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なのはのさくや

 笛の音が聞こえる。

 なにこれ……確か、雅楽で使われてるやつだ。


 なんだっけかな。

 ああそうだ、龍笛(りゆうてき)だっけか。


 横に持つリコーダーみたいなやつ。

 曲はわからないけれど……胸を打つ旋律だった。


菜乃葉(なのは)、どしたん~?」


 友達の香澄が、自転車を止めたあたしに声をかけた。


「え?」


「ん?」


 互いに、きょとんとする。


「なによ、なにかあった?」


「い、いや、笛の音が聞こえるでしょ!? かすかにだけどさ!」


「え~? 笛ぇ~?」


 唇を(とが)らせて、ベリーショートにした髪をかき上げて、耳をすませる香澄。

 ところが自転車のハンドルを離し、座ったまま両手を上にして肩を(すく)めた。


「菜乃葉ちゃ~ん、そろそろ起きましょうね~」


「起きてるわよ!」


 ……はぁ?

 え、え?

 ということはこの音楽、あたしにしか聞こえていない、の?

 そんなことって、ある?


「ほれほれ、早くしないと遅刻だぞ?」


 香澄がペダルに足を乗せる。

 それでもあたしは……この心を(つか)まれるような笛の音を放っておけなかった。


「ごめん香澄、先に行ってて!」


「あっ、ちょっと、菜乃葉あ!?」


 どうしても気になったあたしは自転車の前輪を持ち上げて、音が聞こえる方に向かって自転車を走らせた。

 前をしっかり確認しつつ、耳にも気を配る。

 ツインテールが踊り、息が上がる。


 その方向は、この町のシンボルでもある“船形山”の方向だった。

 あの山は電車からも見えるくらい大きく、この町はかつて船形山にあった城下町が発展したものらしくて、だからこの辺りがいちばん栄えているんだ、って、おばあちゃんが言っていた。


 杉の森が山を(かぶ)せるように建ち並び、春になると頂上は菜の花の黄色と、一本だけ生えている桜の巨木によって(いろど)られていることから、地元では“三色山”とも呼ばれている。


 そして今は、ちょうど四月上旬。

 三色山の名にふさわしく、緑、黄色と彩られ、そして桜が山の王のように存在感を誇示していた。


「うん、あそこだ!」


 あたしは自転車を走らせ、徐々に音量が上がっていく笛の音を頼りに、船形山の山道の前に自転車を置いて鍵をかけ、階段をのぼっていった。

 花粉の時期が過ぎ、辺りは荘厳(そうごん)で、あまり日差しが入ってこないので、肌寒い。

 でも、階段を駆け上がっているあたしにとっては、ちょうどいい気温だった。


 この階段は一本道で、一気に頂上まで行ける。

 スカートと髪を跳ねさせて、古くてぼろぼろの石段を駆け上がる。

 間違いなく、この笛の音はこの先、上から聞こえてくる。

 どうしてだろう、ものすごく引き寄せられる。


 引力を感じる。


 あたしを、あたしだけを呼んでいるような、声音のようなものが耳から入り、この身体を突き動かした。

 やがて杉の森林を抜けると、目映(まばゆ)い陽光と明るい色に目が(くら)む。

 そこは、なだらかな土の上に広がる、一面の黄色い花。


 菜の花だ。

 風がそよぐのを受けて、まるで波のように揺らめいている。

 これだけでも十分美しいけれど、そこから視線を更に上に向ける。


 そこにあるのは、一本桜。


 昔はよくここに遊びに来た。

 比較的なだらかになっており、菜の花がクッションになってくれるので、割と激しい遊びでも大けがはしにくい。そしてこの桜の木がある限り、集合場所に困ることはなかった。


 船形の桜。

 通称“船形此花(ふなかたこのはな)


 町で知らない人はいないし、その樹齢は1000年以上という、とんでもないお年寄り。その間、この桜はずっと立ち続け、ここにあったとされる城も船形此花だけは切らず、この周りに本曲輪を作ったらしい。

 そんな時代から、この地域の守り神だった。

 この町で育った人なら、みながそう教わっている。


 その船形此花が放つ桜吹雪の中、一本の枝に……誰かがいた。


 桜色の狩衣(かりぎぬ)姿で、白い(はかま)をはいている。左足を枝に沿っており曲げ、右足はたらんと枝からさげている。そして上半身は背筋をぴんと伸ばし、頭の上には折烏帽子(おりえぼし)を載せている。


 あれは平安時代の貴族の、平服だ。

 今、令和なんだけどな。

 でも……本当に、きれい。


 黒い龍笛を巧みに操り、楽しそうに演奏する姿は、ただただ神々(こうごう)しいとしか表現できなかった。

 (しば)し、その人の演奏に聞き惚れていると、右目をうっすらと開けてあたしを見た。

 あう。ま、まずかったかな。

 その人は龍笛をゆっくりと下ろし、目を細めた。


「ようやく(われ)の笛の音が聞こえるものが現れてくれたか。今回は随分と待たされたのう」


 え……なんだろう、すごい上からのお言葉ね。

 位置も、言葉も。

 しかも、吾?


「あなたは、なに?」


 誰、ではなく、なんなのか。

 そういう疑問が先に立った。


「飽きたのじゃ」


「は?」


 こうして相対すると、この人……痩せ型でかっこよくて、なんていうか、気品が凄い。

 あたしより十センチくらい身長が高いので、まっすぐ見ると胸に視線がいってしまう。

 ぐう。

 いいなあ。


「吾はこれまで何度も何度もそなたのようなものに名乗ってきたのだ。いいかげん飽き飽きじゃ」


「え、あ、いや、そう言われても、あたしとは初対面だし」


「それはそっちの都合じゃろ!」


「えぇ……」


 イケメンだけど、なかなか愉快な方のようね。

 だ、大丈夫かな。

 辺りに人もいないし。


「おほん。まあ良かろ。こうして言の葉を交わすのも久々じゃしのう。吾の名は“此花咲耶命コノハナノサクヤノミコト”という。この木に宿っておる神だ」


「…………」


「なんじゃ、その痛々しいものを見るような目は」


「…………」


「だからなんじゃ、その哀れみの目は!」


 いやー、だって、ねえ。

 なんて?

