第九話 「山の試練・一つ目」
夜明け。
南の山は、朝霧に包まれ、その姿を神秘的に隠していた。
紅たちは最低限の荷物を背負い、山道へと足を踏み入れる。
踏み固められた道はすぐに細くなり、苔むした岩や根が行く手を阻む。
空気は冷たく澄んでいるが、奥へ進むほどに異様な静けさが支配していく。
やがて、開けた岩場に出た。
そこには、白い装束をまとい、狐面をかぶった人物が立っていた。
「……来たか、右の面の持ち主よ」
低く響く声。
リクトが一歩前に出るが、人物は手を上げて制す。
「試練を受けるのは、そなた一人だ」
紅は面に触れ、小さく息を吐いた。
「……分かった」
次の瞬間、足元の地面が揺れ、岩場の中央に巨大な石の獣が姿を現す。
それは四足で、顔だけが狐面の形をしていた。
「この山を登る者は、己の“心の闇”と向き合わねばならぬ」
獣が咆哮し、紅へ突進する。
紅は間一髪で身をひねり、獣の背後へ回るが、石の尾が唸りを上げて薙ぎ払う。
衝撃で紅は岩壁に叩きつけられた。
面が熱を帯び、囁く。
――その力を解き放てば、勝てる。代償など気にするな。
紅は奥歯を噛み締める。
だが、ふと薬師の老人の言葉が脳裏をよぎる。
「……持ち主の心を試す」
紅は左目に力を込め、あえて面の力を抑えたまま、岩場を駆ける。
獣の足の動き、尾の軌道、息遣い――すべてを読み切り、隙を突く。
「……そこ!」
渾身の一撃が、獣の面の額を砕いた。
石の獣は静かに崩れ落ち、砂となって消える。
狐面の人物は頷き、道の奥を指し示した。
「一つ目の試練、通過だ。だが……次は、心の奥を抉られる覚悟を持て」
紅は荒い息をつきながら、ちらりと右半分の面に触れた。
山はまだ、彼女を手放すつもりはない。