第一章18 "嵐の前の静けさ(2)"
ステラ姫と会ってから、数日が過ぎた。
ライトは、ほとんどの時間を、訓練と任務の研究に費やしていた。
しかし、今日、彼は、基地「コンバージェンス」の展望室で、一人で座ることを選んだ。ここは、壁の一面が巨大な透明ガラスになっており、星々の中で整然と並ぶ、同盟艦隊の光景が見える、大きな部屋だった。
その光景は、威圧的でありながら、同時に、脆くもあった。彼の手の中には、少し萎れ始めた「冬の氷」の花があったが、彼は、まだそれを、大切に持っていた。
「ここに、いると思っていましたわ」
聞き慣れた声が、背後からした。
ライトが振り向くと、エララ、サトウ、そしてガーが、彼の方へ歩いてくるところだった。ガーの隣には、いつもいるが、まだ話したことのない、屈強な男が、もう一人いた。
「ここが、一番、景色がいいですからね」
エララは、微笑んで言った。「何かを、ぼんやりと考えるには、ちょうどいい」
「そういえば、まだ、正式に紹介していませんでしたね」彼女は、もう一人の大柄な男に、手を向けた。
「ライト、こちらは、ボルク。彼は、最初から、私たちと一緒にいますが、あまり、口数は多くないんです」
ボルクは、無表情だが、優しい目をした男で、ライトに、挨拶として、頷いた。
ライトも、頷き返した。
「この光景を見ていると…」
サトウが、艦隊を見つめながら、会話を切り出した。
「ほんの数週間前には、我々が、地下に隠れる、ただの小さな反乱グループだったなんて、誰が思っただろうか。つい、考えてしまうな。この全てが終わった後、未来は、どうなるのかと」
「未来だと?」ガーは、大声で笑った。「簡単なことさ!連邦の奴らを叩きのめし、あの機械どもを鉄屑にして、そして、どこか自由な星で、静かなバーを見つける。それだけだ!」
「私は、惑星サムに、帰りたい…」
エララは、静かに言った。「…もし、まだ、何か残っているのなら、ね。あるいは、私たちのために、新しい故郷を、築きたい。もう、誰も、恐れる必要のない、場所を」
全員が、黙り込んだ。
やがて、視線は、ライトに集まった。
「あなたは、どうです、キャプテン?」エララは尋ねた。
「イージスステーションの英雄は、戦争が終わった後、何をしたいのですか?」
ライトは、長い間、黙っていた。
彼は、人生で、一度も、そんな質問をされたことがなかった。
「俺は…分からない」彼は、正直に答えた。
「そこまで、遠くのことを、考えたことはない」
「まるで、世の中の全てを、経験し尽くした、年寄りみたいな言い方だな」
ガーは、からかった。
ライトは、悲しげな笑みを、浮かべた。
「そう言われるとは、面白いな。あと数ヶ月で、俺は、25になる」
その言葉に、グループの全員が、固まった。
特に、ガーとボルクは。
「25だと!」ガーは、信じられないといった様子で、叫んだ。
「ちくしょうめ!てっきり、俺と、同じくらいの歳だと思っていたぜ!連邦の奴らは、第7部隊で、お前に、一体、何をしやがったんだ!」
「彼は、私たちと、それほど、歳は離れていませんよ」
エララは、重くなり始めた雰囲気を変えるために、静かに言った。「私は、18。ガーは、32、ボルクは、30。そして、サトウさんは、58です」
今や、全員の、本当の年齢が、明かされた。それは、わずか24歳のライトが、どれほど、過酷な過去を、背負ってきたかを、さらに、浮き彫りにした。
「俺にとって、この数年間、『未来』とは、ただ、次の任務のことだった」
ライトは、初めて、心を開いた。「生き残り、目標を殺害し、報告に戻り、そして、それを繰り返す」
彼は、手の中の花を、見下ろした。「『未来』についての、考え。この全てが終わった後の。それは、まるで、俺が、これまで、一度も知らなかった、新しい言語を、学ぶようなものだ」
彼は、顔を上げて、皆と、目を合わせた。「だが…」
「…それは、学んでみる価値のある、言語かもしれないと、思い始めている」
エララの顔に、心からの笑みが、浮かんだ。
それは、戦争の中で、生まれた、真の理解の、瞬間だった。
しかし、その時、
ピッ、ピッ
ライトの手首の通信機から、信号音が鳴った。
ジャック司令官からの、メッセージだった。
「時間だ」
静寂は、終わった。
新たな嵐が、始まろうとしていた。
---
エララの顔に、心からの笑みが、浮かんだ。
それは、戦争の中で、生まれた、真の理解の、瞬間だった。
しかし、その時、
「どうやら、面白い話の、聞き逃したようだな」
疲れているが、優しい、低い声が、背後からした。
皆が振り向くと、そこには、地下にいた時よりも、清潔な白衣を着た、リヒター医師が、歩いてくるところだった。
「先生!」
エララは、挨拶した。「医務室の、お仕事は、いかがですか?」
「今は、落ち着いているよ」
リヒターは、ため息をつきながら、答えた。
「惑星ネロルでの、戦闘の負傷者たちは、全員、危機を脱した。マリアン・コンバインの、素晴らしい医薬品のおかげだ。だが、心配なのは、難民たちの、精神状態だ。特に、子供たちの。戦争は、常に、目に見えない傷を、残すものだ」
彼は、ライトに、向き直った。
熟練の医師の視線が、彼の、かつての患者の体を、素早く、観察した。「そして、あなたは、キャプテン。どうやら、ようやく、十分な休息を、取れたようだな。顔色が、ずっと良くなった」
彼は、かすかに、笑った。「だが、まだ、無理はするな。あれほどの深手は、時間がかかる」
