聖女の身代わりとして魔族に差し出されましたが、快適に暮らしています。
「聖女はどいつだ?」
「ヒッ……せ、聖女はアイツよ!!だから私に近づかないで!!」
「えっ」
聖女と呼ばれる少女が私を指さす。やせっぽっちでお仕着せを着たきり雀にしている使用人である私が聖女と言われても、説得力などないはずなのに…魔族はそれを疑わなかった。
「では連れていこう」
「っ、お嬢様っ」
「と、父さんたちにはちゃんというから…精々上手くやりなさいよ、ムーンダスト」
村の人たちが知ったとして、助けてくれるわけがない。私は見捨てられるだろう。聖女が無事なら、穀潰しの、母親を亡くした奴隷の子を助ける理由なんてない。それにそもそもただの村人じゃ魔族に敵わない。或いは、近々来るという王都から聖女を迎えに来る騎士の人たちなら、敵うかもしれないけれど、私のために助けを求めてくれるわけがない。
手を引かれて踏ん張る意味もなく、私が歩く気がないと見て抱き上げられ、私は村から連れ去られた。
私たちが生まれた年、王国の神殿に、神託が降りたそうだ。神に選ばれた聖女が生まれるのだと。聖女とは愛をもってこの国を救ってくれるものらしい。
聞いた話によると、村長の娘がリーリエを身籠っていることがわかった前後くらいから少しずつ村の周囲の自然の恵みが増えたり、作物が元気になったりし始めたらしい。元々、村は貧しく作物を作るだけではカツカツだったらしいから、糧にできるものが増えたことで、村人たちは村長の家に聖女が生まれると信じたようだ。
リーリエが生まれて、育つにつれてはっきりとわかるほどの恵みが増えたそうだ。村人たちは聖女の加護だと言っていた。そんな感じだから、リーリエは両親家族は勿論、村人からも愛され甘やかされて育った。彼女は聖女の力を目覚めさせればこの村の暮らしももっとよくなるはずだと。
同じ年の生まれでも私とは大違い。いや、当たり前なのはわかっている。聖女のことを置いておいても、リーリエは小さな村であってもそのまとめ役である村長の孫娘。私は村長の家に置かれている卑しい使用人の女の産んだ、父親もわからない娘だ。元より同じ扱いなどされるわけがない。
母は私以外にも何度か孕んだが、流してしまっていたらしい。ちゃんと生まれることのできた子供は私だけだ。私の生まれた年は全ての子を流すべからずというお触れが王都から地方にいたるまで出されたらしい。万一にでも聖女が流れてしまったら困るから。実際不思議なことに、その年生まれた赤子は皆無事生まれたらしい。母親が死んだものはいるらしいが。
母は自身の財産を持つこともできないくらい低い身分に置かれていた。村人たちに与えられる最低限の食事とお仕着せの服だけでどうにか生きていた。私が生まれてもそれは変わらず、二人でギリギリ飢えない程度の食べ物で食いつないでいた。物心ついてからは私が森でどうにか食べられるものを見つけて少しは空腹せず過ごせるようになったが、それでも三年ほど前に仕事の無理がたたって死んだ。それから私も使用人として朝から晩まで働かされるようになった。去年からはリーリエの侍女のようなこともさせられるようになった。
リーリエは生まれた時から特別だった。母胎の健康状態も良かったから、ふくふくとした肉付きの良い大きな赤ん坊として生まれ、血色の良いピンク色の頬をしていたからローザリリエと名付けられた。田舎の貧しい村だから宝石やドレスなんかは手に入らないが、それでも彼女の両親は彼女に可愛らしい洋服や木工細工のアクセサリなんかを与えた。田舎娘なりに可愛らしい女の子として育ったろう。髪も瞳も両親と同じで栗色の髪と鳶色の瞳だから都会の娘に比べたら地味だろう。でも田舎の村の中ではとびきりの美少女みたいなものだった。
それに比べて私は酷いものだった。服装こそリーリエを不快にさせないように三着与えられたお仕着せをなんとか着まわして少しは清潔にしていたが、髪なんて何か月に一度洗えたらいい方だし、躯は週に一度洗えるかどうか(忙しいので)。肌も髪も薄汚れて元の色はよくわからない。満足に整えられない髪を邪魔にならないようになんとか縄で括ってるだけで、しゃれっ気など欠片もない。可愛いと言われたことなどない。瞳の色は母と違うから恐らく父から受け継いだものだろう、薄灰色。暗いところの方がよく見える猫目だ。
リーリエと同じ年に生まれたのは村では私だけだったが、誰も信じないだろう。私の背は低いし肉付きも悪い。10才になるはずなのに、3つは年下の子たちとそう変わらない体格だ。まあ生まれてこの方、お腹いっぱい満足になるまで物を食べたことがないのだから仕方ない。それでも丈夫なのか、生まれてから一度も、体調を崩したこともないのが不思議かもしれない。
村人たちは私に最低限生きていられる程度のものしか与えなかった。でも、一応、王都から来る聖女の迎えに同じ年に生まれた私も一緒に連れていってもらえることになっていた。もっとも、同じ年に生まれた子供の全てが一度集められるというだけだから、その後私はまた村に戻されるのかもしれなかったが。いっそ、村に戻らず他の土地に行きたいと思っていた。このまま村にいたら私も母と同じ人生と末路を迎えるだろうから。
とはいえ、だからといって魔族に連れていかれたいわけではなかった。なにしろ、魔族は人間を迫害する恐ろしいものたちなのだと聞いている。魔力があるから、人間には使えない魔法を使うし、人間と違って森の中、木の上に家を作って暮らしている。…村に一番近しい森には、流石に住んでいなかったはずだが、少し離れた魔の森と呼ばれる場所は魔族の棲家なのだと言われていた。彼らもそこから来たのだろう。
「聖女は見つかったか?」
「ああ。酷いものだ」
「…成程。確かにこれは酷い」
魔族たちはそう言って眉をしかめた。人を見て酷い言いようだが、反論できるはずもなかった。怒らせたら何されるかわからないし。私はただの無力な子供なのだ。
「聖女は今年で10才になるはずだろう?明らかに発育が足りていない。そこまで貧しい村だったのか?」
