005
「ラブレターなんてどうかな?」
放課後の教室。
私は生まれて初めて恋愛相談というものを体験していた。相談者は栗原さん。彼女の好きなお相手はご存知の通り二ノ宮だ。さてと、最初に告白しておかなければなりません。彼女はすでに重大なミスを二つも犯しています。一つは色恋沙汰に鈍感そうな二ノ宮を好きになったこと。もう一つは相談相手に私を選んだことです。
私なんて恋愛が始まると同時に対象者が死亡するんですよ?
告白するなんて夢のまた夢。それこそラブレターなんぞ書こうものなら訃報が返ってくるに違いない。そんなわけで、私は毒にも薬にもならない益体のないアドバイスをするしかないのだった。言ってて切なくなってくる。
「ラブレターかあ、いっぱい書いたけど結局どれも渡せてないんだよ」
栗原さんは机に突っ伏した。冗談ではなく真剣に困っているらしい。
「いっぱいってどれくらい書いたの?」
「うーん、今持ってるやつでラブレター君十五号くらいかな?」
「え、今持ってるんだ? 読ませてもらってもいい?」
「ダメだよ! 掲示板に張り出されたりしたら生きていけない!」
がばっと上体を起こして栗原さんは叫んだ。気圧されながら私は応じる。
「いや、そんなことしないよ?」
「それでも恥ずかしいからダメ!」
そう言って、栗原さんは再度机に突っ伏した。今度は顔を隠すのが目的かもしれない。
いろんなことに積極的で親しみやすい栗原さんだけど、こと恋愛に関しては親鳥が運んでくる餌をピーピー鳴きながら待っている雛鳥くらい無力らしい。ちなみに直接会って告白しようとすると呼吸困難に陥るそうだ。そこで登場したのがラブレター作戦だったのだけど、これもどうやらすでに頓挫しているらしい。新手の作戦が浮かぶまで話を逸らせておこう。
「あのさあ、なんで栗原さんは二ノ宮のことが好きなの?」
「顔がタイプなのかも」
栗原さんは顔だけ起こして応じた。面食いさんらしい。
「それだけ?」
「んー、だってあまり話したことないんだもん。よくわからないよ」
なんだそれは。
「よくわからない人を好きになったの?」
「んー、難しい質問だね。顔がよければ誰でもいいってわけじゃないんだよ、なんていうんだろう、こうビビビッってくるものがあったの」
早期離婚する芸能人みたいなことを言い出した。忠告しておくべきだろう。
「そういうのってさ、結局のところ勘違いで終わるんじゃない?」
「もうっ! 小鳥遊さんは夢も希望もないなあ」
ぱたりとまた顔を伏せる。私は肩をすくめた。
「都会ってね、夢も希望も高額の維持費がかかるんだよ。だから、いずれ夢も希望も手放すしかなくなるの。生きていくために本当はそうしたくなくてもね」
「絶っ対っ嘘!」
あっさりと切り捨てられた。案外、真理をついていたと思うんだけどなあ。完全否定しなくてもいいと思う。でもまあ、栗原さんはわりと元気らしい。
「告白も無理でラブレターも渡せないとなると、もう残された手段は一つしかないような気がするんだよね。私が『栗原さん、二ノ宮のこと好きなんだって』という感じで、二ノ宮に栗原さんを紹介してあげるよ。どうかな?」
「うー、それってさ、小鳥遊さんが二ノ宮くんを体育館裏とかに呼び出すわけだよね?」
そんなベタなとこに呼び出したりしないけど、否定しても話がややこしくなるだけなので肯定しておく。私は平和主義者なのだ。
「まあ、そうなるね」
「それって男子の夢を壊さない?」
「男子の夢?」
なんだそれは?
「可愛い女子に『放課後、体育館裏で待ってます』って言われるじゃない。男子は妄想と期待で胸が膨らむと思うのよ。で、いそいそと体育館裏までやって来ました。そこで二人きりだと思ったら、横から謎の生命体が登場、その可愛い女子が『この子、あんたのこと好きなんだって』と告げる。男子――轟沈ってならない?」
小芝居混じりの物語をわずか五秒でまくし立てられた。
とりあえず一言。
謎の生命体って。
「えっと、ちょっと落ち着こう。そして漫画的アニメ的展開もひとまず脇に置きましょう。たぶんだけど、栗原さんに好きって言われて嫌な気分になる男子はいないと思うのよ」
「……そういう慰め方する女が平気で他人の彼氏奪っちゃうドラマやってるよね」
――絶句。もう無理。なんだこのネガティブシンキング!
