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幸せの形  作者: 鳥居なごむ
第一章
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004

 入学式から三週間が経った。

「小鳥遊さんって、いつも体育休んでるよね」

 体育の授業が終わったあと、一年C組の教室でジャージから制服に着替えている最中だった。体育の授業は学年合同で行い、男子はA組、女子はC組の教室で着替えることになっている。この高校では見学者もジャージを着なければならないので、これからも新品同様のクオリティを保ち続けるであろうジャージを脱いだところで声をかけられたのだ。

 私は声の主を見やった。モデルのようなスレンダー体形で顔立ちも整っている。見覚えのある女子だった。おそらくクラスメイトなのだろう。名前を思い出そうとしてみる。

 うーん、誰だっけ?

 まったく出て来ない。不毛な時間が過ぎていく。

「何気に胸あるよね」

 彼女はTシャツ一枚の私の胸元に視線を落としながら感想を述べる。反射的に私は両腕で胸を隠していた。どうやら私も見られると隠したくなるという女の子メソッドを採用していたらしい――などと、どうでもいいことに感心している場合じゃないよね。

 さて。

 話を進展させるとしよう。

「誰だっけ?」

「……栗原涼子だけど。てゆうか、クラスメイトの名前を知らないなんて酷くない?」

「ごめんね。高校からこっちに移り住んで、いろいろ大変で頭がついて来ないんだよ」

 揉め事は起こしたくないので適当に誤魔化しておく。嘘は吐いていないのだから、あとは相手の性格に委ねるしかない。

「あー、そうだったね」

 わりと簡単に納得してくれたらしく、栗原さんは機嫌を上方修正していた。品のある笑い方をして髪を撫でている。かなりの美人さんだった。

「それで私になにか用?」

 事務的に用件を促した。向こうから切り出さないのだから仕方ない。

「小鳥遊さんって二ノ宮くんと仲いいよね?」

「……はあ……」

 曖昧な返事をする。たしかに毎日しゃべってはいるけど、あれが仲良しに見えるなんて只者じゃない。シュールすぎる関係が逆に仲良く見えてしまったのだろうか?

 もしそうなら早急に改善しなくてはならない。

「だから私と友達になってほしいの」

 栗原さんは満面の笑顔。私は思考を巡らせた。

 はて。

 どういう物理法則が働けば、私と友達になりたいという結論に行き着くのだろう。

「あのさ、私と仲良くなる必要ないんじゃないかな?」

「いや、だってね、私あんまり男の子と話すの上手じゃないから」

 もじもじと顔を赤らめられても困る。そういうのは男子にしてあげてください。

「私だって男の子と話すの苦手だよ?」

「そんなの嘘よ。都会っ子は不純異性交遊が日常茶飯事なんでしょ?」

 すごい偏見。これは反論しておくべきだろう。

「誤解だよ。それはいくらなんでも誇張されてる」

「そんなことないよ! テレビで都会の高校生特集みたいな番組があって、茶髪とか金髪とかピアスとか風紀の乱れが著しかったもん。制服のスカートだってありえない短さだったし、きっと男女の関係も乱れているに違いないよ」

 なるほど、それは一理あるかも。

 私は妙に納得してしまった。

 快適に毎日を過ごせていた理由はそれかもしれない。この高校には絵に描いたような不良生徒がいないのだ。そういう浅はかな自己主張をしなくても、ただ存在するだけで意義を認めてもらえるからだろう。なにもかも適正で過不足のない世界。

「そういう子もいるけど――やっぱり少数派だよ。ほとんどの子はここの生徒と変わらないと思う。強いて違いをあげるなら、ちょっとだけオシャレな子が多いくらいかな」

 この高校には化粧をしてる女子が一人もいない。すっぴんオンリーなのだ。節度をわきまえた化粧くらいしてもいいと思うのだけど。

「とにかくさ、友達になってよ」

 話の流れを断ち切るように栗原さんは微笑んだ。

 私の助言が完全に無視されているのは気のせいだろうか?