「いや。一緒にいた子供は小奇麗にしていたから、この子が悪い扱いを受けていただけだろう。…あちらが聖女なら連れてくる必要もなかったがな」
「混血の子か?ヒュムは混ざりやすいくせに混ざり物を厭うからな。…半分以上ヒュムじゃなさそうだな。かといって、エルフでもなさそうな…いや、血は引いてそうか?」
そう言われて、何故母があのような扱いをされていたのか少しわかった。母自身混血だったのだろう。とはいえ、私の父は村の男の誰かか、村を襲おうとした盗賊(これも人間のはず)だと思っていたし思われていたはずなのだが。私も、例えばあからさまに鱗だとか獣のような部位だったりがあるわけではない。初めて間近で見た彼ら魔族も外見上の人との違いは耳が長く尖っていることくらいだろうか。それに綺麗な顔をしていると思う。
「仮にこの子が聖女でなくても、お前なら連れてきたんじゃないか?あまりに忍びない」
「さてな」
「で、お前さんの名前は?」
「……ムーンダスト。村の人にはダストって言われることが多かったけど」
「ふぅん。なら…俺たちはディアンサスと呼ぶことにしよう。あの村の奴隷だったムーンダストは死んだ、ってな」
「…お前の母親の名前は?」
「…ロビニエ、だけど」
「・・・」
「母は三年前にもう死んでるよ」
この魔族は母の知り合いなのだろうか、と薄っすら思う。まあ徒歩圏内ならありえない話ではない。
それにしても、その名前の基準は何なのだろう。全然繋がりがなさそうだけど。
「青いディアンサスをムーンダストと呼ぶんだよ。花の名前だ」
「花の、名前…」
知らなかった。そもそも私は学がないから、植物の名前自体そんなに知らないのだが。
魔族(彼らの中の自認はエルフ)は私に酷い扱いはしなかった。かといって、特別に優しく扱われもしなかった。ただ、集落の幼い子供のように扱われた。一応の保護者になったのは、私を連れてきた、母を知っているかもしれない男…アスターだ。もしや父親なのか?とも思ったが、鮮やかな青紫の瞳だから違うんだろう。
一度徹底的に洗われて、私の本来の髪色は光に輝くような淡い白銀色だということもわかった。ちゃんと毎食、栄養のあるものを摂るようになったら艶も出てきて、日に透かすと虹色の煌めきさえ見える。肉もちゃんとついてきたし、少しずつ背も伸びてきた。鏡の中の私は村にいた時の私と同一人物には見えないくらいだった。髪を綺麗な布でできたリボンで結うこともできるし、少しなら可愛らしい服を選ぶこともできる。今なら聖女と言われてもその可能性はあると思ってもらえるかもしれない。まあ私に聖女っぽい不思議な力はないんだけど。
でも魔族の血を引いているというのも事実らしく、魔力は少しあるそうで、簡単な…火打石で火花を起こしたり、朝露を集めて喉を潤す程度の、労力をスキップできるくらいの魔法は使えるようになった。野生の獣レベルの生き方ならもう一人で生きていけるかもしれない。この集落を追い出されることになったらそうしよう。
今は、連れてこられてよかったと思っている。少なくともあの村にずっといるよりは良い暮らしをさせてもらえている。
「…そういえば、アスターは何の為に聖女を探しにいったの?明らかに聖女に見えない私を大人しく連れ帰ってきたのは同情からみたいだけど」
「…ヒュムにも神託があったそうだが、エルフにも聖女に関する神託はあった。聖女が虐げられたまま覚醒を迎えればそれを看過したものも滅びるだろう、とな」
「聖女が虐げられる…?聖女は王国を救う存在なんでしょう?虐げられているわけがないわ」
「…王国は聖女がどのように生まれるかの神託を公表しなかったのか。成程な」
アスターは一人で勝手に納得して、神託についてそれ以上教えてはくれなかった。
「そういえば、知っているか?ディアンサス。あの村、この二年間で随分寂れたそうだぞ」
「ローザリリエが王都に連れてかれたからじゃない?あと一週間もすれば立派な騎士様たちが迎えに来るって話だったの」
「神託の年に生まれた子供はどちらもいなくなっていたのか。…なら最後まで気付かないかもしれないな」
しかし、寂れたというくらいだから、実際あの頃の村に聖女の加護があったのか。集落に来てからも森で少し探せば食べられるものは見つかるから、そういうものだと思っていた。まあ、魔の森とその周囲の森は彼らが手入れしてるから豊かなんだろうけど。
「聖女の加護って国中に届くものじゃないのね」
「聖女が真にそれを望んでいたら当然届くさ。なにしろ、聖女とはすなわち神の子だからな。それぐらいの権能はある」
「初めて聞いたわ、そんな話。神に選ばれた子だとは聞いていたけど」
…あれ、でも、聖女が本当に文字通りの意味で神様の子供なのだとしたら、リーリエは…明らかにあの夫婦の子供だったけれど。…聖女の力に目覚めたら姿が変わるのか、それとも神様も案外平凡な姿をしているのかしら。
「神に選ばれたのだとすればそれは寧ろ母親の方だよ。神の子を産むに相応しい女だ、ってね」
「そう…」
だとしたら、やはり私は聖女ではないだろう。村で蔑まれ虐げられていた母が神に選ばれていたなど、皮肉にもならない醜悪な話だ。その良し悪しはともかく、母があの年で死んだのは私を生んだ所為だろうし。村人たちは母に養うべき娘ができても十分な食事を与えなかった。私に少しでも食べさせるため、母は死なないギリギリしか食べようとしなかった。あるいは死にたかったのかもしれないが。
「まあ、今回の神託の聖女が神の子だというだけで、過去の聖女の中には心根の美しさから神に加護を与えられた娘とかもいるそうだがな。しかしまあ、国一つ救えるほどの大きな力は純粋なヒュムの躯には重すぎる。仮にそんなことがあっても若くして死ぬことになるだろうな。エルフでもその質によっては耐えられるかどうか…。確実に神の力に耐えられる器を与えてまで聖女を降ろすとは、神も余程今のヒュムたちの有様が目に余るのだろう」
アスターが人間に厳しい物言いをするのは、魔族が人を嫌っているということなのか、個人的に嫌っている人間たちがいるのか、あるいは本当に人間がダメなのか。私には判断が付かない。だが…この集落で暮らしている内に、本当の意味で私は村で不当な扱いを受けていたのだと…わかった気がする。
