一本ちょうだい!
「ねぇねぇ、一本ちょうだい?」
休憩中、喫煙所にて煙草に火をつけようとした矢先、傍らから女の声がした。
「うぉっ!!?」
スマホを見ながら入室したとはいえ、今の今まで人の気配など感じなかったので驚いた。
黄色く汚れた壁に凭れながら笑みを溢す彼女は、子供の様に右手を出しながら煙草を強請っている。
どこの部署の人だろう。まぁ無駄にデカい会社だし、顔を合わせたことのない人間の方が多い。見たところ二十代前半……アラサーに片足を突っ込んでいる俺よりは年下のようだった。
「タバコ、一本ちょうだい!」
「……お前、多分年下だろ?馴れ馴れしいぞ」
「いいからほら!一本!ね?」
「タバコ無ぇなら喫煙所なんか来るな。さっさと出て仕事に戻れ」
「えーー!!嫌だ!一本ちょうだい!」
ガキの様に不貞腐れた顔で、伸ばした右手をひらつかせる。流石にこちらもカチンとくるが、いくら小言を言っても聞くようなタイプには思えない。最近の新人は悍ましいほど肝が据わっている。……俺の負けだ。
「しゃあねぇな……」
大学時代から吸い続けている銘柄。そのボックスから一本取り出し、渋々彼女に渡す。すると一層弾けた笑顔でそれを受け取った。
「ありがとう!!」
「”ありがとうございます”だろ?」
いつもはコンビニでコーヒーを買うついでに吸ってから仕事に戻るが……ヤニ嫌いの店長にでも変わったのか、店前の灰皿が撤去されてしまっていた。
故に、オフィスから微妙に遠くて狭い会社の喫煙所に来たのだ。利用するのは、新卒で入ってから地味に初めてのことだった。
まさかこんな厄介者が定住していたとは……
「言っとくが、二度目はねぇからな」
「うん、わかった。ライターも貸して!!」
「なっ……お前なぁ!!!」
本当に、クソ生意気な新人だ。
◇◆◇
「何度言ったら分かるの!?教えた改善点が一つも活かされてないじゃない!」
「すいません」
「自分のやり方があるのかもしれないけど、チームでやっている以上は周りを見てそれに合わせるのが最優先なの!変化を恐れてたらいつまでたっても進歩しないわよ!?」
「………すいません」
「はぁ………もういいわ。とにかく、この企画書は作り直し。明日までに仕上げてまた持ってきて」
「はい。わかりました」
あくる日の午後。いつも通り部長からの小言を受けてデスクに戻る。
俺と十も離れていない歳らしいが、とんとん拍子で部長にまで駆け上がったエリートの女。しかし協調を求める癖に独善的な物言いで、毎日の様に部下の俺を叱りつけている。決め台詞は”変化を恐れるな”。……幾億番煎じの使い古されたセリフだ。それを聞くたびに苛立ちを覚える。
「またやられたのか?気の毒に」
隣のデスクから、これまたいつも通りのニヤついた声が聞こえた。
「うるせぇ」
「拗ねんなよ。しっかし、部長も飽きないねぇ。毎日毎日同じような事で怒鳴ってさぁ」
「……しゃあねぇさ。実際俺が仕事できねえのは事実だしな。言い方は腹立つが、従うしかない」
「律儀なやつだねお前も。ま、ただのヤニ切れだと思って適当に流しとけよ」
「はは、そうだな」
「もう昼飯だろ?どうだ、この前教えた定食屋、行ってみないか?」
「あぁ。……悪い、その前に一本吸ってくる」
「んだよ、お前もヤニ切れかよ!早く済ませろよ?」
一つ頷いて、オフィスを離れた。溜息と共に通路を歩き、いつもの喫煙所へ。
「あ!来た!」
「げっ」
俺を見るなり手を振るのは、昨日の”一本ちょうだい女”。……企画書の訂正の事で頭が一杯になっていて、昨日の出来事を忘れていた。
「一本ちょうだい!」
「はぁ!?言っただろ!二度目はねぇって……!持ってないなら来るなよ!」
「いやだ!来る!一本ちょうだい!」
「子供か!!やらねぇよ!」
引き続きギャーギャー言い続ける彼女を無視し、俺はいつも通りボックスから一本取り出し火を付ける。
「いいなぁ、いいなぁ」
「………」
「ほしいなぁ、一本だけでいいんだけどなぁ」
「………」
「おいしい?ねぇ、私の事無視して吸うタバコ、おいしい?」