「第一回恋愛相談の結果、栗原さんはネガティブすぎるという欠点が判明しました」
「……私って超ネガティブなんだ? 落ち込むなあ」
栗原さんはこの世の終わりみたいな顔をしている。
「それそれ! それを直せばいいのよ。というか、なんで勝手に超って付け足しちゃうかな。その時点でアウトだよ!」
「生まれて来てすいません」
「そこまで全否定してないよ!」
我ながら無益な時間を過ごしていると思う。だけど。それでは有益な時間ってなんですかと問われれば返答に困る。例えば、いくら勉強してもテストの結果に繋がらなければ無益だ。反面、結果に繋がれば有益だろう。世の中の出来事はRPGのように倒した敵の数だけ経験値がもらえて、規定値に達すればレベルアップするというようにはいかない。同じだけ頑張っても結果に差が出る。最悪に不平等な世界なのだ。
「ネガティブってどうやったら克服できるの?」
栗原さんの口から疑問が零れ落ちる。私は首を捻った。
「んー、それがわかったらもっと気楽に生きていけるんだろうけどね」
「まさか――不治の病?」
「病ではないと思う。とにかく、もっと成功したときのイメージを思い浮かべるしかないんじゃないかな? さっきから失敗したらどうしようばっかりじゃない」
「んー、なるほど」
なにやら真剣に考え込んでいる栗原さんを横目に、私は鞄から携帯を取り出して時間を確認する。本日は週二回の通院日なのだ。遅れるわけにはいかない。
「じゃあ、続きは第二回恋愛相談のときでいいかな? 今日は病院へ寄らないとダメなんだよ。遅れたら迷惑かけちゃうからそろそろ行くね」
「あ、うん。相談に乗ってくれてありがとう。次に会うときまでに見事にネガティブを克服しておくよ。楽しみに待ってておくれ」
めちゃくちゃポジティブだ。その調子で頑張って!
――というか、次に会うときって明日?
そこでふと思い出した。他力本願の解決方法である。
「栗原さんってまだ時間ある?」
「え、うん。今日はなにも予定ないけど」
「一緒に病院に来ない? 友達つれて来てもいいって言ってたし、精神科の先生だから私よりマシなアドバイスをしてくれるかもしれないよ」
「へえ、ちょっと興味あるかも」
「決まりだね」
病院への道中、私は高見先生について説明した。悪い人ではないけど若い女の子に興味がありすぎるとか、セクハラまではいかないけどエロいとか、歳のわりに性的な話題が好きすぎるとか、おおよそどういう人物か想像できる範囲で伝えておく。好きな人のこと以外なら本当にポジティブなようで、栗原さんは「面白い先生だね」と朗らかに返してくる。
そのテンションで恋愛の話をしてくれたら楽なのだけど。
たとえば。
「マジで二ノ宮のこと好きなんですけど」
「あはは、なにそれ超ウケるーっ!」
と笑い飛ばせるような気がする。
あるいは。
「マジで二ノ宮のこと好きなんですけど」
「えっ、なにかの罰ゲーム? 大丈夫なの?」
と心配してあげることもできる。
病院へ着いた私たちは受付を済ませて診察室へ向かう。事情を説明するまでもなく、栗原さんは同行を許可された。受付のお姉さんと栗原さんは顔見知りという感じだった。地元に住んでいてこの病院を利用したことがない人はいないのかもしれない。
ノックすると部屋の中から高見先生の声が聞こえた。ドアを開けて入る。
「高見先生、本日もよろしくお願いします。それで、今日は前に話していた友達を連れて来ました。問題ないですよね?」
私と栗原さんを交互に見やって、白衣の高見先生は快闊に笑った。
「なるほど、たしかにモデル級だな。しかし院長の娘さんが友達だったとはね。世の中の狭さを再認識させられたよ」
ん? 今なんておっしゃいました?
「院長の娘?」
「栗原家のご令嬢さ」
高見先生は栗原さんを示している。
「まあ、立ち話もなんだから座って座って」
予備の椅子を用意してもらい、対面式のテーブルに高見先生VS私と栗原さんみたいな席順で腰を落ち着けた。最初の話題はこれに決まっている。
「高見先生と栗原さんって知り合いなんですか?」
「正確には初めましてかな。スタッフが一方的に知ってるだけで、栗原さんがここへ訪れる機会はほとんどないからね」
「そうですよね、初めまして栗原涼子と申します」
語を引き継いで栗原さんが一礼する。それに合わせて先生もこくりと肯いた。
「堅っ苦しい挨拶は抜きにしよう。そもそも小鳥遊さんが栗原さんをここへ連れて来たってことは、なにかしら相談があって然るべきだろうからね」
察しがいい。ただの好色紳士と侮ってはいけないのだ。高見先生は穏やかな口調で続ける。
「それでどんな相談なのかな?」
言い終わるが早いか、栗原さんはテーブルに乗り上がる勢いで口火を切った。
「どうやったら好きな人に告白できるんでしょうか!」
圧倒される高見先生。いきなりこのテンションを相手にするのはしんどいと思う。
「まあまあ、とりあえず落ち着いておくれ。まずはどこの誰を好きになったとか経緯から聞かせてもらうとしよう。でなければ抽象的なアドバイスしかできないからね」
高見先生は後にこの台詞を後悔することになるだろう。少なくとも――私は後悔した。
栗原涼子さんは要約すれば「同じ高校に通う同級生の二ノ宮春一くんが大好きです」という内容の話をかれこれ二時間ほど語っている。当事者にとっては歴史的瞬間かもしれない出来事でも、私や高見先生にすれば靴下を左右どちらから履くかというくらいどうでもいい些細な事だし、それがいかに素晴らしいことであるかを延々電波に話されたら、もはや睡眠導入剤の盛り合わせを食べさせられたかのように眠くなるしかないのだった。
睡眠の世界へ船を漕ぎ出そうとした私に、高見先生は気をしっかり持てと言わんばかりに黒マジックを手渡してくる。いやいや、そんなので瞼に瞳を書いてもバレバレですってと拒否する私。ああ、これはもう夢の世界だな。現実の世界でこんなことが起こるわけがない。早く目を覚まそう。
えいっ!