本当に聖女の加護で村が豊かになっていたのなら、私たちはもっと、飢えるか飢えないかみたいな暮らしをしないで済んだだろうと思っていた。貧しいから私たちに食べさせるものも与えられないのだと。違った。単に村人たちが加護でできた余裕を私たちに分け与えることを拒んでいただけだ。現にこの集落と村で規模と自然から得ている糧は大きく変わらないのに、私は飢える心配をせずに済んでいる。まあ飢えへの恐怖は躯に染みついてしまって、食べものを少しでも確保しておかないと落ち着かないのだが。
このままの日々が続くのなら、村も王国もどうでもいいな、とは思い始めた。いや、大人になったら私のできる仕事が与えられるか自分で見つけるかしないといけないんだけど。どういう大人になりたいっていう具体的な人物像が私にはない。母のようにも、村の人たちのようにもなりたくない。魔族の…集落の人たちのようになるのも、自信がない。あくまで私は魔族の血を引いてるだけで魔族そのものじゃない。魔族は"混ざりにくい"から魔族の血が勝れば他種の特徴が出ない。長耳じゃないと目立つ。
あと長命種だから病死とか事故死とか他殺とかでふいに死ななければ百年以上生きることも珍しくないらしい。アスターもはっきり聞いたわけじゃないが100歳は確実に越えているようだ。人間は長生きしても80歳くらいだというからこの差は大きい。魔族の成人年齢は50歳前後らしい。人間は15歳前後くらいで一人前と見做されることが多いから、単純に比較すると、魔族の方が三倍くらい気が長い。時間感覚も割とルーズだ。
混血は混ざっているものにもよるけど、純粋な人間よりは寿命が長いことが多いらしい。長く生きるものほど幼年期が長くなりやすい、と。私は単純に栄養失調気味だったからなんとも言えない。ただ、長生きするものは成長がゆっくりらしいから私は多分純魔族ほどには長く生きないだろう、たぶん。
エルフの集落で平和に暮らしていた私だが、ある日突然ぶっ倒れた。腹痛と頭痛とまあ色々。泡喰ったアスターが近所のエルフ女性を呼んできて適切な処置をしてくれて落ち着いた。
何のことはない、初潮を迎えたのだ。そしてそれと同時に、神の子としての力が目覚めた。神託の聖女とは私のことだったのだ。そして、神さまが私に与えた使命は…。
「ディアンサスももう16歳だったか?…いや、エルフだと16歳ってまだ恋心を知るかどうかってところだから、まだ、って感じもするんだがな」
「でもヒュムは早い子なら12歳くらいで来るから、私は遅い方なのよ」
基本的には他の男のところに嫁ぐのは初潮を迎えた後だ。…集落に来てから誕生祝いはなかったし(新年を迎える日に皆まとめて一歳年を取る)一緒に過ごす子たちの成長がゆっくりだからあまり意識に上らなかったが、ここにきてもう6年も経っていたのか。
…自分が聖女だと信じ込んでいたローザリリエは一体どうなっただろう。あの子はただの人間だから王都に迎えられてから聖女の力に目覚める、なんてことは起こるはずもなく、肩身の狭い思いをしているだろうか。田舎娘にしては綺麗な顔というだけで、都会の娘や貴族王族にはもっと美しい少女はいくらでもいただろう。まあ私はこの6年間集落周りでしか行動しなかったから実際見たことはないんだけど。
「アスター、聞いてほしいことがあるの」
「それは今言わなきゃならないことか?」
「早めに言っておくべきことだと思うわ」
「今すぐじゃなくていいなら、一度ゆっくり休んでおけ。初めてのことで殊更体調を崩しているんだろう」
そんな風に言って寝かしつけられた。まあ、確かにこちら側の事情だけで言うなら今更急ぐ必要はない。エルフ感覚で後回しにしすぎたら拙いかもだが、一度体調が落ち着いてからでもいいだろう。
「それで、俺に聞いてほしいことってのは何だ?」
「信じられないかもしれないけど、私、聖女だったの」
意を決して言った私の言葉にアスターは変な顔をした。
「マジかお前って顔してるわね。私もちょっと夢じゃないか疑ったけど、神の子の力が目覚めちゃったし、神さまが私に与えた使命もわかってしまったから仕方ないのよ。ただの混血のディアンサスじゃいられないわ」
「…いや。お前が聖女なのはこの集落の連中はみんな知ってた」
「そうなの?!聖女扱いされた覚えなんてないわよ?」
「神託からして、お前の使命はエルフには直接関わりないからな。お前に危害を加えたら巻き添えを食う、というだけで、聖女に対して慈愛と神への信仰を示さなきゃならないのはヒュムだ」
まあ聖女として特別扱いをされたいとは今更思わないので、これで良かったのかもしれないが少し釈然としない。
「あと、変に特別扱いして本物が此処にいると知れたら、ヒュムが集落を襲ってくるかもしれないだろう。自覚のないお前に余計な心労を与えてもいけないしな」
「それは…そうかもしれないわね」
聖女の加護と呼ばれていたのは、私が力に目覚め使命に取りかかることができる年まで私が死なないで済むように神さまが与えたものだ。周囲の恵みを増やしたところで私のところまで回ってこなければ意味がないからあんな感じになっていただけで、私以外に恩恵を与える意図はない。否、正確に言うと貧しいから奴隷に与える余裕はない、という言い訳を封じるための恵みだった…の方が正しいかも。余裕のない者が弱い者を助けられないのは仕方ない。余裕があるのに助けないのは悪意あってのことだと。
神さまの言葉は回りくどくてわかりづらいのよね。もっと簡潔に言ってほしい。勘違いしてるかもしれないし。
神の子である私は、一定のルールの内では不死だ。正確には死んでも生き返るらしい。まあ痛いのも苦しいのも御免だから死んで生き返る前提の行動はしたくないが。そして死んで生き返ったら確実にヒュムに化物扱いされるだろう。聖女だという認知がなければ。
「それで、ディアンサスが聖女で、神の子としての権能に目覚めた。その次は?」
「神さまに与えられた使命を、聖女として…御使いとして果たさなきゃいけないから、手を貸してほしいの。私、ヒュムの社会のこと全然わからないから…まあ多分一人で行動しても苦労するだけで何とかはできると思うけど、しなくていい苦労はしたくないし」
