太陽の子との出会い
その昔、吸血鬼と人間は終わりのない争いを続けていた。
吸血鬼は人間をさらって血を奪い、人間は恐怖から吸血鬼を狩った。
連鎖する怨嗟に、我が輩は心を痛めた。
我が輩は話し合いをすべく、単身で王城に乗り込んだ。
王城兵に行手を阻まれたが、直ぐに道を開けさせた。
人間の王の前に立ち、我が輩はこう提案した。
「この先、我が血族達は人間を襲わない。人間に害を為す同胞達は我々の方でも対処しよう。その代わりに、血液の献上をして頂きたい。……いや何、干からびるまで血を吸い取れとは言わぬ。【不戦の血盟】だ」
王城兵でも歯が立たなかった化け物を前にして、人間の王は頷く他なかった。
我がドラゴンの一族は古い血を持つ。
一般的な吸血鬼よりもずば抜けて能力が高い。
吸血鬼の世界は弱肉強食だ。
人間達はドラゴンの血族の後ろ盾を得たのだ。
そして、我らは食糧に困ることはなくなった。
つまり、双方にとって、良い契約だった。
「人間達は真祖様の力に恐れを為していました。もっと無茶な要求をしても良かったのでは?」
そう血族達に文句を言われたが、これで良い。
我が輩は人間が好きだ。
人間達は夜に怯え、我ら吸血鬼は朝に怯える。
世の常識である。
だが、我が輩は朝を恐れると同時に、憧れていた。
太陽の下を自由に歩き回れる人間達が羨ましい。
吸血鬼と人間の間に、【不戦の血盟】が交わされた。
これからは、人間との良好な関係を築いていけるだろう。
話し合いに疲れた我が輩は、棺桶の中で眠りについた。
あんなに心地の良い入眠は久しぶりだった。
だから、つい……寝過ごしてしまったのだろう。
□
次に目を覚ましたとき、我が輩は一人だった。
血族と眷属で騒がしかったはずの屋敷は静まり返り、屋敷の中はかなり埃っぽく、部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていた。
一体、我が輩が眠っている間に何が起こったのだろう。
そんなことより、まずは喉を潤さなければと、我が輩は蔵に向かった。
蔵には我が輩の好物である牛乳があったはずだ。
しかし、蔵の牛乳は異臭が漂っており、飲む気にもなれなかった。
仕方なく、我が輩は屋敷の外へ牛乳を買いに行くことにした。
牛乳は手軽に手に入る血だ。
こんな時間に人間の店はやっていないだろうが、酒場は空いているだろう。牛乳も置いているはずだ。
我が輩は床に散らばっていた硬貨をいくつか拾って、屋敷を出た。
□
外の世界は、五百年の月日が経っていた。
吸血鬼を狩る吸血鬼ハンターは未だに健在で、悪い吸血鬼を退治するため、夜回りをしていた。
目覚めて早々、我が輩は吸血鬼ハンターに追い立てられることとなった。
我が輩は体が大きく、人間の目には恐ろしいものに映ったらしい。
喉が渇いていた我が輩は戦う力もなく、夜の街を逃げ惑った。
曲がり角を利用して、何とかハンター達を巻いたが、もうへとへとだった。
少し休もうと、我が輩は人気のない路地裏で体を丸めた。
「喉が渇いた……」
ぽつりとそう呟いた。
「──おじさま、どうされましたの?」
そのとき声をかけてくれたのが、シャムシエル嬢だった。
青い空のような髪の色に、太陽のような温かな色の瞳──我が輩は彼女を太陽の子と見紛うた。
「喉が渇きましたの? 生憎、牛乳しか持っていませんが……」
お嬢さんは手に持っていた牛乳瓶を我が輩に見せた。
喉から手が出るほど欲しかったものが目の前にある。
「そ、それをくれ!」
「ええ。どうぞ」
お嬢さんは牛乳瓶を差し出した。
我が輩はお嬢さんの手からそれを奪い取り、ごくごくと飲んだ。
「ああ……潤う……」
喉が満たされる感覚に、我が輩の目から涙が伝った。
お嬢さんはうふふ、と笑った。
我が輩は急に恥ずかしくなった。
「ああ、すまない。お嬢さん。みっともないところを見せてしまったね」
「いいえ。余程喉が渇いていたのですわね」
「ああ、本当に助かった……。君は命の恩人だ」
「どういたしまして、おじさま」
お嬢さんの笑顔はまるで、天に使わされた女神のようだった。
命を救われたからそう見えるのかもしれない。
もし、太陽の下で見られたら、もっと眩しく映っただろう。
そこで、我が輩はふと疑問に思った。
「ところでお嬢さんはこんな夜中に何を? 夜は吸血鬼が出る。一人で出歩くのは危険だ」
「ええ。存じておりますわ。しかし、そうしなければならない理由があったのです」
「それは一体?」
「牛乳を買いに行っていたのですわ」
我が輩は手に握り締めていた牛乳瓶を見た。
これを買いに……?
「貴女は品がよく見える。何処か良いところのお嬢さんだろう。買い物は眷属──ではなく、使用人に任せておけば良いのでは?」
「実は……」
お嬢さんは話してくれた。
婚約者であるアバドンのために、ミルククッキーを焼こうとしていたことを。
アバドンは朝にミルクセーキを飲み、寝る前にホットミルクを飲むほど、ミルクが好きだと聞いたらしい。
最近、アバドンが冷たいので、話のきっかけになればと思ったという。
しかし、お嬢さんはお菓子作りが大の苦手だった。家のものはキッチンに立たせてすらくれないそうだ。
だからお嬢さんは、閉店後の料理店のキッチンを借り、こっそり練習することにした。
何度やってもクッキー作りは失敗。果てには、材料がなくなってしまった。
材料を酒場に買いに来たところ、我が輩が座り込んでいるのを見つけたらしい。
「ミルククッキー……何度作っても真っ黒焦げになってしまうのですわ……」
お嬢さんは悲しそうにそう言い綴った。
殊勝なことだ。
このお嬢さんにそこまで思われる男が羨ましい。
「……お嬢さん、我が輩で良ければ、クッキー作りを教えようか?」
ほんの少しの下心が出た。
料理教師になれば、お嬢さんとお近づきになれるのではないかと。
「えっ! おじさま、クッキーが焼けるんですの!?」
お嬢さんは目を輝かせた。
「ああ、菓子作りは紳士の嗜みだからね。ただ、教えられるのは夜の間だけだがね」
「ええ、昼間はお仕事がありますものね! 是非、お願いしますわ〜! わたくし、皆様に匙を投げられてしまって!」
……匙?
少し疑問に思ったが、お嬢さんが喜んでいるのだから良いか。
そう思った我が輩が甘かった。
それこそ、クッキーのように。