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幸せの形  作者: 鳥居なごむ
第三章
14/17

014

 午前十時から十一時までが一回目の売り子タイムである。

 私はエプロンを装着して教室の入り口に立った。並ぶようにしてファミレス店員風の涼子とメイドさんがいる。混み出すまでは客引きが仕事というわけだ。

「級長から通達なんだけど」

 ひょっこり現れたのはジャージ姿の二ノ宮だった。制服姿の男子も見かけたので、今は裏方の仕事に就いているのかもしれない。

「僕が自腹を切らないで済むように頑張れ美少女戦士たち――だってさ」

 やれやれ。

「まあ、やるだけやってみるよ」

 私は肩をすくめながら応じた。

「あの、どうかな?」

 涼子が姿勢を正して衣装の感想を二ノ宮に求める。

「うん、似合ってるよ」

「よーっし、私も頑張るよーっ!」

 ファミレス店員風の涼子が二ノ宮へVサインを送った。まるで恋人みたい――あの日に見た光景を思い出した。二人の関係は本当に恋人なのだろうか? かぶりを振った。今は考えないようにしよう。心が軋む。

「おう! その愛嬌と可愛さがあれば入れ食い状態だね」

「そ、そうかな?」

 照れ笑う涼子。さらに二ノ宮は後押しする。

「間違いないよ。頑張ってね」

 そう言い残すと餌を食べ終えた野良猫のように二ノ宮は去っていった。涼子は彼のどこに惚れたのだろう。些細な出来事で好きになって、その想いがどんどん膨らんでいったのだろうか? そうしているうちに唯一無二の存在になってしまったのだろうか?

 わからない。

 だけど。

 ほかの人にとって些細な出来事でも、涼子にとっては重要で大切な出来事だったのかもしれない。それをバカにすることはできない。今はそう思える。

 間食狙いの一皿百円焼きそばがコスプレ効果のおかげか飛ぶように売れた。一皿あたりの量を抑えて価格を下げるアイデアは大当たりだった。食事タイム以外は間食をターゲットに百円焼きそばを主力にする――級長は単なるコスプレマニアではなかったらしい。ちゃんと参謀としても機能していた。

 あくせく働いていると、一時間はあっという間に経過していた。

「お疲れ様っ!」

 十一時からの売り子に声をかけられる。

「ありがとう。頑張ってね」

 簡単な引継ぎを済ませて私は十一時からの売り子と持ち場を交代した。

 しんどかった。そもそも私は接客に向かないタイプなのだ。本当に疲れた。でもそのあとに来る達成感が気持ちいい。やってよかったと思える。教室の隅に用意された簡易式控え室で着替える(私はエプロンを外すだけだけどね)。ちなみに簡易式といってもきちんと区画されていて、二畳くらいのスペースが確保されている。決して生着替えみたいな状況にはなっていない。

「えとえと、ちょっと早いけどお昼にするべきだと思います」

 ファミレス店員から女子高生に戻った涼子がおかしな口調で語りかけてきた。こういう場合、ほぼ百パーセントの確率で二ノ宮が絡んでいる。私は可能性の一つを投げかけた。

「二ノ宮もこれから休憩時間?」

「ううん、あのあの、十一時から二ノ宮くんが焼きそばを作る係なのです」

 言わんとすることは想像に難くない。

「それは二ノ宮の作った焼きそばを食べたいということなのですか?」

 口調を真似てしまう私がいた。すぐに予想通りの答えが返ってくる。

「なのです」

 しばしの逡巡。

 私は感情を吐露する。

「創作料理じゃないんだし、誰が作っても味は変わらないと思うんだけど?」

「二ノ宮くんが作ったというだけで美味しくなるのです」

「そうなのですか?」

「そうなのです」

 あまりに真剣なので説き伏せるのは無理だろう。仕方なく私は了承した。

 裏口から廊下へ出た私たちは『焼きそば』と書かれたドアから入り直した。メイドやらファミレス店員に席まで案内されつつ、私は鉄板の前に立つ二ノ宮の姿を認めて涼子の情報が事実であることを確信した。役割分担ごとにシフトを組んだので、本来なら男子のシフトなんてわからないはずなのだけど。

