第三章 61 "タイラントの資産(2)"
--- **バイオドームにて** ---
ライトが、いつものように静かなバイオドームへと入っていくと、彼は一人ではなかった。かつて、彼が彼女と話した、あの石のベンチに、一人の女性が、誰かを待っているかのように、座っていた。ステラ王女だった。
彼女は、ライトが入ってくるのを見ると、特に、彼の青ざめた顔と、苦痛に満ちた様子を見て、すぐに、彼のもとへと、駆け寄った。「キャプテン!どうかなさいましたの!?」
「いえ…何でもありません、王女殿下」ライトは、答えた。「ただ…少し、頭痛が」
「わたくしに、嘘はおっしゃらないで」彼女は、心からの、心配を込めた声で、言った。「貴方の、新しい任務については、伺っております。会議は、さぞ、緊迫したものだったのでしょうね」
ライトは、答えなかった。彼は、ただ、ベンチに、崩れるように、座った。ステラは、それ以上、詮索しなかった。彼が、何を、背負っているのか、彼女には、わかっていた。彼女は、彼の隣に、適切な距離を、保ちながら、腰を下ろした。
「貴方が、この任務を、憎んでいらっしゃることは、わかりますわ」彼女は、静かに言った。「わたくしも、同じ気持ちです。我々の故郷を、破壊した人間を、助けに行かなければならないのですから。それは、とても、辛いことです」
「ですが…」彼女は、続けた。「…わたくしは、ジャック司令官の、ご決断を、信じております。そして、何よりも、貴方を、信じております」
彼女は、彼の目を、深く、見つめた。「どれほど、忌まわしい、任務であろうとも、貴方こそが、選ばれたのです。なぜなら、貴方こそが、『不可能』を、『可能』に、変えられる、唯一の、お方だからです。わたくしは、それを、この目で、見てまいりました」
彼女の、信頼に満ちた、言葉が、混乱していた、ライトの心を、少しずつ、癒していった。彼には、まだ、あの謎の声が、何なのか、わからなかった。彼は、まだ、この任務を、心の底から、憎んでいた。だが、今、彼は、知ったのだ。少なくとも、ただ一人、彼の、「存在そのもの」を、信じてくれる、人間がいることを。「兵器」としてではなく、「英雄」として。
そして、それだけで、彼が、再び、立ち上がるには、十分だったのかもしれない。
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ライトが、去った後、彼は、ホログラムスクリーンを、見つめていた。そこには、再集結したばかりの、連合艦隊の、姿が、映し出されていた。だが、それは、悲しい光景だった。多くの戦闘艦が、深刻なダメージを負い、その数は、半分近くにまで、減っていた。
彼は、目を閉じた。「合流点」基地の、崩壊の光景と、たった一隻で、敵艦隊に、突入していった、「ヴィンディケーター」の姿が、今もなお、鮮明に、頭の中に、焼き付いていた。
この反乱は、彼にとって、意味があるのだろうか?彼らが、掴み取った、勝利は、今や、最大級の、敗北と、化していた。蜂起したばかりの、植民惑星たちは、今もなお、彼らを、信じているだろうか?主要基地の、崩壊のニュースは、既に、広まっているはずだ。それは、彼らが、築き上げようとしてきた、全ての、信頼を、破壊した。他の者たちの、目には、彼らは、指導者を失った、敗残の、反乱分子グループにしか、映らないだろう。
彼は、自分が、またしても、失敗したのだと、思った。彼は、避難の指揮を、任されたが、多くの艦隊を、失った。そして、何よりも、痛ましいのは、彼が、最も、復讐したかった、人間を、殺すことさえ、できなかった。彼の、次の任務は、彼が、殺すと、誓った、敵を、「救助する」こと。
プレッシャーと、苦痛が、激しく、彼に、襲いかかった。ライトは、こめかみを、押さえることしか、できなかった。彼の頭は、爆発しそうだった。
そして、その絶望の、さなか、彼の、最後の思考は、宇宙の、反対側へと、飛んだ。(…エララたちは、生き延びて、いるだろうか)彼らは、支援もなく、混乱の中で、孤立していた。
「心配したところで、何かが、良くなるわけではないぞ、キャプテン」
