第一章13
通信システムを通じて響くジャック司令官の声は、ベアトリス提督と彼女の乗組員たちが、この数週間で初めて感じた、真の希望の合図だった。
逃避行、喪失、そして絶望。
その全てが、今、ここで終わった。
小型ながらも力強い、インワン・フリーダムの輸送船が一隻、旗艦「ヴィンディケーター」から飛び立ち、傷ついたマリアン・コンバイン王国艦隊を、秘密のドックへと、ゆっくりと導いていった。
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**一時間後、旗艦「ヴィンディケーター」にて**
第3作戦ブリーフィングルームのドアが、スライドして開いた。
ベアトリス提督は、難民という状況にもかかわらず、優雅で威厳のある足取りで、部屋へと入ってきた。
彼女の純白の海軍提督の制服には、一つもしわがなかった。
彼女の傍らには、まるで彫像のような、銀色の鎧に身を包んだ二人の王国護衛兵がいた。
彼らは、高貴で規律ある王国の、写し鏡だった。
出迎えたのは、ジャック司令官。
そして彼の傍らには、最新任のキャプテン、ライトがいた。
両陣営の対面は、全く対照的な光景だった。
一方は、古き王国の優雅さと規律。
もう一方は、ゲリラ戦から生まれ育った、革命戦士たちの、荒々しさと力強さ。
「ベアトリス提督。ヴィンディケーターへようこそ」ジャックが、最初に口を開いた。
「あなたの生存に関する噂は、どうやら、誇張ではなかったようだな」
「ジャック司令官。私も、同じことを言わなければなりません」ベアトリスは、静かな声で返した。
「『インワン・フリーダム』の伝説は、未だに響き渡っています。連邦が、十年もの間、それを葬り去ろうとしてきたにもかかわらず」
儀礼的な挨拶の後、ジャックは、すぐに本題に入った。彼は、マリアン・コンバイン艦隊の損傷状況が映し出されたホログラムテーブルに手を向けた。「あなたの艦隊は、ひどく損傷している。何があった?連邦の仕業か?」
ベアトリスの眼差しに、痛みがよぎった。
「そうであったなら、と願います。知っている敵の方が、まだ対処しやすいものです」
彼女は、一瞬、間を置いた後、彼らが直面したばかりの災厄について語り始めた。
「奴らは、虚無から現れました、司令官。警告も、宣戦布告もなく。ただ、無数の、漆黒の怪物と、燃えるような赤い光だけが。奴らは、通信も、交渉もしません。ただ、行く手を阻むもの全てを、『喰らう』だけです」
静かに聞いていたライトは、固く拳を握りしめた。彼は、惑星サムでの機械の群れの光景を、よく覚えていた。
「我々の軌道防衛艦隊は、一日も経たずに壊滅しました」
ベアトリスは、わずかに震える声で続けた。「我々の故郷、惑星マリアは、包囲されています。我々は、敗走したのではありません。最後の任務を遂行するために、包囲を『突破』してきたのです。同盟者を探し、あなた方を探すために」
今や、全てが明らかになった。惑星サムでの攻撃は、孤立した事件ではなく、セクター全体にわたる、全面的な侵略だったのだ!
死の機械の種族は、全人類の敵だった!
