第二章 26
出発の朝が来た。ライトは、残された時間を、できるだけ普通に過ごそうとしていた。彼は、暖かいものを求めて食堂へ向かった。そして、そこで、彼の「家族」、エララ、サトウ、ガー、そしてボルクが、いつものテーブルで彼を待っているのを見つけた。
「おはようございます、キャプテン」サトウが、微笑んで挨拶した。「地獄へ行く前に、よく眠れましたかな」
「まあ、独房で寝るよりは、ましだな」ライトは、そう返しながら、席に着いた。
会話は、和やかに進んだ。ガーが、昨夜、「ウォー・ハウンド」の傭兵たちと飲み比べをした武勇伝を語り、エララが、ザム難民評議会の設立計画について話した。それは、戦争の只中で、「普通の生活」を築こうとする、人々の会話だった。
しかし、その普通は、長くは続かなかった。
ライトは、彼らのテーブルに向けられる、一つの視線を感じた。彼は、エララの方の向こうを見た。そして、見つけた。離れたテーブルで、一人、座っているマキの姿を。彼女は、何も食べていなかった。ただ、水が入ったグラスだけが、目の前に置かれていた。彼女の二色の瞳は、彼らのテーブルを、いや、彼だけを、見つめていた。
「なんだありゃ」ガーが、最初に気づき、囁いた。「お前の相棒、俺たちを5分も見つめてるぜ。気味が悪いったらありゃしねえ」
「彼女は、『ゴースト』だからな」サトウが、見解を述べた。「奴らは、全てを観察するよう、訓練されている。我々を、あるいは、キャプテンを、評価しているのかもしれん」
「朝から、ずっと、貴方のことを見ているんじゃない?」エララが、心配そうな眼差しで、小さく尋ねた。「二人の間、全て、大丈夫なの?」
ライトは、長く息を吐いた。「…複雑なんだ」彼は、答えた。「彼女は、ただ、少し、任務に忠実すぎるだけだ。気にするな」
しかし、誰も、「気にせず」には、いられなかった。マキの、氷のような視線は、目に見えない氷のカーテンのように、彼らのテーブルを覆い、賑やかだった会話は、次第に途切れ、静かになっていった。
やがて、マキが、立ち上がった。彼女は、彼らのテーブルへと、まっすぐ歩いてきた。その足取りは、音もなく、そして、揺るぎなかった。彼女は、ライト以外の、誰にも、目もくれなかった。
「キャプテン」彼女は、平坦に言った。「10分後、ハンガーにて、最終装備チェックを行う」
そう言うと、彼女は、エララを一瞥した。それは一瞬だったが、恐ろしいほど冷たく、空虚な視線だった。そして彼女は、何事もなかったかのように踵を返し、去っていった。
テーブルの沈黙は、長く続いた。「オーケー…」ガーが、沈黙を破った。「ありゃ、絶対、お前に気があるぜ、キャプテン。ただし、『お前の皮で帽子を作ってやる』的な、怖い意味でな」
エララは、何も言わなかった。彼女は、ただ、これまで以上に心配そうな目で、ライトを見た。「気をつけてね、ライト」
ライトは、ゆっくりと頷いた。「いつも、気をつけている」
彼は、立ち上がった。食欲は、完全に、消え失せていた。
---
エララたちと別れた後、ライトは、マキに指定された、ハンガーへと向かった。その、長い通路の、途中だった。
「ライトキャプテン!」
丁寧で、格式ばった声が、背後からした。ライトが振り向くと、そこには、マリアン・コンバインの清潔な白い制服を着た、アリステア司令が、立っていた。
「司令」
「ご出発前に、一言、お会いしたく」アリステアは言った。「私自身と、生き残った全てのマリアン王室護衛兵の名において、貴方が与えてくれた自由に、改めて、感謝いたします。この御恩は、決して忘れませぬ」
「それは、我々全員の、任務でした、司令」ライトは答えた。「貴方たちを、助け出すことができて、嬉しく思います」
「貴方は、我々の命以上のものを、救ってくださった、キャプテン」アリステアの表情が変わった。厳格な軍人の顔は消え、優しく、感情に満ちた眼差しとなった。「貴方は、我々の、『生きる理由』を、取り戻してくださったのです」
ライトは、わずかに眉をひそめた。
「マリアン・コンバインの騎士にとって、王家に仕えること、ステラ王女殿下をお守りすることは、最高の栄誉です」アリステアは、語り始めた。「我々が捕らえられた時、最も苦痛だったのは、死の恐怖ではありませんでした。任務に失敗し、王女殿下を、我々の護衛なくして、逃避させてしまったという、罪悪感だったのです」
彼は、長く息を吐いた。「ステラ王女殿下は、我々の王国の、魂のようなお方です。彼女は、ただ高貴な王族であるだけでなく、触れることのできる慈悲、最も冷たい氷をも溶かすことのできる、暖かさなのです」
ライトは、静かに聞いていた。彼は、これほどまでに、純粋な愛と敬意をもって、自らの指導者について語る者を、これまで、聞いたことがなかった。
「貴方の任務が、危険であることは、存じております。私が、想像できる以上に」アリステアは、再び、ライトの目を見つめた。「ジャック司令官やウィリアム王子は、貴方を、勝利をもたらす『兵器』と見ているかもしれません。しかし、王女殿下にとっては、私は、知っております、殿下が、貴方の中にある『人間』を、見ておられることを」
アリステアは、近づき、ライトの肩に、手を置いた。「どうか、お願いします、キャプテン。私のためにではなく、同盟のためにでもなく、王女殿下のために。殿下が、貴方の中に見出された、その希望のために…」
「…ご無事で、お戻りください。そして、殿下の、信じる心が、正しかったと、証明してください」
その言葉に、ライトは、再び、息を呑んだ。任務の成功ではなく、彼の「生還」を願う、もう一人の人間。彼は何と答えればいいかわからず、ただ、力強く、頷くことしかできなかった。「そうする」
アリステアは、微笑んだ。安堵と、信頼に満ちた、笑みだった。彼は、再び、ライトの肩を固く握り、そして、最も優雅な敬礼をした。
ライトは、敬礼を返し、そして、ハンガーへと、歩き続けた。今や、彼の肩には、ただ戦争の運命だけでなく、一人の王女の「希望」と、一人の忠実な騎士の「忠誠」もまた、背負われていた。
---
ライトは、再び、第7部隊兵の独房へと、戻ってきた。今度は、一人で、そして、看守としてではなく、まるで、死にゆく古い友人を、見舞うかのように。
囚人は、部屋の隅で、静かに座っていた。かつて頑固で、憎しみに満ちていた眼差しは、今や、混乱と、虚無に、変わっていた。ライトが、もたらした真実が、彼の世界を、完全に、破壊したのだ。