「だぁーーー!!うるせぇな!!分かったよ!!やりゃあいいんだろ!!?」
我慢の限界を迎えた俺は、ポケットから一度仕舞ったボックスを取り出し、残り少ない束からの一本をぶっきらぼうに彼女へと突き出した。
「くれるの!?」
「やらなきゃ俺が吸い終わるまでずっとグチグチ言うだろうが!」
「うん!言う!」
「言うな!!……マジでこれが最後だからな!覚えとけよ!!?」
「ありがとう!!あんまりこの銘柄好きじゃないけど、我慢して吸うね!」
「一言余計だこの野郎!!じゃあ吸うな!!」
「あとライター貸して!!これも最後にするから!」
「ぬああぁぁぁあああぁぁああ!!!」
◇◆◇
彼女の言葉は当然嘘で、それからの日々は地獄だった。
午前中は部長に怒られ、タバコ休憩中は決まってあの女に一本とライターの火を強請られる。
条例も厳しく周囲の店はすべて禁煙で、吸える場所は会社の喫煙所しかない。
ストレスを忘れるための喫煙が、よりストレスを溜める時間になってしまった。
「はぁ………」
「なんかお前、最近ますますやつれてないか?大丈夫かよ」
「………なぁ、俺らより少し年下の新人で、喫煙者で、ガキみてぇな雰囲気の女の社員……分かるか?」
尋ねたところで何の解決にもならないが、心が疲れていたせいかつい口に出してしまった。
「新人で……ガキみてぇな雰囲気?」
「あぁ。最近喫煙所に行くと、毎回そいつが烈火のごとくタバコ強請ってきて……」
「俺も他部署との交流はねぇし分からんな。それにタバコも吸わねぇし。……っつーかそもそも、この会社で吸ってる人間なんてお前か部長くらいしかいないもんだと思ってたが」
社長がタバコを親の仇の様に嫌っている為か、社内の喫煙者は限りなく少ない。俺は昇進を諦めているので特に気にせず吸っているが、部長は会議の前などはいつも尋常じゃないくらいの消臭スプレーを体に吹きかけている。
あのバカ女は、多分社長のヤニ嫌いも知らずに吸っているのだろう。忠告したところで構わず一本強請ってくるだろうし……
「クソ……あの女、今日もまたいるんだろうな……」
「そんなにストレスなのかよ。つくづくツイてない奴だな」
「うるせぇ」
「……ちょっと」
いつの間にか、俺たちの後ろに部長が立っていた。二人とも肩を跳ねさせて驚くが……傍らの同僚は、焦りながらも”我関せず”といった様子で再びデスクに向かい始める。裏切りものめ。
「………何でしょう、橋本部長」
「何度も呼んだハズだけど、随分都合の良い耳をしてるのね。……この前の会議の件で話があるから、私のデスクまで来なさい」
「………はい」
本当に、ツイてない。
◇◆◇
「クソッ……いつまでもグチグチ小言垂れ流しやがって……!!」
結局、その日は昼休みを返上して部長に文句を言われ、さらにはチーム内で出た企画案を推敲し纏める作業で残業。まともな昼食も、タバコの一本すらも吸えずに夜の九時を迎えてしまった。
「………っしゃあ!!やってやったぞ畜生……!!」
部長もまだ残業しているらしく、オフィスに残れば彼女と二人きりの地獄の空気を吸うことになる。殆どの社員が帰宅した今、俺は使われていない適当な会議室で仕事を済ませ、完成した資料を社内メールで部長へと送り……達成感に満ちた咆哮を上げた。
「もう限界だ……一本だけでも吸わねぇと……」
立ち上がり、ニコチン切れで朦朧とした頭をそのままに会議室を出る。
今は昼休憩中じゃない。あの一本ちょうだい女も帰宅してるはずだ。
ようやくこの会社で、心置きなく喫煙が楽しめる。
「あっ!!!遅いよーーー!!」
「う……嘘だろ………」
いた。喫煙所の扉を開けると、いつもどおりあの女が、壁に凭れて右手を差し出してきた。
「ねぇ、一本ちょうだい!!」
「おっ……お前も残業してた……のか!?」
入ったばかりの新人に、この時間まで残業させるような仕事を押し付ける程この会社はブラックではない。予想だにしない登場に、驚きとともに恐怖の様な感情が沸き上がる。
「いつまでも来ないのが悪い!ほら、ちょうだい!」