 恋する乙女の情報網は侮れない。

 さて。

 偉い人が言いました。

 料理は愛情。

 マジでした。好きな人が作ってくれたというだけで美味しくなりました。たぶん、大嫌いな人が差し出した清涼飲料水より、大好きな人が差し出してくれる水道水のほうが美味しいと思います。誰か試してください。

 少し早めの昼食を済ませたあと、私と涼子は文化祭で行われる催しを見て回った。

 体育館では軽音楽部による演奏、運動場では空手部による型の披露、各教室ではフライドポテトから綿菓子や林檎飴まで縁日で見かけそうなものは一通り出揃っていた。

「なんかいいよね、こういうの」

 無邪気な表情を浮かべて涼子が懐かしそうに言った。浴衣を着ていれば縁日が似合いそうな雰囲気である。

「そうだね」

 同意しつつ私は子供の頃を思い出していた。

 家族で近くの花火大会へ行ったときのことである。父に肩車をしてもらって、私は特等席で花火を観賞していた。あのときはなにを思って一瞬の輝きを放って儚く散っていく花火を眺めていたのだろう? なにも考えていなかったのかもしれないし、ただ単に思い出せないだけなのかもしれない。

 だけど。

 一つだけはっきりしている。記憶の中の両親はいつも優しい。和やかで朗らかだ。

 それは幸福なことかもしれない。不公平で不平等な世界に与えられた唯一の救い。

「真理亜、こっちこっち!」

 先行する涼子に呼ばれて我に返った。やれやれ。今日の私は感傷に浸りすぎだ。


 なんやかんやで二度目の売り子タイムがやって来た。

 今度はメイド服に着替えなくてはならない。控え室で相方になる涼子に尋ねた。

「こっちの『おかえりなさいませ、ご主人様』っぽいメイド服と、こっちの人形に似合いそうなゴスロリ服とどっちがいい?」

 二つの衣装を机の上に並べて置いた。

「ええっ? 『いらっしゃいませ』じゃなくて『おかえりなさいませ』なの?」

 どうでもいいところに食いつかれた。私は華麗に受け流しておく。

「それはどっちでもいいのよ。服を選んでほしいのです」

「んー、じゃあ、こっちのシンプルなほうにする」

 涼子は通常メイド服を選択した。必然的に私がゴスロリ服となる。黒い生地に薄い白布で装飾が施されている代物だ。普通の生活を送っていれば着用する機会はないだろう。

 それぞれ着替えて姿見の前に立った。鏡には憮然とした表情のメイドが映っている。

「なんかよくわからないんだけど無性に級長を殴りたい」

「あはは、でもその格好で殴ったら逆に級長喜びそう」

 無邪気に毒を吐く涼子だった。彼女の中でも級長は変態扱いらしい。

 生足禁止令に従ってニーソックスを着用して控え室を出た。

「うわー、めちゃくちゃ似合ってるーっ!」

 完全に待ち伏せしていたとしか思えないタイミングで二ノ宮が目の前に躍り出てきた。周囲の男子も見ていないという演技をしながら好奇の視線を向けてくる。というか、女子さえも興味深そうに注目していた。それほど珍しい格好なのだろう。

 涼子は。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

 いきなりフルスロットルだった。落ち着け、二ノ宮は客じゃないのだ。

「えーっ、なになにそれ? でもすごくいい気分になるね」

「ほ、ほんと? もう一回言おうか?」

「うんうん、お願い」

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「ありがとう! 小鳥遊さんは?」

 調子に乗った二ノ宮は私にも催促してくる。

「私は言わないわよ」

 ここで無視しなくなった分、私も少しは成長したのかもしれない。

「えーっ」と不満を漏らす二ノ宮。

「そんな怖い顔しないでさ、せっかくの文化祭なんだから楽しい想い出を作ろうよ」

 そう言って、涼子は横から抱きついてきた。耳たぶを甘噛みしてくる。こんなことを人前で平気でするからレズなどという噂が立つのだ。いや、それだけじゃない。こんなことをされて平然としている私もおかしいのだ。