「お前に与えられた使命というのは?」
「神への信仰心を喪った者たちを全部殺して王国を滅ぼせってことだと思う」
「それは神託そのままじゃなくてお前の解釈だよな。いや、お前がそうしたいならそうしたらいいと思うが…」
「善性のものは残しといた方がいいけど、お前が殺したいなら全部殺してもいい(意訳)って言ってた」
まあヒュムを滅ぼすのは手段であって目的ではない。神の子の役目は、地上に蔓延る不信心を取り除き、神への信仰心を世界に取り戻すことだ。割合の話なので不信心者は減らせば減らすほどいいし、信仰厚い者は一人でも残っていればいい。不信心者が100人いて信仰厚い者が50人いるより、不信心者が0で信仰厚い者が一人残っている状況の方がベター。なんなら全部滅ぼして新しく善性の生物を生み出すのでも可だそうだ。まあ私はとりあえずこの集落のエルフを滅ぼすつもりはないけど。
「まあヒュムが滅んだところで俺の知ったことじゃないが、お前を一人で送り出すのは色んな意味で心配だから手助けはするよ」
「助かるわ」
エルフが変装してヒュムの街に潜入することは実は難しくない。まあ村人が全員知り合いみたいな田舎だと余所者だということを誤魔化すことはできないのだが。
生まれ育った村は本当に同じ村かと疑うくらい酷いことになっていた。畑は萎びた野菜ばかりだし、建物は心做しか煤けているようにも見えるし、土地は荒れている。雑草すら生えてない。これが聖女の加護を得る前の村の本来の姿…否。恩恵への返礼というフィードバックを行わなかったために大地の力を前借消費してしまったという方が適切そうだ。加護を貪っていた分の支払いをさせてやろうと思っていたが、必要ないかもしれない。放っておけば勝手に破滅しそうだし。
他国からの旅人夫婦という設定で立ち寄った私とアスターだったが、一切正体はバレず、単に余所者として邪険にされた。私がムーンダストだと気付く者がいないのは、それだけ私が変化したということか、単に私の顔など覚えている者がいなかったのか、ムーンダストは既に死んだと思われ忘れ去られたのか。ま、正体を明かしたところで愉快なことにはならなさそうだけど。
「無くなる前に来れてよかったな、と言っておくべきか?」
「どうせ懐かしむものなんて一つもないんだから同じよ。…墓すら残ってないもの」
母はかろうじて埋葬はされたものの、まともな墓も立ててもらえなかった。無縁仏ってやつ。死体無しで死んだと見做された私なんて尚更だ。まあ実際生きてるんだから墓が立てられても困るが。
「…それにしても、村長の家すら維持できてないのね。リーリエのことで援助されたりとかしないのかしら」
「本物の聖女であると認められてない者の実家まで援助が行きわたるわけないさ。ただでさえ王国の財政は火の車だったからな」
そういえば、国中から集められた聖女候補=私と同じ年に生まれた娘は300人くらいいるんだったか。本人を養うだけでも大事業だし、リーリエみたいなのばかりならその世話をする人が必要になったりして費用がかさむだろう。ま、全員外れなんだけどね。
「神託をきちんと理解していれば、必要なのは聖女を見つけることそのものではないとわかったでしょうに」
神が求めたのは聖女かもしれない全ての隣人への慈愛であり、ひいては聖女ではない全ての隣人への慈愛、善性の存在として生きる事である。神さまが善性贔屓なのは昔からちょくちょく語られていたはずだし、善性をこそ加護する神だ。どうも悪性寄りが増えすぎて、善性でないものを守り善性が搾取されることが嫌になったらしい。人は純粋な善性ではいられない者が多いとはいえ、限度があるといったところか。
「それが出来てればそもそも聖女は必要ないんだよ」
「それはそうなのよね」
村で一晩の宿を借りたところ、夜中にアスターともども村人たちに襲われた。正体バレとかでは一切なく、食うに困って山賊まがいのことをしようとしたらしい。まあ返り討ちにしたのだが。飢えた村人と、荒事に慣れているエルフ(魔法も使える)と神の子だ。気遣うところがなければ負ける道理はない。
「何もしてこなければ、何もしないで去ろうと思っていたのに」
「泊まった時点で無理だっただろ。此処の男ども、ディアをいやらしい目で見ていた」
「お前達、魔族だったのか?!」
一応まだ殺してはいない。怪我してる者もいるかもしれないが、アスターはぶん殴って昏倒させたり、魔法で拘束したりだ。私は権能で家具なんかに使われる木材を操って拘束した。そして私は襲われてなお相手の善性を信じられるほどお人好しではないし、此処の村人を評価していない。
「いいえ。私は聖女よ」
「は?何をでたらめを…。神託の聖女はリーリエだ。そもそも聖女が人間を襲うわけがない」
「先に襲ってきたのはそちらでしょうに。でも、罪なき隣人を襲って糧を得ようというあなたたちを私は看過しません。私から搾取していた分も含めて、全て取り上げることにします」
この土地に残った大地の力を全て吸い上げる。荒れるを通り越して不毛の大地になってしまうが仕方ない。元々、道中で少しずつ集めていくつもりだったのだ。神の子といえど、神そのものではないのだから大きなことをしようと思えば己の身に備わった力だけでは足りなくなる。全員直接殺すのは面倒だが、生かして逃げさせるつもりもない。飢えて野垂れ死んでくれた方が都合がいい。
「お前、一体何を…?!」
「ロビニエを孕ませたのは神さまだったの。ううん、神じゃなきゃ孕ませられない状態だったという方が正しいかな。それぐらいあの人はボロボロの状態だった。あなたたちが使い潰したから」
「ロビニエ…?」
「名前すら覚えていないのね」
まあそこはお互い様かもしれないが。
「まさか、お前あの奴隷女の…!」
「気付くのが遅かったわね」
そりゃあもう、色んな意味で。もう全部手遅れ。人はいずれ死ぬものだけど、死にざまの選択肢くらいはあげようか。