 かみさま?


 まあ確かにそう見えるけれど。

 よくできたコスプレだなとは思うよ。


「えっと、このじゃなのさくやのみこ?」


「吾は男じゃ、巫女(みこ)になってどうする! 今一度言うぞ? “このはなのさくやのみこと”じゃ!」


「このはなのさくやのみこと?」


「そうじゃ。この桜に宿って……あー、今は西暦何年じゃ?」


「えっと、2025年だけど」


「そうか……前回、具現化してからだいぶたっておるのう。吾の笛の音が耳に届くものが減るのは、寂しいものよのう」


 ふっ、と、表情を緩めて影を落とす……男子。

 名前が長すぎて覚えられない!


「して、そなたの名は?」


「あたし? あたしは相良菜乃葉。さーがーら、なーのーは!」


「ゆっくり言わんでも聞こえておるわ! 馬鹿にしておるのか!?」


「あはは」


 案外、からかいがいがあるかもなあ、この人。

 ただね……。


「神様だかなんだか知らないけど、名前が長い!」


「お、う!? 覚えられなんだか」


「もう忘れた!」


「それは……残念なおつむじゃのう」


「残念なのはあんたの名前よ!」


「おうっ!? 恐れ多くも天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天孫、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)から直々に賜ったこの名が残念など、なんと罰当たりな――」


「うるさぁい!」


「ぉう!?」


 なんだか長すぎる名前過ぎて、日本語とは思えなかった。


「えーと、そーねえ。あんたは“サクヤ”ね!」


「それはまた、随分と端折(はしよ)ったのう。もう少し――」


「あたしのことは“ナノハ”でいいから。よろしく!」


「人の話を聞け!」


「神様じゃ?」


「神の言うことを聞け!」


 なにやらぷんすかしているサクヤだけど、まあこれでひとまず呼び名は決まった。

 やっと()きたいことを訊けるや。


「ねえサクヤ、それ龍笛でしょう? 隣にいた友達には聞こえなくて、あたしにはその笛の音がきこえてきた。これってどういうこと?」


「ふむ……ん?」


 突然、笛を腰の帯に差し、左手を顎につけて、あたしの顔を(のぞ)きこんできた。

 ななな。

 近いんですけど。


「ほう、そういうことか」


「どういうことなのか説明してよ! エヴァンゲリオンじゃあるまいし!」


「えう゛ぁ?」


「……流していいわ」


「そうさせてもらおう」


 いけない、いけない。

 つい趣味が出た。


「これを説明するも毎度のことなのじゃがな。まあいい。吾の笛の音は、この桜の木に最も(おも)いが強いものに届くらしい。それが意識的であろうと、無意識的であろうとの」


「え……」


 確かにあたしは、この桜が大好きだ。

 家の二階の窓からも見える。


 かつて母に“どうしてここに住んでるの?”と(たず)ねたことがある。

 答えは“船形山の桜が見えるところにしたかったから”だという。

 そこは鮮明に覚えている。


「そっかあ。確かにあたし、この桜、大好きよ。でもさ、この桜を栄えさせてるのって、周りの菜の花だと思うんだよね」


「菜の花……この、下々の花が……いたっ!」


 脊髄反射で、サクヤの尻を蹴り上げた。


「ちょっと待てぃ! 今、おぬし、桜の木が好きだと言っておったろうが!」


「なーにが下々よ偉そうに! あんたなんかその下々がいなかったら、そりゃそれで綺麗(きれい)だろうけれど、今ほどじゃないんだからね!」


「そ、そうなのか!?」


 あれ?

 案外、簡単に動揺するんだ。


「当たり前じゃない! 周りが桜だらけだったら、あんたなんか目立たない存在じゃん! この下に咲いている菜の花の黄色が、あんたを引き立ててるんだから、感謝こそしても、下々とはお言葉じゃないの!?」


「お、うう」


 今度はあたしがサクヤに顔を近づけ、ずんずんと前に歩いて行く。

 あたしに押されて、どん、と、桜の幹に背中をつけるサクヤ。


「むうう……吾は神なのに、こんな小娘に論破されるとは……」


「何年生きてんのか知らないけれど、こんな小娘に論破されるほど、あなたを生かしている菜の花たちへの感謝が足りないってことよ!」


「うう、うううむ……それは、認めざるを得ない、か」


「そこは認めなさいよ!」


「はい」


 なんか、面白い神様ね。

 好きになれそう。


「なんたってあたしは菜の花の葉と書いてナノハなのよ。この美しい黄色い花を支える存在となれって意味なんだってさ。だからあなたが下々と呼んでいる花を咲かせているの下支えをしてるんだからね!」