「いや、だから私も男子と話すの苦手だって」

「あの、正直に言うね。二ノ宮くんと仲のいい小鳥遊さんと友達なれば、自然と彼と一緒にいれる機会も増えるじゃない? そうなったら二人きりで会える口実もできるかもしれないじゃない? だから私は小鳥遊さんを最大限に利用して、踏み台にして、もっともっと二ノ宮くんと仲良くなりたいの!」

「……」

 えっと、欲望に正直すぎて逆に気持ちがいいわ。だけど声には出さないほうがいいと思うな。次回から気をつけてください。私からのお願いです。

 すったもんだしているあいだに、休み時間終了を告げるチャイムが鳴った。

「げ、私まだ全然着替えてないよ」

 そう言って、栗原さんは勢いよくジャージを脱ぎ始めた。それに倣って私も着替える。

 チャイムと同時に教室へ入ってくる教師なんて皆無なので、私と栗原さんはどうにか次の授業に遅刻せずに済んだ。別れ際に「話を聞いてくれてありがとう。私のために遅れちゃってごめんね」と謝る栗原さんの至誠はなかなか好印象だった。

 授業が終わって休み時間になる。

 さっきの続きを話すつもりなのだろう。栗原さんが私の席へやってきた。友達になろうと言われて嫌な気はしない。二ノ宮との恋路をお膳立てできるかどうかは別として、邪魔しなければならない理由もないのだ。協力してあげるのもいいかもしれない。

「さっきの話なんだけど――」

「うん、友達になろう。地元の子と親しくなっておけば、いざってときに助かることが多そうだからね。ギブ・アンド・テイクだよ」

「やったー、よろしくね」

 満面の笑みを浮かべながら栗原さんは手を差し出してきた。握手する。そうこうしていると一連の会話を聞いていたに違いない隣の席の住人が顔をあげた。

「えー、栗原さんと小鳥遊さんって友達なんだ? 意外な組み合わせだね」

 言ってるそばから事の発端となった人物――二ノ宮が割って入ってきた。こいつのどこを好きになったのか、今度二人きりになったら尋ねてみよう。なにかの罰ゲームとかじゃなければいいのだけど。

「体育のときにね、何度か話すようになって仲良くなったの」

 嘘つき発見。

 今日初めて話しかけられたっての。

 でもまあ、方便ということで許容できる範囲だろう。

「そうなんだ。女子って体育館でなにやってるの?」

「バレーボールだよ。まだ練習ばっかりで試合はやらせてもらえないけどね。男子は?」

「サッカー。こっちは試合ばっかりやってる」

 体育の授業は学年合同の代わりに男女で分けられている。男子は運動場でサッカー、女子は体育館でバレーボールに取り組んでいた。だから二ノ宮は私が体育を見学していることを知らなかったのだろう。

 ゆえに。

「バレーボール楽しい?」

 そんな質問を私に投げかけてきた。二ノ宮に悪気はない。むしろ会話に混ざれていない私への善意だろう。だから素直に答えることにした。

「私は見てるだけだから」

「えーっ! どうして?」

「派手に身体を動かすと発作が起こって呼吸できなくなるんだよ。だから毎日薬を飲んでる。面倒臭くてサボってるわけじゃないからね」

「大変だね」

 二ノ宮がぽつりと呟いた。栗原さんも激しく同意している。

「もう慣れたけどね」

「本当に?」

 疑問が呈される。

「うん、それに嫌なことばかりじゃないからね。参加したくない催しを回避できたりもするんだよ、たとえば冬のマラソンとかさ」

 わざと軽口を叩くと、二ノ宮は胸を撫で下ろしていた。栗原さんはちょっと羨ましそうに私を見つめている。その真意が二ノ宮に心配されていることに向けられているのか、冬のマラソンを回避できることへ向けられているのかは判然としない。

 しばらく雑談していると、休み時間終了のチャイムが鳴った。とても授業中の十分と同じ長さとは思えない。あっという間。チャイムを合図に栗原さんは席へ戻っていく。私も教師の登場に備えて身体を正面へ向けた。先ほどの光景を思い浮かべる。栗原さんは大好きな人の前だと緊張しすぎて無言になるわけでもなく、ツンツンした態度になってしまうわけでもなく、普通にデレデレしながら終始笑顔でしゃべっていました。

 さて、ここで問題です。

 私いらなくね?