冷たい声が、背後からした。マキが、完全武装した、戦闘服のまま、彼の隣に、立っていた。「チームの、準備は、できた。艦『ナイトフォール』も、だ」
彼女は、「タイラント」の、情報が、表示された、スクリーンを、見つめた。
「『資産』回収任務、今から、開始する」
ライトは、手を、下ろした。彼は、彼のパートナーの、無表情な、顔を、見つめた。そうだ、彼は、失敗したかもしれない。彼は、絶望したかもしれない。だが、任務は、まだ、続行しなければならない。
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墜落した、「タイラント」の、残骸の、回収と、全生存者の、救助作戦は、終わった。ケイレン将軍と、彼の、残りの護衛兵たちは、連合軍の、「賓客」として、「ヘカトンケイル」へと、移送された。
だが、ライトにとって、その後の、数日間は、最も、気まずく、そして、苛立たしい、時間だった。彼は、「幻影」の、キャプテン、ケルベロスと、インワンの、英雄でありながら、それ以降、いかなる、重要な任務も、与えられなかったのだ。
今、彼は、「増援部隊指揮官」という、任務を、命じられていた。それは、「見張り番」の、聞こえのいい、名前に過ぎなかった。彼の、任務は、部隊を率いて、艦隊の、周囲を、哨戒し、外部からの、脅威を、警戒すること。それは、退屈で、彼の、能力を、全く、必要としない、仕事だった。
ついに、彼は、耐えきれなくなり、ジャック司令官との、個人面会を、要求した。
--- **ジャック司令官執務室にて** ---
「司令官」ライトは、即座に、切り出した。「なぜ、私は、この任務に、移動させられたのですか?私のチームは、次の任務への、準備が、できています。なぜ、貴方は、私に、ただ、艦隊を、見張っているよう、命じるのですか?」
ジャックは、データパッドから、顔を上げた。その眼差しは、冷たく、読み取れなかった。
「貴様は、任務を、成功させた、キャプテン。貴様は、『資産』を、持ち帰った。貴様の、役割は、終わったのだ」
「私の、役割が、終わった、だと?」ライトは、信じられないというように、繰り返した。「我々は、戦争犯罪人を、助けたばかりだ!そして今、我々は、奴を、重要な、賓客のように、手厚く、もてなしている!これは、一体、どういうことだ!?」
「それは、『政治』だ、キャプテン。貴様が、今、対処するには、まだ、準備が、できていない、ことだ」ジャックは、冷たく、言い返した。彼は、ライトの目を、深く、見つめた。「私は、あの日の、艦橋での、貴様の、眼差しを、見た。貴様の、報告書を、読んだ。貴様が、ケイレン将軍に対して、抱く、憎悪は、『負債』であり、『弱点』だ。交渉と、情報抽出において、その弱点は、利用される、可能性がある」
「私は、理屈よりも、感情を、優先させる、人間を、このような、繊細な任務に、送ることは、できん」
「ならば、貴方は、俺を、予備役に、回したと、いうわけですか?」ライトは、憤慨して、尋ねた。
「予備役に、回したのではない」ジャックは、言った。「だが、私は、貴様を、最も、必要な、場所へと、配置している。我々の、艦隊は、今、脆い。私は、我々の、心臓部を、守る、『盾』として、最強の、戦闘部隊指揮官を、必要としているのだ。ケイレン将軍の、件については…」
彼は、ホログラムスクリーンを、起動した。そこには、ケイレン将軍の、貴賓室からの、ライブ映像が、映し出されていた。ケイレンは、誰かと、話していた。そして、部屋の隅で、静かに、立っているのは、マキだった。
「この任務には、感情を、排して、仕事が、できる、人間が、必要なのだ。ケイレンを、ただの、『目標』として、見ることができ、そして、必要とあらば、躊躇なく、彼を、『排除』できる、人間がな」
「マキは、元々、冷徹な、人間だ。彼女ならば、ためらうことなく、この任務を、遂行できる」
ライトは、絶句した。彼は、ジャックの、残酷だが、しかし、完璧な、理屈を、即座に、理解した。彼は、この任務には、あまりに、「感情的」すぎると、見なされたのだ。そして、マキこそが、最適な、道具だった。