ベアトリス提督は、ジャックと直接目を合わせた。
「マリアン・コンバイン王国は、我々の栄誉を誇りとしています。我々は、決して、誰かに助けを求めたことはありません。しかし、今日、王国艦隊の司令官として、私は、正式な『同盟』を結ぶために、ここへ参りました」
「単独では、我々の種族は、この宇宙から消し去られてしまうでしょう」彼女は、力強く言った。
「しかし、もし我々が手を組めば、再び、明日の夜明けを見ることができるかもしれません」
ジャックは、敬意を込めて、老練な女性提督を見つめ、やがて、ゆっくりと頷いた。
「同盟。それが、今、最も合理的な道だ」
彼は、認めた。「連邦は、自らの民を見捨てた。そして、この新たな敵は、我々全員を抹殺するつもりだ。インワン・フリーダムは、あなたの申し出を受け入れよう」
二人の指導者の握手は、サン・セクターの歴史上、最大の革命軍の、始まりだった。
「同盟を結んだからには、仕事の時間だ」ジャックは、ホログラムテーブルに向き直りながら言った。
「我々が、最初にすべきことは、我々が直面している敵を、理解することだ。そして、そのためには…」
彼は、ライトの方に目をやった。
「…キャプテン・ライトが、重要な贈り物を、持ち帰ってくれた」
ジャックは、制御パネルに触れた。
そして、「プロジェクト・キメラ」の、三つの頭を持つ怪物のシンボルが刻まれたデータファイルが、ホログラムスクリーンに現れた。
今や、二つの最大勢力の指導者たちが、連邦の最も暗い秘密を、共に開こうとしていた。
それは、勝利への鍵か、あるいは、全ての生命の、災厄となるかもしれない、秘密を。
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旗艦「ヴィンディケーター」にて、緊迫した会議が、始まったばかりだった。
「プロジェクト・キメラ」に関する真実が、暴かれようとしていた。
そして、革命家たちの目に映るブラッドムーン連邦のイメージは、永遠に変わってしまった。
対処可能な敵から、今や奴らは、暗く、恐ろしい秘密を隠した、宇宙の悪魔となったのだ。
しかし、その一方で、静かに停泊している母艦「ウィンターズ・クレスト」では、雰囲気は全く異なっていた。
艦で最も豪華で美しい、王室展望室にて。
部屋全体は、真珠のような白と銀色で装飾されていた。
磨き上げられた大理石の床は、艦外の景色を完璧に再現した、巨大なパノラマスクリーンからの星の光を、反射していた。
空気は、クリスタルの鉢に植えられた、惑星マリア原産の希少な花の、微かな香りで満たされていた。
その静かな美しさの中、マリアン・コンバイン王国の二人の王族が、立っていた。
純白の雪のような髪と、氷のように澄んだ青い瞳を持つ美青年が、腕を組み、眼前に現れたインワン・フリーダムの艦隊を見つめていた。
彼こそが、ウィリアム王子、マリアン・コンバインの第一継承者だった。
難民という状況にもかかわらず、彼の佇まいは、未だに優雅で、威厳があった。
それほど遠くない場所で、背中の中ほどまで届く、美しい白い髪を持つ、長い白いドレス姿の少女が、優しく鉢植えの花の手入れをしていた。彼女は、ステラ姫、ウィリアム王子の妹だった。彼女の一つ一つの動きは、まるで生きた絵画のように、美しかった。
「同盟は、締結されました、殿下」
一人の護衛兵が、報告のために、入ってきた。
「ベアトリス提督は、現在、インワン・フリーダムの司令官と、会議に参加されております」
「よろしい」
ウィリアム王子は、短く応じたが、その視線は、まだ、荒々しく、戦争の傷跡に満ちた艦「ヴィンディケーター」に注がれていた。
「ついに、我々も、奴らに反撃し、故郷を取り戻すだけの力を、手に入れたか」
「それは、良い知らせですわ、お兄様」ステラ姫が言った。その声は、ガラスの鈴のように、澄んで響いた。
「でも、ステラは、まだ惑星マリアに取り残されている民のことを、心配せずにはいられません。そして、それ以上に恐ろしいのは…」
彼女は、顔を上げて、兄と目を合わせた。
彼女の眼差しには、これまでにない、怒りの色が宿っていた。「…連邦です。奴らは、あの怪物たちと、ずっと共謀していたのに、人々が死ぬのを、放置していたのです。奴らは、もはや、ただの敵ではありません。悪魔ですわ」
ウィリアム王子は、長く息を吐いた後、妹の頭を、優しく撫でた。「心配するな、ステラ。戦争のことは、兄と提督に任せておけ。お前の役目は、我々の民にとっての、希望の象徴であることだ」
ステラ姫は、ゆっくりと首を振った。
「希望とは、ただ、座して待つことではありませんわ、お兄様」
彼女は、立ち上がり、彼と向き合った。「ステラの役目は、民を守ること。そして今、彼らは、同盟者を必要としています。我々は、彼らを、もっと理解しなければなりません。インワン・フリーダムも、そして…あの男も」
彼女の視線は、再び、ヴィンディケーターへと注がれた。