「ありがとうございます、先生」ライトは、頷いた。「もう、ずっと、楽になりました」
今や、惑星サムからの生存者たちの、「中心人物」たちが、再び、集結した。
現場リーダーのエララ、技術専門家のサトウ、主戦闘員のガーとボルク、医療支援のリヒター医師、そして、ライト。
彼らの、秘密兵器。全員が、展望室に、共に立ち、目の前の、不確かな未来を、見つめていた。
それは、新しい家族の、光景だった。
戦争の灰から、生まれた、家族の。
しかし、その時、
ピッ、ピッ
ライトの手首の通信機から、信号音が鳴った。
ジャック司令官からの、メッセージだった。
「時間だ」
静寂は、終わった。
ライトは、メッセージを、見下ろし、やがて、顔を上げて、皆と、目を合わせた。「俺は、行かなければ」
「気をつけてね」
エララは、静かに言った。その眼差しは、心配に、満ちていた。ガーとボルクは、彼に、力強く、頷いた。
戦士としての、祝福だった。
ライトは、頷き返し、背を向けて、去っていった。五人は、旗艦の通路へと、ゆっくりと、消えていく、彼の背中を、見送るしかなかった。宇宙の運命を左右する、任務へと、向かう、彼の背中を。
---
ジャック司令官からの、呼び出し信号は、彼が、エララたちに、別れを告げようとしていた、まさにその時に、鳴り響いた。
それは、平和な時間を、完全に、終わらせる、合図だった。
**旗艦「ヴィンディケーター」、第3作戦ブリーフィングルームにて**
部屋の雰囲気は、これまでにないほど、張り詰めていた。
同盟軍の、全ての指導者たちが、集結していた。ジャック、ベアトリス提督、ウィリアム王子、そして、「幻影」チームの、全員:ライト、マキ、ライラ、ギデオン、サイラス、そして、傭兵部隊「戦場の猟犬」の、レックス中尉。
「皆、集まってくれて、感謝する」
ジャックは、会議を始めた。「可能な限り、短く話そう。今や、我々全員が、『プロジェクト・キメラ』の、恐るべき真実を、知っている。連邦は、ただ、我々と、戦争をしているだけではない。奴らは、宇宙全体を、焼き尽くしかねない、火と、遊んでいるのだ」
---
恐るべき真実が、暴かれた。
ブラッドムーン連邦は、機械の群れの侵略の、背後にいたのだ。
ジャックは、血管が浮き出るほど、固く、拳を握りしめた。
「惑星マリアだけではない。惑星サムもだ。奴らは、意図的に、惑星全体が、飲み込まれるのを、許したのだ。奴らの、実験の痕跡を、隠蔽するために」
彼は、ライトに、向き直った。
彼の眼差しは、冷徹な、決意に満ちていた。「キャプテン。我々の、計画は、変わった。今、惑星マリアを解放するために、突撃することは、我々の艦隊を、連邦の、機械の群れに、差し出すことと、同じだ」
ホログラムスクリーンに、何もないように見える、宇宙空間の、一つの領域が、映し出された。
しかし、そこには、赤い、髑髏のシンボルが、付けられていた。
「ここは、『デッドゾーン001』だ」ジャックは言った。
「キメラのデータによれば、主制御信号ステーションは、ここに、隠されている。何もないように見える、空間だが、連邦の、最も、厳重な、長距離探知センサーの、ネットワークによって、守られている。それは、何光年も離れた場所から、大規模な艦隊を、探知することができる」
「我々は、軍隊と戦う前に、蛇の頭を、切り落とさなければならない」ジャックは言った。「君の、次の任務は、君の、『幻影』チームを、率いて、そのセンサーネットワークに、潜入し、そして、信号ステーションを、破壊することだ」
「待て」
ジャックは、手を上げた。「それだけではない。君が、聞かなければならないことがある」
彼は、再び、キメラ計画の、科学者の、音声ファイルを、再生した。
「エレクトー・カイ」が、不完全であり、それを破壊することが、機械の群れを、制御不能な、「狂乱」状態に、陥らせるという、真実を、明らかにした。
音声ファイルが終わると、ベアトリス提督は、心配そうな顔で、抗議した。「ならば、信号ステーションを、破壊するということは、我々が、制御不能な災厄を、解き放つということになるのでは?」
「その通りだ」
ジャックは、認めた。「そして、それが、この任務の、第二の部分だ」
ライラが、新たな情報と共に、一歩前に出た。「キメラのデータの分析から、我々は、その場所だけでなく、制御信号の、『脆弱性』も、発見しました。私のチームは、『無効化パルス』を、開発しました。それは、奴らの信号を、一時的に、『上書き』することができます。約、60秒間」
ジャックは、結論を述べた。
「したがって、君たちの任務は、さらに、一段階、複雑になる。君たちは、エレクトー・カイの、内部に侵入し、そして、ライラが、我々の、『無効化パルス』を、そのシステムに、アップロードしなければならない。ギデオンが、爆弾を、起爆させる、『前』にだ。このパルスは、奴らを、狂乱させる代わりに、『機能停止命令』を、機械の群れに、送る。それが、我々の主力艦隊が、対処するための、時間を、稼ぐことになる」
部屋にいる全員が、息を呑んだ。
任務は、相変わらず危険だが、自然災害から、人為的な災害へと、変わった。
ジャックは、ライトの前に、歩み寄った。「これが、自殺任務であることは、分かっている。だが、今、不可能な任務を、遂行するのに、最も、優れた人間は、君だ」
「この戦争の、そして、おそらくは、セクターの、全ての生命の、運命が、君たちに、かかっている、キャプテン」
「私を、失望させるな」