王都までの道中、村々、町々見て回ったが、どこもカツカツだった。襲われたのは一度や二度じゃすまないし、いくつかの土地はあの村と同じように不毛の地にしてきた。善性らしい人間など殆ど見なかった。ぜひとも助けたいと思うものもいなかった。貧すれば鈍するというやつだろうか。いずれにせよ、不心得者の集団の中にいる善性の者に加護を与えたところで、善人が搾取されるだけだろう。搾取されても尽くすタイプの善性が神さま好みだから仕方ない。
すべての人間を一応確認しようと寄り道しまくったので、気付けば噂が立っていた。土地を枯らす魔女が王国を滅ぼそうとしているのだと。御使いを魔女扱いするなんて不信心なやつらだ。まあ不毛な地にしたという事実だけ見たら聖女だなんて思いつきもしないだろうが。聖女…というか、神は別に人間の絶対的な味方ではない。神さまから見れば、生物全般、人間も魔族も魔物も、みな等しく同じ。神を正しく信仰するなら加護するし、しないならただのそこらの羽虫みたいなもの。地上に蔓延る命の一つに過ぎない。
「お前も案外律儀だよな」
「好んで苦しい思いをしたい人なんてそうそういないもの」
楽をしたい、良い思いをしたい、と望むこと自体は否定しない。そういう気持ちが成長発展に繋がることもある。それで他者を踏みつけ搾取することを私は許さない。ならば私もそうしないようにしなければならない。楽をするために人を簡単に踏みにじってはならない。
「…面倒になった?」
「途中で放り出しやしない。此処まで来ると俺も今更見逃されないだろうし、神官の矜持もあるからな」
「アスターが神官らしくしてるところ、見た覚えないけど」
まあ、王国とエルフでは信仰の形態が違う。…とはいえ、私の育った村は田舎すぎて気軽に行ける場所に小神殿すらなかったから大きな街での方式には私も縁がなかったのだが。神殿は定期的に人を集めて集会を行い、金を喜捨させ、贖宥状があれば罪が許されると嘯く。無論それは神の望む形の信仰ではない。
村では日々の食事の時と眠る前に祈りを捧げ、余裕のある者は神殿へ参って祈ればなおよし、という感じだった。これは悪くない信仰だ。そして集落では何日かに一度、皆で集落の祈りの場に集まって一緒に祈りを捧げた。神託は個人に授けられることもあれば、祈りの場に響くものもある。大体関わる者のできるだけ多くに伝わるように与えられるが、信仰心が低いと伝わりづらくなるらしい。内容の理解じゃなくて、そもそも聞き取れないのだとか。
「品行方正にしてるだろ、いつも」
「品行方正に謝って」
とはいえ、私自身はアスターに特に不満があるわけではない。神さまがどうかは知らないが。彼は私との距離感も判断も間違わなかった。私以外に対しては知らないが。
「それはともかく…流石に私の特徴もちゃんと伝わるようになってきたみたいね。あれ、様子を伺ってるつもりなのかしら。もしかして舐められてる?」
「お前は外見だけは普通の人間より可憐だからな」
褒められているのかけなされているのか微妙なところだ。自分では特に美しいとも醜いとも思わないが、今の私はヒュムから見たら美少女であるらしい。まあ女というだけで性欲を向けてくる男はいるわけだから、顔の問題じゃないかもしれないが。
「善き心の器であり受け皿としてデザインされたのよ、一応ね」
「善意だけでなく悪意も向けられやすいみたいだがな」
そして私は善意には善意を、悪意には悪意を返す存在だ。だからこんなことになっているとも言える。私も神も争いは好まないのだが。
王都は高い壁に囲まれ、内外の行き来を制限されていた。特に、女性が外に出ることを忌んでいるようだ。恐らく、中に囲い込んだはずの聖女が勝手に外に出ないようにそうしているのだろう。まあ、王都に集められた娘の中に聖女はいなかったのだが。混血で魔法が使えるのくらいならいてもおかしくないが、国を救えるレベルの者ではあるまい。いたらもっと明るい空気になっていてもおかしくない。
入るだけなら伝手があればなんとかなった。出られる保証はないそうだが…そもそも私は此処を壊滅させにきたのだから問題ない。帰る時には道を阻むものはいなくなっているだろう。例えば今私たちを尾行している騎士たちとか。
「まずはやっぱり大神殿に行こうと思うんだけど」
「気付くやつがいるかもしれないが?流石に。というか、いなかったら拙い」
「この国と神殿が聖女を何だと思っているかはちゃんと確かめておかなきゃいけないじゃない」
それに神殿は一応開かれた場所だ。王宮は当然出入りの制限がある。王宮をつついている間に神官に逃げられても困るし。あと、仮にも神殿なんだから一番良い霊地を押さえているだろう、多分。次点で王宮か。
「それに気付かれても私は困らないし」
大神殿の傍には国中から集められた聖女候補の娘たちを生活させるためだろう大きな建物があった。こちらも高い柵に囲まれている。私にはあまり関係のないことだが、歴代の聖女は純潔を喪えば加護を喪う場合も多かったことが関係しているのだろう。無駄だったわけだが。
「様子を見てくるわ」
「確かに俺は確実に止められるし見つかったら大騒ぎになるだろうけどな…」
男子禁制だろうし、アスターは見るからに男性だ。たぶん使用人なんかはいても女だろうし、警備のために騎士なんかがいるかもしれないが、その場合は揃いの制服などがあるだろう。流石にそういうものは入手が難しい。
適当なところから柵を乗り越えて女子寮に侵入した。全体にきめ細やかに手入れが行き届いている、というわけにはいかないようだ。まあ、神殿としてももっと早く誰が聖女かわかって他の娘は親元へ返せているつもりだったのだろう。しかし、神託と国中に出したお触れの関係で明らかに違っても下手に見切りをつけて返せない。或いは途中で死んでる娘なんかもいるかもしれないが。
神託で聖女は"最も穢れた場所に生まれる"と伝えられていた。表向きには広められなかったが、だからといってこの娘は高貴な生まれなので聖女ではない、とも言えなかったのだろう。どうも、聖女を王子の一人と婚姻させるつもりだったらしい。卑しい身分の娘を聖女だからと迎えるのも嫌なので、"本物"は幽閉しておいて、然るべき身分の娘を表向きの聖女ということにして王子妃にする、というところか。まっぴらごめんだが。
