第一章14
任務開始の数時間前。
旗艦「ヴィンディケーター」のメイン格納庫にて。
雰囲気は、金属がぶつかり合う音と、来たるべき任務のために新しいステルス艦を準備する技術者たちの、指示の声で満ちていた。
しかし、格納庫の比較的静かな一角で、キャプテン・ライトは、一人で座っていた。
彼は、愛用のライフルを分解し、丹念に手入れをしていた。
全ての部品が、整然と並べられている。
それは、彼の心を落ち着かせ、これから起こることに集中させるための、日課だった。
彼が一人でいた時間は、長くはなかった。
「FNX-5 プラズマライフルか。旧式だが、信頼性は高い。連射速度は少々遅いが、破壊力は高いな」
背後から聞こえた平坦な声に、ライトはわずかに動きを止めた。
足音さえも聞こえなかった。マキは、いつの間にか、そこに立つ兵器の箱にもたれて、腕を組んでいた。
彼女の動きは、不気味なほど静かだった。「ゴースト」の名にふさわしい。
「長く、俺に仕えてくれている」
ライトは、手の中の部品から目を離さずに答えた。「一度も、俺を失望させたことはない」
「お前は、第7部隊の歴史上、最高の狙撃手だったと言われているな」マキは続けた。
「経歴ファイルによれば、お前は『ステーション・ゼロ』での適性試験で、満点を取った。これまで、誰も成し遂げたことのないことだ」
「ステーション・ゼロ」という言葉に、ライトの手は、一瞬止まった。彼は顔を上げ、初めて彼女と目を合わせた。
そこは、連邦の、最も過酷で、最高機密の戦闘訓練施設。彼らのような、悪魔を生み出す場所。「どうして、その名を?」
「私も、そこにいたからだ」
マキは答えた。彼女の二色の瞳は、感情を映していなかった。「お前の世代の、五年後にな。そして私は、お前の記録を破った」
その言葉には、微塵も自慢の色はなかった。
それは、冷たい事実の陳述だった。ライトは、彼と彼女の間にある、目に見えない力の差を感じ取った。
彼らは、ただ同じ特殊部隊というだけではない。彼女は、彼よりも、さらに一段階上にいた。
「ならば…お前も…」ライトは、尋ねるのを躊躇した。
「うなじに、制御チップが埋め込まれているかって?」マキは、心を見透かしたように、割り込んだ。「ああ。ゴースト部隊の全員がな。我々は、兵士ではない。我々は、生きた操り人形だ。ジャック司令官が、私の『糸』を切るまではな」
会話は、彼らがこれまで誰にも語ったことのない、武器として作られた者たちの物語へと、移っていった。
「噂は、本当だったのか。奴らは、本当に、お前たちを操れたのか」ライトは呟いた。
「奴らは、試みた」
マキは訂正した。「だが、手綱は、主人がそれを握っている時にしか、役に立たない。ジャックは、私の手綱を切った。では、お前は?第7部隊。誰が、お前の手綱を切った?」
その問いに、ライトは言葉を失った。
なぜなら、彼の手綱を切ったのは、彼自身だったからだ。逃げ出すことによって。
重い沈黙が訪れようとした、その時、
格納庫中に、友好的な警報が鳴り響いた。
『…艦「希望の使者(Hope's Messenger)」、ドッキングの許可を求む!』
ライトの心臓が、跳ね上がった。
彼は、即座に立ち上がった。戦闘で傷ついた小型の輸送船が、ゆっくりと緊急ドッキングベイに着陸する。後部のランプが、ゆっくりと降りていく。
そして、見慣れた姿が、最初に現れた。エララ。
彼女は疲れ果て、薄汚れていたが、その眼差しは、決意と勝利に満ちていた。
それに続くのは、同じような状態のサトウとガーだった。惑星クラスでの扇動任務は、見事に成功したのだ。
「ライト!」
彼を見つけたエララは、嬉しそうに叫んだ。彼女は、半ば走りながら、彼のもとへ駆け寄った。「あなた、キャプテンになったのね!」彼女は、彼の制服の新しい階級章に気づいた。
ガーが近づき、彼の肩を、体が揺れるほど強く叩いた。
「ハッ!宇宙ステーションを爆破してきたんだってな!次回は、俺たちの分も残しておいてくれよ…キャプテン殿」
その声には、もはや憎しみは残っていなかった。
ただ、戦友としての、承認だけがあった。
「無事で、何よりだ」
ライトは、心から言った。この数日間で、初めて、かすかな笑みが、彼の顔に浮かんだ。
暗い隅から見ていたマキは、何も言わなかった。
彼女はただ、冷たい視線で、その全てを観察していた。
エララと話しているライトを、見つめていた。元第7部隊の兵士と、元ウェイトレスの間に存在する、目に見えない絆を。
彼女にとって、これは、興味深い、新たな「変数」だった。そして、彼女の新しい相棒の、最も危険な「弱点」になるかもしれない。
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ガーの冗談めかした言葉に、ライトの顔に、珍しいかすかな笑みが浮かんだ。