「お、う。そうだったのか。知らぬとはいえ無礼を働いてしまった。すまない」


「一度折れると、素直になるのね」


「悪いか」


「ううん、素敵だと思う」


 にっ、と笑って、サクヤから顔を離す。


「でも本当にサクヤは、この桜の神様なの?」


「そうだぞ」


 胸を張り、偉そうに顎をあげるサクヤ。


「じゃあ、お小遣いを十倍にしてください!」


「吾は、そういうことはやっておらぬ」


「えー、神様って願い事を(かな)えてくれるんじゃないの?」


「そういう神もおるが、大抵の神は聞き流すからのう」


「どうして~?」


「ふむ、ではナノハ、神に願ったもの全てを叶えたとしよう。この日本はどうなると思うか?」


 暫し熟考。


「じ、じごく?」


「そういうことじゃ」


 とんでもなく説得力のある言葉だった。


「しかし、吾と出会ったものにはいつも一つ、贈り物をするようにしておる」


「え、なになに?」


「金目のものではないぞ」


「なんだー」


「おぬしは本当に素直だな……」


「それが取り柄だと言われる」


「褒められていないぞ、それ」


「ありー?」


 サクヤはためいきをついて、両のてのひらをゆっくりと合わせる。

 すると、しゃりん、と音が鳴って、細いチェーンが手の間から垂れた。


「すごい、手品みたい!」


「手品? ああ、散楽(さんがく)雑伎(ざつぎ)のことか? いや、そんなものではない」


 サクヤは左の手を上にして、あたしに差し出すと、ゆっくりと開く。

 そこには、桜を()したペンダントがあった。


「うわぁ、きれい! すてき!」


「…………」


「なに?」


「おぬし、おなごらしいところもあるのだな」


 サクヤのみぞおちに腰を入れた右ストレートを打ち込むと、宙を舞った桜のペンダントを手にする。

 まるで桜の花を薄い飴細工(あめざいく)で固めたようなペンダントヘッドが、菜の花の黄色と相まって、清楚(せいそ)な輝きを放っていた。


「これ、くれるんだよね!? ありがとうサクヤ、大事にするね!」


「そ、そのお返しが、右拳とは……おぬし、神をなんだと思っておる?」


「そうだ! サクヤって、いつまでその姿でいられるの? ずっとってわけじゃないよね?」


「吾の話は聞かんのだな」


「なぁに?」


「なんでもないが、おぬし、神を脅すでない」


「脅してなんかいないよぉ、人聞きが悪いなあ」


「そうだな、外聞は悪いであろうな」


 サクヤがおなかをさすりながら、背筋を伸ばす。


「そうだ! また笛を吹いてよ。あの旋律、なんか好きなんだよね~」


「きっとそうじゃろうな」


「ん?」


「まあ良い。誰かから頼まれて吹くものでもないが、この曲が好きと言われたら仕方がないの」


「違うよ」


「うむ?」


「サクヤが吹く笛の音が好きなの」


「おぬし、いい性格をしておるのう」


「それもよく言われるわ」


「ふっ」


 あたしは桜の幹に背を預け、顔を上げる。

 満開の桜が、とても綺麗(きれい)だった。

 そしてあたしの隣で龍笛を持ったサクヤが、ゆっくりと奏で始めた。

 一陣の風が、菜の花と桜の枝、そして花を揺らす。


「ん~、きもちい~!」


 最高のひとときだった。

 笛の調べを耳にしながら、サクヤについて考える。


 正直、この桜の神様だなんて、信じられなかった。

 だからつい攻撃的になってしまったけれど、今はなんとなく信じ始めている。


 このはなのさくやのみこと。

 遠い遠い、記憶の中。


 そのどこかで聞いたことがある名前だった。

 あたしは目を閉じる。


 この“船形此花”の樹齢から考えると、サクヤがいつからこの桜の神様になったのかはわからないけれど、産まれた時からだとしたら1000歳は超えている。


 1000年かあ。

 その間、サクヤはここでなにを見て、なにを感じて、一人で過ごしてきたのだろう。

 ひょっとしたらサクヤは、その寂寥感(せきりようかん)から笛を吹いているのかもしれない。


 神様なんだから人間のものさしで測れないとは思うけれど、あたしだったら絶対、寂しいって思う。

 誰でも良いから、話をしたい。


 ……パンチはやりすぎたね。ごめんねサクヤ。

 そんなことを考えていると、ゆっくりと眠気が歩いてきて、あたしの身体を優しく包み込んだ。


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 気がつくと、もう太陽が天高く昇っていた。


「ん~……そか、寝ちゃったのか……」


 身体を起こそうとしたけれど、右肩になにやら妙な重みを感じた。


「は?」


 あまりの非日常的状況に、狼狽(うろた)える。

 綺麗な顔をした男の子が、あたしの右肩にもたれかかって眠っていた!


 ああ、ええっと、そう、サクヤだ。

 ここで出会った、桜の神様。


 すんすん、と髪の毛を嗅いでみた。

 わぁ……桜餅の匂いがする。


 もとい。

 桜の香りがする。


 この人が、神様じゃなかったら。

 恋、しちゃうかも、しれないなあ。

 その時、サクヤの身体がビクッとなって、あたしの肩から顔を持ち上げる。


「……ぁあ、えっ!?」


 サクヤは驚いて、あたしから離れた。


「どうしたの?」


 あたしが笑顔でサクヤにそう言うと、サクヤは顔を赤くして頭をかいた。


「い、いや……まさか神である吾が、人間のおなごのとなりで眠ってしまうなどと……ここ数百年なかったことなのでな、少々、動揺しておる」


「かなり、だね」


「うむむ……」


 (うな)って、天を仰ぐサクヤ。

 案外、可愛いところ、あるんだなあ。


「あーおなかすいた」


 もうお昼だから、食べちゃおう。

 あたしは鞄の中からお弁当箱と水筒を取りだした。


「サクヤはどうすんの?」


「わ、吾は神じゃぞ!? 特に食わぬでも問題ないわ!」


「へー、そうなんだー」


「おぬし、時々、吾への敬意を忘れておらぬか?」


「最初からあったっけ?」


「むう、そう言われてみれば……なかった、のう」


「なんだかね~、(しやべ)ってると、友達みたいなんだよね、サクヤって」


「吾は此花咲耶命あるっ!」


「卵焼きたべる?」


「ん、それは(うま)いのか?」


「あたしのお手製だからね、絶品♪」


「では、も、もらってやらぬでもないぞよ」


「はあ? 神だろうがなんだろうが、頼み方ってもんがあるでしょ!?」


「その美味(おい)しそうな卵焼きを一つ、頂けませぬか?」


「うむ、良かろう! 素直でよろしい」


 お弁当の中から卵焼きを箸でつまみ、サクヤの口に放り込む。


「む! これは、なんという美味なものじゃ!」


 はむはむ食べるサクヤ。

 ……かわいい。


「もう一つ食べる?」


「是非に!」


 サクヤはすっかりあたしのお弁当に夢中になっている。

 あたしはある程度食べると、半分くらい、サクヤに差し出した。

 するとサクヤは、がふがふとお弁当を食べてくれた。


「な……なんなのじゃこの食べ物らは! 見たこともない……しかも美味すぎるぞ!?」


「それ全部、あたしが作ったんだよ?」


「ま、まことか!?」


 サクヤは目を丸くして、こちらを見た。

 まあ、確かに自分で作ったは作ったけれど、卵焼き以外は冷凍食品ばっかりなんだけどね。


「おぬし、やりよるな……」


「それはどうも」


 女子高生のお弁当に感動する神様。

 どういう状況なのかな、これ。


 結局、神だなんだ言っておきながら、しっかり食べた。

 神様も、美味しいものには弱いみたい。


「これは、もはや口の(おご)りじゃ。このような美味なるものを所持しておるとは……そなた、只者(ただもの)ではないな!?」


 なぜか息を(あら)らげながら、あたしに警戒心を(あら)わにするサクヤ。


「人間も進化してるってことだよ、かみさま」


「むぐぅ、実際に体験させられてしまっておるで、説得力があるのう」


 桜の香りがする神様が、冷凍食品がメインのお弁当に感動している。

 なんだか面白くて、笑えてきた。


 そうだ。

 もしサクヤを町に連れて行ったら……どうなるんだろう!?