神さまもなかなかノンデリだが、かといって母のことを穢れた女だと思っていたわけでもないようだ。憐れで不幸な女だとは思ってるようだが。どちらかというと、神から見ると村自体の方が穢れらしい。それはそれでどうかと思うが。
ともかく、中を探索して聖女候補として集められた娘たちの様子を調べてみるかと思ったら、その前に声をかけられた。
「あんた、まさか…ムーンダスト?」
「…ローザリリエ?」
「何であんたがっていうかやたらと小奇麗だし可愛くなってるし、なんなの?!」
「そういうリーリエはなんというか…覇気もないしただの村娘って感じね。挫折したの?」
まさか私のことがわかるとは思わなかった。惚けた方が面倒がなかったかもしれないが、看破してみせたのだから応えてやるべきだろう。
「…私より美しい女なんていくらでもいることは思い知ったわ」
「寧ろ村の人たちがリーリエのこと褒めてたの本気にしてたの?あんな商人も滅多にこないような田舎の小さな村の狭い見識での評価を?」
「煩いわね。あの頃の私には村が世界の全てだったんだから仕方ないでしょう。というか、あんたこそどうしたのよ。確か魔族に連れ去られたはずよね?何で生きてるの」
「彼らは別に殺すために聖女を探したわけじゃなかったからね。あなたが聖女を名乗ってたら別に連れていかなかったって。私を連れていったのは、混血っぽい子供が虐げられている様子だったから不憫に思って、と言っていたわ。だから普通に彼らの子供として育てられたわ。それだけよ」
「そう…。あんたにとっては、その方が幸せだったのね」
「しおらしいわね、リーリエ。調子悪いの?」
「…王都に行けばきっと素敵な暮らしがさせてもらえると思ってたわ。でも、全然。村の暮らしの方が自由がある分マシ。食べるものも着るものも聖女は清くなければならないって質素なものしか与えられないし、ちやほやされないし、娯楽はないし、たくさん訳の分からない勉強しなきゃいけないし!挙句に適齢期になっても誰も聖女の力に目覚めないから嫁ぐこともできない!最悪よ」
概ね推測通りらしい。ある意味憐れなものだ。
「…ねぇ、まさかだけど、あんたが本当の聖女だ、なんて言わないわよね」
「うん。神の子である今代聖女は私だよ。ちゃんとした人間の父親がいる時点で、聖女ではなかったの」
この国において、というか、神殿の教義において、不貞の子というのはなかなか罪深いことだ。未婚の子も同じく。もっとも、公表されないだけでちょくちょくあることのようだが。そもそも神さまは不貞そのものは忌んでいない。産めよ増やせよを推奨する神なので、厭うのは繁殖のためでなく交わることだ。そういう意味では娼婦は厭っているのかもしれない。
ともかく、だから父の分からぬ卑しい身分の娘が聖女を名乗ることを神殿は認めたくないだろう。他に似たような生まれの娘がいるかはわからないが。
「そんなの、聞いてない!」
「神殿と王族は聖女を王族に嫁がせるつもりだったんでしょ?身代わりをたてるつもりだったんだよ、多分。卑しい女には加護だけ差し出させて、それらしい、見栄えのする高い身分の娘を表向きの聖女ということにして」
「そんなの…」
「ま、私はそんなのまっぴらだから大人しく幽閉されてやったりしないけどね」
「名実共に王子妃にさせるってこと?」
「まさか。具体的にどんな男かは知らないけど、王子と結ばれたって私は幸せになれないし神さまに与えられた使命を果たせないわ」
今のところの感触としては、神殿の上層部と王族皆は確実に物理的に首を落としておくべきかなって感じ。腐った果実なら根元から取り除いた方が早い。まあ殺す前に一応話したりはするけど。普通の人は死んだら生き返らないからね。
「…あんた、村にいた頃とまるで別人ね」
「色んな意味で、もうあの頃の私じゃないもの」
寧ろ、大人になっても子供の頃のままの方が拙い。成長してないってことだ。
「あんた、何しにきたのよ」
「知らない方がいいよ。…いや、少しは教えておくべきかな」
「何よ」
「顔を出したら襲われたから、村のあった土地を不毛の地にしちゃった」
「…は?何言ってるの」
「元々、私が村から出て行ったことで加護を喪って困窮してたみたいだけど、あの村はもう廃村になったよ」
「なっ…何で?!父さんと母さんは?聖女じゃ無くなるのに私には帰る場所もないってこと?!なんてことしたのよダスト!」
「多分もう死んでるんじゃない?でも神殿から教育は受けてるんでしょう?だったら何かしらの働き口は見つかるわよ、多分」
「何でそんなこと!」
「旅人を襲って糧を得ようとしていたからだよ。男は殺して、女は私の母のような奴隷にしようとしていた。私自身が身を守るためにも、他の旅人を犠牲にしないためにも、当然の行動だったと私は思う。因果応報だよ」
「そんなっ…そんな山賊まがいのことを村の人たちがするなんて…」
リーリエはショックみたいだが、私の母のような例があるので何の不思議もないと思う。穢れた場所と言われるだけはある。
「じゃあね、リーリエ」
帰る場所以前に、私が一仕事終えた時に彼女が無事な状態で生きている保証はないが。直接殺さねばならないというほどの悪性には育っていなかったので、成り行きに任せよう。信仰心がちゃんとあるかどうか、怪しいところではあるが。
集められた娘たちは大体精彩を欠いた顔をしていた。がりがりではないが、肉付きの悪そうなのも多いし、他の娘に虐げられてそうなのもいる。貴族の娘らしき娘ですら幸せそうには見えなかった。まあ婚期を逃しかけてるのに先の展望がないし、そもそも半分隔離されてきたとなれば幸福というか楽観はできないだろう。俗世に帰る場所が残っているかもわからないし。
神殿が聖女をどうしようと思っていたかは大体わかったので女子寮を出てまたアスターと合流した。
「…てっきり、何人か手を下してくるものかと思ったが」
「あちらは私が手を出すまでもないわ。それより神官の長の首を斬らなきゃ」
「物騒だな」
「神の子を搾取しようという不信心者が敬虔な使徒を名乗っているのだもの。報いを受けてもらわなきゃ」
