ep2 来訪者
私は拗ねた顔をしてまた本を開いた楓先生を一瞥し、キッチンへ向かった。お茶を淹れて楓先生を落ち着かせようと思ったのだ。
(頂き物の麦茶パックしかないけど)
やかんに水を入れ、コンロに置いた。そしてつまみを捻る。…火がつかない。何度捻ろうとも火がつかない。ガスを止められたようだった。私の怒りは沸々と湧き上がっていた。今月のガス代は楓先生に渡したはずだ。それはどこへ行ったのか。
「先生、ガス代はどうしたんですか?」
「本に使った」
未だに機嫌を直さない楓先生を無視して、私は怒りを通り越して呆れ果て、諦めてやかんをシンクに置き、来客用のソファに座った。なんで仕事をしたのにお金が入ってこないのだろう、と、今更ながら自問した。どれだけ自問しようが楓先生のせいであることは覆らない事実だ。今回の依頼が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
あの時私が制圧できていれば…と後悔した。楓先生の魔法は強力だ。強力無比故にターゲットもろとも半径数十キロメートルもの広範囲を破壊してしまう。先月の依頼でも強盗グループの1人を見つけるや否や消滅魔法を放ち、巨大なクレーターを作ったばかりだった。なお、結界内は現実世界とは隔離されているため、現実世界の人や建物には影響がない。ターゲットに魔法が通じるのは、あらかじめ調査をしてターゲットをマーキングしてあるためだ。逆に言うと、マーキングされていないターゲットを結界内に呼ぶことはできない。その上、結界内でもターゲットを目視していないと魔法を発動させることはできない。的のない射撃場で的に当てろと言われてもできないのと同じように。それ故、楓先生が仕留めるという前提で話すならば、私が結界内を走り回り、ターゲットを炙り出す必要があった。仮に、私が強盗グループを制圧できていれば報酬は全て事務所のものになっていただろう。私は自身の無力さを嘆いた。
その時。
インターホンが鳴った。私がはーいと返事すると、助けてください!と叫ぶ声が聞こえた。依頼だ。私は内心ガッツポーズをしていた。不謹慎だが、借金を返すためには稼がなくてはならない。
私は玄関のドアを開けた。そこには痩身の美女が立っていた。年齢は28くらいか。赤いワンピースをドレスのように着こなしていた。胸には杖の紋章のバッジが付いている。楓先生も胸につけている、プロの魔法使いの印だった。偽物ではない。バッジには魔法使いにしかわからない高度な術式が組み込まれているため、見る人が見ればわかるのだ。
「周防魔法事務所の草薙です。同業の方がご依頼ですか?」
私が聞くと、女性は「はい」と弱々しく頷いた。
「とりあえず中へどうぞ」
私は女性を中へ案内し、来客用のソファに座らせた。女性は落ち着かない様子で周りをキョロキョロと見回していた。私はせっせとキッチンの冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出して、女性の前に置いた。女性は「ありがとうございます」とおずおずしながら受け取った。
楓先生が立ち上がり、陰鬱な雰囲気はどこへやら、笑顔で手を揉みながらスタスタと歩いて女性の反対のソファに腰掛けた。