第八話 「山麓の夜」
南の山は、近くで見ると圧倒的な存在感を放っていた。
山肌は濃い緑に覆われ、頂には白く雪が積もっている。
その麓には小さな宿場町があり、登山者や猟師が行き交っていた。
紅たちは町外れの安宿に部屋を取った。
部屋の窓からは山の稜線がよく見え、夕焼けが雪面を赤く染めている。
リクトは地図を広げながら言った。
「面の守り人の住処は、この山の三合目付近らしい。ただ、近づくと試練を与えられるとか」
「……試練?」
「生半可な覚悟の者は通さないらしい」
クロは暖炉の前で丸くなり、眠そうに目を細めている。
紅は薬師の老人からもらった瓶を取り出し、琥珀色の液体を見つめた。
呪いを抑える薬――だが、どこか飲むのをためらってしまう。
夜が深まるにつれ、宿場町は静けさに包まれていく。
外からは山風の音だけが聞こえる……はずだった。
――カラン。
不意に窓の外で何かが落ちる音がした。
紅が身を乗り出すと、暗がりの中に白い影が立っている。
それは、人影のようでありながら、顔に狐面をつけていた。
だが、その面は紅のものと違い、左半分だけが残っている。
影は何も言わず、森の奥へと消えていった。
「……左半分……癒しの面……?」
紅の胸がざわめく。
その夜、紅は眠れなかった。
森の奥に消えた白い影が、夢の中でも何度も現れたからだ。