己を神と同様に扱えというつもりはないが、見下し蔑むのは駄目だ。それは神への冒涜に等しい。そもそも人は等しく地を這う蟲のような存在なのだから、人の中で上下を問うなど馬鹿らしい。私を蔑むものを私は蔑む。それが応報というものだろう。
神殿を形作る石を操り、邪魔する者をなぎ倒し、私は神官たちのまとめ役のいるところに乗り込んだ。
「何だお前たちは?!」
「神さまの名のもとに背信者の首を斬りに来たわ。裁かれるべき罪を懺悔しなさい、あなたたちは先駆けとなるのだから」
「お前が"滅びの魔女"か…!」
「私は魔女ではないわ。聖女よ」
神の加護に由来する神秘では私を傷つけることはできない。今となってはその全ての源は私になっているからだ。私の力が私を傷つけるわけがない。神殿の聖騎士も加護がなければただの剣士にすぎない。向かってくるようなら床石で貫いてやろうかと思ったが、神官が命じても聖騎士は私に剣を向けることを躊躇った。
「シャロン、何をしている!!」
「神官長、私はあの方に剣を向けることはできません。あの方は私の守るべきお方、我らが降臨を待ちわびた聖女です…!お分かりにならないのですか…?!」
「お、ヒュムにも一目で感じ取れるやつがまだいたのか」
この聖騎士は私が聖女であると信じるらしい。理由は定かではないが…加護を得ている、神に善性を認められているから、わかるものがある、のだろうか。だからといって味方であるとは思わないが。でも殺す必要はないようだ。加護しても潰れなさそうだし生かすべきだろうか。
「私の使命は不信心者を滅ぼし、地上に神への信仰を取り戻すこと。聖女を己の欲を満たすための道具と見るものに与える慈悲はないわ」
「はっ…」
「聖女様…あなたは、この国を救わぬ、と?」
「神の与えた最後の慈悲が私。あなたたちは選択を間違いました。この国は腐りきって手の施しようがないと自ら示しました。ですので、まだ腐っていないものに悪影響のないよう、全て滅ぼします」
「っ…確かに、性根の腐った人間はいる。だが、この国に善良な人間が全くいないわけではありません!」
「此処に来るまでこの国の各地を自らの足で訪ねてきましたが、救いたいと思える人間はいませんでした。末法の世というやつですね。生憎私には成長過程でも人の醜さしか見ませんでしたしね」
人を滅ぼすことへの躊躇いはない。或いは慈愛の中で育てば、どうにか救えないかとあがいたかもしれないが。
「神も聖女も、人類の絶対的な味方というわけではありません。正しく信仰する者を救うだけです」
「…!」
「我らの信仰が間違っているとでも言う気か!」
「最初からそう言っていたつもりだけど」
これ以上話しても反省の言葉は出なさそうだったので、足元の床を変形させて串刺しにした。確実に殺しておくべきと見た者を全て串刺しにして、霊脈に接続する。王都全域の大地を掌握し、王都を囲む城壁の全ての出入り口を閉じる。まあ、開いていた部分の周囲を変形させただけなので、本気でどつかれたら壊れるだろうが、足止め目的なので構わない。
ついでに大地の力を限界ギリギリまで絞っておく。これからまた力を使わなきゃいけないだろうから。
「王宮へ行くわ」
「ま、今行かなきゃ逃げられかねんわな」
「逃がすつもりはないわよ。ちゃんと立場に伴う責任を果たしてもらわなきゃ」
王国を滅ぼすのなら王族皆殺しが一番わかりやすい。生き残りが戴冠すれば王家を繋ぐことはできるのだし。別に代替わりさせたいわけではないのだ。王制を止めさせたいわけでもないが。そもそも私は政治に関する知識は浅い。王国を戦乱に落とす気はあるが、自分で治める気はないし、王位につけたい人間は特にいなかった。
別に今のところ恨みはない。私は使命を果たすだけなので。
王宮も石造りの建物だった。大地の力を吸い上げたことで植物に影響が出たので、異変に気付いてか、バタバタしている。足止めはされなかったが、この感じだと王宮内に王族がいない可能性もあるか?探すのが面倒だな…。
所々に芸術品を飾ったりされていた様子はあるが、いくらか不自然な空白もある。火事場泥棒でも出たのか。王族の求心力もその程度らしい。混乱が起きている時点で無能かもしれないが。
「殺し損ねても反乱で死ぬんじゃないか?」
「私もそんな気がしてきたわ。でも聖女が味方だと思っていたらそれが突破口に見えてしまうかもしれないでしょう」
祀り上げられるのはまっぴらだが、使われるのも御免こうむりたい。使命は果たされなければならないが、私は穏やかに暮らしたいのだ。
玉座には冠を被った男がいて、泡食って周囲の人間に命令していた。小物っぽい。王か、あるいは簒奪者か。いずれにせよ、残すべき善性には見えない。一応話を聞いたら殺すか。
「あれは王弟だな」
「なら王は何処かしら」
「死んでる可能性あるな」
その場合色々面倒なので別の場所にいるだけであってほしいものだが。
「なっ、何だお前たちは?!警備は何をしている?」
「王族でも私が何かわからないのね」
元々期待はしていなかったが。王宮に来たのも神の授けたアーティファクトを回収するためというのがメインだ。まあ魔力持ちか加護持ちでなければ使えないが、悪用されると面倒なので。
「ある意味で、死は救いだと私、思うの。死んでしまえばそれ以上苦しまないで済むでしょう?」
そもそも生まれないのが一番幸福なの。生も死も苦痛と共に在るものだから。まあ私が殺すのは救うためじゃないけれど。生きている内に徳を積まなきゃ天国には行けないものね。罪ばかり積んだ魂は地獄に落ちるらしい。地獄で人は魂にこびりついた罪を焼き尽くすまで炎にくべられる。そこに苦痛があるかはわからないが、快い光景ではないだろう。逆に天国は花にあふれた苦痛のない場所だという。ならやはり地獄には苦痛があるのだろうか。
「己の犯した罪を懺悔なさい。罪を認めないこともまた罪なのだから」
男たちは私を排除しようと武器を振りかぶる。私はそんなに神の子らしくないのだろうか。それとも、殺してなかったことにしようと思うほど腐った人間なのだろうか。光背でも背負ってたら聖女だってわかる?