 自称――帰宅部のエースである私は、ホームルーム終了と同時に教室を出ていた。

 その足で週二回通うことになった病院へ向かう。夜中に歩けば肝試しコースとなりそうな通学路も、陽の高いこの時間なら平穏な散歩道だ。好きな曲のサビをエンドレス・リピートで口ずさみながら歩く。いや、だってサビしか歌詞知らないし。

 ほどなくして病院に着いた。

「やあ、相変わらず早いね。授業を抜け出してるわけじゃないんだろ?」

 エースですから! なんて言えないし。

「授業はちゃんと受けてます。迅速な行動を心がけているだけですよ」

「学校には慣れたかい?」

 最近、高見先生はフランクに話すようになった。心理学的な意味があるのかもしれないし、そういう高尚な理由じゃないのかもしれない。どちらにしても私は気楽なほうがよかった。丁寧に話されるとこっちまで緊張するからね。

「最新情報です。友達ができました」

「ほう、どんな子だい?」

「モデルみたいな体形の美人さん」

「精神が病んだらすぐ来なさいって伝えておいてくれ」

 ……言うと思ったけどさ。

 好色紳士め。

 あ、好色の時点で紳士じゃないかも。

「そういう人を人と思わないような目で見るのはやめてくれ。精神が病む」

「今のは高見先生が悪いんですよ? それにほら、精神科なんですから自分で治療できるじゃないですか?」

「人の心は脆く壊れやすくて治し難い。ひょっとしたら二度と治らないかもしれない。医療でどうにもならないこともあるんだよ。僕はもうダメかもしれない」

 目を伏せて落ち込む高見先生。嘘臭いけど突っ込みを入れておく。

「私の視線でそこまで壊れられても困るんですけど?」

「まあな、あれくらいじゃ壊れたりしないさ。せいぜい夕食が喉を通らない程度だよ」

「重症じゃないですか!」

「冗談だよ」

 かっかっかと高見先生は笑う。私は肩をすくめた。怒る気も失せてしまう能天気さである。注射と薬がなければ診療という名目で私と雑談しているだけだ。これで料金を支払わなくてはいけないのだから納得できない。

 さて、ここで質問です。

 若い女の子と中高年の男性が談笑しています。ここで料金が発生するとしたらどちらでしょうか? 世間一般的な感覚でお答えくださいませ。

 ペットボトルに入った烏龍茶を一口飲んで、高見先生は表情を精神科医のそれに戻した。

「学校にタイプの男子はいないのかい?」

「いないですね。私の理想ってエベレストより高いんですよ」

 おもいっきり笑顔を作ってみる。

「ふーん」

 ぞんざいな扱いをされました。誰かこの医師に怒りの鉄槌を落としてやってください。

 なんて思っていたら高見先生は穏やかな笑みを浮かべる。本当に不思議な人だ。とはいえ、おっさんの表情七変化に興味はないのだけど。

「小鳥遊さんには同級生が子供に見えちゃうのかな?」

「はい?」

 私は首を傾げる。高見先生は緩やかな口調で語り始めた。

「人間はゆっくりと経験を積んで成長していく。これは疑う余地のない事実さ。だけどね、急成長を促す起爆剤も存在すると思うんだよ。それが『失う』ということ。ある人が三日後に死ぬと医師から宣告された。するとどうだろう、その人はそれを知る以前と別人になる。発狂して暴挙に出るかもしれない、自暴自棄になるかもしれない、しかし確実になんらかの変化が現れるものなんだよ」