「ねえサクヤ、あなたはこの桜の木から離れられないの?」


「うん? そうだのう……あまり遠くまでは行けぬと思うが、言われてみれば、試したことはないの」


「はああ? 何百年も生きてて、一回も?」


「ば、馬鹿にするでない! おぬしらとて、海の中に行ってみたいとは思わぬじゃろが」


「思うし行けるけど?」


「ばかなっ!?」


 どうなっとるんじゃこの世界は、と(つぶや)き、表情を固める。

 本当に面白い神様だなあ、サクヤって。


「しかし、どのみち吾には時間がないから無理じゃの」


 ぽつり、ともらしたその言葉を、あたしは聞き逃さなかった。


「時間がない?」


「そうじゃ」


「どういうこと?」


 サクヤは立ち上がり、満開の花を見上げた。


「吾がこうして具現化できるのは、この花たちが散るまでじゃ。日数にして、あと二日といったところかのう」


「そ、そんな短いの!?」


「桜枯らしや桜流しがなければ、もう少し伸びるかもしれんが……無理じゃろうなあ」


「桜流し?」


「ああ。この時期、たまに冷たい雨が降るじゃろ?」


「うん」


「あの雨は幹に応えるでな。当然、花も散りやすうなるんじゃ」


「そう、なんだ」


 あたしはお弁当箱を片付けながら、天気のことを考えて、表情を濁らせた。

 確かに今夜から雲が広がって、気温が下がって、雨が降る。

 その上、今日のような風が吹いたら……サクヤは消えてしまう?

 舞い散る桜の花びらに包まれながら、胸がちくりと痛んだ。


「しかし今回の具現化はまこと、楽しかった。相良菜乃葉、おぬしのように無礼で愉快なおなごは、久方ぶりじゃったぞ」


「……やだ」


「うん?」



「このままさよならなんて、いーやー、だぁ~っ!」



 あたしは鞄を持って、一気に全速力で菜の花の斜面を下っていく。


「お、おい、ナノハ!?」


 サクヤの声はもう(はる)か後方だ。

 足をつっかけないように、スカートがめくれ上がるのなんか気にせず飛び跳ねながら、菜の花の上を越えて、杉の林に入る。


 全速力。

 何回転んでも、あたしは力の限り船形山を駆け下りていった。


 途中、時計を確認する。

 十三時半。

 今ならまだ間に合うかもしれない!

 だったら、走る以外の選択肢はない!


「はぁ、はぁ」


 胸が苦しい。すりむいた膝も、じくじくする。

 勢い余って転がり、打ち付けた背中も……痛い。


 でも、あたしの心の中は一つの目的を達成するため、ひたすら走った。

 やがて階段の終わりが見えてきた。


 あたしはすぐに自転車の鍵を取り出す。

 自転車に到着すると、鞄を前かごに(たた)きつけるように入れて、鍵をさしてロックを外し、家に向かって全力でペダルを()いだ。



 このままサクヤとお別れしたくない。

 だからサクヤを、町に連れ出す!



 この船形町は田舎(いなか)だけれど、遊べる場所はそこそこある。

 そこに、サクヤを連れていく!


 あたしはぜーぜーいいながら、家までの道を一気に走った。

 自転車を門の前に()めて、家の鍵を刺し、中に入って鞄を放り投げ、兄貴の部屋に入る。


「うわ、なんだ!?」


 そこには、ベッドの上でタブレットを見ている兄貴がいた。

 ありゃ。

 いたのか。


「お金と、上下の服を出して!」


「おまえは強盗か!?」


 若干、(おび)える兄貴。


「い・い・か・ら、出せ!」


「わ、わかったよ」


 あたしの迫力に気圧(けお)されたのか、兄はあたしに一万円札と、ティーシャツ、ジャケット、ジーパンを貸してくれた。


「ありがとう兄貴!」


 あたしが叫ぶようにお礼を言ってその場から離れようとした、次の瞬間。


「菜乃葉、髪の毛ぐしゃぐしゃだぞ! なにでそんな一生懸命なのかわからないけど、気をつけろよ」


 兄貴からの声に、足が止まる。


「ありがと!」


 にっ、と笑い、再び走り出した。

 ついでに玄関から兄貴の靴も拝借し、外に出て自転車のかごに靴と服を詰め込むと、サドルに腰掛けて、ペダルに足をかけた。


 ふう。

 疲れた身体に(むち)を打つ。

 乱れた呼吸を整える。


「よし!」


 身体に、力が(みなぎ)る。

 心が入った。

 この耳には、はっきりとサクヤの笛の音が聞こえる。

 あたしは地面を蹴って、ペダルを()ぎ出す。


 たった数時間であたしの心を奪ったくせに、少しだけしか一緒にいられない神様のもとに行くために。


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


「ナノハ!?」


 サクヤは最初に出会った時と同じように、桜舞い散る枝の上で龍笛を吹いていたけれど、あたしに気づくと、吹くのをやめてこちらに顔を向けた。


「はぁ、はぁ、はーっ! おまたせっ!」


「ま、待ってなどおらぬし、いきなり消えたくせに、なんじゃその物言いは。だいたい吾は――」


「いーから、とっとと、降りて、きて!」


「はい」


 よろしい!

 こっちは息があがってるのよっ!

