第二章 39
惑星マリアでの勝利は、ザン・セクター全域に語り継がれる新たな伝説となった。
「冬の烈風作戦」は完全な成功を収めた。連合艦隊は連邦軍を粉砕し、地上では、ライトのチームからもたらされた機械の群れの弱点情報により、連合軍は惑星全土の「信号塔」を破壊。かつて恐るべき脅威だった何百万もの機械たちは、今や無力な鉄くずと化した。
そして、ライトの「幻影」チームは奇跡を起こした。彼らは王宮への突入を成功させ、シールド発生装置を破壊し、王国の全ての重要人物を無事に解放したのだ。指導者を失った連邦兵は追い詰められ、ついに降伏。マリアの民は、解放された。この勝利は、あらゆる意味で完璧なものだった。
--- **惑星マリア、王宮にて** ---
戦争は終わったが、マリアの地にはまだ深い傷跡が残っていた。連合軍と市民は、復興のために懸命に働いていた。
王宮の大広間では、歴史的な会談が開かれていた。解放されたばかりの国王、王妃、そしてマリアン・コンバインの評議会が、ジャック司令官をはじめとする連合の指導者たちと、公式に顔を合わせたのだ。
「マリアンの全国民の名において…」国王が、感情に満ちた声で言った。「貴官らには、到底返しきれぬほどの命の恩がある。我々の王国、我々の民、我々の自由、その全ては、貴官らの勇気のおかげだ」
「陛下」ジャックは丁重に返した。「今日、我々の間に恩義はありません。あるのはただ、『同盟』のみです。貴国の勝利は、我々全員の勝利なのです」
ザン・セクターの新たな未来が、この広間で形作られようとしていた。
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激しい戦いの後、ライトとマキは、奪還されたばかりの王宮内にある、最高の医療施設へと移送されていた。ライトは最新鋭の医療ベッドに横たわり、肩と脇腹を中心に、体の至る所が包帯で覆われていた。しかし、マリアン・コンバインの高度な医療技術のおかげで、彼の容態は安定し、予想以上の速さで回復に向かっていた。
一方、マキの傷は彼より浅く、おそらくは「ゴースト」としての改造を受けた体のおかげで、その回復は驚異的だった。彼女はベッドにはおらず、部屋の隅の椅子に座り、静かに自らのカタナを手入れしていた。まるで、誰に命じられるでもなく、ライトの護衛を務めているかのようだった。
部屋は、生命維持装置の規則正しい電子音だけが響く、静寂に包まれていた。
やがて、医務室のドアが開き、最初の見舞客が訪れた。ステラ王女と、その護衛官たち。そして、その後を追うように、エララ、サトウ、ガー、ボルク、そしてリクター医師の一団もやってきた。彼らは支援艦隊と共に、マリアに到着したばかりだった。
「キャプテン!」ガーが最初に叫んだ。「その様は何だよ!俺たちが汗水たらして働いてるってのに、気持ちよさそうに寝やがって!」
「静かにしろ、ガー。ここは病院だぞ」サトウが、笑みを浮かべながらたしなめた。
エララは、すぐにライトのベッドのそばへ駆け寄った。その眼差しは、隠しようのない心配の色に満ちていた。「本当に、大丈夫なの?」
「問題ない」ライトは、弱々しく返した。「あと数日、退屈な時間を過ごすだけだ」
時を同じくして、ステラ王女がベッドの反対側へと歩み寄った。その手には、「冬氷華」の小さな花束が握られていた。「マリアン王家を代表して、貴方の犠牲に、改めて感謝いたします、キャプテン」
今、ベッドに横たわるライトは、最も気まずい状況に陥っていた。片側には、生死を共にしてきた「家族」であるエララ。もう片側には、彼の新たな「光」であり希望である、ステラ王女。そして、部屋の隅では、彼の「パートナー」であるマキが、無表情に、しかし誰もが感じ取れるほどの不満のオーラを放ちながら、その光景を静かに見つめていた。
「はいはい、そこまで。病人は休息が必要だ」リクター医師が、その空気を察して割って入った。
人々は、口々にライトを気遣う言葉を残し、次々と部屋を出て行った。ステラは、意味深な眼差しで最後に彼を見つめ、エララもまた、心配そうに彼を見送った。
ついに、部屋にはライトとマキの二人だけが残され、気まずい沈黙が戻ってきた。やがて、マキが、その沈黙を破った。
「随分と、おモテになることだ…キャプテン」
その声は平坦だったが、ライトには、窓の外の吹雪よりも、遥かに冷たく感じられた。
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皆が去った後も、医務室の空気は凍りついたままだった。「ここの医療設備は最高だな」ライトが、沈黙を破るために口を開いた。「あっという間に傷がほとんど治っちまった」
彼は、まだ部屋の隅で静かに座っているマキを一瞥した。「ええと、少し外を散歩してくる。空気を吸いたい」
マキは何も言わず、ただ小さく頷いた。
ライトは医務室を出て、ドアが完全に閉まるのを待ってから、安堵のため息をついた。彼は左右を見渡し、誰もいないことを確認すると、ゆっくりと歩き出し、徐々にペースを上げ、そして、まるで脱獄囚のように全力で走り出した!
彼は、通路の角を猛スピードで曲がった。そして、ドンッ!
壁にもたれて彼を待っていた誰かの体に、真正面から衝突した。…マキだった。
「どこへ急ぐ、キャプテン?」彼女は、平坦な声で言った。
ライトは、驚きと絶望が入り混じった表情で目を見開いた。(嘘だろ!ここで待ち伏せしてやがったのか!)彼は反射的に一歩後ずさり、覚悟を決めた。(来るぞ…)彼は肩の筋肉をこわばらせた。(また、傷口を握られるに違いない…)
マキは、ゆっくりと彼に近づいてきた。ライトは固く目をつぶった。
しかし、起こったことは、全くの予想外だった。
マキの手が伸びてきたが、それは彼の傷口には向かわなかった。彼女は、その手のひらで彼の胸を軽く押し、彼の背中が通路の壁に強く打ち付けられるまで、後退させた!…壁ドン!?
ライトは、驚愕に目を開けた!マキの顔が、彼の顔から一尺もない距離にあった。彼女の二色の瞳が、彼の目を深く見つめている。それは怒りの眼差しではなかった。それは、混乱と、決意と、そして、彼がこれまで見たことのない、ある感情に満ちていた。
ライトの脳が、何が起こっているのかを処理する前に、マキは、その顔を傾け…彼女の唇が、彼の唇に触れた。
それは甘くも、情熱的でもない。速く、力強く、そして何かを「宣言」するようなキス。何百万の言葉よりも雄弁に、所有権を主張するような。
彼女は、近づいてきた時と同じ速さで、身を引いた。その顔は、元の無表情な、氷のような仮面に戻っていた。まるで、先ほどの出来事など、何もなかったかのように。
マキは、一言も発さなかった。彼女は踵を返し、静かに去っていった。
一人、壁にもたれたまま、硬直するライトだけが、そこに取り残された。彼は、ゆっくりと指を上げ、自らの唇に触れた。キャプテン・ライト、元第7部隊、ケルベロスの英雄の脳は、今、完全に「フリーズ」していた。
「…なんだ、今の…」彼は、かろうじて自分に囁いた。そして、気を取り直すように、激しく頭を振った。「…まあいい。他にやることがある」




