「わたくし、美味しいクッキーを焼きますわ!」
我が輩は飛び出したお嬢さんの後を追った。
夜は深くなっており、月の光が庭園を照らしていた。
お嬢さんはそこでぴたりと立ち止まった。
「お嬢さん……」
なんと声をかけようか迷っていると、お嬢さんはその場にうずくまった。
「やってしまいましたわー!」
お嬢さんは顔を覆って叫んだ。
「お暴力だなんて、なんてお野蛮なこと……! しかも皆様の前でなんて! わたくしのお馬鹿!」
我が輩は思わず、笑みが溢れた。
「お嬢さん、さっきのは良い拳だったな。何か格闘技でも?」
「お恥ずかしながら、拳術を嗜んでおりまして……」
お嬢さんは照れたように言った。
「剣術……?」
「拳で相手をおぶん殴りになる格闘術ですわ。お父様に教わりましたの」
……どうやら、我が輩の知る剣術とは違うようだ。
この拳があるのなら、我が輩が助けなくても、お嬢さんだけで何とか出来たのかもしれない。
「はあ……。またお暴力に走ってしまうなんて、わたくしもまだまだ未熟ですわ……」
「小僧の鼻頭に一発、すっきりしたがね。我が輩の分も怒ってくれて嬉しかった」
「でも、殿方はお嫌いでしょう? こんなお野蛮な娘」
「我が輩は好きだが──あ」
我が輩はしまった、と思い、口に手をやる。
こんなおじさんに好かれても、お嬢さんは困るだろう。
「まあ! 本当ですの!?」
お嬢さんは目を輝かせた。
こんなに喜んでくれるとは、まさか、我が輩にもチャンスがあるのだろうか……!
「──では、わたくしにはまだまだ、チャンスがありますわね!」
お嬢さんは立ち上がった。
「絶対、わたくしだけの白馬の王子様を捕まえますわよ〜!」
「ああ……そうだね……」
我が輩じゃないのか、とがっかりした。
「もし……素敵な殿方と出会えなかったから、おじさまが貰って下さいません?」
「……え。それって、まさか──」
お嬢さんも我が輩のことが好き──。
「わたくし、美味しいクッキーを焼けるようになる予定ですもの! おじさまのお店で働かせて下さいまし! おじさまと一緒なら楽しいでしょうから!」
「ああ、そういうこと……。まあ、そうだろうとは思ってたけどね、うん」
「腕っぷしもありますから、用心棒も出来ますわ! 性悪公と呼ばれる吸血鬼様もぶっ倒しましたし!」
「それは頼もしい──……ん?」
今、お嬢さんは何と言った?
「……『性悪公をぶっ倒した』?」
「はい! わたくしの家の仕事は吸血鬼ハンターですのよ! それで、『性悪公』様に悪さをしないように言いに行って、そのまま、お暴力を……」
「お恥ずかしい限りですわ」とお嬢さんは照れた。
性悪公は不届な吸血鬼で、確かに殴りたくなるような奴だったが……。
あれでも高等吸血鬼のはずなのだが?
お嬢さん、強過ぎないか……?
「陛下から褒賞に何が欲しいかと聞かれまして。『白馬の王子様と結婚したい』と申しましたら、白い馬に乗った殿下が現れて婚約を……」
「そうだったのか……」
アバドンは全くお嬢さんの想像する『白馬の王子様』ではなかった訳だが。
国王がボンクラ王子にお嬢さんを当てがったのは、騎士代わりにするつもりだったのだろう。
「わたくしが性悪公をぶっ倒したと世間様に知られれば、婚期を逃してしまうとお父様がおっしゃって。世間様はお父様がぶっ倒したことになっておりますわ」
「そうなのか」
高等吸血鬼を滅する拳など、お嬢さんの魅力の一つであろうに、隠しておくのは勿体無い。
「それで、おじさま。わたくしのこと、雇って下さいますか?」
「その……。雇う、のではなく、我が家に迎え入れたい、と考えている。お嬢さんさえ良ければだが」
「養子、ということですの?」
「ええと、その……妻、として」
我が輩は勇気を出して告白した。
心臓が耳の奥にあるみたいに、鼓動がうるさかった。
「でも、おじさま、ご結婚されているのでは……?」
「ん?」
我が輩はぽかん、とした。
結婚という言葉は一体何処から出てきたのだろう。
「こんなに素敵な殿方ですもの。女性が放っておきませんわ」
「い、いやいや、結婚はしてない。妻には先立たれていて」
五百年以上も前に。
「まあ、そうでしたの……。申し訳ありません。そうとは知らず」
「気にしていない。もうかなり前のことだから」
「いけませんわ! 一度愛した女性のことを、気にしていないだなんて!」
お嬢さんは声を荒げた。
「わたくし、もう誰の愛も邪魔したくありませんの……」
「……我が輩は妻に先立たれて孤独だった。たくさんの家族がいたが、冷え切った心が温まることはなかったよ。だが、お嬢さんに会って、心が燃え上がるのを感じた。お嬢さんは我が輩の太陽だ」
自分でも臭いセリフだと思った。
恥ずかしくて、お嬢さんの顔が見れなかった。
「……シャムシエル嬢、これから、我が輩と共に歩んでくれないだろうか?」
告白の返事を聞くのが恐ろしかったが、我が輩は聞いてしまった。
「クッキー作りのとき、おじさまが熱い視線を送っていたのは気づいておりましたわ」
視線……?
全く心当たりがないが、無意識に見ていたのか……あ!
そういえば、妖精が悪戯しないように監視していた。
「お嬢さん、それはな──」
「わたくしもおじさまに見ていましたから」
お嬢さんは照れたように頬を赤らめた。
「……喜んでお受けいたしますわ。貴方様の隣を歩ませて下さいませ」
お嬢さんは太陽のような笑顔でそう答えた。
その言葉を聞いて、我が輩の目元がじんわりと熱くなった。
「ところで、おじさま、本当はクッキー屋さんじゃありませんわよね」
ドキリ、とした。
流石に、吸血鬼だとバレているか。
「ケーキ屋さんなのでしょう!?」
……どうやら、気づかれていないようだ。
「……ケーキも作ってみるかい?」
「ええ、是非!」
太陽の子と夜の主は月の下を歩く。
愛する者同士、隠し事は良くない──いつか、我が輩の正体を明かす日が来るだろう。
だが、今夜だけは、貴女の元にいたい。
……こんなに月の綺麗な夜なのだから。