「………何なんだよ、お前……!」
「どうしたの?」
「いい加減にしろ!!」
膨大な仕事、ヤニ切れした脳、そして何も知らずにタバコ強請るコイツのニヤけ顔。
俺は思わずボックスを握りしめ、声を上げていた。
「……出てけ」
「え?」
「出て行けよ!!お前にやるタバコなんて一本も無ぇ。何度も言っただろ!!もう、うんざりなんだよ……」
「………」
いつもなら、どれだけ怒鳴っても強請り続ける彼女が、なぜかこの日は口を噤んだ。
眼を逸らし、肩を竦めて悲し気な表情を浮かべている。
「ごめんね」
「えっ……」
「ごめん」
「な、なんだよ急に……」
「……前に、はっしーにも同じこと言われたから」
「はっしー?」
コイツの友人……だろうか
「いつも迷惑かけて、ずっと迷惑かけて、それで我慢させたはっしーに、”うんざりだ”って」
「………」
「もう、言わないから。ごめんね。今までありがとう」
そう言うと、彼女はいつもと違う作り笑顔を浮かべて頭を下げた。
「お、おい……何だよマジで……お前……」
その時、喫煙所の扉が開かれた。
思わず視線が彼女から扉の方に移る。そこに立っていたのは、部長だった。
「部長……」
「まだ、残ってたのね」
扉を閉めた彼女は、俺が使っている灰皿の隣へと歩を進めた。
スーツの内ポケットから取り出した銘柄は、吸っている人間を他に見たことが無い様な、かなりマイナーなものだった。
「……あれ?」
そこで気づいた。……あの女がいない。今ここにいるのは俺と部長だけだった。
いつの間に……?部長と入れ違いに……いや、入ってくる瞬間は見ていた。出て行ったのなら気づかないハズが無い。
「吸わないの?」
「えっ」
「タバコ、吸わないの?」
「あっ、え……いや………はい」
疑念を掻き消すような緊張感を孕んだ部長の言葉に、思わず腑抜けた返事をして俺はボックスから一本タバコを取り出した。
着火音、チリチリとタバコの葉が燃える音、燻る煙。
この喫煙所で感じた、初めての沈黙だった。
「………いたのね」
「はい?……何がですか?」
「彼女、私が来るまでここに……いたのね」
彼女……?もしかして、あの女のことだろうか。
「は、はい。いました……けど、いつの間にかいなくなって……」
「それはそうよ。だってあの子、もう死んでいるもの」
「………はぁ!!?な、えっ……死んで……って……」
「私と同期の子でね。入社して一年後に、事故に会って死んだの」
淡々と語る彼女の声と表情は、あくまでも真剣だった。あまりにも突飛で信じがたい話だが、俺はその話がでまかせの嘘だと跳ね除ける事が出来ず、ただ固唾を呑んで聞いていた。
「昔から要領悪くて、忘れっぽくて。企画書の一つも碌に提出できないような子だった。……友人も、私くらいしかいなかった」
「………」
「この喫煙所も、昔は結構人が来てたの。そして彼女はいつも言ってた。”一本ちょうだい”って」
「っ………!」
脳裏に、幾度となく聞いた彼女の声が木霊する。
「私も何度も強請られたわ。こっちも新人でお金も無いのに、構わず毎日強請ってきて。あなたもそうでしょう?」
「は、はい……まぁ……」
「でも、人懐っこくて優しくて。私は彼女が憎めなかった。他の社員もなんだかんだでタバコを恵んでてね。………でも、私も仕事が忙しくなってきて、段々あの子のそういう部分に苛立つようになってきてしまった」
灰を落とした部長は、フィルターに口を付ける事無く語り続ける。
「そして、いつの日だったか言ってしまったの。”もう、うんざりだ”って。……そして私はあの子を切り捨てて、仕事だけに集中するようになった。タバコも辞めて、この場所にも来なくなった」
「うんざり……ですか……」
「そう。ひどい事を言ったわ。………そして数か月経ったころ、あの子は交通事故に巻き込まれて死んだ」
「………」
「……彼女、亡くなる直前にコンビニで買い物をしていたらしいの。飲み物でも食べ物でもなく、タバコ一箱とライターの二つだけ」
部長は、再び懐からボックスを取り出す。