「おいディア、呆けるな」
「あなたは普通に死ぬんだから自分の心配をしなさいよ」
「無茶はしないって約束したよな?」
「そうだったかしら」
記憶にない。私が忘れたのか、アスターが適当なことを言っているのか。どちらでもあまり関係ない。私は必要なことを淡々とこなしていくだけだ。
態々守ってくれなくても、このヒュムたちに私を本当に殺すことはできない。敵対者では神の子は殺せない。私の人の部分は死ぬかもしれないけど、どうせ権能を行使するたび削れている。権能を振るうたび"神"に近づいている。もっとも私の中が純化されたところで、不完全なものにしかならないだろうが。何もかも無意味だ。
「無駄なあがきね。神さまは何故こんな回りくどいやり方を選んだのかしら」
王冠を目指して石で刺し貫く。この冠も一つのアーティファクトではある。今では無意味なものだが。私が確実に確保したかったのは王笏だ。この状況で一番役に立つ。拾い上げて王宮の霊脈…王国に張り巡らされた力の流れに接続する。そして、アーティファクトを起動した。
「聞こえているかしら。私は神託の聖女。神さまに使命を託された神の子よ。あなた方への最後通告です。神への信仰の薄れたあなたたちへの加護を完全に止めます」
「神の庇護下で敬虔に祈ることも、神の手から離れ決別することもできないあなたたちを生かす価値がありません。神の加護に感謝することなく、恩恵だけ得ようという傲慢を私は許しません」
「聖女として告げます。神への信仰を失った背信者どもは全て滅びなさい」
一方的に言葉を響かせ、アーティファクトを停止する。これで大半の民は滅びるだろう。貴族も平民も大人も子供も男も女も、すべて区別なく。寿命より早く終わりが来る。それだけの話だ。或いはお互い争ったり、飢えて死んだり、世を儚んで死を選んだり。どうやって死ぬかまでは私の関知するところではない。ただ、聞いた者はそうなるというだけ。本当に信仰心のある敬虔な使徒であれば改めて加護するかもしれないけど。
「王都を出ましょう、アスター。後はなるようになるわ」
人間性が削れて神に寄ったからか、いつの間にか少し姿が変わっていたようだ。髪は光をそのまま形にしたように白く光を反射して煌めいている。後頭部の後ろで光背が輝いているのでその虹色の輝きが髪に映りこんでいる。瞳の色は淡く、ガラス玉のような印象がある。ある意味御使いらしいのかもしれない。
神さまは母に私を孕ませ権能を分け与えた時、地上に干渉するための力のほぼ全てを私に譲り渡した。今、神さまの手にある力は神託を下すことだけ。それ以外のすべて、地上を左右する力は私の中にある。それはいくら半神であるといっても、残りはヒュムと魔族の混血に過ぎない私の手に余るものだった。あるいは父母の望んだ通り私が愛を知っていればどうにかなったのかもしれないが、そうはならなかった。私の人格、神格?は空虚なものである。何かを望むような熱情はない。あるのはただ、地上に神への信仰を取り戻すという使命と権能だけ。
王国は地上でも最悪の土地だった。他の国ならば、マシなところはあるだろうか。いずれにせよ、御使いとして遍く地上に神の慈悲を広めるのが私の役目である。
もはや案内は必要ない。一人で何でもできる。巡礼の旅を一人で続けよう。
「…俺たちの選択は、ディアに慈愛を示さなかったのは、間違いだったのかもしれない」
アスターは苦々しい顔で呟く。
「ただ、普通の子供として扱われるだけであれだけ俺たちを気にかけてくれたあの子だ。もっとたくさん、愛を与えてやれたら…人としての己を棄てずにいてくれたかもしれない」
力を使うほどに普通の子供とあまり変わらなかったその瞳から熱が喪われていくことを、彼は気付いていたのに。彼はいつも、手遅れになってから後悔するばかりだった。
「僕は結局、何も守れなかった。国も、仲間も、守るべき方だと信じていた聖女様のことも…!」
聖騎士は一人嘆く。いかなる皮肉か、彼に与えられた加護は今も変わりない。誰に剣を向ける決断もできず、中途半端に立ち止まるしかできなかった悔いと、結果としてほぼ全滅した同僚たち。神殿の外も聖女からの最後通告により狂乱に包まれていた。彼が罪なき民と信じていた者たちが、一欠片の加護さえなくし醜く争っている。悪夢のようだが、どうやら現実だった。
「…僕たちは間違えていて、王国を救うことがないというのならば…何故、僕への加護はまだ残っているのですか、聖女様…!」
彼はその問いを本人に尋ねることを決めた。そうしなければ前へ進めないと思った。祈りを込めれば加護の源は感じ取れた。一度実際に顔を合わせ、言葉を交わしたからこそだろう。彼もまた一人旅立つことを決めた。
ノーマルエンドというかカルマエンド。地上の神エンド