 たぶん。

「さあ、いつまでもくっ付いてないで仕事仕事」

 涼子を引き剥がして私は入り口へ向かった。

 背後から悪魔の囁きが聞こえてくる。

「ふふん、お客として来店するだけさ」

 振り返ると二ノ宮がほくそ笑んでいた。

 最悪だ。

 教室の入り口。

 そこには一人の男性客と接客に当たっているメイドの姿があった。

「お、おか、おか、おか、おかえり、お、おか、おか――」

「インコでももうちょっと上手な日本語を話すよ?」

 腹が立つくらい二ノ宮は嬉しそうな顔をしている。

 なにこの羞恥プレイ。泣きたくなってくる。

「おかえりなさいませって言うだけだよ? ささ、どうぞどうぞ」

 世の中には傍迷惑な有限実行もありまして、現在、私はその真っ只中に追いやられています。誰か助けてください。ジュースくらいならおごりますので。

「そんなに私を苛めるのが楽しいわけ?」

「苛めるなんてとんでもない。俺は小鳥遊さんとの想い出を作りたいだけだよ。十七歳の文化祭は一度しかないんだからさ」

 ――一度しかない十七歳。

 そう。

 だから後悔しないようにしたい。

 私は勇気を振り絞った。

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「いや、そんな棒読みじゃなくてメイドさん風にお願いします」

「うるさい黙れ! さっさと中へ入れ!」

 私は二ノ宮の尻を蹴り上げて教室へ押し込んだ。

 十七年間。

 振り返るにはあまりに短い人生だ。


 文化祭の全任務を終えて、あとは楽しむだけの身分になった。

 もう一度聴きたいと涼子が言うので、軽音楽部第三幕の開演時間に合わせて体育館へ赴いた。わりと評判がいいらしく、私たち以外のリピーターもちらほらと見かける。閉幕後に外へ出ると、すっかり陽は暮れていて、運動場ではファイヤーストームが始まっていた。

「なんだかんだ言ってもこれがメインイベントだよね」

 しみじみと涼子が呟いた。視線は燃え上がる炎に向けられている。

 告白された人は幸せになれるというジンクス。

 私は涼子に問いかけた。

「二ノ宮と一緒にいなくていいの?」

「ん……一緒にいたいけど……迷惑かもしれないじゃない」

「はい?」

 なんだそれは。

 二人の関係が見えて来ない。

「だってね、二ノ宮くん優しいから……私が一緒にいたいって言ったら一緒にいてくれると思う。二人で映画を観に行ったときも、私の気持ちを察していろいろな要望を叶えてくれた。私が口にできなくても先回りして叶えてくれた。だから私が一緒にいたいなんて言ったら、二ノ宮くんは好きな人のところへ行きたい気持ちを抑えてでも傍にいてくれると思うんだよ。でもそれはとても切ない。だから二ノ宮くんに誘われたらどこへでもついていくけど、私から誘うのはとても勇気のいることなんだよ」

 涼子は。

「それは違うよ」

 本当にいい子だ。

「好きな人が自分を好きになってくれる確率なんて天文学的な数字なんだよ。だから無茶をしてでも気を引かないとダメなんじゃないかな?」

「……真理亜……」

 おもいっきり抱きつかれた。これも違う気がするのだけど――今回は押し退けるわけにもいかない。そっと抱き寄せて私は涼子の頭を撫でた。

「むう、やっぱりお二人はそういう関係なのかな?」

 いつの間にか二ノ宮が立っていた。まさに野良猫みたいな奴である。

「に、二ノ宮くん」

 がばっと飛び跳ねるようにして涼子は私から離れた。私は半眼で二ノ宮を睨みつける。

「いつから見てたのよ? ずっと立ち聞きしていたのなら軽蔑するけど」

「してないって! 本当に今そこを通ったら抱き合う二人を見かけただけだよ」

 あたふたしながら二ノ宮は弁解した。

 どうでもいいけど生々しい表現は使わないでほしい。

 抱き合う二人って。

「それならいいんだけど」

 私は溜め息を漏らした。爽やかな表情を浮かべて二ノ宮が問いかけてくる。

「じゃあ、俺はここにいてもいいのかな?」

「うんうん」

 自分を指差している二ノ宮に、涼子はぶんぶんと首を縦に振った。

 ゆったりと流れる時間。

 ファイヤーストームの前にして、私たちは他愛ない雑談で爆笑していた。

 こんな幻想的な時間を――好きな人と親友と共有できた。

 最後にいい想い出ができた。

 ――最後?

 私は目の前でバチバチと燃え上がっている炎を眺めた。

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