「この銘柄、彼女が死ぬ前に買ってたものなの。人からもらったタバコしか吸ったことのない彼女が、初めて自分で選んだ銘柄」
「初めて……?」
「後から知ったけど、彼女、入社するまでタバコなんて吸った事なかったの。それなのに喫煙所に割り込んできて、挙句の果てに”一本ちょうだい”って強請ってたって……可笑しな話よね」
「そうなん……ですか」
「仕事の進みが遅いせいで残業続き、私も他の同期も次々に別の仕事任されていたから話も合わなくて。……多分、寂しかったんだと思う」
そこでようやく、彼女はフィルターに口を付ける。吐き出した煙は、抗うことなく天井の吸煙機に吸い込まれていく。
「今は喫煙者もほとんどいなくなって風化したけど、あなた達が入社する少し前まではあったのよ。”あの喫煙所に、タバコを強請る女の霊が現れる”っていう噂」
「霊……」
「でも、私の前には一度も出てきてくれなかった。きっと怒ってるのね、無理もないわ。……まだ仕事を続けているのも、未練がましくこの銘柄を吸い続けているのも、彼女にとっては全部腹ただしいのでしょう」
「………多分、違うと思います」
今にも泣きそうな目をしている部長を見て、思わず言葉が飛び出ていた。
「”はっしー”って、あなたの事ですよね。橋本部長」
「なっ……何でそれを……」
「アイツが言ってたんです。”はっしーにも同じこと言われた”って、凄く悲しそうに。……怒ってるんじゃなくて、単純に、会うのが気まずいだけなんじゃないでしょうか」
「………」
「随分元気そうでしたよ?毎日毎日懲りもせず”ちょうだいちょうだい”って。……でも、俺もさっき部長と同じことを言いました。またあの人に、悲しい顔をさせてしまいました」
再び流れる沈黙。二人とも、タバコの灰は既にフィルターの根本に限りなく近づいている。
「俺、謝ります」
「えっ?」
「確かに強請られるのは腹立ちますし、その癖ヘラヘラしてるのも鼻につきますけど……寂しくはなかったんです。本当は、もう少し探せば外で吸えるコンビニもあった。なんなら、車の中で吸ってもよかった。でもなぜか毎日毎日ここに来てた。俺も、きっと寂しかったんだと思います」
すっかり短くなってしまったタバコを灰皿に擦り付け、微かな火を消した。
「部長も、謝りましょう!一緒に謝って……またタバコの一本でも恵んでやりましょうよ!」
「…………はは」
あまりにも幼稚な提案に、部長は珍しく笑った。
彼女も火を消して、手元のボックスを優しい目で見つめる。
「でも、私には会ってくれないかもしれない。今まで何度ここに来ても、あの子は……」
「じゃあ、俺から伝えておきますよ。”はっしーも謝りたがってた”って。まぁ……俺の所にもまた現れてくれるかは分かりませんけど」
「……っていうか、その”はっしー”っていうのはやめなさい!恥ずかしいから……」
顔を赤らめながら、部長は壁から背を離して扉に向かう。
そして喫煙所を出る直前、こちらを振り返らずに言った。
「ありがとう」
「……え!?」
これまで一度も言われたことのない感謝の言葉に、思わず背筋が凍り付く。
「さっき送られてきた資料、読んだわ。……よく出来てる。遅くまでお疲れ様」
「は……はい………ありがとうございます……!」
「でも、調子に乗らないようにね。束の間の成功に甘んじて変化を恐れていては……」
「分かってますって!!お疲れ様です!!」
また小言の連打が始まりそうだったので、半ば強引に言葉を遮る。
部長は出ていき、扉が閉まる。
一人取り残された俺は呆然と立ち尽くし、彼女の言葉を頭の中でいつまでも反芻していた。
◇◆◇
「………118番を一つ」
「はいはい。えーっと118、118……あら?お兄さん、いっつもこんなの吸ってた?」
「いえ、まぁ。気まぐれで」
「店員の私が言うのもアレだけど、こんなの買う人ほかにいないわよ?いいの?」
「いいんです。あぁ、それと……これもお願いします」
いつものコンビニで買い物を済ませ、出社時間よりもかなり早くオフィスへと入る。