ぼんやりとした視界に栗原さんと高見先生が映った。どういうわけか見下ろされている。おかしいな。そう思って辺りを手探りしたところで、ようやく自分がベッドの上に寝かされていることに気がついた。
「大丈夫?」
心配そうな栗原さんの声が落ちてくる。
「うん……話の途中で眠っちゃったみたいだね。ごめん」
いくら興味のそそられない話題とはいえ、まさか本当に眠ってしまうとは思っていなかった。言いようのない自責の念に駆られる。
「いや、これは僕のミスなんだよ。話に聞き入ってるうちに注射と薬の時間を忘れてしまってね。そこへ過度のストレス――もとい、長時間の集中力を要する出来事が重なってしまったから倒れたんだ。心労だね。だから小鳥遊さんに落ち度はないよ」
「……ヤブ医者」
「面目ない」
本当に反省しているらしく、高見先生は深々と頭を下げていた。
それにしても、私の身体はいつからこんなに脆くなったのだろう? 発作さえ起こさなければ、日常生活に差し支えないと思い込んでいた。それなのにこの有様である。
「大丈夫だと思うけど点滴もしておくよ。二十分ほどで終わるやつな」
高見先生は素早い動作で点滴の準備を完了させて私の左腕に針を刺した。
「そういえば、高見先生って精神科医なのに点滴とか注射の手際いいですよね?」
「ああ、掛け持ちしてるからね。小鳥遊さんが来る時間と予約が入っているとき以外は内科をやってるんだ。ほかにも忙しいところのヘルプとかね。こういう環境で二十五年も医者をやってれば基本的なことなら大抵できるようになる」
やれやれ。頼りになるんだかならないんだかわからない先生だ。
「そうだ。さっきの続きなんですけど――」
私が目を覚まして安心したのか、栗原さんは高見先生相手にまた益体のない話を聞かせ始めていた。恋に恋する女の子。相手がどんな人かなんて重要じゃない。どれだけその人のことを好きになれるか、どれほどもどかしい気持ちになれるか、ああ――こんなにもその人を好きになっている自分が大好き。その人のことで悩める自分が大好き。
いつのまにか都会にいたころの女の子たちを思い出していた。
妄想型恋愛依存症候群――私が勝手に付けた名称。
病院を出ると外は真っ暗だった。空を見上げると星が輝いている。
「わーっ、綺麗だね。夜に出歩くなんて滅多にないから感動しちゃうよ」
自然と口をついてしまう。一面の星空にはそれだけの魅力があった。
「この地域って星が見えやすいみたいだからね。たまに星を観測するための催しがあるんだよ。ほかの場所よりも綺麗に見えるのかもね」
「ほほう、なるほどね」
私は上を向いて歩いた。先導は家まで送ると申し出てくれた栗原さんに任せよう。ただただ空を見上げていたかった。理由なんてない。こじつけるなら満面の星空に感動している自分が素敵だから――かな。
家に到着すると騒々しい勢いで両親に出迎えられた。
「心配したんだぞ!」
「驚かせないでよ!」
父も母も蒼白な顔をしていた。むしろ驚いたのは私のほうだと言いたいのだけど――というか、これは一体どういうことだろう? わけがわからない。
「あの……あの……」
「友達の栗原涼子さん」
私は勢いに気圧されて萎縮している栗原さんを両親へ紹介した。それに合わせて栗原さんは頭を下げる。お高く留まっていないのが彼女のいいところだ。同時に父と母も会釈で応じる。そこから不自然な沈黙。どうやら両親は勝手な推測を展開し始めたらしい。しばらしくして納得のいく結論に達したのか安堵の表情を漏らした。
「なんだ、そういうことだったのか……高見先生から帰りが遅くなるかもしれませんが、心配なさらないようにと連絡を受けたときはどうなるかと思ったんだぞ」
「そうよ、ちゃんと連絡を入れてから友達と遊びに行きなさい」
珍しく両親が怒気を放っている。理不尽な怒られ方をしている気がした。
いやいや、連絡をしなかったんじゃなくてできなかったんです。そのヤブ医者のせいで私は昏睡状態だったんですよ?
脳内で無益な反論をしておく。
「あの、それじゃあ、また明日」
栗原さんは再度一礼して去っていった。いろいろ誤解されていそう。
普段は和やか家族なんだよ。信じてもらえないかもしれないけど明日伝えてみよう。