「それって成長というか、おかしくなっちゃっただけのような……」

「まあ、今のは極端な例だからね。仮にこのパターンを小鳥遊さんに当てはめると、人を好きになる行為を禁止された――つまり恋する心を失った。そのことで普通の十代の女の子が想像もつかないレベルで苦悩している。だから周りの女の子よりも早く成長しているんだと思う。あくまで僕の推測だけどね」

「ふむ」

 わかるようなわからないような複雑な気分。私の表情を読み取ったのか、高見先生は新しい例え話を展開する。

「そうだなあ。不治の病に侵されている同級生がいると仮定してほしい。その子の余命はそれほど長くない。そういう子ってね、普通の人の何倍も何十倍も苦しんでいるんだ。だから下手に五十年や六十年生きてきた人より、よほど重たくて心に響くような言葉や想いを紡ぎ出せてしまうものなんだよ」

「なんとなく……わかるような気がします」

 これならわかる気がする。私は首振り人形みたいに肯いていた。

「おっと、すまないね。年寄りの話は長くて困る」

 苦笑しながら高見先生は言葉を切る。

「はあ」

 ときどき思う。

 高見先生は遠まわしに伝えたいことがあるのかもしれない。それがなにかわからないけど、いつかは気付かないといけない大切なことのように思えた。

「そうそう、明日は検査だから忘れずにね」

 別れ際に念を押された。憂鬱な気分になる。


 月一回の精密検査。

 これがどういうわけか毎月第二日曜というような指定ではなく、毎月二十五日という安易な設定のため、私は学生の本分である学業をサボらなくてはならないのだ。学校には両親から事情(正直には伝えていないと思う)を話してもらっているので怒られたりはしないのだけど、それでも毎月二十五日を休めば賢しい生徒ならなにかあると勘付くだろう。それが原因で面倒なことにならなければいいのだけど。

 検査は丸一日かけて行われる。

 始めは点滴だった。ベッドに寝転がった私の腕に注射針が刺される。

「これは?」

「単なる栄養剤だよ。小鳥遊さん発作を起こすだろ? だから検査の前に栄養を与えておこうという作戦。長時間に及ぶ検査って意外と体力を消耗するからね」

「作戦って……せめて治療と言ってください。患者を不安にさせてどうするんですか!」

「かっかっか、いつもの血も涙もない小鳥遊さんはどこへ行った?」

 血も涙もないって。

「私のことをなんだと思ってるんですか!」

「その意気だよ。なにも不安になることはない。人間ドッグを受ける程度に考えていればいいさ。毎月受けにくる奴はいないけどな」

 そう言って、また笑っている。お気楽な先生だ。

 はてさて。

 私には人間ドッグの知識なんてない。健康診断の上位版みたいな存在なのだろうか?

 だとしたら、たしかに一ヶ月に一回は多すぎだ。心配性にもほどがある。

 午前中は体温を計ったり採血したりと細々した検査が続いた。

 午後になると最新医療機器――なのかはわからないけど、それなりに高価で立派そうな機器を使って検査が行われた。横文字の名称で脳を輪切りにするんだとか、うんたらかんたら説明を受けたのだけど、私は曖昧に相槌を打つくらいしかできなかった。だって、わからないものはわからない。それにわかったところでどうすることもできない。

 夕方には検査は滞りなく終了していた。

「どうだった検査は?」

 ずっと付き添ってくれた高見先生が問いかけてくる。

「見たこともない機械に囲まれてビビりまくってました」

「かっかっかっ、そうかもしれないな。でもまあ、今回で慣れたんじゃないかい?」

「毎回、同じ検査なんですか?」

「ああ、のっぴきならない事情でもない限り変わらないさ」

 こうして初回の検査日を無事に乗り越えられた。

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