 船形山頂上から家までの往復なんて、やったこともないわよ。

 素直にあたしの前に立つサクヤの胸に、兄貴の服と靴を押しつけた。


「なんじゃ、これは?」


「今の、2025年の、男性の、服!」


「これを、吾にどうしろと?」


「着替えて」


「それは、まあ、わかるが……」


「これに着替えれば、町に行っても怪しまれないはずだから」


「つまり、おぬしは吾を――」


「そう! 一緒に現代の町に行こう!」


 サクヤは狩衣の上から胸を押さえ、足下に龍笛を置く。

 少し間をおいて、微笑んだ。


「吾は長い間、ここでこの笛を吹くしかできぬ存在じゃと思っておった。まさか、こんな即断即決する人間がおろうとは、思わなんだ」


「時間がないんでしょ!? だったらとっとと脱いで!」


「おぬし追い剥ぎか!?」


「い・い・か・ら、脱げ!」


「おなごが口にする言葉か!」


 文句を言いつつ、手を袖に入れるサクヤ。

 それにしても、狩衣かあ。

 これを着ているってことは、サクヤが産まれたのは平安時代だと思う。すると794年から、鎌倉幕府が開府される1185年までの間だから、391年間のどこかだろう。


 幅が広いなあ。

 でもサクヤがこの木の神様なら、やっぱりざっと1000年以上は()っているだろう。

 その間、サクヤを連れ出そうと考えた人は、誰もいなかったんだろうか。

 こんなに綺麗な男の子なんだから、一人や二人……数百人くらい、いたかもしれない。


 なんか……腹が立ってきた。


「のうサクヤ、こんなもので良いのか?」


「あぁん!?」


「な、何故(なぜ)、怒っておるのじゃ!?」


 おっといけない。

 つい、本音の反応をしてしまった。

 改めてサクヤの格好を見ると、初めての割にはきちんとシャツもズボンも着られていた。


 ……めちゃくちゃ格好(かつこ)いい。

 危うく鼻血が出そうになった。


 ダメージジーンズに白いティーシャツというシンプルな服なのに、自然な着こなしがすごい。でも何故か折烏帽子をかぶっていて、そこだけがふざけてるのかと言いたくなるほど不自然だった。


「それ、脱いでよ」


 あたしがサクヤの頭を指さす。


「なっ……だ、駄目じゃ! これだけは外せん!」


「えー、どうして?」


「吾にとってこれを外すのは、全裸になるに等しいのだ!」


「そっか」


 あたしは素早く(かが)むと、サクヤの後ろに回ってジャンプし、背中にしがみつく。

 両足で胴をロックし、烏帽子を取り上げた。そこにはまとめられた髪が納められて、(ひも)で縛られている。てっきり月代(さかやき)にしているのかとも思ったけれど、前髪の生え際が見えていたので、それはないとわかっていた。


「あ~~~~~~~っ! おなごのくせになにをするのじゃぁああああ!」


 あまり体力がないのか、サクヤは胸から倒れ込んだ。

 うつ伏せであたしに乗られて、じたばたと手足を動かしている。

 これはこれで可愛い。


「まあまあ、よいではないかよいではないか」


「おぬし、なにを言っておるのじゃあああ!?」


 熱くなるサクヤの体温を感じつつ、髪の紐を解く。

 はらりと、癖がついた髪がしだれ桜のように弾けて舞った。


「ふむ。これじゃあ、ちょっと清潔感がないわね」


「や、やめよ! 烏帽子を返せぇえええ!」


 あたしはサクヤの言葉を無視して、右の髪ゴムを外し、サクヤの髪をまとめて()めた。


「うん、いいよ。すごくいい!」


 左の髪ゴムを外しながら、立ち上がる。


「おお……ま、まさか、このような屈辱を受けるとは……」


 両手を伸ばし、がっくりと脱力するサクヤ。

 かろうじて顔だけは上げていた。


「そんなに恥ずかしいものなの?」


「おぬしは下着姿で恥ずかしくはないのか?」


「そんなの恥ずかしいに決まってるじゃん」


「では、その感覚が吾の心境じゃ」


「意味わかんない♪」


「おぬし、のう……」


 サクヤはかくり、と項垂(うなだ)れる。

 その間にあたしは髪を一本にまとめ、ポニーテールにした。

 鏡があればきちんと整えたかったけれど、残念ながら家に放り投げた鞄の中だ。

 ま、いっか。


「さあ行くわよサクヤ!」


 両手をつき、がばっと身体を起こすサクヤ。


「ちょっ、待たぬか! こんな恥ずかしい格好で町へ下りるというのか!?」


「うん」


「か、軽く言ってくれるのう」


「神様とはいえ男の子でしょ! 気にしない気にしない!」


「うう、何故におぬしはそう強引なのじゃ」


「引っ込み思案な男子を見てると、つい引っ張り出したくなるのよねえ」


天邪鬼(あまのじやく)じゃのう」


「あ、それよく言われる」


「周りも認識しておるのじゃな……」


「さあ、行こう!」


「だーかーらー、おーぬーしーは~あああああ……」


 がたがたやかましいので、あたしはサクヤと手を(つな)いで歩き始めた。

 桜の花びらが吹き上がり、菜の花たちが風にそよぎ、あたしとサクヤの背中を押す。

 あたしは振り返り、桜の木に向かって笑みを浮かべ、ピースした。


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


「うおおおお、なんじゃこれはぁあああ!?」


 自転車で町に下りて、船形駅前に着いた。

 ここは田舎な方だけれど、それでもサクヤにとっては衝撃的な光景だったらしい。


「山の上から見てはおったが……まさか道路にこのような石を敷き詰めていたとは。それになにやら色とりどりの虫が走っておると思っておったら、人が乗っておるとは! いったいどのような世界なのじゃここは!」


「あー、いちいち説明しないんで」


「してくれないのか!?」


 愕然(がくぜん)とするサクヤ。

 ちなみに手は繋いだままだ。

 なんでかというと、放っておくと気になった方向に行ってしまうからだ。


 だから、手を繋いでおくしかない。


 犬の手綱(たづな)みたいだけれど……正直、あたしはめちゃくちゃ照れていた。

 だって、こんなに長く男子と手を繋いだことなんかないんだもん。

 もちろん、男子とお付き合いをしたこともない。

 まあ、そんな初体験が神様っていうのも、あれでなんだけどさ。


「それでナノハよ、そなたは吾をどこに連れて行くつもりじゃ?」


「楽しいところ!」


「…………」


「なによ?」


「ナノハよ、吾は神なのじゃ。そういう男女のまぐわいは――」


 飛び跳ねて、サクヤの後頭部に拳を振り抜いた。

 ごちん、と、いい音がした。


「おぬしはなにをするのじゃ本当に!」


「あ、あ、あんたが悪いんでしょうがあっ!」


「ごめんなさい」


「謝るのが早いっ!」


「え、ええ!?」


 まったくもう!

