒を飲んだことの無い少年が、酒に対して持つイメージをそのまま実現したような、甘い味をしている。ここではすべてがそんな調子だ。すべては経験を通さずに作られた空想であり、だからこそ穏やかな平和がある。
仮に、永遠に膨張する伸びていくガムがあったら、もしくは永遠にスローに再生された音があったら、きっとこんな感じだろう。それはすでに元がなんであったかはわからない。わかるのは永遠に伸び行く奇妙な間延びが目の前にあるということだけだ。その場所の時はそんな感じがする。すべてを包括し、それでいながらすべてと共に前進し、そして永遠に伸び行く膨張の中で、間延びを響かせる。自分自身も溶けながら伸びゆくのを僕は感じながら、平和が広がる音に耳を澄ます――。
こうした空想の世界に、具体性を求めると途端に亀裂が生じることは知っている。一体誰が働いているのか、どのようにこの世界は支えられているのか、労働は、あるいは奴隷は、戦争は政治は、それどころか、もっと簡単な質問一つでこの世界を崩すことが出来る。「一体――誰がそのフルーツを運んだのか?」。
空想で作られた平和なその世界に奴隷は相応しくない。同様に労働も、戦争も。全ては平和でなくてはならない。間延びした陽気な楽園。”何もすることが無いのだ!”ということこそ、楽園が楽園である原理だ。不可能で囲まれたその世界は、実現性は少しも考慮されず、ただただ平和を内包する。
そんな楽園を想像して、空想して、時々、僕はひどい恐怖を感じる。仮にそんな不可能な場所が実際に実現されたとして、僕がその場所で永遠に暮らさなければならなくなったとして……そこはひどい悪夢だ……。
ある”何か”について話さなくてはならない。それは名前を持たない”何か”であり、誰もが知っているのに、普段はちっとも見分けられない。名前は無い。しかし、単に不安と呼ぶことも出来る。その”何か”と顔を合わせることが、僕は、いや――もしかしたら、僕が単にひどい臆病者というだけかも知れない。仮にそうだとしても――やはり、ひどく恐ろしい……。
あまりにも、それを見ていることが嫌なために、あるつまらない考えにとらわれることがある。それはひどく未熟で、冷笑的で、臆病な考えかただ。あらゆる努力や積み重ねや歩みや成果を否定する、否定的な考えだ。だから、こんな考えかたをする僕がきっとひどく間違った人間なのだという風に感じる。それは、あるいは、間違っていない……。
その考えというのは、人間はもしかしたら、単に”それ”と目を合わせたくないだけじゃないかという想いだ……。例え人間が何をしようと、それらの行動の根源には逃避があり、単に――もしも人間が本気で本音を言えるとしたなら――もしかしたら、ただ一言、たった一言……こんな風に言うんじゃないだろうか。「僕はただ忘れていたいだけだ」と。ゾッとする一言だ……。
わかっているのは、僕がさっき作り上げた空想の世界に、もしも僕が実際に過ごすはめになったら、間違いなく僕は、”思い出す”だろうということだ。一体何を思い出すのかはわからない。具体的な名前も知らない。しかし、単に不安と呼ぶことも出来る。普段忘れ続けいていたそれを思い出す、それほど恐ろしいことがあるだろうか。あんな間延びした、あんな平和な楽園に住んだら、間違いなく、それはやってくる。そんな恐ろしいことがあるだろうか。たったそれだけだ、たったそれだけでいいのに、その一つが満たされない、そこが楽園と言えるだろうか、つまり「忘れていたい」のに……。僕には無理だ。