彼は、固く、拳を、握りしめた。弱者として、見られたことへの、怒りと、ジャックの、否定しようのない、論理を、受け入れる、気持ちと、両方を、感じていた。「…了解しました、司令官」彼は、敬礼し、そして、部屋を、出ていった。今や、彼は、ただの、傍観者と、なった。彼の、パートナーが、影の中で、戦争を、続けている、一方で。
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数日が、過ぎた。
ライトは、「艦の見張り番」としての、任務を、静かに、こなしていた。彼は、「ヘカトンケイル」の、広大な、通路を、巡察し、連合軍の、兵士たちが、訓練するのを、眺め、あるいは、射撃シミュレーションルームに、一人、何時間も、篭っていた。
彼は、「休職中」の、戦争の英雄。金の、檻に、閉じ込められた、虎だった。無価値感と、苛立ちが、ゆっくりと、彼の、心を、蝕んでいった。だが、彼は、ジャックの、理由も、理解していた。(そうだ、俺は、あまりに、感情的すぎた。俺は、ケイレンの、近くに、いるには、危険すぎる)彼は、観測室から、艦隊を、眺めながら、心の中で、思った。(ならば、俺に、何ができる?ただ、意味もなく、財産を、見張る、だけの、警備員、以外に)
そして、ついに、彼は、決断した。彼が、まだ、行っていなかった、場所が、一つ、あった。彼にしか、できない、「仕事」が、あるかもしれない、場所が。
--- **高度セキュリティ、拘留区画にて** ---
ライトは、かつて、彼が、「尋問」した、元第7部隊兵の、独房の前に、立っていた。彼は、看守として、来たのではない。その手には、暖かい、食事の、トレーが、あった。
彼は、食事トレーを、ドアの、小さな、スロットから、滑り込ませた。暗い隅に、座っていた、囚人が、一瞥したが、動かなかった。「何しに来た?」彼は、かすれた声で、尋ねた。「俺を、嘲笑いに、来たのか?」
「食事を、持ってきた」ライトは、平坦に、答えた。
「フン、食事だと?お前の、司令官にとって、有用な、『資産』であり続けるための、体力でも、つけろと、いうわけか?」
「違う」ライトは、答えた。「お前が、『生き』続けるための、体力を、つけるためだ」彼は、椅子を、引きずり、独房のドアの前に、座った。「ジャックも、エヴァも、奴らは、お前を、ただの、情報源、道具としてしか、見ていない。俺には、それが、わかる。なぜなら、俺も、人生の、全てで、道具であり続けてきたからだ」
彼は、一瞬、黙った。「俺は、かつて、お前に、『ケンおじさん』の、話を、した。連邦が、俺たちを、灰の中から、創り出した、話をな。ジャックは、そのシステムと、戦っている。だが、彼も、依然として、指揮官だ。彼には、まだ、盤上の、駒しか、見えていない。『資産』しか、な」
「だが、俺には、別のものが、見える」ライトは、言った。「俺には、生存者が、見える。インワンからの、孤児が、見える。俺、自身が、見える」
彼は、独房の、暗闇を、深く、見つめた。「俺は、誰の、命令で、ここへ、来たのではない。俺は、こんな、地獄で、誰一人、孤独で、あるべきではないと、思ったから、来た。俺は、まだ、お前に、自由を、約束することは、できん。だが、お前に、『選択肢』を、与えることは、できる」
「俺たちを、助けろ。スパイとしてではなく、『教官』としてだ。俺たちの、兵士に、第77部隊が、するように、考え、狩る方法を、教えろ。俺たちが、本当に、奴らと、対抗できる、部隊を、創り上げるのを、手伝え。二度と、こんな、独房で、人生を、終える、子供が、生まれないように、するために、俺たちを、助けろ」
沈黙が、訪れた。やがて、その囚人は、ゆっくりと、立ち上がり、そして、ゆっくりと、歩み寄り、ドアの前に、立った。光が、初めて、彼の、眼差しを、照らした。それは、もはや、空虚ではなかった。
「俺の、コードは、テン・フォーだ」彼は、言った。「だが、俺の、名は、ケイルだ」
ライトは、頷いた。彼の、主たる任務は、奪われたかもしれない。だが、今、彼は、それに、劣らず、重要な、新たな任務を、見つけ出していた。破壊ではなく、「贖罪」と、「再生」の、任務を。