 サクヤが変なことを言うから、意識しちゃったじゃん。

 うー、ほっぺたが熱いなあ。


 サクヤは後頭部をさすり、やや涙目になりながらも、看板や、電柱や、ガードレールなどに目を移しては、おお、ふぉお、あん? などと声を出していた。

 時間さえあれば、全部教えてあげたい。全部見せてあげたい。


 でも、制限時間があるから、どうしても優先順位をつけないといけない。

 あたしはサクヤを引っ張って、この近辺でいちばん大きなゲームセンターに入った。


「うああああ、なんじゃこのやかましい音はぁあああ!」


 機械音に耳を(ふさ)ぎ、苦悶(くもん)するサクヤ。


「気にしない気にしない。こっち来て」


「あ? なんじゃ?」


 あたしはサクヤの手を引き、クレーンゲームのコーナーに来た。


「おお、おお……」


「なんかさっきからサクヤって、おお……しか言ってなくない?」


「そ、そんなことを言われてものう」


 まあ、気持ちはわからなくもない。

 草木や風の音しか耳にしたことがない人が、突然ゲームセンターに入ったら、こうなるか。

 でも、限られた時間で最大限に現代の娯楽を味わってもらうには、これしか思いつかなかった。


「なんじゃこれは? 玻璃(はり)の中に、これは、這子(ほうこ)なのか? 紙細工ではないようじゃが。それにこの上の爪は!?」


「はいはい、ちょっと待ってね」


 あたしは両替機に行って、お札を小銭にすると、サクヤの隣に戻ってコインを投入する。

 ピロリン、という音に身体を浮かせて驚くサクヤに、あたしはボタンを指さした。


「いいサクヤ、ルールは簡単。この光ってる左ボタンを最初に押し続けて爪が動くから、欲しいものの横軸を決めたら、上のボタンを押すの。そうすると今度は爪が奥に行くから。あとは見てて」


「う、うむっ!」


 なんだか、ものすごく真面目にあたしの手元とゲームの中の爪を交互に見ている。

 あたしはむっ、と気合いを入れて、一つのぬいぐるみに狙いを定める。


 ボタンを押して、アームを左に動かすと、例によってサクヤが「おぉ……」と(うな)る。

 次にアームを奥に進めていく。その先にあったのは、猫のぬいぐるみだった。

 ここだ、というところでボタンを放す。


「いっけー!」


「!?!?」


 拳を掲げるあたしと、ガラスに両手をつけて固唾(かたず)を見守るサクヤ。

 爪が開き、アームがぬいぐるみに向かって下りていく。

 ぶにゅ、と猫の顔が(ゆが)んだあと、爪がぬいぐるみの下に潜り込む。そしてアームが上がっていくと、ぬいぐるみが首の皮を(つか)まれた猫のように持ち上がっていった。


 でも、アームが一番上に上がった時。

 がつん、という衝撃でぬいぐるみがぼとりと落ちた。


「ああああ~~~~っ!」


 むうう、さすがに一回じゃ無理か~。


「なるほどのう。あの棒付きの爪を動かして、中のものを取る遊びなのじゃな?」


「うん。でもねー、なかなか難しいんだよ~」


 ぎらり、と、サクヤの眼光が鋭くなる。


「ナノハ、吾にやらせよ」


「できるの?」


「まかせておけ」


 サクヤとあたしが、場所を変わる。

 あたしが入れたのは五百円玉だから、全部で六回プレイできる。

 こんなの、大体、数百円じゃ取れない設定になってるに決まってる。

 なんて思っていると……。


 がしり。

 あたしが狙った猫のぬいぐるみを、寸分違わないくらい綺麗に掴んだ!