中は当然もぬけの殻。人の気配など微塵もなかった。
PCを立ち上げ、起動を待つ。
先延ばしにし続けていた仕事に取り組むのは、やはり気が重い。”やめときゃよかった”なんて情けない考えが脳裏に浮かぶ。
「仕事前に、吸っとくか」
向かう先は、喫煙所。薄暗い通路を渡って地味に遠いあのフロアへ。
やがて若干の疲労とともに辿り着く。扉の前で少しの逡巡を済ませ、ノブを捻り中へと入った。
「………おはよう」
「………あぁ、おはよう」
彼女は体育座りで灰皿の前にいた。
しおらしい挨拶を交わし、いつもの壁の前へ。
先ほど買ったタバコの封を開け、銀紙を取る。
「あっ……そのタバコ……!」
顔を上げた彼女はその銘柄を見るなり、目を丸くして驚いた。
「なんだよ、欲しいのか?」
「うっ……ううん。大丈夫。私、もうタバコは……」
どこまでも子供の様な奴だ。あからさまな強がりでそっぽを向いてしまった。
その様子に思わず吹き出してしまった俺は、もう一つ。ライターと一緒にしてボックスを彼女に手渡した。
「ほらよ」
「えっ……」
「これ、全部お前にやる。ライターもな」
「い……いいの……?」
「今更なに遠慮してんだよ。……吸ってみたかったんだろ?その銘柄」
彼女が死ぬ前に、初めて買った銘柄。
もらってばかりの彼女が初めて自分で選んで、皆と一緒に吸うはずだった銘柄。
「………ありがとう」
「礼なんかいらねぇよ」
ゆっくり立ち上がって、ボックスから一本取り出す。
俺は、いつも通りの銘柄を懐から取り出すが……すぐにそれを左手に持ち替えた。
「な、なぁ」
「ん?どうしたの?」
「一本……もらってもいいか?」
思いがけない一言に、彼女は動きを止める。そして……いつも通りのふざけたニヤけ顔を浮かべ始めた。
「……え~~~~っ?どうしよっかなぁ~~~~!?」
「っ……お前なぁ!!俺が今まで何本くれてやったと思ってんだ!」
「でもなぁ~~~?これはもう私のタバコだからなぁ~~~」
「やかましわ!!いいから寄越せ!!」
「なっ、ちょっと!!ドロボー!!」
無理矢理ボックスに指をねじ込み、一本だけ強奪することに成功する。
俺は仕返しと言わんばかりにニヤリと笑って見せ、ポケットからもう一つのライターを取り出した。
「君はいつものタバコでいいじゃん!」
「たまにはいいだろ?変化を楽しむのも」
「……ふふ」
「な、なんだよ?」
「それもよく、はっしーが言ってたな……って」
「………はは、変わってないんだな。あの人」
二人は互いに火を付ける。どこか心地の良い沈黙の中で、葉を燃やす火の微かな音が耳朶に触れた。
いつもと違う煙が目の前を覆う。それはまるで、見えている世界すら変わったかのような錯覚を引き起こす。
「………悪くないな」
たまには、悪くない。
人からもらったタバコも、強請ってばかりの子供の様な幽霊が横にいるのも。
そんな奴と二人で同じ世界を眺めるのも、悪くない。
「なぁ、お前はどう……」
「………まっっっっっず!!!」
「えっ……」
隣の幽霊は、幽霊とは思えないほど思い切り咳込んでいた。
「ゴッッほ!!ぅえっ!げほっ!!……煙多いし臭いし、何このタバコ!!?やっぱりもういらない!!」
「はぁ!!?」
そう言って、彼女はまだ殆ど減っていないタバコを灰皿に擦りつけ、火を消してしまった。
「はぁーーー、まずかった!!……口がいつものやつに慣れちゃったのかなぁ……やっぱりこれ返すね!もう吸いたくないかも!!」
俺が渡したボックスを、そのまま突き返してきた。
さっきまでの感傷など跡形もなく吹き飛び、今の俺を支配するのは言い知れない怒りのみだった。
「お、お前なぁ……!!」
俺の怒りなど気にも留めず、彼女は右手を差し出す。一瞥した視線の先は、俺の左手にあった。
「……何だよその手は」
部長も、こんな気持ちだったのだろうか。
呆れるほど自分勝手な彼女の姿を見て、怒りすら通り越した笑みがこぼれていたのだろうか。
「ねぇ、一本ちょうだい!!!」
まぁ、悪くない。誰かの世界を少しだけ変えてしまうのも。