それは、彼が長い間、感じていなかった感覚だった。「仲間」がいるという感覚。
「あなた…元気そうね」エララが、先に口を開いた。彼女は、彼の頭からつま先までを、観察した。
「キャプテンの階級、似合ってるわ」
「あんたもな」
ライトは返した。「まるで、激戦を潜り抜けてきたかのようだ」
「彼女が、作戦全体を率いたんだぜ、キャプテン」サトウは、誇らしげな笑みで付け加えた。
「今や、惑星クラスの連中は、彼女のことを『サムの閃光(Spark of Sum)』って呼んでるんだ、知ってたか」
「少しも、驚かないな」
ライトは、ゆっくりと頷いた。彼は、彼女が初めて銃を手にした、あの日から、それを見抜いていた。普通の少女の態度に隠された、確固たる決意と、勇気を。
彼ら四人は、互いが出会った出来事を、楽しそうに語り合った。
ライトは、イージスステーションへの襲撃を、簡潔に語り、一方、エララは、惑星クラスでの住民の扇動における、困難と成功について語った。
それは、短く、温かく、そして生命力に満ちた時間だった。過酷な戦争の中の、小さな光のようだった。
しかし、その時、
氷のように冷たい声が、その温かい会話を、容赦なく断ち切った。
「キャプテン・ライト」
全員が振り向いた。マキが、いつの間にか、そこに立っていた。
彼女は、漆黒の戦闘服に身を包み、彫像のように、静かに立っていた。
「出撃前の、艦の点検は完了した。5分後に出発する」彼女は、平坦な声で続けた。
「お前の、旧交を温める時間は待てる。だが、任務は待たない」
その言葉は、あまりにも鋭く、そして冷たく、先ほどまでの温かい雰囲気は、一瞬にして消え去った。
そして、それは、初めてだった。
エララが、ライトの新しい「相棒」を、はっきりと目にしたのは。
彼女の心に最初に浮かんだ感情は、人間離れしたその美しさへの、「驚愕」だった。
漆黒の鎧と対照的な、ブロンドのツインテール、奇妙な二色の瞳、そして、ガラスの人形のように、平坦な顔立ち。
しかし、次の瞬間、
戦場で目覚めた、戦士としての本能が、激しく警鐘を鳴らした。
これは、ただ美しい女性ではない。エララは、その体から放たれる「圧力」を感じ取っていた。
それは、冷たく、そして静かな殺気だった。
空で静かに浮かび、容赦なく獲物を殺す機会を待つ、鷹の王に直面した、ウサギのような感覚。
エララは、戦闘モードのライトを見たことがある。
彼は、傷つき、獰猛で、危険な狼のようだった。しかし、この女は、違う。
彼女は、野生動物ではない。彼女は、殺戮のためだけに、完璧に作られた、「兵器」そのものだった。
エララの驚きは、「衝撃」へと変わった。
このような人間が、実在することへの衝撃。そして、これほど危険な人物が、ライトと、命がけの任務を共にするということへの、さらなる衝撃。
「それで、あなたは…?」エララは、気を取り直して、問い返した。
その声は、丁寧だったが、わずかな挑戦の色が込められていた。
マキは、すぐには答えなかった。
彼女の二色の瞳が、エララを、頭からつま先まで、値踏みするように、掃いた。それは、何の感情も含まない、冷たい評価だった。「マキ」
彼女は、短く答えた。「彼の、相棒。そして、我々の任務は、最優先事項だ」
二人の女性の間の雰囲気は、即座に、緊張した。
まるで、静電気が、走ったかのようだった。
状況に気づいたライトは、急いで、間に割って入った。「二分後に、そっちへ行く」
彼は、マキにそう言うと、エララの一団に向き直った。
「ヴァレリウス司令官に報告しろ。そして、休息を取れ。君たちは、よくやった」
彼は、最後に、エララと目を合わせた。
「また、後で話そう」
そう言うと、ライトは背を向け、マキと共に去っていった。エララ、サトウ、そしてガーは、様々な感情を抱きながら、その後ろ姿を見送るしかなかった。
エララは、マキという名の「影」と、並んで歩くライトの背中を見つめていた。
彼女の心の中に、激しい心配の念が、芽生えていた。この戦争の、最も恐るべき敵は、もしかしたら、連邦や、機械の群れだけでは、ないのかもしれない。
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同盟が結ばれ、作戦計画が立てられた後、革命軍は、電光石火の如く、動き出した。
ステルス艦「ラッティカーン」は、再び主力艦隊から離脱した。しかし今回、艦に乗っているのは、キャプテン・ライトと、電子戦の専門家、ライラだけだった。彼らの目標は、「ポート・スクラップヤード」。「鉄屑の女王」の名で知られる、最も有名な宇宙海賊団の、隠れ家だ。
その一方で、マキ、ギデオン、そしてサイラスが率いる、数隻の高速強襲艇は、既に惑星ネロルの星系へと、ワープしていた。
彼らの任務は、連邦の指揮官の首を刎ね、革命の道を切り開くこと。その星に潜入しているマキの「ゴースト」部隊が、既に情報を提供している。