「ええっ!」


 サクヤは真剣そのものだ。


「完璧じゃ。縦軸も横軸も完全に捉えてお――」


 ぼとり。

 無情な音と共に、あたしの猫のぬいぐるみはあらぬ方向へ転がっていった。


「…………」


「…………」


「なにが完璧よ~っ!」


「わ、吾の見立てに間違いなどないのだ! このおかしなものが悪い!」


「神様のくせに機械のせいにするな~!」


「な、なんじゃ、きかいとは!? とにかくこれは合わん!」


「よし、じゃああと四回やって、次いこう!」


「待てナノハ、そんなにやり直せるのか?」


「うん、そうだけど」


「こんどこそ吾に任せよ!」


「ん~」


「頼む!」


「そこは、お願いしますでは~?」


「お願いします!」


 ついに神様にお願いされる存在になった。

 まあ結果は、見事な四連敗だったけど。

 赤くなったり青くなったり、夢中になっているサクヤが見られたから、いっか。


「くうう、不覚じゃ……」


「まあまあ、そんなに簡単に取れるものじゃないのよ」


「無念じゃ! むぐぐぐ!」


 本気で落ち込んでいるサクヤの背中に、そっと手を置いた。


「これさ、ゲームだから」


「げぇむ?」


「ああ、ええと、遊戯、かな?」


「そうなのか?」


「そうそう。ここはね、ぜーんぶ遊ぶ場所なの。遊技場よ!」


「なんと……」


 サクヤは立ち上がり、辺りを見回した。


「吾は長く船形山で過ごしてきたが、まさか下界がこれほど発展しておったとは」


 その言葉に、あたしは引っかかりを覚えた。


「そういえばさ、サクヤって毎年、その姿で、この時期に現れるの?」


 胸が高鳴ってる。

 やっぱり……好きになっちゃったっぽい。


「いや、そうでもないようじゃ」


「サクヤの意思じゃないって言い方ね」


「ナノハは時々鋭いのう」


「時々は余計よ!」


「はは……ははは!」


「笑ってないで、答えてよ!」


 あたしが真面目に叫ぶと、サクヤは(たお)やかな笑顔を見せた。


「吾がこのような姿で具現化できるかどうかは、吾にもわからんのじゃ。なにせ以前は確か……二十年前じゃったな。それより過去は六十年前じゃ」


「二十年……六十年……」


 そんなに間隔が、開いちゃう、んだ。


「わかった! じゃあ今日はここで、思いっきり遊ぼう!」


「うむ。次はなにをするのじゃ?」


「えっとね、次は……」


 それからあたしはサクヤと音ゲーしたり、プリクラを撮ったり、まるでデートのように遊んだ。

 そして一八時頃になると、マクドナルドでハンバーガーを食べた。


 この時のサクヤも、本当に面白かった。

 ハンバーガーを紙ごと食べてしまい、もしゃもしゃして「味がせんのう」とか言ってたからね。


 あたしは涙が出るほど笑った。

 サクヤは真っ赤になって怒った。


 それから時計の針は十九時を示していたので、あたしたちは自転車で船形山に帰った。

 ちなみに体力に乏しいサクヤは行きも帰りも自転車を漕がなかった。

 まあ、軽かったからいいけどさ。

 船形山の周辺につく頃、いつの間にか空には重たい雲が垂れ込めていて、辺りは真っ暗になっていた。


「ナノハ、そなたはここで帰れ。送ってくれたことには感謝する」


 船形山頂への道の前につくと、サクヤが自転車から飛び降りながら言った。

 あたしは自転車を降りて、サクヤに向かって歩く。


 そして……咲耶の胸に、とん、と額を当てた。


「ねえ、来年も会えるよね?」


「吾はもう1000年以上ここにおるが、二年連続でこの姿になれたことはない」


「ねえ、来年もここで会えるよね?」


「菜乃葉?」


「ねえ……また、あえるよ、ね?」


 あたしは、泣いていた。

 咲耶はあたしの肩に手を載せる。


「無理じゃろうな」


「じゃあ、もう、これで、おわかれ?」


「そんなことはないぞよ」


「え?」


 あたしが涙顔をあげると、咲耶は口元を緩めて船形山の上に視線を投げていた。


「吾の名は此花咲耶命。多くの菜の花に囲まれ、(わず)かの間だけ命を咲かせ、散る存在じゃ。お主が会いに来てくれれば、吾はいつでもここにおる。ずっとおぬしを見守っておる」


「そういう、ことじゃ、ないのよ……」


 ぐっと、シャツを握りしめて、また咲耶の胸に顔を埋める。


「そういうことじゃないの! あたし、咲耶が好き!」


 絶叫に近い、想いの爆発だった。


「嬉しいのう。吾も菜乃葉が好きじゃ」


「咲耶ぁ……」


「棚曇りじゃ。今なら天上の神々も許してくれるかのう」


 咲耶は強引にあたしを離すと、唇をあわせてきた。

 とても驚いたけれど。

 あたしは咲耶にされるがまま、桜の香りがする唇を受け入れた。




 次の日。

 あたしは雨音で目が覚めた。

 慌ててカーテンを開くと、まるで台風のような雨と風だった。


 二階のあたしの部屋からだとよくわかる、春の嵐。

 叩きつける水と風で、船形山がうねって見える。


 花枯らしと花流しが、同時に来たんだ!


「さ、咲耶っ!」


 あたしはパジャマを脱ぎ捨て、手っ取り早くワンピースを頭からかぶると、靴下を履き、玄関まで駆け下りると、雨合羽(あまがつぱ)に袖を通し、長靴に足を突っ込み、お母さんやお父さん、兄貴が何か言っているのを全て聞き流して玄関を開けた。


 その途端、頭にかぶったフードが後ろに吹き飛んだ。

 すごい風雨だった。


 あたしはよたよたと色んなものをつかみつつ、自転車の鍵を開けて(また)がる。

 これだけの荒天ともなると……今日一日で、船形此花が吹き飛んじゃう!


「咲耶ぁああ!」


 あたしは叫びながら、自転車を走らせた。

 途中、自動車から何度も水を浴びてしまい、早々に合羽(かつぱ)は意味をなさなくなった。

 靴も、靴下も、下着も、ワンピースも、全部()れた。


 そんな中で。

 あたしの鼻を(くすぐ)るなにかがあった。


「これは、桜の花びら?」


 自転車を停めて、船越山に目を向ける。

 雨と、風に混じって……。

 桜の花びらが、待ちに降り注いでいた。


「いや……いやぁあああああああああっ!」


 冷たい雨を浴びつつ、まなじりから暖かな水が(にじ)む。


 いやだ。

 いやだ。

 いやだッ!


 咲耶に会ったの、昨日なんだよ?

 好きになったの、昨日なんだよ?

 思いが通じ合ったのも!


 それがたった一日でお別れなんて、ひどいよ!


 いつもよりも(はる)かに重たいペダルを漕ぎつつ、やっとの思いで船形山頂入り口にやってきた。

 あたしは自転車を横倒しにして、鍵もかけずに階段を駆け上がる。杉の葉によって()()まれた大きな水滴があたしの身体中(からだじゆう)を打ちつけたてきたけれど、そんなもの、今のあたしにはなんの障害にもならない。


(咲耶、咲耶、咲耶……)


 あたしは初めて好きになった人の名前を心の中で唱え、彼がくれたペンダントを握りしめながら、ただ石の階段を駆け上がっていく。

 頂上について、目の前に広がる光景に愕然とした。


 風で菜の花が波打っていて、桜の木も大きく揺れていた。

 そして引きちぎられるように花びらが雨に打たれ、風にもがれて宙に舞っていた。


「咲耶ぁあっ!」


 あたしは菜の花の波をかき分け、前に進む。

 なんとか桜の木の幹まで辿り着くと、体力の限界を迎えて、両膝をついた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 桜の木の下は、枝と花が雨風を防いでくれていて、暖かな空間だった。