「キャプテン・ライト。元連邦の第7部隊。最も重要な秘密を、盗み出すことのできた男。彼は、一体、何者なのでしょう」
ウィリアム王子は、妹の視線を追い、傷だらけのその戦闘艦を見つめた。
この新たな戦争において、重要な鍵は、巨大な戦力ではなく、ほんの数人の人間にあるのかもしれない。
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旗艦「ヴィンディケーター」のブリッジにて、二つの軍の指導者たちの、緊迫した会議は終わった。
しかし、本当の戦争は、始まったばかりだった。
「プロジェクト・キメラ」のデータファイルは、最高の暗号解読班へと送られたが、その全工程には、数日かかるかもしれなかった。彼らにとって、それは、許されない時間だった。ジャック、ベアトリス提督、そして、新任のキャプテン・ライトは、ホログラムテーブルを囲み、次の段階を計画していた。
「キメラのデータの解読を待つだけでは、死を待つのと同じだ」
ジャックは言った。「我々の敵が、連邦と機械の群れの二つであるのに対し、我々の同盟者は、あまりにも少ない。戦力を増強する必要がある」
彼は、天体図に触れ、「無法地帯(The Lawless Zone)」と呼ばれる、灰色の領域を開いた。
「ここは、宇宙海賊の住処だ」ジャックは説明した。「奴らは、誰の支配下にもなく、連邦にも忠誠を誓わない。奴らが敬うのは、金と力だけだ。だが、利点もある。奴らは、サン・セクターの隅々まで知り尽くしている。連邦でさえも知らない、秘密のルートをな」
彼は、別の小惑星群にズームした。
「そして、ここが、セクターで最も腕の立つ、傭兵たちの、隠れ家だ。十分な金があれば、小規模な軍隊を、雇うことさえできる」
「しかし、その金はどこから?」ベアトリス提督が尋ねた。
「ここからだ」
ジャックは、連邦の領域内にある、一つの惑星を指差した。「惑星ネロル。最も重要な鉱物、『ネオ・タイベリウム』の産地だ。この鉱物は、兵器のアップグレードの主原料であり、闇市場で、非常に需要が高い。もし、我々がこれを制圧できれば、資金と技術の、両方を手に入れることができる」
「しかし、そこは、連邦に占領されている」ライトは反論した。
「惑星全体を解放するには、莫大な戦力が必要だ」「そうだ。だが、幸運なことに、惑星ネロルの民は、連邦を骨の髄まで憎んでいる。もし、我々が彼らを解放できれば、彼らは、間違いなく我々に加わるだろう」ジャックは言った。
「したがって、我々の次の任務は、三つの部分からなる。海賊との交渉、傭兵の雇用、そして、惑星ネロルの解放だ」
彼は、ライトに目を向けた。
「そして、これは、繊細さを要する任務だ。交渉、潜入、そして、ゲリラ戦。特別な人間を必要とする任務だ」
「君を一人で行かせるつもりはない、キャプテン」ジャックは、口の端を歪めた。「私の、『右腕』も、君と共に行かせよう」
会議室のドアが、静かにスライドして開いた。
一人の、女性の姿が、入ってきた。彼女は、まるで虚無から現れたかのようだった。
彼女は、ツインテールに結んだ、長いブロンドの髪の少女だった。
彼女の瞳は、奇妙にも、二つの異なる色をしていた。一つは、空のように澄んだ青、そして、もう一つは、血のように燃える赤。彼女は、体にフィットし、動きやすそうな、漆黒の戦闘服を身に着けていた。
背中には、狙撃ライフルと、高エネルギーの刀が、交差して背負われていた。
彼女は、美しさと死が、一つに融合した、光景そのものだった。
ライトは、目を見開いた。
彼は、彼女の体から放たれる、殺気を感じ取っていた。
彼が、かつて、自らの部隊長からしか感じたことのない、最高レベルの暗殺者の殺気を。
「皆、紹介しよう。マキだ」ジャックは紹介した。
「私の、右腕であり、情報部の、リーダーだ」
彼は、ライトの方に向き直った。
「そして彼女は、かつて、君の第7部隊よりも、さらに一段階上に位置する、秘密作戦部隊、『ゴースト』の、最高レベルのメンバーだった」
「ゴースト」という言葉に、ライトは、息を呑んだ!第7部隊は、悪魔。
しかし、ゴースト部隊は、「伝説」。誰も、その実体を見たことのない、亡霊。
「私の部下が、数年前に、死にかけている彼女を発見した。頭に、連邦が埋め込んだ、思考制御チップと共に。我々は彼女を救い、そして今、彼女は、我々のために働いている」
マキは、ライトと目を合わせた。
彼女の二色の瞳は、まるで、彼の全ての考えを読み取るかのように、彼の心の奥を覗き込んだ。「第7特殊強襲部隊…」彼女は、初めて口を開いた。
その声は、平坦だが、冷たかった。「お前たちの、データファイルは、読んだことがある。なかなか、興味深い」
ライトは、まるで蛇に睨まれたかのような気分だった。
この女は、あまりにも危険すぎる。
「キャプテン・ライト、マキ」ジャックは、締めくくった。「君たち二人が、この任務のリーダーだ。準備をしろ。革命の未来は、君たちの手にかかっている」