「咲耶! どこ!? いるんでしょう、出てきてよ!」


 あたしの声が、渦雨(うずあめ)の中に溶けていく。


「ねえ、返事をしてよ! もうからかったりしないから!」


 どんなに声を上げようと。

 どんなに桜の幹を握ろうと。

 咲耶は、現れてくれなかった。


「あぁあ、わああああああぁあぁぁ……」


 あたしは桜の木を抱きしめながら、幹にキスをして、喉が痛くなるまで、泣いた。


☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 今日も、あの頃と同じように電車が走る。

 窓の外を見ると、船形山が見えてきた。


「懐かしいな……」


 ごとん、ごとんと、音を立てて、列車が揺れる。


「次で降りなきゃね」


 あたしは少し早めに席を立ち、出入り口の前に移動する。

 電車が止まろうとする力を感じ、足に力を入れる。右肩にはたくさんの荷物が入ったトートバッグの加重が掛かって、ずれおちそうになる。


 やがて電車が止まって、ぷしゅー、と音がして、両開きのドアが開いた。

 あたしは少し飛び降りるようにして、ホームに降り立った。

 昼過ぎという時間もあり、人はまばらだ。


「うっわ~、懐かし~!」


 石畳のホーム。

 決して栄えているとは言いがたい町。

 目線を上げれば、ずっとこの町を見守り続けている船形山がある。

 この感じ。

 帰ってきたなあ、って実感する。


「うん!」


 あたしはにっと笑い、歩き出す。

 Suicaで改札を通り、ロータリーに向かった。

 そこでタクシーに乗り込み「船形山頂入り口まで」と告げた。


 運転手は白髪のご老人で、返事もなく車を走らせる。

 ま、こんな薄いやりとりですら楽しめてしまう。

 窓の外を見ながら、代わり映えしないなあ、と思っていたけれど……。


 駅前のゲームセンターがなくなっていたのは少し悲しかった。

 大切な思い出の場所だったのにな。

 まあ、仕方ないか。



 咲耶と遊んだあの日から、もう五年も経ったのだから。



 あたしも、もう立派な大人だ。

 でも、咲耶のことは忘れていない。

 首からは、咲耶にもらったネックレスがある。


 高校二年生の、四月。

 あの頃に出会った、楽しい男の子。


 此花咲耶命。


 また、彼に会えるといいな。

 なんて思っているうちに、タクシーは目的地に着いた。

 あたしは代金払い、タクシーを見送ってから、あの頃と変わらない石垣の階段に目を向けた。


 こくっ、と、つばを飲み込む。

 少し緊張する。

 きっと咲耶には会えない。

 もし彼がいたとしたら、あの龍笛の音が聞こえるはずだから。

 それでもいい。


 あたしは少しどきどきしながら、この階段を上るために履いてきたシューズを地面から上げて、ゆっくりと階段をのぼっていった。



「え?」



 船形山の山頂。

 あたしは、そこで……信じられないものを目にした。


 目の前には、上部に有刺鉄線がついた、緑色のフェンス。

 大好きだった菜の花は、一本もない。

 あの太くて立派だった桜、船形此花もない。

 そこには下品な反射光を輝かせる、ソーラーパネルが広がっていた。


「こんな……ひどい……ひどいよ!」


 あたしはフェンスを(つか)みながら、桜があった場所を探して歩く。

 雑草がスカートに絡みつくのも気にせず、少しでもあの桜の面影を探した。


「あ!」

 (かす)かに。

 ほんの僅かだけ、フェンスの外側から、それが見えた。

 無残にも根元から切られた桜の残滓(ざんし)


 大きな、切り株が。


「そんな……あの桜はこの町のシンボルで、守り神じゃなかったの!? バカなの!?」


 あたしが()いに来た相手は、切り倒されてしまっていた。

 フェンスに掛けた指から、踏ん張っていた膝から、力が抜け、ずるずると両膝をつく。


 最近はあちこちにこの恨めしい黒い板が並んでいる。

 確かにさ、この山はあたしのものじゃないよ。

 でも、心や思い出をぶち壊すようなこと、しないでよ。

 ぼろぼろと涙が(ほお)と首を伝う。


 その時だった。


「……?」


 首元に、ほんのりと熱を感じた。

 あたしはその熱源を外して、両手の上に載せる。

 昨夜からもらって、今も大事にしている、あのペンダントだ。

 それが、ほんのりと輝いていた。


「なに、これ……わっ!」


 ペンダントが、急に強い輝きを放ち始める。


「わわ、わわわ!」


 なにがなんだかわからず動揺していると、パリン、という音を立てて、ペンダントは粉々に砕けた。


「ああっ!?」


 そんな……もしかして、木が倒されたから?

 あたしと咲耶の、思い出の品までなくなってしまうの?


 ……と思っていた、その時。

 ペンダントの破片があたしの手から離れ、切り株へと向かっていく。

 そして、かつて桜だったものに吸い込まれていくと、地面が揺れ始めた。


「な、な!?」


 目の前で起きたのは、ただの奇跡だった。

 切り株がどん、という音と共に振動し、真ん中から幹を伸ばしていく。

 そして、瞬く間に元の船形此花の姿になった。


「咲耶……まったくもう。今は五月だよ?」


 季節外れの、満開の桜。

 そして、ふと気がついた。

 あたしの横に、横笛が置かれていたことに。

 手にしてみると、ほんのり暖かかった。


「そっか……うん、咲耶はまだ頑張るんだね。あたしも、がんばるからね!」


 しっかりと立ち上がり、右手には咲耶の龍笛を。

 左手は、新たな命を宿した下腹部に当てる。

 そして、思いっきり息を吸って……。



此花咲耶命コノハナノサクヤノミコト、人間なんかに負けなるな! あなたはこれからも咲き続けなきゃダメなんだから。あなたは二十五年前、お母さんに逢ってたんですってね! あたし、この笛を練習して、あなたの曲を吹けるようになったら、また来る! それまで元気でねっ!」



 この町中に響くくらいの勢いで、叫んだ。


                      完

 

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